さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち
テンプレート:Infobox Film 『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(さらばうちゅうせんかんヤマト あいのせんしたち)は1978年8月5日に東映系で公開の宇宙戦艦ヤマトシリーズの第2作目のアニメーション映画。
通称「さらヤマ」。外国語での表記は「Arrivederci Yamato」(arrivederciはイタリア語で「さらば」の意)。
目次
作品解説
テレビシリーズ『宇宙戦艦ヤマト』の続編(厳密に言うと本作を含めた続編は劇場版第1作の続編ではない)であり、「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の第2作。総集編だった劇場版第1作と異なり、完全新作のオリジナルストーリーである。1978年8月5日公開の夏休み映画で、全国133の映画館で封切りされた[1]。本作では地球と白色彗星帝国との戦いを通じてヤマト乗組員達の死が描かれた。
1977年公開の劇場版『宇宙戦艦ヤマト』の成功を受けて、同年11月に本作の製作が決定した[2]。第1作のようにオフィス・アカデミーの制作だと正月映画となるため、夏休み公開を目指して制作能力の高い東映動画が制作に参加し[3]、以後、東映動画は昭和の宇宙戦艦ヤマトシリーズの劇場版を担当することになっていく。脚本と絵コンテに4ヶ月をかけ[2]、1978年5月24日に製作発表が行われた。配給を担当する東映の岡田茂社長は配給収入の目標を15億円としたが[4]、目標を上回り前作の2倍以上の21億円とアニメ映画史上に残る大ヒットとなった。 テンプレート:Main
監督は舛田利雄と松本零士が共同で担当。本作では舛田の意見が随所に反映されており、特にクライマックスのシチュエーションは舛田の監督作である石原裕次郎主演の戦争映画『零戦黒雲一家』との類似性が指摘される。本作から登場する宇宙騎兵隊の斉藤始は舛田が発案したオリジナルキャラクターである[5]。
主題歌の歌手には人気歌手の沢田研二を起用した。当時はアニメに一般の大物歌手を使うことは異例だったが、沢田が歌う「ヤマトより愛をこめて」はオリコンにもランクインするヒットをした。本作では他にもコスチュームデザイン協力にファッションデザイナーの花井幸子を起用する試みを行い、パブリシティに一役買っていた[6]。
1978年5月の製作発表記者会見で西崎義展プロデューサーは「これで、ヤマトを最後にしたい」と語っており[7]、最後に表示される観客向けのテロップの字句は、初公開時は「もう二度と姿を現すことはない」と明言したものであった。これは1979年夏のヤマトフェスティバルでの公開版以降では「あなたが生きる限りヤマトも生き続けるでしょう」という意味のテロップに差し替えられている[8]。ビデオソフトやテレビ放送時は地上波、BS、CSを問わず差し替え版で、DVDでも初発売のLDサイズケースのものでは差し替え版だったが後に発売されたものでは初公開時のテロップが再現されている。Blu-rayには両方収録されており、どちらかを選択して再生できる。なお、このテロップは西崎プロデューサーの発案である。
本作公開の2カ月後10月14日より、テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト2』が放映された。本作「宇宙戦艦ヤマト2」はストーリーの大要は共通しているものの、結末が大きく変更されている。「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の後発作品は本作ではなく、主役とヒロインが生き残った「宇宙戦艦ヤマト2」のストーリーを受け継ぐこととなる。
- 本作と「宇宙戦艦ヤマト2」の結末が大きく異なることについては、ふたつの見解がある。
2代目艦長土方竜役は当初、俳優の三船敏郎や仲代達矢が候補に上がっていたが、出演料が高額であるのと西崎プロデューサーの方針で流れたのだという[11]。結果、前作でナレーターをつとめた木村幌が演じた。
