K-T境界
K-T境界(ケイ・ティーきょうかい)とは地質年代区分の用語で、約6550万年前[1]の中生代と新生代の境目に相当する。顕生代において5回発生した大量絶滅のうちの最後の事件[注釈 1]。恐竜を代表とする大型爬虫類やアンモナイトが絶滅したことで有名であるが、海洋のプランクトンや植物類にも多数の絶滅種があった。種のレベルで最大約75%の生物が絶滅した[2]。また個体の数では99%以上が死亡した[3]。
K-T境界では、後述するように、メキシコのユカタン半島付近に直径約10kmの巨大隕石が落下したことが知られている。この隕石落下が、大量絶滅の引き金になったとされる。
目次
名称
白亜紀と新生代第三紀の境目に位置する。白亜紀は英語では Cretaceous だが、頭文字がCで始まる地質年代区分[4]が多いため、ドイツ語の Kreide からとった頭文字Kが略号として用いられる。これと、英語で第三紀を意味する Tertiary の頭文字Tとを組み合わせてK-T境界としている。ただし、現在は第三紀の語は正式な用語として使われておらず、古第三紀(Paleogene)との境界であることからK-P境界[5] またはK/Pg境界[6]と呼ばれている。
大量絶滅
中生代は大型爬虫類の全盛時代であった。特に恐竜は三畳紀末から白亜紀の最後にかけて、主要な生物として地上に君臨した。翼竜は三畳紀末に空中に進出し白亜紀前期終盤まで繁栄し、その後数を減らしつつあった。海中では三畳紀以来の魚竜はK-T境界事件の前には既に絶滅していたが、首長竜や大型の海トカゲ(モササウルス類)などは白亜紀の最終段階まで生存していた。K-T境界を境にして、これらの大型爬虫類の全てが絶滅した。生き残ったのは、爬虫類の系統では比較的小型のカメ、ヘビ、トカゲ及びワニなどに限られた。恐竜直系の子孫である鳥類もテンプレート:仮リンクが悉く絶滅したが現生鳥類に繋がる真鳥類が絶滅を免れている。海中ではアンモナイト類をはじめとする海生生物の約16%の科と47%の属が姿を消した[7]。これらの生物がいなくなった後、それらの生物が占めていたニッチは哺乳類と鳥類によって置き換わり、現在の生態系が形成された。陸上の植物相は、白亜紀末には被子植物が多様性化をとげていたが、裸子植物の針葉樹類に比べれば数は少なかった[8]。K-T境界前後の花粉分析の結果、K-T境界直後のシダ植物の一時的進出を挟んで、構成を大きく変化させていることが明らかになった。なお、その花粉中に、ユリの花粉が発見されており、衝突時期は6月だと推定されている。[9]
水中での状況
海中では海の食物連鎖の基本となるプランクトン類が大打撃を受け、そのためアンモナイト類などの中型生物が多数絶滅し、中型生物を捕食する大型生物のほとんどが絶滅した[10]。
- 白亜紀に繁栄していた植物プランクトンの円石藻類の85%が絶滅、また同様に海中に大量に生息していた有孔虫類は一部の例外を除きほとんど消滅[注釈 2]。
- アンモナイトが絶滅、二枚貝類、腕足類、コケムシ類の多くの種が絶滅。
- 魚竜は白亜紀が終わる前に既に絶滅し、首長竜も同時期に多様性を減少させていたが、K-T境界で完全に絶滅した。
- 全てのモササウルス類、淡水サメ[注釈 3]類が絶滅。
- 珪藻類、魚類は被害は比較的少なかった。
白亜紀の名の元は、当時の海洋に多数生息していた円石藻類や有孔虫類の炭酸カルシウムの殻が堆積したチョーク(白亜)である[11]。海洋でのK-T境界を記録した地層では、有孔虫類が激減したため境界をはさんだ上下でプランクトンの種類がほぼ全て変化しており、その違い(有孔虫の化石の有無や地層の色の違い)が肉眼でも確認できる。[12]
陸上での状況
陸上では恐竜が全滅し、他の生物にも広範な影響があった。(ただし、アラモサウルスなどの一部の種が、その後も暫く生き延びていた可能性が化石から示唆されている)[13]
- 翼竜は白亜紀の終わりには数を減らしていたが、K-T境界で絶滅。
- 鳥類を除くすべての竜盤類と、鳥盤類が絶滅(現在 鳥類はジュラ紀に竜盤類の中の獣脚類から派生したとされている[14]。)
