トゥヴァ共和国
トゥヴァ共和国(トゥヴァきょうわこく、Республика Тыва、トゥバ共和国とも)は、アジアの中央部に位置し、ロシア連邦を構成する共和国の1つ。
東はブリヤート共和国、南はモンゴル国、西はアルタイ共和国、北西はハカス共和国、北はクラスノヤルスク地方、北東はイルクーツク州と接している。
概要
標準時
この地域は、クラスノヤルスク時間帯の標準時を使用している。時差はUTC+8時間で、夏時間はない。(2011年3月までは標準時がUTC+7で夏時間がUTC+8であった)
主な産業
鉱工業、畜産、毛皮獣捕獲
資源
非鉄金属、希金属、石炭、アスベスト、鉄鉱、金 銅、イリジウム、雲母、岩塩、グラファイト、大理石、マグネサイト、硫黄[1]
地形
北はサヤン山脈によってハカス共和国、クラスノヤルスク地方と接し、南はほぼテンプレート:仮リンク(テンプレート:Lang-tyv)によってモンゴル国と接する。
国内を流れるほとんどの河川はエニセイ川の水系である。主要河川はウルグ=ヘム川(テンプレート:Lang-tyv、上エニセイ河)と、その左岸支流のテンプレート:仮リンク(テンプレート:Lang-tyv)である。さらに上エニセイ川は、クズル市で合流するテンプレート:仮リンク(テンプレート:Lang-tyv、Bii-Khem、大エニセイ川)とテンプレート:仮リンク(テンプレート:Lang-tyv、Kaa-Khem、小エニセイ川)よりなっている。共和国には多くの湖が存在する。
サヤン山脈と、タンドゥ山脈に挟まれた大きな盆地ともいえる地勢で、「盆地」の平均標高はほぼ1000m。最低標高は、ウルグ=ヘム川(上エニセイ河)がクラスノヤルスク地方に流出する550mで、最高地点は3,976mのテンプレート:仮リンク(テンプレート:Lang-tyv - Silver Mountain)である。
民族
歴史
この地域は、清代のテンプレート:仮リンク(漢字表記:唐努烏梁海)に相当する地域で、元滅亡後はオイラトのジュンガル・ホンタイジ国とKhotogoidのAltan Khanateに支配される複雑な歴史を送ってきた。清代になると、オイラトと東モンゴルを支配するハルハに対して清がタンヌ・ウリャンハイを巡って争った。1755年に乾隆帝がジュンガル・ホンタイジ国を滅亡させて、清がタンヌ・ウリャンハイを併合した。
しかし、緩衝国となっていたジュンガルが無くなったことでロシアの進出が始まった。1727年のキャフタ条約を切っ掛けに、清朝が国境警備兵をサヤン山脈からテンプレート:仮リンク(テンプレート:Lang-tyv)に移していた。1839年になるとロシア帝国がこの地域に入植を開始し、サヤン山脈に2つの金鉱山を開いた。それでも1911年の辛亥革命まで名目上は清の領土であったが、ロシア帝国はトゥバ人の分離主義運動を扇動しトゥバを形式的に独立させ、その後1914年にロシアの保護領とした。
1917年のロシア革命に伴う混乱は、トゥバを再び独立させた。1921年に、ロシア共産党によって一般的にはタンヌ・トゥバと呼ばれているトゥバ人民共和国(露:Тувинская Народная Республика)が建国された。トゥバ人民共和国は、1944年にソビエト連邦に自治州として編入され、1961年にはトゥヴァ自治ソビエト社会主義共和国として自治共和国に昇格した。1992年3月31日にトゥバ共和国はロシア連邦条約に調印し、ロシア連邦の連邦構成主体となってからは、共和国の名称もロシア語表記の Туваからトゥバ語表記の Тываに変更された。
中華民国は、現在でもトゥバが自国領であると主張しており、最近まで発行されていた官製の「中華民国全図」には、自国領として中華人民共和国統治区域・モンゴル国などに加えトゥバが含まれていた。当時の地図では「唐努烏梁海」という表記であった。
政治
政府議長(首相)は、ショルバン・カラ=オール(2007年から)。
行政区画
直轄地が2都市と17地区からなる。
- 直轄市
- 地区
- バイ=タイガ地区
- バルーン=ヘムチク地区
- スュット=フル地区
- チューン=ヘムチク地区
- チャー=フル地区
- ウルグ=ヘム地区
- ピー=ヘム地区
- テレ・フル地区
- トジュ地区
- クズル地区
- チェディ=フル地区
- タンドゥ地区
- カー=ヘム地区
- ムンギュン=タイガ地区
- ウブュル地区
- テス=ヘム地区
- エルズィン地区
その他
- 『ファインマンさん最後の冒険』において、ノーベル物理学賞受賞者のリチャード・P・ファインマンは、鉄のカーテンの向こうにあったソビエト連邦(当時)治下の当共和国をなんとかして訪れようと、あの手この手を使って努力する。
- 1920年代から1930年代にかけて、同国は「タンヌ・トゥーバ」として、郵便切手を発行していた。当時としては斬新なデザインのため、前述のファインマンを含め、多くの者が魅了されたが、実際に郵便に使用されているかが疑問とされ、ある時期に発行された分から世界的切手図鑑である「スコットカタログ」に掲載が見送られている。
- 黒澤明監督映画「デルス・ウザーラ」(1975年)の主役デルス・ウザーラを演じた俳優・歌手マクシム・ムンズク(Максим Мунзук、EN:Maxim Munzuk)は、トゥバ人である。
脚注
関連文献
- 鴨川和子著『トゥワー民族』晩声社、1990年9月、ISBN 4891882018
- オットー・メンヒェン=ヘルフェン著/田中克彦訳『トゥバ紀行』岩波文庫、1996年6月、ISBN 4003347110(原著 Otto J. Mänchen-Helfen "Journey to Tuva")
- 等々力政彦著『シベリアをわたる風』長征社、1999年7月、ISBN 4924929352
- 巻上公一著『声帯から極楽』筑摩書房、1998年3月、ISBN 4480872930
- ラルフ・レイトン著『ファインマンさん最後の冒険』岩波書店、1991年(岩波現代文庫、2004年)、ISBN 0295981121(ISBN 4006030975)
- Ralph Leighton『Tuva or bust! : Richard Feynman's last journey』New York : W.W. Norton、1991年 ISBN 0393029530
- Sevyan Vainshtein著『Nomads of South Siberia -The pastoral economics of Tuva』Cambridge University Press、1980年、ISBN 0-521-22089-0 (著者名のキリル文字表記: Севьян Израилевич Вайнштейн)