ピレリ
ピレリ(Pirelli & C. )はイタリア ミラノに本社を置くタイヤ、フィルターなどを製造する企業。
タイヤ業界でコンチネンタルに次いで世界5位。過去には電線、通信用ケーブルも製造していた。
目次
主力製品・事業
タイヤ
- 乗用車用-サマータイヤ
- P Zero/現在のフラグシップモデル。新素材、新技術を採用し、高グリップと高い走行安定性を確保。一部サイズにランフラットタイヤも設定。フェラーリ、マセラティ、ランボルギーニ、AMGなどプレステージカーや、欧州車のスポーツモデルが採用している。
- P Zero Silver/現在のフラグシップモデル。新素材、新技術を採用し、高グリップと高い走行安定性を確保。
- P Zero ROSSO/高速安定性と乗り心地、低ロードノイズを両立させたモデル。ディレッツォナーレとアシンメトリコの2種類のパターンがあり、ディレッツォナーレは特定車種の前輪用として使用される。欧州車の高性能モデルに標準装着されている。
- P Zero NERO/主にインチアップ用として開発。サイズが豊富で、最近では中小型車のスポーツモデル、高出力モデルなどに採用されている。荷重性能高めたエクストラロード規格としているサイズが多い。
- P Zero Nero AS/オールシーズンモデルで日本向けは中国生産分である。
- P7/主にCセグメントより上の車種に純正採用されている。後述のP6よりややスポーティ寄りでトータル性能が高い。日本向けはOEMモデルのEU生産分を除き、中国生産分の割り当てがメインで2012年3月から中国製はイエローハットの専売モデルとなっている。
- P6/主にCセグメントから下の車種に純正採用されている。P7より乗り心地と耐久性を重視。トータル性能が高い。OEM装着のモデルを除き日本向けは中国製産分のデリバリーである。
- P6 FOUR SEASONS/アメリカ向けの製品でオールシーズンタイヤである。日本では販売サイズを縮小。
- CINTURATO(チントゥラート) P7/P7の性能を保ちつつ、転がり抵抗、耐磨耗性、ロードノイズを改善したエコ系タイヤ。一部サイズにランフラットタイヤを設定。
- CINTURATO P6/P6をベースに、転がり抵抗、耐磨耗性を改善したエコ系タイヤ。日本ではOEMを除いて販売終了。
- CINTURATO P4/ベーシックグレードタイヤ。低転がり抵抗と高い耐久性を重視。走行安定性も高く、欧州ではバランスの優れたタイヤとして評価が高い。日本ではCINTURATO P1のサイズがそろい次第、順次販売終了となる予定。
- CINTURATO P1/ベーシックグレードタイヤ。欧州でのグレーディングに対応させるために新たに開発されたモデルで、転がり抵抗の低減と通過音や走行音の低減。ウェット性能も高い。日本向けは欧州とは異なり中国工場での製造分のデリバリーである。
- DRAGON/スポーツ走行向。グリップとウエットのバランス、高速安定性を両立。元々P ZEROシリーズとして設計されたがNEROがあるために、P5000 DRAGOの後継として発売。日本国内では低価格で販売されており、性能とコストのバランスが優秀。
- euforia/ランフラット専用モデル。BMWやMINIなどが標準装着。
- PZERO SYSTEM/発売当初はピレリのフラッグシップタイヤであったが、P Zero ROSSOの発売後、OEMを除いてサイズ縮小。
- P7000/発売当時はP7系のスポーツモデルでP700Zの後継のシリカ配合のハイパフォーマンスタイヤであった。現在販売されているモデルは当時とコンパウンドも異なり中国製の価格対策のタイヤとして215/45R17のみラインナップされている。
- P6000/P6系のコンフォート系高級タイヤとして発売。P600の後継モデルであったが、P6、P7の発売によりOEMモデルを残してサイズ縮小。P6000系にパワジー、スーパースポーツなど派生モデルが多数ある。
- P3000/ベーシックグレードのタイヤ。80/70/65/60扁平がラインナップされておりTR/HR規格のベーシックタイヤで、現在はOEMモデルや80モデルの一部が残っているだけである。
- 乗用車用-スタッドレスタイヤ
- WINTER ICECONTROL (日本向)
- WINTER SOTTOZERO / SOTTOZERO SERIE II(欧州で販売されているのと同モデル)
- SUV用
- P Zero, P Zero ROSSO, Scopion Zero, Scorpion Verde, Scopion STR, Scopion ATR
- セミレーシング
- P Zero Trofeo, P Zero CORSA SYSTEM, P Zero CORSA, P Zero C