- 哺乳類の種の35%が消滅。特に中型犬以上の大きさの種はすべて絶滅した可能性が高い[15]。
- 北アメリカの植物種の79%が絶滅。
- エナンティオルニス類などの現生鳥類の姉妹群が絶滅。鳥類(新鳥類)は多様性を維持していた[注釈 4]。ワニ類・カメ類・昆虫類も影響が少なかった。
K-T境界直後の陸上植物の特徴としてシダ類の異常な繁茂があげられる。地質時代の広範囲な植生状況を調べる手段として、堆積物中の花粉や胞子の化石を調べる方法がある。北アメリカにおける化石の研究では、白亜紀の花粉や胞子の化石中のシダ胞子の比率は約25%だったのが、K-T境界直後では96-99%がシダ胞子となっている[16]。シダ類は噴火による溶岩や火山灰によってすべての植物が消滅した荒地に最初に繁茂することが確認されているが[注釈 5]、K-T境界事件の直後に広がった荒地をシダ類が覆ったと想定されている。この顕著な現象はテンプレート:仮リンクと呼ばれ、K-T境界直後のプランクトンがいなくなった海中で堆積した複数の地層からも見つかっている。このことは広範囲にわたる地上の植生の荒廃と海洋の絶滅が同時に生起したことを意味する[17]。
シダ類の優占した期間は短く、次に河畔林などを作る(荒地に適性のある)被子植物が繁茂し始めたが植物多様性の回復は遅れ、最終的に白亜紀レベルの多様性まで回復したのは約150万年後であった[18]。
白亜紀最後のマストリヒシアンに生息していた生物の復元想像図
- Triceratops BW.jpg
トリケラトプス、白亜紀最後の北米に生息していた、体長9m
- DPAG 2008 Tyrannosaurus.jpg
ティラノサウルス、最大の肉食恐竜、白亜紀末まで生存、体長11-13m
- Goronyasaurus1DB.jpg
巨大な海生トカゲモササウルスの一種w:Goronyosaurus、体長7m
- Quetzalcoatlus07.jpg
翼長11mに達した翼竜ケツァルコアトルス(クェツァルコアトルス)、翼竜として最大であった。
- Sketch pachycephalosaurus2.jpg
石頭恐竜とも呼ばれるパキケファロサウルス、体長8m
大絶滅の原因をめぐる議論
地質学の分野では、19世紀以来チャールズ・ライエルが提唱した「過去に起こったことは現在観察されている過程と同じだろう」と想定する斉一説が基本とされてきた。この考え方に基づけば、「天変地異を原因とする生物の大量絶滅」は地質学者の間で考慮されることはなかった[19]。下記の「隕石説」が提起されるまで恐竜絶滅の原因として、「夜間も活発に活動する哺乳類の台頭によって、恐竜の卵が食べつくされた」、「あまりに巨大化した恐竜は、種としての寿命が尽きた」、「白亜紀末期に出現した被子植物に対応できなかった」等の説があったが、いずれも客観的な証拠が欠けていた。[注釈 6]
巨大隕石衝突説の登場
1980年、アメリカカリフォルニア大学の地質学者ウォルター・アルバレスとその父でノーベル賞受賞者でもある物理学者ルイス・アルバレスおよび同大学放射線研究所核科学研究室の研究員2名が、K-T境界における大量絶滅の主原因を「隕石」とする論文を発表した[20]。
アルバレス父子はイタリアのグビオに産するK-T境界の薄い粘土層を、彼らの研究室にしかなかった「微量元素分析器」を使って分析し、他の地層と比べ20 - 160倍に達する高濃度のイリジウムを検出した[21]。イリジウムは、地表では極めて希少な元素である反面、隕石には多く含まれること、デンマークに産出する同様の粘土層からも同じ結果を得たことで、イリジウムの濃集は局地的な現象ではなく地球規模の現象の結果であると予測されることから、彼らはその起源を隕石に求めた。またこの論文では「巨大隕石の落下によって発生した大量の塵が地上に届く太陽光線を激減させ、陸上や海面の植物の光合成が不可能となって、食物連鎖が完全に崩壊した結果大量絶滅をもたらした」とした[注釈 7]。衝突直後の昼間の地上の明るさは満月の夜の10%まで低下し、この状況が数か月から数年続くと推定した[22]。
