脇野田駅
脇野田駅(わきのだえき)は、新潟県上越市大和二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)信越本線の駅である。
2015年(平成27年)3月には北陸新幹線が開業する予定で、現駅舎近隣地の同市大和五丁目地内において上越妙高駅(じょうえつみょうこうえき)の新駅舎建設が進められている。なお新駅舎は2014年(平成26年)10月19日から供用を開始し、新幹線開業までの間は引き続き「脇野田駅」として営業する[1][2]。
目次
駅構造
島式ホーム1面2線を有する地上駅。駅舎(東側)とは構内踏切で連絡している。
直江津駅が管理し、ジェイアール新潟ビジネスが駅業務を受託する業務委託駅である。有人改札を兼ねる出札窓口(営業時間 7:30 - 17:45)が設置されているが、みどりの窓口の機能は有さない。また窓口横には自動券売機(タッチパネル式1台、Suica等のICカードは利用不可)が設置されている。
駅舎内には1998年(平成10年)3月28日に行われた北陸新幹線・長野駅 - 上越妙高駅間の起工式で執り行われた神事に使用された鎌、鍬、鋤が展示されており、駅前には記念植樹もされている。
駅前には顕彰碑が立っている。顕彰碑に名を刻まれている長谷川八郎は脇野田地区の大地主で、駅建設を要望して自ら所有の土地を提供するなど、積極的に運動を行ったことが後に評価された。
のりば
1 | テンプレート:Color信越本線(上り) | 新井・妙高高原・長野方面 |
2 | テンプレート:Color信越本線(下り) | 直江津・長岡・新潟方面 |
列車の行き違いがない場合は、両方面の列車とも2番線からの発着となる。通過列車は上下とも2番線を通過する。交換時は上り長野方面の列車は1番線を使用する。交換時の下り列車は原則2番線を使用するが、前述の通り上り通過列車は交換時も2番線を使用するため、上り通過列車と交換する下り直江津方面の列車は1番線を使用する。
上越妙高駅
2015年3月に予定されている北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間延伸開業に合わせ、現在の脇野田駅西側120mの大和五丁目地内で上越妙高駅の建設工事が進められている。
新駅舎は2014年10月上旬に竣工する予定で、それに伴い信越本線を新駅へ移設した上で現駅の施設を廃止し、在来線新駅は新幹線開通までの間「脇野田駅」として引き続きJR東日本新潟支社が管理した後、新幹線開通と同時に駅名を「上越妙高駅」に改称し、新幹線駅は引き続き同支社が管理する。なお当駅はJR東日本と西日本旅客鉄道(JR西日本)の管理境界となる(詳細は後述)。一方の在来線駅は並行在来線として経営分離されるのに伴い、県と沿線自治体などが出資する第三セクターのえちごトキめき鉄道へ移管し、妙高高原駅 - 直江津駅間の路線名称は「妙高はねうまライン」に改称される。
信越本線の新線への切り替え工事は同年10月18日夜から翌10月19日早朝の間に実施し[3]、同日の始発から在来線新駅の営業を開始する予定で、前述のとおり新幹線開通までの間は引き続き「脇野田駅」として営業する[1]。また上越市は移設に合わせ、駅舎2階の改札口に面して設けられる東西自由通路「脇野田通り」と、西口駅前広場の供用を同日から開始する[2]。移設完了時点では東口側の駅前広場は未整備だが、現駅舎を含む旧線の施設を撤去した上で施工が進められる。この際、現駅舎付近の長谷川八郎顕彰碑や記念植樹は東口駅前広場内に移設・移植される。
なお北陸新幹線の延伸開業後はそれぞれ最速で、当駅 - 東京駅間が1時間48分、当駅 - 金沢駅間が48分で結ばれる[4]。
駅舎・線路移設に至るまで