- 特定店のみ販売
- P4 FOUR SEASONS/オートバックス系列店専売モデル。元々北米向けのオールシーズンタイヤ(M+S)で、耐摩耗性に優れる。
特殊フィルター
主要事業所
- 本社 - Milan - Italy
沿革
- 1872年 - ジョヴァンニ・バッティスタ・ピレリによって創業
- 1879年 - ピレリケーブル&システム設立
- 1890年 - 自転車用タイヤ“ティポ・ミラノ”を発表。ピレリタイヤの前身
- 1901年 - “エルコーレ”を発表
- 1907年 - 北京―パリ自動車レースで優勝
- 1986年 - ドイツのオートバイ用タイヤメーカー、メッツラーを買収
- 1991年 - F1から撤退
- 2005年 - ピレリケーブル&システムをゴールドマンサックスに売却(現在のプリズミアン)
- 2006年 - WRCから撤退
- 2008年 - 公式タイヤサプライヤーとしてWRCに再参入(主要チームへワンメイク供給)
- 2010年 - GP3に単独公式タイヤサプライヤーとして供給
- 2011年 - F1とGP2に単独公式タイヤサプライヤーとして供給予定[1]。※F1へは再参入
F1におけるピレリ
第1期活動 (1950年 - 1958年)
ピレリは1950年にF1世界選手権が開催された当初から参入したタイヤサプライヤーの1つでもある。アルファ・ロメオ、マセラティ、フェラーリなどイタリアチームに対してタイヤを供給した。当初はインディ500以外のほぼ全てのレースでピレリタイヤ勢がレースを専権した。(※:当時のF1ではチャンピオンシップとしてはインディ500も含まれていた。)、しかし当時のトップドライバーであったファン・マヌエル・ファンジオが1954年のフランスグランプリよりメルセデス・ベンツに移籍すると、メルセデスが使用していたコンチネンタルが専権するようになる。ファンジオは1956年にフェラーリに移籍し、ピレリタイヤによる勝利も元のように大半を占めるようになるが、1958年からフェラーリにベルギーのタイヤメーカーであるエンゲルベールが独占供給。さらにイギリスの有力チームヴァンウォールもピレリからダンロップへタイヤ供給を変更した。また、他の有力チームであるクーパーもコンチネンタルやダンロップのタイヤを使用するに至ったため、1勝もすることができなかった。ピレリの第1期活動はこの年で終了する。
第2期活動 (1981年 - 1986年)
1981年より、実に23年ぶりのタイヤ供給となった。当初はアロウズ、フィッティパルディ、トールマンに対して行ったが、年間を通して入賞をしたのはアロウズのみという厳しい復活初年度を迎えた(PP1回、表彰台2回、10pts。但し、アロウズはミシュランとタイヤをシェアしており、完全な独占供給チームはトールマンだけだった)。1982年はマーチ(※:エイヴォンとシェア)、オゼッラもピレリタイヤを使用した。総獲得ポイントは9pts。なお、この年限りでフィッティパルディは撤退、アロウズはグッドイヤーを選択する。そのため、1983年からはロータス、RAMへ供給先を広げ、ピレリ勢の総獲得ポイントは23pts。うち、ロータスがPP1回、表彰台1回を獲得した。
1984年はロータスがタイヤサプライヤーをグッドイヤーに変更したため、新たにスピリット、ATSへも供給した。トールマンとオゼッラがポイントを獲得するが、トールマンはシーズンの途中でタイヤサプライヤーをミシュランに変更。ATSのゲルハルト・ベルガーもイタリアGPで6位入賞を果たすも、開幕時点でATSは1台エントリーとなっていたため、2台目のマシンとして走らせていたベルガーの入賞はカウントされなかった。3回の表彰台と18pts。
1985年からはミシュランが撤退。グッドイヤーとの直接タイヤ戦争となった。同時にピレリ飛躍の年として期待もされた。ブラバム、リジェ、ミナルディが新たに供給先として決定した。ミシュランを失ったトールマンも第4戦モナコグランプリから撤退したスピリット分のタイヤを購入するという形で再びピレリを使用。第7戦フランスGPでブラバムのネルソン・ピケが優勝を果たし、1957年イタリアGPにおけるヴァンウォールのスターリング・モスが勝利した以来、実に28年ぶりのピレリタイヤ勢の勝利でもあった。PP2回、優勝1回、表彰台6回、49pts。
1986年、トールマンがベネトンに買収されたことにより、ピレリによるタイヤ供給が正式に再開された。この年は参戦初年度になるベネトン旋風を巻き起こし、テオ・ファビは2回のPPを獲得。ゲルハルト・ベルガーはメキシコGPでタイヤ無交換作戦という奇策に出てこれを見事に決め、優勝した。この勝利が第2期ピレリ最後の勝利であった。1986年のピレリ勢の総獲得点50pts。