この論文は、地質学者の激しい抵抗で迎えられた[注釈 8]。しかしこの論文の仮説は検証による議論が可能であり、世界各地で調査された大量のデータとともに賛成・反対の多くの議論が巻き起こった。反論のなかで最も有力だったものが、イリジウムの起源を火山活動に求めた火山説である。地表では希少なイリジウムも地下深部には多く存在する。それが当時起こっていた活発な火山活動(インドのデカン高原を作った面積100万平方km[23]に広がる洪水玄武岩デカントラップ)により地表に放出されたとするのが「火山説」であり、隕石説に反対する多くの地質学者がこの説を支持した[24]。巨大な洪水玄武岩の噴火は、K-T境界より規模の大きな大絶滅であったP-T境界事件の原因と推定されており、生物界に大きな影響を及ぼすと考えられる[注釈 9]。
巨大隕石落下の証拠
アルバレス論文では、イタリアとデンマークのイリジウムに富む薄い粘土層が分析されたが、論文発表の直前にニュージーランドのK-T境界層でもイリジウムの濃集が確認された。引き続き同様のイリジウム濃集層がスペイン・アメリカ各地・中部太平洋・南大西洋の海成堆積岩層のK-T境界に相当する部分[25]や地上で堆積したK-T境界の泥岩層から確認された[26]。これらの特徴的なK-T境界層の厚さは、ヨーロッパでは約1cmであったが、北アメリカのカリブ海周辺やメキシコ湾岸では厚さが1mを超える上、構造や成分の異なる2層が観察され、衝突の結果形成されたクレーターが付近に存在すると考えられた[27]。
北アメリカのK-T境界の粘土層中には、高熱で地表の岩石が融解して飛び散ったことを示すガラス質の岩石テクタイトとそれが風化してできたスフェルール、高温高圧下で変成した衝撃石英も発見されており、これらはすべて、隕石衝突時の衝撃により形成されたと考えられている[注釈 10]。また粘土中には当時の全陸上生物量の約六分の一が燃えたと推定される多量のすすが含まれ、これは衝突時の高熱により地上の植生等が大規模な火災を起こした証拠と考えられた[28]。
1980年の論文では、全世界に撒き散らされたイリジウムの量やK-T境界層の厚さを元に落下した隕石の大きさを計算し 直径10プラスマイナス4km程度と算出した[29]。しかし 落下したことの最も確実な証拠であるクレーターは当時発見されなかった。調査が進むに連れて、K-T境界層の厚さから北アメリカ近辺に落下したらしいという点と、カリブ海周辺およびメキシコ湾周辺のK-T境界層で津波による堆積物が多く見つかることから、落下地点はこの近くにあると推定されるようになった[30]。
1991年、巨大隕石による衝突クレーターと見なされる「ユカタン半島北部に存在する直径約170kmの円形の磁気異常と重力異常構造」がヒルデブランドらによって発見された[31] 。この環状構造は石油開発関連の調査から導かれたもので、一部の関係者は把握していたが 1991年まで広く知られることはなかった。1975年には「古い火山中央部と見られる環状構造」、1981年には「噴出物を伴う衝撃孔」と報告されていたが、K-T境界と関連付けた報告ではなく大きな注目を受けなかった。これらの報告に使われたデータは「メキシコ石油開発公団」(ペメックス)が石油探査のために行った調査によるものであった[32]。ヒルデブランドらがペメックスが採取していたボーリングサンプルを再調査したところ、クレーターの形成年代がK-T境界と一致すること、含まれる岩石成分が周囲に飛び散ったテクタイトと一致することが判明し[33]、「K-T境界で落下した巨大隕石によるクレーター」であると確認した。
確認されたクレーターは現在のメキシコユカタン半島の北西端チクシュルーブで、直径約200km・深さ15 - 25kmのチクシュルーブ・クレーターと見積もられた(写真参照)。(クレーターの直径についてはその後1995年に直径約300kmと言う説も発表されたが[34]、現地での地震探査の結果2009年の時点では「直径200km」が妥当とされている。[35])。また、隕石落下地点は当時石灰岩層を有する浅海域だったと推定され、隕石落下により高さ300mに達する巨大な津波が北アメリカ大陸の沿岸に押し寄せたと推定される[36]。
