ブリヤート共和国
テンプレート:基礎情報 ロシアの連邦構成主体 ブリヤート共和国(ブリヤートきょうわこく、テンプレート:Lang-ru、ブリヤート語:Буряад Республика)はロシア連邦を構成する共和国の一つ。東シベリアのバイカル湖の南東部に位置する。
概要
首都はウラン・ウデ(人口38万6700人)。管区はシベリア連邦管区に属する。北にイルクーツク州、東にザバイカリエ地方、南にモンゴル国、西にトゥバ共和国へ接する。
標準時
この地域は、イルクーツク時間帯の標準時を使用している。時差はUTC+9時間で、夏時間はない。(2011年3月までは標準時がUTC+8で夏時間がUTC+9であった)
歴史
元々はモンゴル系のブリヤート人の居住地であり、伝統的な牧畜などが営まれていた。政治的には1206年にモンゴル帝国のチンギス・ハーンに服属し、以後は各部族が歴代のモンゴル高原の支配者に服属していた。
16世紀になると金と毛皮を求めてバイカル湖から東進してきたロシア帝国の領域に組み込まれた。1666年にウダ川の河畔にできた要塞はベルフネウジンスク(後のウラン・ウデ)と名付けられ、地域の中心となった。1689年に清との間で締結されたネルチンスク条約により、この地域は正式にロシア領となった。
その後、1917年のロシア革命後には反革命軍がこの地域を制圧し、シベリア出兵により日本が占領した後の1920年には極東共和国の首都がベルフネウジンスクに置かれたが、1922年にソビエト政権の支配下に入り、1923年にはロシア・ソビエト連邦社会主義共和国内のブリヤート・モンゴル・ソビエト社会主義自治共和国となった。1937年にはブリヤート自治ソビエト社会主義共和国となった。
ソビエト末期の1990年10月8日には主権宣言を行い、1991年5月27日には国名を現在のブリヤート共和国に改称した。同年12月25日のソビエト連邦崩壊後にはロシア連邦共和国の構成体となり、1994年には史上初の民選大統領レオニード・ポタポフが選出された。
民族
教育
産業
鉱物資源
行政区分
- ブリヤート共和国は、直轄市ウラン・ウデ及び所属の2町を併せたウラン・ウデ市行政区と、直轄市セヴェロバイカリスク市、その他の21地区から成る。
|
|