上位チームへの供給がない中での健闘は見せたものの、上位チームへの供給を独占していたグッドイヤー勢に対する敗北は否めなかったのも事実であり、この年限りでピレリは再びF1へのタイヤ供給を休止した。
第3期活動 (1989年 - 1991年)
一時休止から2年間のブランクをあけて再びグッドイヤー勢とのタイヤ戦争を開始した。グッドイヤーに比べタイヤ供給料を安くする戦略をとり、これによりチーム運営資金が決して潤沢ではない新参チームや、スポンサー獲得が上手くいかないチームへ供給をした。スクーデリア・イタリア、ブラバムが各1回ずつ表彰台を獲得し、ミナルディも6pts獲得する活躍を見せた。その他ユーロブルン、ザクスピード、オゼッラ、コローニに供給するも、これらは上位に食い込めるほどの戦闘力がなかった。1990年は新たにティレルへの供給が開始された。開幕戦アメリカGPではジャン・アレジがスタートでトップに立ち、34周目までラップリーダーを守る大活躍を見せ、2位表彰台を獲得、モナコGPでも同様に2位獲得を果たした。コースや温度環境によって、ライバルのグッドイヤーよりも高いパフォーマンスを発揮したこともあり、特にストリートコースでの性能は非常に高かった。又、ティレルではチームメイトの中嶋悟も6位を3度獲得した。
1991年はブラバム、スクーデリア・イタリア、ティレルに加え、5年ぶりにベネトンへも供給した。レースに関しても前年同様にストリートコースの特性があり、開幕戦アメリカGPではベネトンのネルソン・ピケが3位、ティレルのステファノ・モデナ、中嶋悟が4位、5位とまずまず好調なスタートを切った。しかし、路面高温時の性能に難があり「夏バテタイヤ」と揶揄されたほどであり、比較的気候が涼しい地区では良いパフォーマンスを示したものの、気温の高いコースではパフォーマンスに難があったことは否めなかった。最後の勝利は1991年カナダグランプリのピケであり、ウィリアムズのナイジェル・マンセルがファイナルラップで突然のストップによって得た勝利ではあったものの、それまで2位を走行していたことからも、さらには同じピレリタイヤを使用していたティレルのステファノ・モデナが同コースで2位に入り、ピレリ勢が1-2フィニッシュを飾った。気候の涼しいカナダ即ち、路面温度が低い状況での活躍は当時のピレリタイヤの極端な特性について語られるエピソードの一つともいえる。又、当時予選用(Q)タイヤを使用後、表面をヤスリのような工具で削り「皮むき作業」を施して再使用していた事もあった。
ピレリは1991年を以って、そしてタイヤ供給した参戦数200戦目にしてF1から撤退した。
第4期活動 (2011年 - )
2010年4月30日、ピレリがFIAに対して正式にタイヤ供給を申し出たことを発表[2]。6月23日、世界モータースポーツ評議会が開催され、FIAにより2011年からピレリがF1にタイヤを供給することを決定したと正式に発表した。なお、契約期間は3年であり、実に20年ぶりにF1のひのき舞台に返り咲いたことになる[3]。また、F1と同規格のタイヤをGP2にも供給することを発表。双方からのタイヤデータをフィードバックし、よりレースにエンターテイメント性を高める事を狙いとするなどレースを白熱化させるコンセプトを明示していた[1]。
ピレリは本格復帰に先立ちニック・ハイドフェルドとテストドライバー契約を結び、2010年8月17日よりトヨタのTF109を使ったタイヤテストを開始した[4]。しかし、ハイドフェルドが急遽ザウバーの正ドライバーになることが決定、ピレリはタイヤテストの後任を迎える必要があったため、9月16日にF1でドライブ経験のあるロマン・グロージャンを後任にする事を発表[5]。 さらに、9月23日にはペドロ・デ・ラ・ロサをタイヤテストに起用することを発表した[6]。タイヤは前述のピレリが明示していたコンセプト通り、高いエンターテイメント性を図るために「あえて磨耗性(デグラデーション)の大きいタイヤ」を開発した。各ドライバーはそれまでのタイヤサプライヤーであったブリヂストンと比較して非常にデリケートなタイヤであると述べた[7]。
この「あえて磨耗性の大きいタイヤ」の開発は、通常の自動車競技の性質と意義(技術躍進)とは逆行したものであり、本来は自動車競技の技術提供となると自社のイメージアップへと繋げるために自社製品の性能の高さを見せることによって、技術力の宣伝的な意味合いとなるのが通常である。したがって、あえて逆行させたピレリの技術提供は同社のイメージを大きく損ねる可能性もあったが、それを理解した上で買って出たピレリの英断をバーニー・エクレストンは高く評価をしている[8]。
