クイズ面白ゼミナール
テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『クイズ面白ゼミナール』(クイズおもしろゼミナール)は、1981年4月9日から1988年4月3日までNHK総合テレビで放送されていた教養クイズ番組である。
本項では、テレビ60周年の特別番組として2013年夏・2014年正月に放送されたリメーク版『クイズ面白ゼミナールR(リターンズ)』、2014年以降不定期で放送されている『新・クイズ面白ゼミナール』についても述べる。
目次
概要
番組のタイトル通り、大学のゼミを模したスタイルの学術的要素が強いクイズ番組。司会を務めた鈴木健二は「(ゼミナールの)主任教授」で、解答者は「生徒(学生)」という位置づけで出演していた。また、講義の雰囲気を作るため、スタジオ内で様々な手法を用いて解説を行い、VTRを一切使わなかったのも特色であると言える。
解答者は3人1組でチームを作り、総勢4チームが後述のような各種クイズの得点を競った。セットの作りは講義室の階段教室の様な作りで上段に2チーム(左:赤、右:青)、下段に2チーム(左:緑、右:黄)となっていた。名札板の名前の部分の前に左の人から順に1、2、3の数字が書かれ、2番の人がキャプテンでキャプテンの名前がそのままチーム名になった(ただし改編期にあたる4月と10月の初回は番組対抗となることがあった)。
鈴木は番組内で多数の決まり文句を持つ。オープニングで「“知るは楽しみなり”と申しまして、知識をたくさん持つことは人生を楽しくしてくれるものでございます。私は当ゼミナールの主任教授でございます」という挨拶で始まり、「では、今晩の学生さんをご紹介します」と解答者の紹介へ続く、という一連の言葉。このオープニングの挨拶は、鈴木が何を言うか考えることを忘れていたまま本番が始まってしまい、とっさに老子の「知は楽なり」というフレーズを基に喋ったものだという。
(この挨拶はのちの「クイズ面白ゼミナールR」では使われなかったが、「新クイズ面白ゼミナール」になってから現司会の徳永に継承されている。)
ゼミを模しているため、鈴木は学生に対して基本的に命令調で話しかけていた。「さぁ、書きなさい!」など[1]。これには内心憮然としていた学生もいたという話もある。途中経過の得点発表の時に、極端に点数の悪いチームを言う時に「60点、40点、30点、何故(なぜ)か10点」と言い、観客の笑い声が聞こえるということがお約束だった。続けて同じ状況となった場合には「またもや」とも言っていた。
1982年9月12日の放送で記録した視聴率42.2%は、ビデオリサーチ社の調査における、日本のクイズ番組史上歴代最高視聴率である[2]。なお、クイズ番組で関東地区視聴率が40%の大台に乗った番組は、本番組とTBS『クイズダービー』のみ[2]。
また、学研から「学研まんがひみつシリーズ」ブランドでコミカライズ版が発売された(現在は絶版)。
出演者
司会(主任教授)
主なゲスト(学生)
下記の出演者は準レギュラー。3人1組で構成される学生チームのリーダーとなり、「東千代之介チーム」「柳生博チーム」[3]というようにチーム名にその名前が付けられていた(後述)。
- 赤座美代子
- 東千代之介
- 東八郎
- 東恵美子
- 有馬稲子
- 江國滋
- 大山のぶ代
- 岡田嘉子
- 加藤芳郎
- 加茂さくら
- 五大路子
- 芹洋子
- 多々良純
- 津島恵子
- 花沢徳衛
- 浜美枝
- 浜村純
- 林美智子
- 左時枝
- 藤岡琢也
- 三国一朗
- 南風洋子
- 三波伸介
- 三橋達也
- 三宅邦子
- 柳生博
クイズの体裁
紹介クイズ(ウソ・ホントクイズ)
解答者を1人ずつ紹介しながらその人だけに対してウソ・ホントの2択クイズを出題するコーナー。コーナー冒頭では鈴木が「質問をしますから、ホントかウソかで元気よく答えてください」と言っていた。正解の場合は拍手が起こり、不正解の場合はブザーが鳴る。その後で解答に関する補足説明が行われた。番組対抗で出演した解答者の中にはNHKアナウンサーも含まれていたが、その人物についての紹介は解答者本人自ら自己紹介する形だった。実際、杉浦圭子(NHKアナウンサー)も番組対抗で気象情報チームの解答者として参加していたことがあった。内山安二の手によるコミカライズ版では前のページで出題し、次のページで解答・解説というスタイルをとった。
教科書クイズ
