浦幌町
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浦幌町(うらほろちょう)は、北海道南東部、十勝総合振興局管内にある町。一町で十勝郡をなす。
町名の由来は、アイヌ語の「オーラポロ」(川尻に大きな葉が成育するところ)から。
目次
地理
十勝総合振興局管内最東部、釧路総合振興局との境に位置する。町域は浦幌川の流域を占め南北に長い。白糠丘陵の西縁部にあたり、大部分は丘陵と台地で、林野が総面積の7割を占める。南部は太平洋に面している。町の南端、浦幌川下流部から十勝川河口にかけて平地が広がっており、畑や牧場として利用されている。
隣接している自治体
人口
歴史
- 1900年(明治33年)4月 大津村外六ヶ村戸長役場から十勝村、生剛(おべつこうし)村、愛牛村の3村が分離、独立し、生剛村外二ヵ村戸長役場を設置する。(浦幌町開基)
- 1906年(明治39年)4月 生剛村と愛牛村が合併、二級町村制が施行され、生剛(せいごう)村となる。
- 1912年(明治45年)4月 浦幌村に改称。
- 1954年(昭和29年)4月 町制施行、浦幌町となる。
- 1955年(昭和30年)4月 大津村廃村により、一部(大字十勝村、大字鼈奴(べっちゃろ)村、大字長臼(おさうす)村の一部、大字大津村の一部)を編入。
- 1998年(平成10年)3月 浦幌十勝川にかかる浦幌大橋が完成、開通
- 1999年(平成11年)6月 開町100年記念式典が行われる。
経済
産業
- 農業は畜産が中心。古くは馬産地(軍馬 釧路種)の一つであったが衰退し、第二次世界大戦後は浦幌炭鉱の炭鉱と酪農地域へと変貌した。炭鉱は尺別炭鉱に集約し閉山した。
- 肉用牛の生産、畑作が盛んで、バレイショとテンサイの収穫量が特に多い。稲作は行われない。
- 豊富な資源を背景に林業も行われる。
- 厚内川河口の厚内に漁港がある。近海はサケの好漁場。その他タコ、ホッキなどを漁獲する。かつてはコンブの採集も多かったが近年はあまり行われていない。シシャモの漁獲もある。
- 経済圏域では帯広圏域に含められる。
立地企業
農協・漁協
- 浦幌町農業協同組合(JAうらほろ)
- 大津漁業協同組合厚内支所
郵便局
- 浦幌郵便局(集配局)
- 吉野郵便局
- 厚内郵便局
- 上浦幌郵便局
- 留真簡易郵便局
- 常室簡易郵便局
※ 上浦幌郵便局エリアの集配業務は本別郵便局が担当
公共機関
警察
- 池田警察署浦幌駐在所
国の施設
- 国土交通省
- 海上保安庁
- 十勝太ロラン航路標識事務所(十勝太ロランC局)
- 上厚内無線中継所
- 海上保安庁
教育
交通
空港
鉄道
バス
かつては十勝バスが浦幌営業所を設置し帯広方面への一般路線バスを運行していたが、2007年(平成19年)4月1日付で営業所・路線とも廃止された。都市間バスの特急すずらん号(十勝バス、くしろバス)が経路変更と乗降制限解除で代替していたが2011年(平成23年)4月1日付で廃止され、町中心部は路線バスが設定されていない。
町北部の留真地区では、本別町方面への路線バスが十勝バス(足寄営業所)によって運行されていたが、2011年(平成23年)7月1日付で廃止された。これにより町内に停車する路線バスは無くなっている。これまで浦幌駅 - 留真 - 本別間を十勝バスと重複しない時間帯・曜日で運行していた予約制乗合タクシーが運行時間・曜日を拡大して代替する。
道路
- 高速道路
- バイパス
- 国道38号 - 交通事故の多発により、1970年代初頭に市街地を抜けるルート(現北海道道56号本別浦幌線)から、現在のやや郊外を抜ける位置に変更された。
- 一般国道
- 都道府県道
- 林道
- 道の駅
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
文化財
史跡
- オタフンベチャシ跡
その他
- 浦幌新吉野台細石器遺跡 - 道指定史跡
- 十勝オコッペ遺跡 - 道指定史跡
- 十勝太遺跡群 - 道指定史跡、出土物は浦幌町立博物館蔵
- 浦幌開拓獅子舞 - 町の文化財、浦幌開拓獅子舞保存会
- 活平層 - アジア唯一のK-T境界層露出地点。
レジャー
観光
- 豊北原生花園 太平洋沿岸に広がる原生花園
- 留真温泉
- 昆布刈石展望台
- 十勝太遺跡展望台
- うらほろ森林公園
祭り
- うらほろふるさとのみのり祭り(9月)
その他
出身有名人
外部リンク
- 北海道浦幌町
- わがマチ・わがムラ-市町村の姿- 北海道 浦幌町 - 農林水産省統計部