又、視覚的エンターテイメントとして、ピレリは6種類のタイヤが全て観戦者や視聴者に識別できるように色分けを施している[9]。
- 2011年規格
用途 | 製品名 | コンパウンド | 略記号 | サイドウォール |
---|---|---|---|---|
ドライタイヤ | P Zero | スーパーソフト | SS | レッド |
ソフト | S | イエロー | ||
ミディアム | M | ホワイト | ||
ハード | H | シルバー | ||
レインタイヤ | Cinturato | インターミディエイト | I | ライトブルー |
ウェット | W | オレンジ |
- 2012年規格
用途 | 製品名 | コンパウンド | 略記号 | サイドウォール |
---|---|---|---|---|
ドライタイヤ | P Zero | スーパーソフト | SS | レッド |
ソフト | S | イエロー | ||
ミディアム | M | ホワイト | ||
ハード | H | シルバー | ||
レインタイヤ | Cinturato | インターミディエイト | I | グリーン |
ウェット | W | ブルー |
- 2013年規格
用途 | 製品名 | コンパウンド | 略記号 | サイドウォール |
---|---|---|---|---|
ドライタイヤ | P Zero | スーパーソフト | SS | レッド |
ソフト | S | イエロー | ||
ミディアム | M | ホワイト | ||
ハード | H | オレンジ | ||
レインタイヤ | Cinturato | インターミディエイト | I | グリーン |
ウェット | W | ブルー |
その他
- キャッチコピー「POWER IS NOTHING WITHOUT CONTROL.」を長年使い続けている。
- 現在、国内向の日本車ではOE(Original Equipment, メーカー純正)装着例が極端に少ないが、輸入車(特に欧州車)での装着例は、スーパーカーからコンパクトカーまで幅広く多い。
- 日本がバブル景気だった頃は、日本車は、ピレリタイヤをOE装着、もしくはオプション装着を設定する車種/グレードが存在した。(軽自動車のスポーツモデルが装着していた例もある)
- 日本で販売されているタイヤの生産国は、イタリア製、ドイツ製、スペイン製、トルコ製、ブラジル製の他、近年では中国製も存在する。
- ランフラットタイヤについては、ミシュランと共同で中子タイプの開発をすすめていた一方で、サイドウォール強化タイプも開発し、euforiaとして商品化した。
- スタッドレスタイヤについては、日本向タイヤを、北海道などで開発、テストを行っている。
- 日本のタイヤメーカーと異なりモデルサイクルが長く、10年以上販売が継続される製品も多い。(FIATチンクェチェント用にCEAT CINTURATO CN54の製造販売も継続している)
- PZERO/P7/P6/CINTURATO等、一部の製品名は過去の製品名を復活させているが、過去の製品とはその性格が異なる。特に旧モデルのP7は、スポーツカー用タイヤとして名高いが、現在のP7は、スポーティー寄りではあるが一般車用である。
- PZEROの初代(旧)モデルはフェラーリF40専用のタイヤとして開発され、量販化の後PZERO SYSTEMへ更新された
- ランボルギーニ・カウンタックなど、スーパーカー用のタイヤの製造販売を継続している。
- WRCでは、ランチアやトヨタに供給を行い、ライバルのミシュランを抑え高い成績を収めていた。近年ではスバル等に供給を行っていたが、2006年シーズン一杯でスバルがミシュランへスイッチし事実上撤退。その後、2008年から2010年までの3年間契約で、WRCの公式タイヤサプライヤーとして復帰している。
- GP2シリーズにおいても、2011年よりF1と同じ規格のタイヤを使用することを発表した[1]。
- 1950年代にアルベルト・ピレリは、同社の最初の工場があったミラノの地区に高層ビルの建築を依頼した。同ビルはピレローネと呼ばれる。
- 毎年、女性モデル(トップレスが多い)を撮影したカレンダーを発行している。(非売品で入手は困難)
- 過去、グローバルなイメージキャラクターとして、元陸上競技選手カール・ルイスを起用していた頃がある。
- 尚、2009-2010年は、日本向スタッドレスタイヤ-WINTER ICECONTROLのイメージキャラクターとして、フィギュアスケートの安藤美姫選手が起用されている。
- USENのメディアコンバーターもピレリ製である。
- ピレリジャパンが創設される前の日本での正規輸入・代理店業務は、阿部商会が担っていた。