火山説については 1999年にフランスの地質学者クロード・アレグレールらが、白亜紀末に該当するデカン洪水溶岩の年代について「6660万年前、誤差プラスマイナス30万年」と推定した。この年代値はイリジウムの濃集した堆積層よりも明らかに古く、隕石衝突に先行して噴火が起こったとしている[37]。また火山由来のイリジウムの場合は同時にニッケルとクロムの濃度増加を伴うが、K-T境界層からはイリジウム以外の元素の濃集は確認されていない[38]。
2010年、ピーター・シュルツ博士をリーダーとする12ヶ国の地質学・古生物学・地球物理学・惑星科学などの専門家40数人からなるチームは、K-Pg境界堆積物から得られた様々なデータ(層序学、微古生物学、岩石学、地球化学)を元に、衝突説及び火山説についてその妥当性を検討し、チクシュルーブ・クレーターを形成した隕石の衝突が、K-Pg境界における大量絶滅の主要因であると結論づける論文をサイエンス誌に発表した[39] [40]。
2014年3月、千葉工大がこの時期の生物大量絶滅は、隕石衝突による酸性雨と海洋酸性化が原因であるという論文を発表した。これまでに提案されている絶滅機構の仮説では、地質記録に残る海洋生物の絶滅を説明することは非常に困難で、最大の未解決問題として残ってたが、大阪大学レーザーエネルギー学研究センターの高出力レーザー激光XII号を使って、宇宙速度での衝突蒸発・ガス分析実験に成功。実験結果から、先行研究で想定されていた二酸化硫黄(亜硫酸ガス)ではなく、硫酸になりやすい三酸化硫黄(発煙硫酸)が隕石衝突で放出されることがわかった。さらに理論計算を行ったところ、衝突で放出された三酸化硫黄は数日以内に酸性雨となって全地球的に降ることと、その結果起こる深刻な海洋酸性化が明らかになった [41]。
地球環境に与えた影響
中生代を通じて地球の気候は温暖であった。当時の爬虫類の分布から想定して、平均気温は現在より10 - 15℃程度高かったと考えられる。原因として大気中の二酸化炭素の濃度が現在よりも高く、温室効果が大きかった事があげられる。中生代は火山活動が比較的活発で、火山ガスによって二酸化炭素が大量に大気中へ供給された。中生代の二酸化炭素濃度は現在(約0.04%)の10倍以上あったと推定されている[42]。中生代に繁栄した恐竜を代表とする生物種は、この高温に適応した生物であった。しかし白亜紀末期には気温が徐々に低下し始めており、隕石落下前の地層から発見される化石では、大型恐竜やアンモナイト類の種の数が減少していた。それでもまだ現在より温暖で、南極・北極ともに氷河は形成されていなかった[注釈 11]。K-T境界では、この温暖な時代の浅海に巨大隕石が落下した。
隕石衝突のエネルギー量
隕石の衝突では、隕石の持つ運動エネルギーが衝突時に解放される。運動エネルギーは隕石の質量に比例し、速度の二乗に比例する。隕石の落下速度は、隕石の軌道が地球軌道とどのように交わるかで大きく変化するが、少なくとも15km/秒、時には50km/秒を超える[注釈 12]。これを時速に換算すると最も遅い隕石でも5.4万km/時で、その落下速度は(空気抵抗による減速を考慮しなければ)ジェット旅客機の巡航速度(約900km/時)の60倍に相当する。隕石が小さい場合は空力加熱(隕石前面の空気が圧縮されて加熱する)で地上に落ちるまでに燃え尽きてしまうが、もう少し大きいと空気抵抗によって減速されながら落下し地上に隕石として残る。直径50m以上の大きさで鉄隕石のように硬いものだと空気抵抗による減速の影響は少ないまま地上に激突する。この場合は隕石の持つ運動エネルギーが大きいため隕石本体は地面にもぐりこみながら、激しい衝撃により爆発する[43]。そのため隕石衝突のエネルギーを比較するには、核爆弾と同様に爆発のエネルギー(具体的には代表的な火薬であるTNTの重量TNT換算)で表記する[44]。
チクシュルーブ・クレーターを形成した衝突エネルギーは、TNT換算3×108 - 109メガトンと計算されているが[45]、この量は冷戦時代にアメリカとソ連が持っていた核弾頭すべての爆発エネルギー104メガトン[46]の1万倍以上に相当する。
隕石衝突時の状況