在来線移設工事の着工前、北陸新幹線と信越本線は脇野田駅の南側約300mの地点で約20度の角度で交差していた。だが新幹線の建設計画では駅の設置箇所が交点の北西約200mの地点に定められ、且つ脇野田駅周辺の空間が非常に狭小であることから、乗り換えの動線をはじめとする駅の利便性確保の面で問題が生じた。そのため上越市は駅周辺整備事業の一環として、在来線の線路を新幹線建設に合わせて移設する方針を決定し、新幹線駅西側に在来線駅を移設する基本設計(後述)も固まったものの、設計・施工をどこが担うのかが問題となった。
信越本線の長野駅 - 直江津駅間は新幹線開業の際、並行在来線としてJR東日本から経営分離され、新潟県内の妙高高原駅以北の区間は第三セクターのえちごトキめき鉄道へ移管する。こうした事情からJR東日本は自ら運営しない路線の移設工事を行うことに難色を示してきた。一方2010年(平成22年)上半期の時点で新潟県の第三セクターは当時まだ法人が設立されておらず、仮に設立した場合でも鉄道事業許可や工事の施工認可を得るには相当の期間が必要で[5]、移設工事そのものも工期に約2年を要することから新幹線開業に間に合わない恐れが出てきた。このため上越市は鉄道事業許可を得て自前で工事を行う方針を一時示したものの、在来線の運営主体ではないことなどから事業許可の取得は断念せざるを得なかった。加えて駅周辺整備事業地区の駅西口側で「釜蓋遺跡」が出土した影響もあって、周辺道路の整備を優先させるためにも信越本線の移設を早期に完了させる必要性が生じた。
そこで市は県とともに「JR東日本の施設変更として実施する方法が望ましい」として同年4月28日、同社による移設工事の実施を要望[6]。これに対しJR東日本は同年6月21日付で回答書を提出し「北陸新幹線の施工と並行在来線の経営分離に向けた関連工事のため、人材が不足している」とした上で「現状の信越本線の施設仕様で設計・施工する」「2004年に締結した周辺整備の基本協定書に基づき、事業費全額を上越市が負担する」「JRの技術陣を移設工事に振り向けるため、現状の鉄道施設には改良を加えず在姿のまま第三セクターへ譲渡する」「移設時期が経営分離直前となるため、移設後の旧線施設の撤去は第三セクターが実施する」との条件を付加した上でJR東日本が設計・施工を受諾する旨を伝達した[7]。これを受けて市では市議会で関連予算案の議決を経て、JRと移設についての協定を締結した。その後、旧施設撤去についても市が費用を負担する方針も決まり、2012年(平成24年)6月から移設工事に着工した。
在来線移設および駅舎構造について
上越市は2000年代半ば、駅周辺の新幹線と在来線双方の線形や構造等も含めた移設方法について、コンサルタント企業などに依頼して検討と設計を進めた結果、在来線を新幹線西側の地平部へ移設することとなった。メリットとして、新幹線と在来線の斜交が解消され相互間の乗り換え動線が明確になるほか、新幹線駅が上越市側にあたる東側を向き、且つ駅東側の土地利用に柔軟に対応できる点、駅前広場の整備箇所を3箇所から2箇所に削減でき、駅へのアプローチ方法が明確となる点などが挙げられる。
また駅付近の新幹線の高架部は当初1層構造で設計されていたが、計画を変更して嵩上げし、駅機能を中層階に設ける構造が可能となった。これに合わせて駅機能を新幹線と在来線の中間高に集中させ、新幹線駅舎をホーム下の高架構造、在来線駅舎を橋上構造として、それに並行して駅構内の乗り換え通路と駅東西を横断する自由通路が整備されることとなった[8]。
施工では駅南側に架かる矢代川橋梁付近から、駅北側の新潟県道85号上越高田インター線(都市計画道路中田原下箱井線)付近に至る区間に延長1781mの新線を設け、新幹線ホーム西側の地平部に在来線ホームを新設して機能を移転する。そして新線切り替え後に旧線区間の延長1695mを廃止して各施設を撤去した上で、現駅舎を含む駅東側の用地を東口駅前広場の整備に充当し、新幹線開業前の2015年2月中の竣工を予定している。
