武豊駅
武豊駅(たけとよえき)は、愛知県知多郡武豊町字金下にある、東海旅客鉄道(JR東海)武豊線の駅である。
目次
概要
武豊駅は、東海道本線の大府駅から南方へ伸びる武豊線の終着駅である。武豊町内ではJR線唯一の駅で、町内の市街地に位置している。とはいえ駅の西約500メートルの場所にある名古屋鉄道(名鉄)河和線の知多武豊駅のほうが、乗車人員ベースで4倍近く利用客が多い。
開業は1886年(明治19年)で、愛知県下で最も古い駅の一つ。名古屋市の熱田駅へと伸びる、県内最初の鉄道の起点であった。当初は現在よりも南方の臨海部にあったが、開業6年後の1892年(明治25年)に現在地に移転した。移転前の旧駅はその後貨物駅の武豊港駅として開業したが、1965年(昭和40年)に廃止されている。
歴史
武豊線は関東地方と近畿地方を結ぶ幹線鉄道への資材運搬線として建設された経緯があるが、当初その起点である武豊駅付近には長さ約140m・幅約5.5mの木製桟橋が建設され、資材の陸揚げ基地とされていた[1]。開業当初は武豊港に面した武豊町字里中にあったが、その後現在地に移転している。旧駅の跡地にあたる国道247号の里中交差点には「武豊停車場跡地」の記念碑が建つ。
- 1886年(明治19年)3月1日 - 熱田・武豊間の開通時に開業。旅客・貨物営業をともに行う一般駅であった[2]。
- 1892年(明治25年)6月1日 - 現在地に移転[2]。旧駅跡地は構内扱いに[3]。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称改定、武豊線所属駅となる。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 旧駅部分が貨物駅の武豊港駅として開業。
- 1965年(昭和40年)8月20日 - 武豊港駅廃止、貨物支線も廃線に。
- 1984年(昭和59年)1月10日 - 貨物の取り扱いを廃止[2]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取り扱いを廃止[2]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道(JR東海)が継承[2]。
- 1992年(平成4年)11月 - みどりの窓口営業開始[4]。
- 2001年(平成13年)4月1日 - 武豊線への列車集中制御装置 (CTC) 導入に伴い、駅長の配置がなくなる[5]。
- 2006年(平成18年)11月25日 - ICカード「TOICA」の利用が可能となる。
- 2013年(平成25年)10月1日 - 「集中旅客サービスシステム」導入により、無人化[6][7]。
貨物営業
武豊駅では1886年(明治19年)の開業時から貨物の取り扱いが行われていたが、国鉄時代の1984年(昭和59年)1月10日に廃止されている。1974年(昭和49年)の制度改正以降ここでは車扱貨物のみを取り扱っていたが、1975年(昭和50年)11月15日に専用線発着のみを取り扱うように縮小されていた[2]。なお、武豊線の他の駅では同日付で貨物営業を廃止しているので、武豊駅は武豊線内で最後まで貨物を取り扱う駅となっていた。
武豊駅に接続する専用線は、1970年(昭和45年)の専用線一覧表[8]によれば、駅の南方に工場を置く豊醤油(現・ユタカフーズ)専用線、町内に工場を持つ日本油脂(元・帝国火薬工業、現・日油)専用鉄道、同じく町内に工場を持つ中山製鋼所専用鉄道および専用線(ただし使用休止中)があった。
日本油脂専用鉄道
上記のうち日本油脂専用鉄道は、駅から駅付近にある同社第一工場(現・衣浦工場)を経て駅から2km以上離れた第三工場(現・武豊工場)までを結んでいた。途中には、名鉄河和線や南知多道路との立体交差(どちらも専用鉄道が下を潜る)もあった。1923年(大正12年)に運輸を開始し、1986年(昭和61年)3月に廃止された[9]。
同線は直流550Vで電化されており、貨物列車は電気機関車で牽引され、さらに従業員輸送用の電車も運行されていた[10][9]。1979年(昭和54年)時点で、従業員輸送電車は朝夕に2往復、貨物列車はその間に6往復運行されていた[10]。
1979年(昭和54年)時点で使用されていた車両は以下のとおり[10]。
- 機関車(デキ1・デキ2) - 自重13トンの凸型電気機関車。デキ1は1940年(昭和15年)に日立製作所が製造、デキ2は1950年(昭和25年)に神鋼電機が製造した。
- 電車(モ101・ク102) - 1961年(昭和36年)8月に西武鉄道から購入した従業員輸送用電車。前者は電動車、後者は付随車である。どちらも元西武鉄道モハ101形。
- 貨車 - 専用鉄道内専用で社有のタンク車1両、無蓋車5両が所属。
駅構造
武豊駅は、ホームが地面に接する地上駅という形態をとる。ホームは単式ホーム1面であり、片側(ここでは西側)のみに線路が接する。ホームに面する線路は1本しかないが、1番線の番号が振られている。ホームに接さない留置線も2本ある[11]。現在は3本のいずれもが構内南方(大府方の反対側)の車止めで行き止まりとなっている[11]が、以前は全ての留置線が分岐器で1番線とつながっており、機回しが可能であった。また、線路の短縮に伴い、駅南方にあった踏切も廃止されている。駅舎は構内東側、ホームに接して設置されている[11]。
大府駅管理の無人駅。かつては、業務委託の駅員が配置されている有人駅(業務委託駅)でみどりの窓口も設置されていたが[12][13]、JR東海は2013年10月1日より当駅を含む6駅について「集中旅客サービスシステム」を導入し、自動券売機・自動改札機を整備した上で遠隔案内によって一括的に管理されるようになり、無人化された[6][7]。
利用状況
旅客
2011年度(平成23年度)の乗車人員は、1日平均710人であった[14]。この数値は、武豊線の9駅(大府駅を除く)の中では東成岩駅・尾張森岡駅に次いで3番目に少ない。
1950年(昭和25年)時点で1日平均881人であった乗車人員はその後増加し、1960年度(昭和35年度)には1日平均1,354人に達した。しかしこの数値をピークに以降徐々に減少していき、1987年度(昭和62年度)に1950年度以降の最低値である1日平均390人を記録した。その後の増加傾向で2倍近くまで持ち直しているが、1960年度前後の水準には達していない。
