佃公彦
テンプレート:Infobox 漫画家 テンプレート:Sidebar with collapsible lists 佃 公彦(つくだ きみひこ、1930年1月1日 - 2010年6月28日)は、日本の漫画家。
経歴
東京(当時は東京府)出身だが、少年時代は親の出身地徳島県で育った。旧制麻植中学校(現・徳島県立川島高等学校)、海軍兵学校卒業。
1955年、文春漫画読本に掲載された「ほのぼの君日記」で漫画家デビュー。
1956年、東京新聞に『ほのぼの君』の連載を開始。スタート当初は、台詞のない「サイレント漫画」形式だった(これと同じパターンとして、朝日新聞夕刊で連載されていた根本進の『クリちゃん』がある)。1970年から中日新聞、東京新聞、北陸中日新聞、北海道新聞、西日本新聞に『ちびっこ紳士』を連載開始。
1984年2月、連載5,000回突破を機に『ほのぼの君』にタイトルを変更。登場人物が子供と動物だけというのと、自然、環境問題をテーマにした作品を多く執筆している。「ラジオ体操」のマスコットキャラクターも佃の作品である。
しかし、晩年は直腸がんや腹部大動脈瘤の手術で休載することが多くなり、2006年末にはパーキンソン病を発症、絵筆が持てなくなるなどから降板を決意、2007年3月8日掲載分をもって、『ちびっこ紳士』から数えて37年間、東京新聞での連載年数では通算44年間にわたる『ほのぼの君』の連載が終了した(なお、中日新聞では翌3月9日から次の作者が決まるまでの間、過去に掲載された作品を紹介する傑作選を連載漫画代わりとしていたが、2007年7月1日付からはさくらももこの『ちびまる子ちゃん』が4コマ漫画として連載を開始した)。新旧及び『ちびっこ紳士』を含めた総連載回数は15,451回(東京新聞掲載分)と、新聞漫画では日本最長記録となる。なお、同様の新聞連載の世界記録はチャールズ・M・シュルツの『ピーナッツ』。
2004年、『ほのぼの君』で第33回日本漫画家協会賞を受賞。それ以前には、昭和30年代に3回ほど文藝春秋漫画賞の候補にノミネートされているものの、一度も受賞できなかった。 テンプレート:Sister 2010年6月28日午前0時20分、肺炎のため東京都内の病院で死去[1]。
人物
大の車好き、特にポルシェとミニをこよなく愛したことでも知られ、車に関する著作もある。
先述の文藝春秋漫画賞を逃して以降、作風はレイモン・ペイネやチャールズ・M・シュルツの影響を受けていると、漫画評論家の清水勲が指摘している[2]。
代表作
- ほのぼの君日記
- ほのぼの君(旧)(1955 - 1962年、2,454回)
- ほのぼのおじさん
- 8すけ9すけ(1958年、京都新聞連載)
- オカルちゃん(1965 - 1966年、山形新聞、北日本新聞など地方紙で連載)
- ちびっこ紳士→ほのぼの君(新)(1970 - 2007年、12,997回、北海道新聞では13,014回)
- 佃公彦のカーコント(ベストカー連載)
その他
- 「ラジオ体操」キャラクター(1978年、ラジオ体操50周年記念キャラクターとして制定。同年、そのキャラクターを採用した50円切手も発行された)
- 『お笑い頭の体操』挿絵全般(TBSテレビ、大橋巨泉司会)
- 阿波銀行(徳島県)マスコット
- 大光銀行(新潟県)マスコット
- 日新火災海上保険マスコット「ゆう太くん」
- 『小犬のプルー』(NHK『みんなのうた』)アニメーション製作
- マルアイ「かつおのりふりかけ」キャラクター
- 『グリーンキャンペーン』(名古屋テレビ)キャラクターデザイン
- 『となりの芝生』オープニング挿絵(NHK銀河テレビ小説、1976年)
- 「三交パルックバスの旅」(三重交通)キャラクター
CM
出版
- ありがとう ほのぼの君(東京新聞〔中日新聞東京本社〕出版局、北海道新聞社、西日本新聞社)