前述のとおり、東口側の新幹線駅舎3階に設けられる新幹線ホームは高架構造で、島式2面4線が設けられる。通過線は設けられないが、主本線となる内側の上下2線のホームは高速通過が可能な設計が用いられ、列車通過時の安全確保のため、列車とホームの間隔が4cm程度広く取られている。ホーム番号は東側から順に上りホームが11・12番線、下りホームが13・14番線となる予定である。西口側の在来線駅舎は橋上構造で、地平部の在来線ホームは島式1面2線が設けられ、東側から順に上りホームが1番線、下りホームが2番線となる予定である。
駅名称等について
- 新幹線駅名称決定の経緯
北陸新幹線の建設計画が発表された時点では、上越市に設置される駅の仮称は「上越駅」とされた。上越駅はJR東日本が管理するため、駅名の決定権は同社が有するが、所在地の上越市と妙高市、新潟県上越地域振興局の行政側と、上越商工会議所、公益社団法人上越観光コンベンション協会、一般社団法人妙高市観光協会の両市経済関係者などから成り、北陸新幹線開通に関連する各種施策の検討を進める組織として2011年(平成23年)4月に設立された「新幹線まちづくり推進上越広域連携会議」[9]は駅名等検討部会を設置し、地元行政側から提案する駅名に加え、駅舎東西の出入口と自由通路の名称について検討作業を進めることとなり、同年5月24日に第1回部会が開かれた。
同年7月15日から9月16日まで2か月間にわたり駅名の公募を実施した結果、全国から応募総数11,863通、3,150種類の名称案が寄せられた。集計の結果、仮称と同じ「上越」が最も多く、全体の12%を占める1,425通を集めた。次いで「妙高高田」が624通、以下「上越妙高」が423通、「妙高上越」が374通、「越後高田」が353通などであった。
この連携会議が主催する公式の駅名公募アンケートとは別に、上越市の市名に異論を唱える市民団体を母体に組織された「新幹線駅名を考える会」が2010年秋から上越・妙高両市の街頭等で36,371人を対象に、予め設けられた5つの選択肢と自由記載による方法で駅名に関する非公式のアンケートを実施した結果、「越後高田」が全体の29.6%を占める10,743件と最も多かった。同会では2011年9月、広域的な地域イメージや経済効果、観光振興などを総合的に検討した結果として上越市と連携会議に対し、アンケートで3番目に多い4,242件を集めた「妙高高田」を要望した。「高田」は駅所在地が旧高田市域に該当することに因むものである。
検討部会では、駅名に市名の「上越」を加えた場合には市域から離れた地域を経由する上越線や上越新幹線などと混同する恐れが生じる点や、隣接する妙高市に加え、地域のシンボルで観光面での認知度も高い妙高山を表す「妙高」を駅名に加えるべきか否かなどについて、通算10回にわたり駅名に関する部会を開いて慎重に検討し、また同年11月6日には市民意見交換会を実施するなど意見の集約を進めた。
2012年1月17日の第8回部会で、名称案は「上越」「『上越』の前後に何らかの言葉を付け加える」「妙高高田」の3案に絞り込まれた。しかし2月2日に開かれた第9回部会では、12人の委員のうち8人が「『上越』か『上越』を入れた駅名」、妙高市側の委員2人が「『妙高』を入れた駅名」、1人が「検討中」とした一方、前掲「考える会」会長の高倉康充委員が「我々はあくまで上越には反対する。この会で『妙高高田』が採用されない場合はJRに直接出向いて提言する」と強硬な姿勢を示したため議論は膠着し、最終案を決定する第9回部会では一案に絞るか、複数案を提案するかを含めて議論することになった[10]。
