小平町
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町名の語源はアイヌ語の「オピラテンプレート:小書きペテンプレート:小書き」o-pira-us-pet(河口に・崖・ある・川)で、町の中央を流れる小平蘂川の名に由来する。小平蘂川上中流域は白亜紀の化石の産地である。夏は海水浴客で賑わう。
かつては留萌炭田を抱える産炭地であって、1947年(昭和22年)頃にはその最盛期を迎えた。鉄路も留萌本線留萌駅から羽幌線、天塩炭礦鉄道、達布森林鉄道などが延びていて昭和40年代までは活況を呈していたが、閉山後に衰退。
1956年(昭和31年)に鬼鹿村を併合した時の人口は3万人近かったが、現在は4,000人を下回るまでに減少している。
目次
地理
留萌管内中部、日本海側沿岸に位置。
隣接している自治体
人口
沿革
- 1880年(明治13年) 天登雁村字番屋(現在の広富)に天登雁村、鬼鹿村(おにしか)の戸長役場が設置される。
- 1887年(明治20年) 鬼鹿村の急激な人口増加により、戸長役場が天登雁村の番屋の沢から鬼鹿村の市街地に移転する。
- 1906年(明治39年) 天登雁村が鬼鹿村に併合され、鬼鹿村に二級町村制が施行される
- 1919年(大正8年) 留萌町(現在の留萌市)から小平蘂村(おびらしべ)が独立し、小平蘂村に二級町村制が施行される(役場庁舎を臼谷に設置)
- 1924年(大正13年) 小平蘂村の役場庁舎が臼谷から小平市街地に新築移転する
- 1948年(昭和23年) 小平蘂村を小平村と改称する
- 1956年(昭和31年)9月30日 留萌郡鬼鹿村が小平村に編入される
- 1966年(昭和41年) 町制施行、小平町
行政
経済
主要産業は沿岸漁業、農業。農業は米、メロンなどを生産。かつて存在した構内掘り炭鉱は全て閉山し、今は露天掘りの炭鉱が一カ所のみ存在する[1]。
農協・漁協
- 南るもい農業協同組合(JA南るもい)小平支所
- 新星マリン漁業協同組合臼谷支所・鬼鹿支所
金融機関
郵便局
- 小平郵便局(集配局)
- 鬼鹿郵便局(集配局)
- 達布郵便局
- 小平本郷郵便局
- 臼谷簡易郵便局
公共機関
警察
- 留萌警察署小平駐在所・鬼鹿駐在所
姉妹都市・提携都市
教育
- 特別支援学校
- 小平高等養護学校(旧北海道鬼鹿高等学校跡地を利用)
- 中学校
- 小平、鬼鹿、達布(H11.3閉校)、本郷(H18.3閉校)
- 小学校
- 小平、鬼鹿、達布(H17.3閉校)、本郷(H18.3閉校)、寧楽(H19.3閉校)、臼谷(H20.3閉校)
- 廃止された高等学校
交通
空港
道路
鉄道
かつてはいくつかの路線があったが、現在はすべて廃止されている。
バス
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
重要文化財
- 旧花田家番屋 - 道の駅おびら鰊番屋
町の指定文化財
- 鬼鹿松前神楽 - 鬼鹿松前神楽保存会
- 臼谷弁財天碑
出身・ゆかりのあるの有名人
- 石田明義(弁護士)
- 上草義輝(元衆議院議員、NPO法人理事長)
- 水谷豊(俳優、芦別市出身)
- 阿部雅司(スキーコンバインド元日本代表、アルベールビルオリンピック金メダリスト、現日本代表コーチ)
- 黒滝将人(元プロ野球千葉ロッテマリーンズ投手)
- 菅野範弘(スキージャンプ元日本代表、元学生チャンピオン、現日本代表コーチ)
- 菅野公則(スキージャンプ、日本代表コーチ)
- 滝下靖之(スキーアルペン、ダウンヒル元日本代表)
- 今巧(スキージャンプ元日本代表、元学生チャンピオン)
- 滝下樹理(スキーアルペン、ダウンヒル日本代表)
- 西村信二(スキーコンバインド、元日本代表)
- 長田愛未(スキーアルペン、全日本ジュニア指定選手)