キャッチコピーは「永遠の愛とロマンをのせて――ヤマトはいま、最後の戦いが待つ宇宙のかなたへ…」。
あらすじ
ガミラスの侵略を退けてから1年後の西暦2201年、白色彗星帝国が宇宙の各惑星にその侵略の手を伸ばしていた。
地球は復興をほぼ終え、都市は活気づき平和に満ちていた。古代進も護衛艦艦長として輸送補給船団に同行していたが、偶然、発信源不明のメッセージを受信する。そのメッセージは、救いを求めるような女性の声であった。かつてのヤマト乗組員たちは、危機の正体を突き止めるためにヤマトを発進させる。
テレザート星に到着した古代たちは、メッセージの発信者であったテレサを救出する。テレサは、白色彗星帝国が宇宙の星々を次々と侵略しており、次に狙っているのが地球であることを告げる。
白色彗星帝国は地球に迫り、最新鋭戦艦アンドロメダを旗艦とした地球艦隊を全滅させる。ヤマトは白色彗星の渦の中心核に波動砲を打ち込む。彗星は火の玉となって炎上するが、その中から巨大な要塞、都市帝国が出現する。
激しい戦闘の中で次々と乗組員たちが戦死していく。古代たちは都市帝国内部に侵入して動力炉を破壊する。しかし、その都市帝国の内部から超巨大戦艦が出現する。エネルギーもほとんど尽きているヤマトを嘲笑するズォーダー大帝に向かい、古代は徹底抗戦を宣言。
ある決意を固めた古代は、生き残った数少ない乗組員をヤマトから退艦させ、超巨大戦艦に向けヤマトを発進させる。そこにテレサが現われ、ヤマトとともに超巨大戦艦に向かう。
諸設定
- キャラクター
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- メカニック
- 詳細は次の各項目を参照
スタッフ
- 企画・原案・製作・総指揮:西崎義展
- 監督:舛田利雄
- 監督・総設定:松本零士
- プロデューサー:吉田達
- 原案:松本零士、舛田利雄
- 脚本:舛田利雄、藤川桂介、山本英明
- 音楽:宮川泰
- アニメーション・ディレクター:勝間田具治
- 助監督:棚橋一徳
- 絵コンテ:安彦良和
- 総作画監督:湖川滋(現・湖川友謙)
- テクニカルディレクター:石黒昇
- 作画監督:小泉謙三、荒木伸吾、芦田豊雄、宇田川一彦、落合正宗
- SF設定協力:豊田有恒
- 衣装デザイン協力:花井幸子
- 現像:東映化学
- アニメーション制作:東映動画
音楽
本作の劇場公開直前の1978年8月1日、サウンドトラック音楽集『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち 音楽集』がLPレコードとして発売された。演奏は、前年末に『交響組曲 宇宙戦艦ヤマト』をリリースしていたシンフォニック・オーケストラ・ヤマトによる。詳細はそれぞれの項目を参照。
主題歌・挿入歌
- エンディングテーマ - 「ヤマトより愛をこめて」
- 作詞 - 阿久悠 / 作曲 - 大野克夫 / 編曲 - 宮川泰 / 歌 - 沢田研二
- 1980年12月に日本コロムビアから発売された『宇宙戦艦ヤマト 主題歌ヒット曲集』ではささきいさおがカヴァーした(カラオケも新録)。
- 挿入歌・イメージソング - 「好敵手」
- 作詞 - 阿久悠 / 作曲・編曲 - 宮川泰 / 歌 - ささきいさお、フィーリング・フリー
- 映画公開前に挿入歌として発売されたが、歌は本作でも『宇宙戦艦ヤマト2』でも使用されず、結果的にイメージソングとなった。BGMとしてもヤマト2でのデスラーとの別れのシーンで、アレンジ曲が使用されたのが唯一(総集編では別の曲)である。
- 「テレサよ永遠に」
- 作詞 - 阿久悠 / 作曲・編曲 - 宮川泰 / 歌 - ささきいさお、フィーリング・フリー
- 「好敵手」とカップリング(ジャケットには「B面」ではなく「片面」とある)。『宇宙戦艦ヤマト2』ではエンディングテーマとして使用された。モチーフを生かしたBGMはヤマト2で僅かに使われている。
反響