そして最終案をまとめるため開かれた2月14日の第9回部会では、高倉委員が「『上越』を入れずに『高田』を入れるべき」との主張を続けた一方、他の委員からは「『上越』は上越市周辺地域全体を示すもので、目的地として市名を入れるべき」「上越新幹線と紛らわしいが、逆にここが上越であることをアピールすべき」との意見もあり、結局駅名に「上越」を入れる基本方針が決まった。さらに「上越」に何らかの単語を加えるか否かについては前述の「妙高」の他、上杉謙信の生誕地であることに因む「謙信」などの案があったが、結局「妙高」を加える案で一本化された。しかし最終案では「上越」単独を推す意見と「妙高」を付加する意見との間でまとまらず、結局複数案を提案するとの結論に至り、「妙高」を付加する駅名案については「上越市に所在するため『上越』を先にし、隣接する妙高市と妙高山を表す『妙高』を後に置く『上越妙高』とする」との案で一致した。部会長の佐藤芳徳上越教育大学副学長は「ラグビーで言えばノーサイドというのがあるが、問題をいつまでも引きずらず、決まった駅名で地域が一丸となって盛り上げる形にしていただきたい」と総評を述べた[11]。
3月22日の第10回部会で「第1案『上越駅』、第2案『上越妙高駅』」と序列を付けた名称案の最終意見が決定し、4月10日の連携会議2012年度第1回総会において報告された。当日配布されたJR側への要望書の文案は部会の結論通りだったが、総会では当初から示していた「多数決での採択はしない」との方針を踏襲して最終的な議論が進められ、入村明妙高市長から「序列を付けず、2案を併記してもいいのではないか」と提案が出されたのを受け、連携会議会長の田中弘邦上越商工会議所会頭が「JRと交渉する際には幅を持たせて両論を併記した方がやりやすい」として出席者の同意を求めたうえで「序列を付けずに『上越駅』と『上越妙高駅』の2案を併記する」との最終報告が決議された[12]。連携会議ではこれを基に、同年5月29日にJR東日本新潟支社に[13]、さらに8月7日にはJR東日本本社に対し[14]駅名に関する要望書を提出した。一方「考える会」側は同日、JR東日本新潟支社に対し独自に「妙高高田駅」を要望する活動を行った[15]。
2013年6月7日、JR東日本とJR西日本は延伸開業区間内の3つの新駅の名称を発表し、このうち上越駅の名称は地元行政側が要望した2案のうち「妙高」を付加する案が採用され「上越妙高駅」に決定した[16]。JR東日本広報部は「上越は駅所在地の市名であり、妙高は知名度の高い観光地で、且つ隣接している市名。地元側から要望があった名称案でもあったので『上越妙高』に決定した」と理由を述べた[17]。
駅名決定に際し、田中会長は「仮称の駅と正式駅名では与えるインパクトが違う。新幹線開業への臨場感が高まり、特に観光業界はPR強化の絶好機だ。駅名決定を取り組みの推進力としたい」、村山秀幸上越市長は「よかった。100年先も愛されるよう、地元と訪れた人が一緒になって大事にしていきたい。(『妙高』が付いたことに関しては)地域が一体となってPRできる」、入村妙高市長もコメントで「全国的に通用する『妙高』が入ったことは大変喜ばしい。観光面での広域連携がますます必要となる」と、いずれも歓迎の意向を示した。一方、高倉委員は記者会見を開き「市民の声がJRに届かず残念」としながら「『妙高』が名称に反映されたことは、運動の影響があったのかと思っている」と述べた[18]。その後、新幹線駅舎では同年9月から11月上旬にかけ、東西の壁面に駅名板を設置する工事が行われた。
- 在来線駅名称決定の経緯
一方、えちごトキめき鉄道は新幹線駅の名称が決定したのを受け、運営継承後の在来線駅の名称の検討を進め、同社の嶋津忠裕社長は同年9月6日に開かれた地元住民との意見交換会で「新幹線と在来線の駅名が同一でないと利用者の混乱を招く」と述べた上で、駅名を同一にする考えを示した[19]。同社はその後検討を経て同年10月31日、在来線駅の名称を新幹線駅と同一の「上越妙高駅」とする旨を発表した[20]。
- 東口・西口・自由通路の名称決定の経緯