学校で使われている教科書をもとに作成された問題が出題されるコーナー。基本的には日本の教科書が中心だったが、日本国外の教科書から取り上げる場合もあった[4]。原則4択で(初期は3択)、4人のアシスタントが「クイズ」「面白」「ゼミ」「ナール」のプラカードを持って現れ、鈴木の合図で裏返して答えを表示。正解発表は、裏返らなかった選択肢が正解。その際には、単に正解を示すだけではなく丁寧な解説を入れていた。とりわけ理科問題や家庭科の場合は、スタジオで実演をすることで分かりやすく解説していた。また、解答は初期にはキャプテンがメンバーと相談して代表して解答するスタイルだったが、後に個人で解答する形式に変更された。木村一郎の手によるコミカライズ版では前ページ2〜3コマ目で出題し、次ページの2〜3コマ目で正解発表と4〜5コマ目で解説というスタイルだった。
歴史クイズ
歴史の一片を演劇で紹介するコーナー。当時鈴木が『歴史への招待』を担当しており歴史上に関する知見を蓄えていたこともあり、問題作成にも鈴木が中心に関わっていた[5]。
問題の部分に差し掛かったところで和服姿の鈴木が登場して出題をした。3択の選択肢も演劇に出演した役者(若駒グループから9名が出演していたという[5])が示していた。最後には役者が全員ステージに並び、鈴木が「こちらが本日のオールスターキャストでございます」というセリフで締めていた。なお、次コーナーへ移行する時に黒子がセットを押して移動していたが(この手法は後の『コメディーお江戸でござる』『道中でござる』等に引き継がれた)、その時にお約束として舞台が真ん中から2つに分かれ、ちょうどその真上にいた役者が転んだり股裂きになったりして軽く笑いを取っていた。
次のゼミナールクイズへ行く前に休憩(休戦、すなわち「休戦中」の旗が立てられていた)が入り、生徒は茶屋のセットでお菓子を食べていた。なお、末期においては歴史クイズは行われなくなった。
ゼミナールクイズ(特集クイズ)
毎週なんらかのトピックを取りあげ、それに関するクイズを出題するコーナー。当時ニュースなどで話題になっていたものが選ばれることが多かった。ここでの鈴木は原則スーツスタイルだが、トピックによってはそれに合わせた服装で進行する事もあった。こちらも原則4択だが、まれに3択・5択もあった(3択の場合はプラカード最初の「クイズ」がなく、5択の場合はプラカードの「面」と「白」が分けられる)。また、このコーナーでは取りあげたトピックの専門家を招き、特別講義として解説を行った。最後の問題は「ボーナスクイズ」として、選択式ではなく近似値クイズ[6]になっている。
ルール・成績評価
基本的には問題に正解(オープニングクイズも含む)すると個人別に10点が加算されるが、鈴木の裁量で完全な正解でなくても何点かを与えたり、正解者が3人以内だった場合は「ご褒美」として20点(1人の場合)、15点(2人の場合)、12点(3人の場合)を与えていた。また、1人を除いて全員正解の場合、その人には慈悲で1点(2点のことも)与えたこともあった。得点はボードに掲示し、点数が書かれたマグネットを付けていた。
最後の問題のボーナスクイズ(近似値方式)では正解すると1人30点が加算され、的中でなくとも近い答えには鈴木の裁量によって部分点が与えられた[7]。ただし正解の数字と極端に離れていた場合、加点はしない。正解者がいる場合は「正解者あり!」と鈴木から告げられる。
またボーナスクイズで正解の数字と極端に離れすぎていたり、不正行為(本当は不正解だったのに正解が発表された後であわててフリップを正解のものに書き直し「当たった人〜」で書き直したフリップを出した場合など)は減点の対象となっていた。減点はごく稀だったが、寺内タケシが2度の減点を犯していた(後に出入り禁止処分になった)。
最終的に3人分の総得点がトップだったチームに優勝チーム(ゼミナール賞)[8]、個人最多得点者に優秀賞、2位に敢闘賞が贈られた。
放送では全問題が終わった後の表彰で「それではここで、ご褒美を上げることにします」とあいさつした後、「一番得点した人は○○さんです」(優秀賞=個人戦トップ賞)→「タッチの差でございましたが敢闘賞を差し上げます。○○さんです」(敢闘賞=個人戦2位)→「本日の優勝チーム、総得点○○点。○○さんのチームです」(ゼミナール賞=団体戦トップ賞)の順で表彰し、アシスタントがトロフィーを手渡し、「それでは今日の勉強はこれで終わります。また勉強しに来てください。さよなら、さよなら、さよなら」と挨拶する。
ゼミナール賞の賞品はグラフィックデザイナーの福田繁雄がデザインした前から見ると「?」、横から見ると逆向きの「¿」の形に見えるゴールデントロフィーであり「どこから見てもクエスチョンマーク」と称していた。また、個人賞は前から見ると「?」、横から見ると「△」および「×」のトロフィー。ただし、トロフィーは1個ずつしかなかったことから実際には収録後に返還し、別のトロフィーを受け取っていた。なお番組中、チーム3人の総得点がたったの10点という例が1度だけあり、その時には「同情賞」と称してドジョウの置物が与えられた。
