大光銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
テンプレート:Infobox テンプレート:基礎情報 銀行 株式会社大光銀行(たいこうぎんこう、テンプレート:Lang-en-short)は、新潟県長岡市に本店をもつ第二地方銀行。
経営
1970年代、当時の頭取駒形齊は、首相田中角栄との交友を最大限に生かし、新潟県外に積極的に進出した。 特に、東京支店を中心に大口融資の拡大が止まらず、融資額と債務保証額が預金額を大幅に超えるオーバーローン状態に陥った。さらに、トップが関与した簿外債務保証が1979年(昭和54年)4月に743億円に達している事が発覚、214億円の累積赤字を計上した。
経営危機の中、都銀・地元地銀・全相互銀行等88機関から540億円の低利融資を受け再建を図り、1988年(昭和63年)9月に融資返済により再建を完了した。
以後、小口融資を中心とした堅実経営を行っている。
2011年(平成23年)2月1日、東証一部へ指定替えとなる。
営業政策
店舗展開
新潟県内に62店舗、県外に8店舗(東京、横浜、川口、さいたま(大宮区)、上尾、桶川、鴻巣、前橋)の計70店舗を持つ。
上記の再建の過程で、郡山・宇都宮・松本に保有していた店舗のうち、郡山・宇都宮は富士銀行(現・みずほ銀行)へ、松本は長野銀行へ譲渡して撤退した。
自動機サービス
沿革
- 1942年(昭和17年)3月10日 - 大光無尽株式会社として設立。
- 1951年(昭和26年)- 相互銀行に転換、株式会社大光相互銀行に商号変更。
- 1963年(昭和38年)4月15日 - 新潟証券取引所上場。
- 1974年(昭和49年)4月4日 - 東京証券取引所第二部上場。
- 1975年(昭和50年)11月10日 - 東京証券取引所市場第一部銘柄の指定を受ける。
- 1979年(昭和54年)9月5日 - 元社長らによる乱脈融資事件で新潟地検・県警が強制捜査。
- 1980年(昭和55年)3月28日 - 新潟・東京両証券取引所の上場廃止。
- 1989年(平成元年)8月1日 - 普通銀行に転換、株式会社大光銀行に商号変更。
- 1990年(平成2年)1月17日 - 日本証券業協会店頭銘柄の登録承認を受ける。
- 2001年(平成13年)5月14日 - 新潟中央銀行の破綻に伴い同行の店舗を一部譲り受ける。
- 2004年(平成16年)12月13日 - ジャスダックに上場。
- 2006年(平成18年)3月27日 - セブン銀行との提携開始(新潟県内の地方銀行では最後発)。
- 2008年(平成20年)
- 2010年(平成22年)1月18日 - イオン銀行との提携開始(新潟県内の地方銀行では最先発)。
- 2011年(平成23年)2月1日 - 東京証券取引所市場第一部に指定替えとなる。
- 2014年(平成26年)1月6日 - 勘定系システムをNEXTBASEへリプレース[注 1]。
関連会社
- 株式会社大光ビジネスサービス
- たいこうカード株式会社
- 大光リース株式会社
- 株式会社東北バンキングシステムズ
ギャラリー
関連項目
脚注
注
- ↑ ACROSS21稼働行としては、初の離脱行となった。2015年5月には、きらやか銀行がNTTデータ次期共同センターへリプレースを予定しているほか、同月には福島銀行がACROSS21の代わりに新規開発する第二地銀向けの共同化システムへの移行を予定しており、これを以って、ACROSS21を運用終了する予定となっている。