宇宙から落下してくる隕石は、大気圏で表面温度が1万度近くまで熱せられる[48]。高速の隕石は高度11000mより下の対流圏を1秒以下で通り過ぎるので、非常に大きな衝撃波を伴う。地上に衝突した直径10kmの隕石は地殻に数十kmもぐりこみながら運動エネルギーを解放して爆発する[49]。
隕石爆発のエネルギーで衝突地点周辺の石灰岩を含む地殻が蒸発や飛散によって消失し、深さ40km[50]、半径70-80kmのおわん型のクレーター(トランジェントクレーター)ができる[51]。このときクレーター部分とその周辺の海水も同時に蒸発・飛散して無くなっている[52]。爆発の衝撃による爆風が北アメリカ大陸を襲い、マグニチュード10程度の大地震が起こる[53]。トランジェントクレーターの底には溶解したが蒸発・飛散せずに残った岩石が溜まっており、やがて再凝結する。大きく開いたクレーター中心部は地下深部の高温の岩石が凸状に盛り上がってきて中央部が高くなる[54]。中心部の盛り上がりに対応して地下の岩盤の周辺部は低下し、地表ではトランジェントクレーターのおわん型の壁が崩落して外側に広がってゆく。これらの地殻変動によってトランジェントクレーター周辺の地殻は波うち同心円状の構造が形成され(トランジェントクレーターの形状は消えてしまう)、更に大きなクレーター構造となって残る[55]。
浅海に空いた巨大なクレーターに向かって海水が押し寄せるため、周辺海域では巨大な引き波が起こる。勢いよく押し寄せる海水はクレーターが一杯になっても止まらず、巨大な海水の盛り上がりを作った後、押し波となって周辺へ流れ出し全世界へ広がる。衝突地点に近い北アメリカ沿岸では300mの高さの津波となって押し寄せた[56]。
地面に衝突して爆発した隕石は全量が飛散し、衝突地点の岩石も衝撃のエネルギーで蒸発・溶解・粉砕される。トランジェントクレーターでは、隕石質量の約2倍に相当する岩石が蒸発(ガス化)し、隕石質量の約15倍の融解した岩石と、隕石質量の約300倍に達する粉砕された岩石が飛び散る。蒸発した岩石には石灰岩(CaCO3)や石膏(CaSO4)が含まれており、これが大気中で分解して大量の二酸化炭素(CO2)と二酸化硫黄(SO2)が発生したと考えられる。融解した岩石は空中で冷えて凝固しガラス状のマイクロテクタイトになる。衝突地点から吹き上がった高温の噴出物は、クレーター周辺に落下して森林に火事を起こさせ、大量の煤を発生させる[注釈 13]。衝突地点から放出された大量の塵や大規模火災による煤は空中に舞い上がり、太陽光が地上へ到達するのを妨げた。[57]。
隕石衝突後の状況
隕石衝突で大気中に巻き上げられた塵や煤は、比較的大きなサイズのものは対流圏(高度約11000mまで)まで上昇し数か月後には地上に落下するが、1000分の1mm以下の小さなサイズのものはその上の成層圏や中間圏まで上昇し、数年から10年間とどまる。これらは太陽光線に対して不透明であり、隕石落下の直後には地上に届く太陽光の量を通常の100万分の一以下に減少させる。この極端な暗闇は対流圏に大量に噴き上げられた煤や塵が地上に落下するまで数か月続くが、その期間気温が著しく低下し、光不足で植物は光合成ができなくなった[58]。北アメリカのK-T境界に相当する地層のハスやスイレンの化石から、隕石は6月頃に落下したこと(ジューン・インパクト)、落下直後には植物が凍結したことが分かった[59]。またK-T境界直後の海洋においても植物プランクトンの光合成が一時停止したことが判明している。[60]。
大気中に放出された二酸化硫黄は空中で酸化し硫酸となって酸性雨として地表に落下したり、一部は硫酸エアロゾルとなって空中にとどまった。さらに高温の隕石や飛散物質が空気中の窒素を酸化させて窒素酸化物を生成し酸性雨を更に悪化させたことも想定されている。先に述べた煤や塵と同様に、硫酸エアロゾルも地表に届く太陽光線を減少させる物質であり、これらの微粒子の影響による寒冷化は約10年間続いたと推定される。これらの隕石衝突による地上の暗黒化・寒冷化を「衝突の冬」と呼ぶ。[61]。