1979年7月には、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』(スターシャ生存編)と劇場版『海のトリトン』とともにラストメッセージを改訂した本作が「宇宙戦艦ヤマトフェスティバル」として東映洋画系でリバイバル公開され、配収5億1千万円を記録した[8][15]。
1978年の日本映画では、配収21億5千万円の『野性の証明』に次ぐ2位の興行成績を記録したヒット作品となった[14]。公開当時の1978年時点では、戦後日本映画の配給収入記録としても、『八甲田山』『人間の証明』『野性の証明』に次ぐ4位に入り、本作のヒットは日本映画界にとっても事件だった[16][17]。
1991年公開の『魔女の宅急便』が配給収入21億5千万円を記録するまで、アニメ映画の興行成績(金額ベース)の記録を保持した[18]。
- アニメーション映画の項目も参照。
劇場公開時、およびソフト化における画面アスペクト比
オリジナル・フィルムはまず地上波アナログTVの横縦比4:3に近いスタンダード・サイズ(横縦比が1.37:1または1.33:1)で制作され、劇場公開においては上下部分をクロップ加工する事で横長であるビスタ・サイズ(1.66:1程度)で上映された。DVD化の際は、劇場公開版フィルムにレターボックス処理(上下に横黒帯を付加加工)する事で4:3化(画質はSDTVにダウングレード化)されており、2013年5月に発売開始されたBlu-ray版ではオリジナル・フィルムにピラーボックス処理(左右に縦黒帯を付加加工)する事で画質が殆ど維持されたまま16:9化収録されている。
零号フィルム
テンプレート:複数の問題 ※鑑賞者の証言によりテンプレート:出典無効上映が確認されている映画館:兵庫県神戸市「三宮東映プラザ」。
公開時の初期に一部劇場にて公式版よりも尺が長く、一部セリフや音楽等の違う零号フィルム(脚本の最終決定稿に基づいた試作品)が上映されたという鑑賞者の証言により目撃情報があるテンプレート:出典無効。テンプレート:要出典範囲、2005年9月に岡山県倉敷市の映画館で行われたリバイバル上映の目撃証言がありテンプレート:出典無効、現存する可能性がある(この目撃部分とは、古代のイスカンダル航海の回想シーンに出てくる地球ドック到着の場面であるが、海外用の英語吹き替えソフトに収録されていた。 テンプレート:独自研究範囲
またオールナイトニッポンの前夜祭特別番組で現在のバージョンと同じサウンドトラックが放送されているテンプレート:独自研究範囲
零号フィルムには以下の台詞があったと言う証言があるテンプレート:出典無効(なおひおあきらの漫画版や『オールナイトニッポン』のラジオドラマ版には存在する)。
- 1. 英雄の丘で、古代進が佐渡先生に「先生、地球はこれでいいのでしょうか。」と繁栄に酔いしれる地球人に疑問を呈する場面があった。
- 2. ドックに眠るヤマトで古代進が沖田十三の幻を見た直後、各種計器の電源が自然に入るが、この直後、徳川機関長が「ははは、びっくりしたじゃろう」と現れるシーンがあった。
- 3. 土方艦長が就任する際、古代以外の乗組員が「負けた船の艦長がヤマトの艦長になるなんて…」と反対するシーンがある。
- 4. ミルにデスラーの監視を命じたサーベラーに対して、ズォーダーが「女だな、サーベラー」と言う台詞がある。
この二つのシーンは『オールナイトニッポン』のラジオドラマ版には存在する。
- 5. 彗星帝国のテーマであるパイプオルガン曲(作曲・宮川泰)は当初は使用されておらず、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのトッカータとフーガニ短調の前奏部分が使用されていたとの証言もあるテンプレート:出典無効。
その他
本作の音楽で話題になったのが、パイプオルガンを用いた「白色彗星」のテーマである。宮川泰としても会心の出来だった様で、完成した直後に喜び勇んで「凄いのが出来たぞ!」と息子の晶に自慢した程。宇宙SF映画にありがちな曲になりそうな主題を、ありそうで無かった、覚えやすくキャッチーで、迫力もあり恐怖感も満点な曲に仕上げている。しかも宮川泰はパイプオルガンを弾いた経験が無いにも関わらず、見事なパイプオルガン用の曲を書いた[19]。録音は武蔵野音楽大学のベートベンホールで1978年の6月5日と22日に行われ、宮川泰の実子で、当時まだ高校生だった宮川晶(宮川彬良)が志村拓生の名義で演奏を担当した。父の泰が楽譜を自慢気に持ってきて「これ、弾けるか?」と聞いたことが発端であった。最初は音大の先生に依頼したが「ジャズやロックは弾けません」と断られたことで息子に白羽の矢が立った。
