ミルウォーキー・ブルワーズ
テンプレート:MLBのチームミルウォーキー・ブルワーズ(Milwaukee Brewers、略称:MIL)は、アメリカMLB、ナショナルリーグ中地区所属のプロ野球チーム。本拠地はウィスコンシン州ミルウォーキーにあるミラー・パーク。
目次
概要
テンプレート:Main2 「ブルワー(brewer)」とは「醸造者」という意味であり、地元ミルウォーキーがビール醸造が盛んなことに因む。「rew」の現地発音に近いのは「ルー」のため「ブルーワーズ」と呼称されることもあるほか、日本では「ブリュワーズ」と表記されることも多い。チームを表す「crew」(クルー)との韻を踏んで「Brew Crew」というニックネームがある。
現在のチームキャップにはミルウォーキーの頭文字「M」の下にビールの主原料である大麦が描かれている。現オーナーはマーク・アタナシオ。
1997年まではアメリカンリーグに所属していたが、1998年の球団拡張に伴う地区再編により、ナショナルリーグへ移籍した。また、アメリカンリーグ時代は1971年までは西地区で、1972年からはワシントン・セネタースのテキサス州アーリントンへの本拠地移転に伴い東地区へ移動し、1994年の3地区制導入後は中地区に移動した。1998年のナショナルリーグ移籍後もそのまま中地区所属である。
2001年に開場した現本拠地のミラー・パークは、地元創業のビール会社であるミラー社が命名権を持つ、世界4番目の開閉式屋根付き球場。ホームランが出ると外野スタンドに設置されたすべり台から登場するマスコット「バーニー・ブルワー」や、着ぐるみが競走を行う「ソーセージ・レース」などのユニークなイベントが行われる。
球団の歴史
19世紀~球団発足まで
ブルワーズの愛称は古くから用いられており、マイナーリーグでも同名のチームが19世紀からいくつも存在した。ブルワーズを名乗ったメジャーリーグの球団は、1884年のユニオン・アソシエーションに初めて登場し、1891年のアメリカン・アソシエーションにも同じ名前の球団が登場した。この2つの球団は元々マイナーリーグで活動していたのだが、当時メジャーリーグで活動していた別球団がシーズン中に破綻し、その残り日程の消化のために急遽参画したという歴史を持ち、メジャー球団としての活動は短命であった。
MLBでフルシーズンを戦う「ミルウォーキー・ブルワーズ」が登場したのは1901年のことだが、この球団もすぐに移転し、翌年にはセントルイス・ブラウンズとなった。この球団は1954年にボルチモアに再移転(1950年代の移転ブームのさきがけとなった)してボルチモア・オリオールズとなり、現在に至る。1953年にはボストン・ブレーブスがミルウォーキーへ移転するも、ブルワーズは名乗らずブレーブスのままであり、この球団も1965年限りでアトランタへ再移転した。
アメリカンリーグ時代
現在のチームはエクスパンション(球団拡張)によって1969年に創設されたシアトル・パイロッツが前身である。パイロッツはシアトルで1年だけ活動したが早くも財政的に行き詰まり、これをのちのMLBコミッショナー、バド・セリグが買収してミルウォーキーに移転させ「ミルウォーキー・ブルワーズ」に改称、ブレーブスも使用していたカウンティ・スタジアムを本拠地球場とした。尚パイロッツを失ったシアトル側は移転が不当であるとしてMLB機構を告訴。これに対しMLB機構は1977年の球団拡張でシアトルに球団(シアトル・マリナーズ)を設置するという条件を提示し、告訴は取り下げられた。
ミルウォーキー移転直後はシアトル・パイロッツ時代と同じくアメリカンリーグ西地区に所属していたが、1972年からはワシントン・セネタースがテキサス州アーリントンへ移転したことに伴い、そのテキサス・レンジャーズと入れ替わりにアメリカンリーグ東地区へ移動した。