寒冷化の影響がなくなった後、蒸発した石灰岩から放出された大量の二酸化炭素による温暖化が数十万年続いた可能性が指摘されている[62]。
以上のように巨大隕石の衝突は衝突地点での破滅的な状況のみならず、数ヶ月から数ヶ年におよぶ地球全体における光合成の停止や低温、その後も続いた環境の激変を生起させた結果、多くの生物種が滅びる原因となった[63]。
哺乳類が生き延びた理由
哺乳類が隕石衝突を生き延びた理由については、確かなことはわかっていないものの、その小さな身体が大災害を生き延びる上で有利に働いたというのが多くの研究者たち共通の認識である。[64]
- 哺乳類は身体が小さいので、地下の穴に隠れることができたこと
- 哺乳類の食べ物がそれほど特殊化していなかったこと
- 哺乳類の繁殖のサイクルは早いため、環境の変化に素早く適応できたこと
- 哺乳類は胎盤を進化させてたため、弱い存在である子供を生存させることができたこと
などが生存に有利に働いたと考えられている。[65]
「衝突の冬」から派生した「核の冬」理論
アルヴァレスらの論文を読んだアメリカの天文学者カール・セーガンは、「隕石衝突の爆発によって舞い上がった塵が地表の暗黒化と寒冷化を起こすのであれば、核戦争による核爆発でも同様のことが起こるのではないか」と言う点に着目して研究を開始した。いわゆる核の冬理論である。この理論は世界的な反響を呼び、国際学術連合環境科学委員会の主導で1985年から2年間、30カ国300人の科学者を動員して検討が行われた。その検討結果では、冷戦下でアメリカやソ連が保有していた核弾頭全部(TNT換算104メガトン相当)が爆発した場合、爆発で舞い上がった塵や大規模火災で生成された煤の影響で地上に到達する太陽光の著しい減少と厳しい寒冷化が起こるとされた。
- 地上に届く太陽光は爆発の20日後で正常時の20%以下、60日経っても正常時の60%。
- 北半球中緯度地方の夏至の気温は平均で10-20℃低下。局所的には35℃ほど低下。
- オゾン層は壊滅的に破壊される。
- 農業はほぼ全滅
ここで計算の元となった全核弾頭の爆発エネルギーは、K-T境界で落下した隕石の持つエネルギー(TNT換算108メガトン以上)の約1万分の1である[66]。
顕生代の内訳のグラフ
注釈
- ↑ これら5回の大絶滅はビッグファイブとも呼ばれる。
- ↑ 浮遊性有孔虫については、小型の Guembelitria cretacea を除いてほぼ全ての種が絶滅した。これに対し、底生有孔虫については、酸性雨の影響が海表面より150メートルくらいまでにとどまる(浮遊性の石灰質の微小生物を溶かすことで中和される)ことから、浮遊性有孔虫ほどの打撃は受けなかった。(掛川・海保、2011、p182-183)
- ↑ オオメジロザメは現生するサメのうち唯一、淡水域でも生存できるが、当時の淡水で生息していたサメの子孫ではないとされる。
- ↑ 鳥類もK-T境界で大きな影響を受けたという説も提出されている(ウォルター・アルヴァレズ「絶滅のクレーター」(1997) P30、元の論文は Feduccia, A., 1995, Explosive evolution in Tertiary birds and mammals: Science, v.267, p.637-638. )
- ↑ たとえば1980年のセント・ヘレンズ山の噴火後の荒地の回復時にも、まずシダ類が繁茂した(田近英一「地球環境46億年の大変動史」(2009) P183)
- ↑ 「哺乳類の台頭」説では、恐竜の絶滅の前に哺乳類の化石が増えなければならないが、その事実はない。「種としての寿命」説では体長1m程度の敏捷な恐竜も同時に絶滅している点を説明できない。「被子植物原因」説に対しては、被子植物がK-T境界の数千万年前から繁茂していた事と矛盾。(松井孝典「絶滅恐竜からのメッセージ」(2002) P26-28)
- ↑ ルイス・アルバレスは、空気中に大量に塵が混入した場合の基礎データとして、1883年のクラカトア火山の噴火のデータを使用した。(ウォルター・アルバレス「絶滅のクレーター」(1997) P118)
- ↑ 斉一説に真っ向から反する仮説と捉えられたのである。(川上紳一ら「最新地球史がよくわかる本」(2006) P33-38)