1日平均の乗車人員の推移 | ||
---|---|---|
年度 | 乗車人員 | 出典・備考 |
1950年度 | 881人 | [15] |
1951年度 | 1,055人 | [16] |
1952年度 | 1,112人 | [17] |
1953年度 | 1,090人 | [18] |
1954年度 | 1,156人 | [19] |
1955年度 | 1,091人 | [20] |
1956年度 | 1,186人 | [21] |
1957年度 | 1,127人 | [22] |
1958年度 | 1,148人 | [23] |
1959年度 | 1,262人 | [24] |
1960年度 | 1,354人 | 1950年度以降最大値[25] |
1961年度 | 1,160人 | [26] |
1962年度 | 1,049人 | [27] |
1963年度 | 1,009人 | [28] |
1964年度 | 996人 | [29] |
1965年度 | 1,047人 | [30] |
1966年度 | 986人 | [31] |
1967年度 | 957人 | [32] |
1968年度 | 926人 | [33] |
1969年度 | 848人 | [34] |
1970年度 | 811人 | [35] |
1971年度 | 740人 | [36] |
1972年度 | 683人 | [37] |
1973年度 | 686人 | [38] |
1974年度 | 760人 | [39] |
1975年度 | 765人 | [40] |
1976年度 | 689人 | [41] |
1977年度 | 582人 | [42] |
1978年度 | 501人 | [43] |
1979年度 | 513人 | [44] |
1980年度 | 501人 | [45] |
1981年度 | 452人 | [46] |
1982年度 | 438人 | [47] |
1983年度 | 442人 | [48] |
1984年度 | 411人 | [49] |
1985年度 | 434人 | [50] |
1986年度 | 433人 | [51] |
1987年度 | 390人 | 1950年度以降最低値[52] |
1988年度 | 404人 | [53] |
1989年度 | 420人 | [54] |
1990年度 | 466人 | [55] |
1991年度 | 486人 | [56] |
1992年度 | 526人 | [57] |
1993年度 | 556人 | [58][59] |
1994年度 | 525人 | [60][59] |
1995年度 | 534人 | [61][59] |
1996年度 | 543人 | [62][63] |
1997年度 | 537人 | [64][63] |
1998年度 | 550人 | [65][66] |
1999年度 | 553人 | [67][68] |
2000年度 | 637人 | [68] |
2001年度 | 684人 | [68] |
2002年度 | 718人 | [69] |
2003年度 | 709人 | [69] |
2004年度 | 734人 | [69] |
2005年度 | 765人 | [70] |
2006年度 | 775人 | [70] |
2007年度 | 768人 | [70] |
2008年度 | 759人 | [71] |
2009年度 | 742人 | [71] |
2010年度 | 727人 | [71] |
2011年度 | 710人 | [14] |
貨物・荷物
1950年度から1983年度(1984年2月取扱廃止)までの貨物の取扱量(発送および到着トン数)と、1972年度から1983年度(1984年2月取扱廃止)までの荷物の取扱量(発送および到着個数)は以下の表に示すとおりに推移していた。どちらの取扱量も、武豊線内では半田駅に次ぐ2番目の多さである。
貨物取扱量・荷物取扱量の推移 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | 貨物 | 荷物 | ||
発送 | 到着 | 発送 | 到着 | |
1950年度 | 42,055t | 43,986t | ||
1951年度 | 40,459t | 44,869t | ||
1952年度 | 43,704t | 52,106t | ||
1953年度 | 82,632t | 55,817t | ||
1954年度 | 88,650t | 75,386t | ||
1955年度 | 77,590t | 32,411t | ||
1956年度 | 97,068t | 35,474t | ||
1957年度 | 94,415t | 36,081t | ||
1958年度 | 85,402t | 32,297t | ||
1959年度 | 79,453t | 38,279t | ||
1960年度 | 82,452t | 40,123t | ||
1961年度 | 75,044t | 43,176t | ||
1962年度 | 77,015t | 38,209t | ||
1963年度 | 88,991t | 38,779t | ||
1964年度 | 88,038t | 43,602t | ||
1965年度 | 83,666t | 45,452t | ||
1966年度 | 85,459t | 37,336t | ||
1967年度 | 96,151t | 38,659t | ||
1968年度 | 109,320t | 43,004t | ||
1969年度 | 114,674t | 45,298t | ||
1970年度 | 110,332t | 61,793t | ||
1971年度 | 104,588t | 77,855t | ||
1972年度 | 106,933t | 77,688t | 16,655個 | 8,342個 |
1973年度 | 116,918t | 70,274t | 14,917個 | 7,957個 |
1974年度 | 87,528t | 54,287t | 15,591個 | 8,354個 |