放送時間
すべて日本時間(JST)
収録スタジオ
- 東京・渋谷 NHK放送センター東本館1階 101スタジオ
テーマ曲
- 番組テーマ曲は、前田憲男が手掛けたものである。毎日放送『世界まるごとHOWマッチ』、テレビ朝日『ザ・テレビ演芸』、TBS『ギミア・ぶれいく』のテーマ曲とよく似ている。
- 「教科書クイズ」の前のジングルは、『むすんでひらいて』の冒頭4小節を主題としたものだった。
クイズ面白ゼミナールR・新クイズ面白ゼミナール
放送終了から25年後の2013年、NHK BSプレミアムの夏の特別番組として、「クイズ面白ゼミナールR」(クイズおもしろゼミナールリターンズ)のタイトルで特別番組として放送された。番組フォーマット・テーマ曲・ジングルはレギュラー放送時のものを踏襲した[10]が、当時の司会であった鈴木は84歳と高齢な事もあって「名誉教授」として、進行役としてNHKアナウンサーの徳永圭一が「見習い教授」として出演した[11]。学生(解答者)はNHKのBS1・BSプレミアムの番組出演者で、7月放送ではかつてレギュラー放送時に学生としての出演者が「面白ゼミナールチーム」として、8月放送ではレギュラー放送時にはまだ生まれていないAKB48グループ[12]メンバーが「AKB48チームBS」として出演した。また、2014年1月1日にも放送された後、2014年3月29日放送分から「新クイズ面白ゼミナール」に改題し不定期で放送されている。
各回の「ゼミナールクイズ」のテーマは以下の通り。放送時間は記載のない場合は20:00 - 21:00。
- 「R」第1回(2013年7月20日) - 日本人とスマホ
- 「R」第2回(2013年8月17日) - 日本人と氷
- 「R」第3回(2014年1月1日) - 日本人とお年玉
- 「新」第1回(2014年3月29日) - 日本人と引っ越し
- 「新」第2回(2014年5月29日) - 日本人と天気予報
- 「新」第3回(2014年8月15日・21:00 - 22:00) - 日本人とロボット
「クイズ面白ゼミナールR」では以下の点についてレギュラー放送と異なっている。
- 前述の通り、徳永が教授役として番組進行を担当しており、鈴木は名誉教授席に座り、徳永や学生への助言や補足説明を行う。
- 最初の紹介クイズの際、正解時は以前は鳴らなかったチャイムが鳴る。
- 4択のプラカードは「クイズ」「面白」「ゼミナール」「R」に分けられ、Rのみ背景色が黄色になっていた。8月の放送では、レギュラー放送にはなかった出題時にプラカードを回す際の効果音が流れた。
- マグネットを用いた点数ボードは使用されず、字幕スーパーによる得点表示となっていた。
- 個人賞が廃止され、トロフィーは優勝チーム全員に渡された。
- 2013年8月と2014年1月の放送では、番組史上初めてVTRを用いたクイズが出題された。
- 2014年1月の放送では、1チームの人数が2人になった。
- 2014年1月の放送ではオープニングのウソ・ホントクイズを全員で答えるようになり、それとは別に2択のクイズが登場した。
- ゼミナールクイズでは、レギュラー放送のような特別講義は行わない(そのテーマに関係するゲストは引き続き迎えている)。
また、「新クイズ面白ゼミナール」では以下の点がレギュラー放送や「R」と異なっている(これら以外は、基本的に「R」の形態を引き継いでいる)。
- 「R」では見習い教授だった徳永がレギュラー放送での鈴木と同じ主任教授に昇格、オープニングの「“知るは楽しみなり”と申しまして…」の挨拶も継承した。
また鈴木のスタジオ出演がなくなり(初回は途中のVTRにのみ出演、第2回は一切出演せず)、徳永が単独で番組を進行している。 - 1チームの人数は3人に戻っている。
- 4択のプラカードは「新」「クイズ」「面白」「ゼミナール」に分けられ、黄色の背景色は「新」に移った。
- 歴史クイズ内の再現ドラマはカンカラが担当し、一部の役者が台詞を喋るようになっている。
また徳永の衣装が歴史クイズのみ和装に変わることがなくなった。 - 第2回から紹介クイズが「ベスト3クイズ」に変わった。
あるテーマのベスト3を、チーム全員が交替で4つの選択肢の中より1位から順に選び、ベスト3がすべて出揃うまでのタイムを競う(ただし1分を超えると失格となる)。 - ゼミナールクイズにはVTRが本格的に導入され、主任教授の徳永が直接取材に出向いている。
その他
- 番組開始以前にパイロット版として、1980年9月6日(20:00〜21:10)と1981年1月3日(19:15〜20:30)の2回に渡って「人気番組対抗」という名目で放送された[13]。