- ↑ P-T境界事件の原因とされるシベリア洪水玄武岩は推定700万平方kmに広がる(Douglas H. Erwin「大絶滅」 (2009) P202) 。詳細はP-T境界を参照
- ↑ テクタイト、スフェルール、衝撃石英は火山の噴火でも形成される。しかしK-T境界で見つかる衝撃石英は火山噴火で作られたものと異なり、より強い衝撃を受けた痕跡が残っていた(ウォルター・アルバレス「絶滅のクレーター」 (1997) P148-150
- ↑ 現在につながる氷河時代の始まりは、更に寒冷化が進んだ約3400万年前とされる(田近英一「地球環境46億年の大変動史」(2009) P137)
- ↑ 地球の公転速度が約秒速30km/秒なので、地球と反対向きに回っている天体と衝突すると両者の速度差は30km/秒以上になる。またすべての隕石について、公転速度差に加えて地球の脱出速度約11km/秒が加算されるので、地上には最低でも15km/秒の速度で落下する。(松井孝典「絶滅恐竜からのメッセージ」(2002) P158-160)
- ↑ ユカタン半島一帯は石油産地であり、石油の燃焼による煤の生成も想定される。最近のK-T境界の煤に関する研究では煤には石油や石炭からのものが含まれており、全地球的な大火は想定しなくてよいという説も発表された(松井孝典「新版 再現!巨大隕石衝突」(2009) P116-117
脚注
参考図書
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関連項目
- ↑ ウォルター・アルヴァレズ「絶滅のクレーター」 (1997) P3
- ↑ 田近英一「地球環境46億年の大変動史」(2009) P170
- ↑ NHK「ポスト恐竜」プロジェクト編著『恐竜絶滅 哺乳類の戦い』ダイヤモンド社、2010年、p118
- ↑ カンブリア紀(Cambrian)や石炭紀(Carboniferousがこれに該当する。
- ↑ 松井「新版 再現!巨大隕石衝突」(2009)前書き V頁
- ↑ 「恐竜博2011」(2011) P120 および P122
- ↑ Douglas h. Erwin「大絶滅」(2009) P24
- ↑ リチャード・サウスウッド「生命進化の物語」 (2007) P239
- ↑ 「徹底図解 宇宙のしくみ」、新星出版社、2006年、p60
- ↑ 以下の水中・陸上の絶滅状況はおおむね リチャード・サウスウッド「生命進化の物語」 (2007) P240-242 より
- ↑ 池貝仙之ら 「地球生物学」 (2004) P129
- ↑ ウォルター・アルヴァレズ「絶滅のクレーター」(1997) P63
- ↑ 読売新聞、2011年2月5日22時8分配信
- ↑ リチャード・サウスウッド「生命進化の物語」 (2007) P229-230
- ↑ 「恐竜博2011」 P120
- ↑ 西田治文「植物のたどってきた道」(1998) P198-199
- ↑ リチャード・サウスウッド「生命進化の物語」 (2007) P242
- ↑ 西田治分「植物のたどってきた道」 (1998) P199
- ↑ 松井孝典「絶滅恐竜からのメッセージ」(2002) P29
- ↑ テンプレート:Cite journal
- ↑ 松井孝典「絶滅恐竜からのメッセージ」(2002) p34
- ↑ 松井孝典「絶滅恐竜からのメッセージ」(2002) p37
- ↑ 安藤雅孝・早川由紀夫・平原和朗「新版地学教育講座(2)地震と火山」 (1996) P142 東海大学出版会 ISBN 4-486-01302-6
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- ↑ NHK「ポスト恐竜」プロジェクト編著『恐竜絶滅 哺乳類の戦い』ダイヤモンド社、2010年、p116
- ↑ NHK「ポスト恐竜」プロジェクト編著『恐竜絶滅 哺乳類の戦い』ダイヤモンド社、2010年、p116-117
- ↑ この節は、松井孝典「絶滅恐竜からのメッセージ」 (2002) P55-58 より