1975年度 | 58,754t | 34,878t | 14,623個 | 8,728個 |
1976年度 | 10,184t | 12,462t | 12,873個 | 11,931個 |
1977年度 | 10,109t | 10,813t | 11,762個 | 9,780個 |
1978年度 | 8,637t | 9,749t | 11,197個 | 10,839個 |
1979年度 | 8,441t | 8,920t | 1,110個 | 10,019個 |
1980年度 | 7,666t | 7,800t | 9,713個 | 10,463個 |
1981年度 | 5,489t | 6,113t | 7,666個 | 9,230個 |
1982年度 | 4,334 | 6,064t | 4,691個 | 8,956個 |
1983年度 | 2,565 | 3,388t | 1,866個 | 7,184個 |
※出典は乗車人員の推移に同じ。 |
停車列車
武豊駅には、武豊線で運行されている普通列車、東海道本線名古屋駅直通の区間快速(武豊線内では各駅停車)および快速列車の3種類がすべて停車する。武豊線では途中駅で折り返す列車がないため、武豊線の全列車がこの駅を起点ないし終点としている。列車の頻度は概ね1時間に2本(ラッシュ時は3本)である。
駅周辺
バス路線
駅前に「JR武豊駅」バス停留所(バス停)があり、武豊町が2010年(平成22年)7月から運営する「武豊町コミュニティバス」が発着する。同バスには名鉄の知多武豊駅を中心として町内を循環する4つの路線(ルート)があるが、そのうち3つの路線がこのバス停を経由している。
高橋煕君之像
1953年(昭和28年)9月25日に襲来した台風13号の影響で発生した高潮により、武豊 - 東成岩駅間の線路が流失した。この異変を武豊駅に向かって進行中の武豊行き上り列車に知らせるべく、武豊駅駅手・高橋煕(さとし)が発炎筒を手に、東成岩駅方面へ走り出した。上り列車の機関士は前方に振られる発炎筒に気付き、非常停止した後、東成岩駅まで後退し、列車の乗客乗員約100名は難を逃れる事ができた。しかしながら高橋駅手は武豊駅に戻れず翌日、捜索隊により、線路際で殉職した彼の姿が見つかった。
この事柄は全国に報道され、高橋の行動は「国鉄職員の鑑」として称賛された。その功を記念し将来に残すため、日本全国の国鉄職員と小中学生の募金を主に、銅像が建立された。
隣の駅
- 東海旅客鉄道(JR東海)
- 武豊線
- テンプレート:Color快速・ テンプレート:Color区間快速・テンプレート:Color普通
- 東成岩駅 - 武豊駅
- テンプレート:Color快速・ テンプレート:Color区間快速・テンプレート:Color普通
かつて存在した路線
- 日本国有鉄道
- 武豊線貨物支線
- 武豊駅 - 武豊港駅
脚注
参考文献
- 愛知県(編) 『愛知県統計年鑑』各年度版
- テンプレート:Cite book
- テンプレート:Cite book
- テンプレート:Cite book
- テンプレート:Cite journal
- テンプレート:Cite book
- 知多統計研究協議会(編) 『知多半島の統計』各年度版
- テンプレート:Cite book
- テンプレート:Cite journal
- テンプレート:Cite book
関連項目
テンプレート:武豊線貨物支線- ↑ 『武豊町誌』、481-489頁
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』2、116頁
- ↑ 『武豊町誌』資料編三、600頁
- ↑ 『JR時刻表』1992年11月号と12月号の比較から
- ↑ 『武豊線物語』、1頁
- ↑ 6.0 6.1 武豊線への集中旅客サービスシステムの導入について - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2012年11月15日
- ↑ 7.0 7.1 武豊線 集中旅客サービスシステムの使用開始について - 東海旅客鉄道ニュースリリース 2013年8月22日
- ↑ 「昭和45年版の全国専用線一覧表」(『トワイライトゾーンMANUAL』12に収録)
- ↑ 9.0 9.1 『武豊線物語』、146・147頁
- ↑ 10.0 10.1 10.2 「日本油脂専用線近況」『鉄道ファン』通巻215号、130・131頁
- ↑ 11.0 11.1 11.2 『東海道ライン全線・全駅・全配線』第4巻、26・47頁
- ↑ 「地方鉄道レポート19 JR東海武豊線」、『鉄道ジャーナル』通巻469号、78頁
- ↑ 『東海旅客鉄道20年史』、732頁
- ↑ 14.0 14.1 『知多半島の統計』平成25年版、43頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和27年度刊、326頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和28年度刊、310頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和29年度刊、329頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和30年度刊、306頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和31年度刊、304頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和32年度刊、319頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和33年度刊、335頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和34年度刊、379頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和35年度刊、292頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和36年度刊、261頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