- 鈴木は本番組の高視聴率の影響(その他、著書『気くばりのすすめ』の大ヒットの影響もある)もあって1983年 - 1985年に『NHK紅白歌合戦』の白組司会に起用された。
- 鈴木は一つのテーマについて本代を7万円かけ、30冊程購入して読んでおり、問題の細かい数値データを含め台本の全てを完璧に覚えていたため、一切何も見ずに司会進行した。これは『歴史への招待』においても同じだった。テーマに関して他の全スタッフの調査量が鈴木1人に及ばなかったという話がある[14]。
- 明石家さんまが1983年2月27日放送分(その回のテーマは「鉛筆」)に出演した時、講義の時間に大あくびをしてしまい、しかもそれがオンエアされたことから、それ以来NHKからの出演依頼が激減したという[15][16][17]。ちなみに、これ以降にさんまが出演したNHKの番組は1985年放送の連続テレビ小説『澪つくし』と、2013年放送の『NHK×日テレ 60番勝負』など数本しかない。
- 鈴木は、2013年7月19日放送の『BSコンシェルジュ』でリターンズの番宣のために斉藤慶子とゲスト出演した際に、当時出演者を飽きさせないためにクイズ出題の時や理科の実験時にスタッフには内緒で様々な小ネタをあたかもハプニングのように仕込んでいた事を告白している。
関連商品
書籍
- クイズ面白ゼミナール(日本放送出版協会、ISBN 4-14-016036-5、1983年)4巻まで出版されている
- NHKクイズ面白ゼミナール 教科書クイズ(学習研究社、学研まんが ひみつシリーズ56)
- NHKクイズ面白ゼミナール うそほんと(学習研究社、学研まんが ひみつシリーズ60)
- 続NHKクイズ面白ゼミナール 教科書クイズ(学習研究社、学研まんが ひみつシリーズ62)
- 続NHKクイズ面白ゼミナール うそほんと(学習研究社、学研まんが ひみつシリーズ63)
ゲーム
- クイズ面白ゼミナール(バンダイ、1983年) - 小型の液晶ゲーム機とカートリッジ、問題集がセットになっている。カートリッジをゲーム機本体に差し込んで付属の問題集に書かれた問題を読み、答えをゲーム機に入力して正誤を判断する。10問連続正解すると、本放送と同様に「?」の形をしたトロフィーを掲げた鈴木そっくりの姿が表示される。カートリッジと問題集は歴史編・理科編・算数編の3種類が用意されていた。
- NHK紅白クイズ合戦(任天堂、2009年12月17日 Wii専用ソフト) - 番組を完全に再現し、声も鈴木本人が担当している。番組では3人でのチーム戦だが、このゲームでは個人戦となっている。ルールも番組とは違い、ゼミナールクイズでは一般的な早押しクイズとなっている。
脚注・出典
テンプレート:Asbox- ↑ 時には「答えを2つ書きなさい。ハイどうぞ!」というものもあった。
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
- ↑ スタジオのセットや画面には「東千代之介チーム」「柳生博チーム」等と表示されていたが、鈴木が呼ぶ場合には「東千代之介さんチーム」「柳生博さんチーム」というように敬称を付けていた。
- ↑ 『NHK年鑑 '82』P.148より
- ↑ 5.0 5.1 テンプレート:Cite web
- ↑ フェルミ推定で使われるような問題。ただし、「フェルミ推定」の語は番組放送当時日本には入ってきておらず、考え方も一般的ではなかったため、フェルミ推定を使ったと思われる回答者はほとんど見られなかった。
- ↑ 部分点は10〜20点。正解の数より1つ違いであればそのまま30点加算されることもあった。
- ↑ 表彰時に流れるBGMはファンファーレではなく、表彰曲として知られる「見よ勇者は帰りぬ」をイメージしたメロディーが流れ、ゼミナール賞のほか優秀賞及び敢闘賞とに分かれメロディーがアレンジされた。
- ↑ 『NHK年鑑 '82』P.156より
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 出演はAKB48の渡辺麻友・NMB48の渡辺美優紀・HKT48の田島芽瑠の3名
- ↑ 当時の新聞縮刷版テレビ欄より。なお、レギュラー放送最終回で鈴木が「足掛け9年に渡って放送」と発言した理由は、このパイロット版2回分を含めたためである。
- ↑ 東京ニュース通信社『テレビ50年 in TVガイド』(2000年刊)、『テレビ60年 in TVガイド』(2010年刊)、週刊TVガイド 1980年5月16日号「歴史への招待」記事より。
- ↑ テンプレート:Cite news
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