しかし晶はピアノとロックオルガンが専門で、ピアノとオルガンの奏法の違い(音を伸ばす際、ピアノはペダルを踏めば鍵盤から指を離しても大丈夫だが、オルガンにはその機能がないため、音を伸ばす間は鍵盤から指を離せない。従って次の鍵盤に瞬時に移動しなくてはいけなくなる)に苦しめられた[20]。録音はミスタッチが続きNGを連発。たった3分ほどの曲に1日がかりになる状況に、晶はプレッシャーで泣きながら演奏した[21]。用意した録音テープも底を尽き、最後の36テイク目で泰が「いいだろう」とOKを出し、ミスのない部分を編集でつなぐことで完成とした[22]。
脚注
外部リンク
- 零号フィルムの映像資料を一部掲載
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- ↑ 『ロマンアルバム さらば宇宙戦艦ヤマト』徳間書店、1978年、p.106
- ↑ 2.0 2.1 『ロマンアルバム さらば宇宙戦艦ヤマト』徳間書店、1978年、pp.102-103
- ↑ 「西崎義展 自らの人生を映画にかける」『キネマ旬報』1978年8月上旬号、pp.61
- ↑ 『ロマンアルバム さらば宇宙戦艦ヤマト』徳間書店、1978年、p.103
- ↑ 舛田利雄著、佐藤利明、高護編『映画監督舛田利雄 アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて』ウルトラ・ヴァイヴ、2007年、pp.294-295
- ↑ 池田憲章編『アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ』徳間書店、1982年、pp.110-111
- ↑ 『ロマンアルバム さらば宇宙戦艦ヤマト』徳間書店、1978年、p.104
- ↑ 8.0 8.1 池田憲章編『アニメ大好き! ヤマトからガンダムへ』徳間書店、1982年、pp.116-117
- ↑ 本作公開以前の1978年6月25日発行の「ヤマトファンクラブ本部」会報第4号にて初報道されている。
- ↑ 『動画王』vol.7 キネマ旬報社、1998年、171頁。
- ↑ 『ロマンアルバム さらば宇宙戦艦ヤマト』徳間書店、1978年、p.104
- ↑ 『アニメージュ』1982年10月号、p.138
- ↑ 13.0 13.1 13.2 『宇宙戦艦ヤマト大事典』ラポート社、1983年、p.135
- ↑ 14.0 14.1 『キネマ旬報ベスト・テン全史1946-1996』キネマ旬報社、1984年初版、1997年4版、p.228
- ↑ 川端靖男、黒井和男「1979年度日本映画・外国映画業界総決算」『キネマ旬報』1980年2月下旬号、p.129
- ↑ アニメージュ編集部編『劇場アニメ70年史』徳間書店、1989年、p.71
- ↑ キネマ旬報社編『映画プロデューサーが面白い』キネマ旬報社、1998年、p.233
- ↑ 土屋新太郎『キャラクタービジネス その構造と戦略』キネマ旬報社、1995年、p.87
- ↑ 『宇宙戦艦ヤマト2199』第四章劇場パンフレット、p.26。宮川彬良のインタビューより。彬良は当時の父の様子を「『我ながら天才だ』と思ってたんじゃないかな?(笑)」と述べている。
- ↑ 他にも、パイプオルガンは足でも鍵盤を弾くが、ピアノ専門の晶は「そこは僕には無理」と言うと、父に「そこは音大の先生が手伝ってくれる」と聞かされ「それなら最初からやってくれれば……」と思ったそうである。
- ↑ 芸大の先生も思わず感激し「本当に良いご子息で……」と、もらい泣きしたという。晶は「それなら最初からやってくれー!」と心底思ったそうである。
- ↑ 2012年10月23日、新宿ピカデリーのヤマト2199「ヤマトーク」にて。テンプレート:信頼性要検証