1970年代は優勝とは縁のない弱小球団だったが、ロビン・ヨーント、ポール・モリター、セシル・クーパー、ゴーマン・トーマスらが台頭するなど徐々にチーム力が向上、1978年に初めて勝率を5割に乗せる。50日間に及ぶストライキの影響で前後期制となった1981年に後期優勝を果たすが、地区シリーズで前期優勝のニューヨーク・ヤンキースに敗れた。翌1982年には、両リーグトップのチーム本塁打216本の強力打線を武器に、95勝67敗で初の地区優勝。リーグチャンピオンシップシリーズでは西地区優勝のカリフォルニア・エンゼルスと対戦し、2連敗と追い込まれたが、その後3連勝で下し、初のリーグ制覇を成し遂げた。ワールドシリーズではチーム本塁打67本で両リーグ最下位のセントルイス・カーディナルスと対戦し、3勝4敗で惜しくも敗れた。1983年には球団史上初めて観客動員数が200万人の大台を突破した。
1985年には江夏豊がメジャー入りを目指しスプリングトレーニングに参加するも、キャンプ終盤に調子を落とした事と36歳(当時)という年齢がネックとなり、メジャー入りは果たせず、江夏は現役を引退した。
1987年はMLBタイ記録となる開幕13連勝と最高のスタートを切るものの、5月3日から19日にかけて12連敗を喫している。4月15日にはホアン・ニエベスが球団史上初となるノーヒットノーランを達成。またモリターが戦後アメリカンリーグ最長となる39試合連続安打を記録した。91勝71敗で地区3位に終わり、地区優勝を逃した。
1992年はトロント・ブルージェイズと4ゲーム差の地区2位に付けるが、それ以降は5年連続で勝率が5割を下回り、低迷が続く。1994年には3地区制導入に伴いアメリカンリーグ中地区に移動した。
ナショナルリーグ移籍以降
1997年、翌年から球団拡張によってタンパベイ・デビルレイズ(現・タンパベイ・レイズ)とアリゾナ・ダイヤモンドバックスの2球団が加わるため、地区再編が検討された。両リーグ共に15球団ずつになると、常に試合のないチームが発生してしまうため、どちらかのリーグを14球団に、もう一方を16球団にすることとなった。
話し合いの結果、アメリカンリーグを14球団に、ナショナルリーグを16球団にすることが決定した。そしてデビルレイズはアメリカンリーグ東地区に、ダイヤモンドバックスはナショナルリーグ西地区に所属することになり、デトロイト・タイガースがアメリカンリーグ東地区から中地区へ移動した。よってナショナルリーグへ移動するのはアメリカンリーグ中地区所属球団のいずれかとなった。第一候補はカンザスシティ・ロイヤルズで、第二候補はブルワーズかミネソタ・ツインズだった(シカゴ・ホワイトソックス、クリーブランド・インディアンスは候補として挙がっていたかどうかは不明)。1997年のワールドシリーズ終了後にもロイヤルズがナショナルリーグへ移動する見通しであったが、ロイヤルズが突如アメリカンリーグ残留を表明したため、ブルワーズが移動することとなった。
結果的には、ミルウォーキー出身で元ブルワーズのオーナーでもあったMLBコミッショナーのセリグの意向に沿う形となった。シカゴ近郊で、そのマイナーチームもあったことからシカゴ・カブスの人気が根強いミルウォーキーの関係者も、この際ナショナルリーグに移籍し、カブスと同地区で頻繁に対戦することで観客動員の増加を期待していたと考えられる。また、当時強豪チームだったインディアンスと袂を分かつことでポストシーズン進出を狙いやすくする、DH制のないナショナルリーグということで年俸総額を削減できる狙いもあった。全盛期のハンク・アーロン擁するブレーブスが短期間ながらミルウォーキーを本拠としていたため、ミルウォーキーといえばナショナルリーグのイメージが強かったというのもある。