和37年度刊、325頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和38年度刊、297頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和39年度刊、299頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和40年度刊、263頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和41年度刊、239頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和42年度刊、262頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和43年度刊、192頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和44年度刊、196頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和45年度刊、204頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和46年度刊、228頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和47年度刊、237頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和48年度刊、217頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和49年度刊、214頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和50年度刊、221頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和51年度刊、225頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和52年度刊、217頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和53年度刊、231頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和54年度刊、233頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和55年度刊、221頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和56年度刊、227頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和57年度刊、239頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和58年度刊、223頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和59年度刊、223頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和60年度刊、241頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和61年度刊、235頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和62年度刊、223頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』昭和63年度刊、223頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成元年度刊、225頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成2年度刊、223頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成3年度刊、225頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成4年度刊、229頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成5年度刊、221頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成6年度刊、221頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成7年度刊、239頁
- ↑ 59.0 59.1 59.2 『知多半島の統計』平成9年版、47頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成8年度刊、241頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成9年度刊、243頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成10年度刊、241頁
- ↑ 63.0 63.1 『知多半島の統計』平成11年版、47頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成11年度刊、241頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成12年度刊、239頁
- ↑ 『知多半島の統計』平成12年版、47頁
- ↑ 『愛知県統計年鑑』平成13年度刊、240頁
- ↑ 68.0 68.1 68.2 『知多半島の統計』平成15年版、47頁
- ↑ 69.0 69.1 69.2 『知多半島の統計』平成18年版、115頁
- ↑ 70.0 70.1 70.2 『知多半島の統計』平成21年版、43頁
- ↑ 71.0 71.1 71.2 『知多半島の統計』平成24年版、43頁