移動後も低迷は続くが、カウンティ・スタジアムの老朽化のため建設された天然芝で開閉式屋根付きの新本拠地ミラー・パークが2001年にオープン。それに伴いチームロゴ・ユニフォームも一新された。当初は2000年の開場予定であったが、建設中の事故により開場が1年遅れるというアクシデントも起こった。新球場効果で観客動員は大幅に増加するがチームは一向に浮上の兆しがなく、2000年のシドニーオリンピック野球決勝でキューバを完封したベン・シーツ、大砲リッチー・セクソンなど若手の台頭はあったものの、2002年に球団ワースト記録となる106敗を喫して地区最下位に転落、2004年まで3年連続最下位及び12年連続負け越しとなった。
2005年、セリグオーナーから約2億ドルでマーク・アタナシオが球団を買収。チームは13年ぶりに勝率を5割に乗せ、プリンス・フィルダー、リッキー・ウィークス、J・J・ハーディ、コーリー・ハートといった選手が頭角を現してきた。しかし2006年は故障者の続出もあって再び負け越しでシーズンを終えた。
2007年は前半戦まで首位を独走したが終盤に失速、カブスに地区優勝を攫われ、ポストシーズン進出もならなかった。しかしフィルダーがシーズン50本塁打で史上最年少(当時23歳)の本塁打王を獲得、ライアン・ブラウンが新人王に輝くなど若手選手が台頭したシーズンとなった。2008年は前年のサイ・ヤング賞投手CC・サバシアをシーズン中にトレードで獲得。その大車輪の活躍もあって、カブスに次ぐ地区2位となりワイルドカードを獲得したが、ディヴィジョンシリーズでフィラデルフィア・フィリーズに1勝3敗で敗退した。観客動員数は3,068,458人で、球団史上初めて300万人を越えた。
2011年はザック・グレインキー、ショーン・マーカムを若手有望株計5人を放出するトレードで獲得。安定した試合運びで開幕から勝ち星を伸ばし、29年振り、ナショナルリーグ移籍後初となる地区優勝を果たした。アリゾナ・ダイヤモンドバックスとのディヴィジョンシリーズは最終戦の延長10回までもつれ込むもサヨナラで制するが、リーグチャンピオンシップシリーズでは1982年のワールドシリーズでも顔を合わせたカーディナルスに2勝4敗で敗退。MLB史上初の両リーグからのワールドシリーズ進出は逃した。アメリカンリーグはレンジャーズが優勝したため、ブルワーズが勝てばこちらも史上初の「エクスパンションチーム同士によるワールドシリーズ」になるところだった。観客動員数は3,071,373人で球団記録を更新した。
シーズンオフにはポスティングシステムを行使してのメジャー挑戦を表明した東京ヤクルトスワローズの青木宣親との交渉権を250万ドルで獲得した。[1]。
2012年は主砲のライアン・ブラウンが本塁打王並びに2年連続のトリプルスリーを達成したことや、青木の活躍などもあり、チーム本塁打数がナ・リーグ1位であったほか盗塁数もナ・リーグ最多と攻撃面は申し分ない活躍を見せたが、中継ぎ陣が目を覆いたくなるような惨状で、そのまま逆転負けを喫する試合が多かった。終盤にはワイルドカード争いをするまでに追い上げたものの、地区3位となりプレーオフ進出を逃した。
主な選手
現役選手
テンプレート:Milwaukee Brewers roster
殿堂入り選手
- ハンク・アーロン (Hank Aaron)
- ローリー・フィンガース (Rollie Fingers)
- ポール・モリター (Paul Molitor)
- ドン・サットン (Don Sutton)
- ロビン・ヨーント (Robin Yount)
歴代所属日本人選手
永久欠番
- 4 ポール・モリター (Paul Molitor)
- 19 ロビン・ヨーント (Robin Yount)
- 34 ロリー・フィンガーズ (Rollie Fingers)
- 42 ジャッキー・ロビンソン (Jackie Robinson)
- 44 ハンク・アーロン (Hank Aaron)
ブルワーズ野球殿堂
2001年に設立され、16人が殿堂入りを果たしている。
殿堂入り表彰者
傘下マイナーチーム
脚注
外部リンク
- ↑ 青木、ブルワーズが落札 ヤクルト発表asahi.com、 2011年12月18日。