駅名等検討部会では2013年夏、上越市在住者を対象に、駅舎の東口と西口、自由通路の名称案の公募を実施した。その結果、東口には仮称の「東口」のほかに「上越口」「高田口」「高田公園口」「脇野田口」など9種類、西口には仮称の「西口」のほかに「妙高口」「妙高山口」「妙高高原・西口」など7種類、自由通路には「謙信通り」「釜蓋遺跡通り」「さくら通り」「レルヒ通り」「脇野田通り」など13種類の候補が寄せられた[21]。部会ではこれを基に選考を進め、在来線の駅名が決定したのを受けて開催された同年11月8日の第16回部会において、東口・西口はそれぞれ仮称のまま「東口」「西口」、自由通路は「脇野田通り」とする案をまとめ、市に答申した[22]。東西口名は括弧書きで地名を入れるなどの意見もあったが、来訪者の利便性に配慮して方角の名称に集約し「看板表記などで地名や行き先などに工夫を加える」という付帯意見を添える方針が採用された。また自由通路名については駅移設に伴い廃止される脇野田駅の名を残したいとの意見が大勢を占めた。
なお検討部会は駅名、東西口および自由通路の名称に関し、同日まで開いた合計16回の部会を経て、全ての活動を終了した。
管理境界について
前述のように、新幹線開業後の当駅はJR東日本とJR西日本の管理境界となり、駅管理はJR東日本新潟支社が行う。しかし列車の乗務担当に関しては、全列車が停車するホーム構造の長野駅で両社の運転士と車掌が乗務交代する方式で運行するのが効率的との判断から、東京駅 - 長野駅間については従来通りJR東日本が、延伸開業する長野駅 - 金沢駅間についてはJR東日本の管理区間も含めてJR西日本が担当するとの運行計画について、2013年6月に両社が合意した旨が明らかになっている[23][24]。
利用状況
近年の推移は下記のとおり。
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 1日平均人数 |
2000 | 145 |
2001 | 146 |
2002 | 137 |
2003 | 131 |
2004 | 129 |
2005 | 135 |
2006 | 135 |
2007 | 136 |
2008 | 128 |
2009 | 116 |
2010 | 119 |
2011 | 122 |
2012 | 121 |
2013 | 139 |
駅周辺
上越市高田地区の南側に立地し、南側約1.5kmには妙高市との市境がある。駅周辺はかつて国道18号(現在の上越大通り)の沿道を中心に住宅や商店、工場が所在する程度で、その外郭部の多くは水田であったが、1970年代以降は市内中心部のベッドタウンとして徐々に宅地化が進捗し、さらに新幹線の建設着工以降は都市基盤の整備が進捗している。
東口側(現駅舎周辺)
- 新潟県道362号後谷黒田脇野田停車場線
- 新潟県道579号上越脇野田新井線(上越大通り)
- 上越大和郵便局
- 大和神社
- 願清寺
西口側
- 釜蓋遺跡
- 西口から約200m。2005年(平成17年)、新駅周辺の土地区画整理事業の試掘調査で出土した。
- 上越市今泉スポーツ広場
- 新潟県立上越特別支援学校
歴史
- 1918年(大正7年)11月1日 - 脇野田信号場として開設。
- 1921年(大正10年)8月15日 - 駅に昇格。脇野田駅が開業。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR東日本の駅となる。
- 今後の予定
- 2014年(平成26年)10月19日 - 新駅舎のうち在来線駅舎および東西自由通路「脇野田通り」の供用開始予定。
- 2015年(平成27年)3月 - 北陸新幹線・長野駅 - 金沢駅間開通および信越本線のえちごトキめき鉄道への移管に伴い、駅名称を上越妙高駅に改称予定。
駅スタンプ
- 『銀河と夜景 南葉高原キャンプ場』(シヤチハタ式)
隣の駅
- 東日本旅客鉄道
- テンプレート:Color信越本線
- テンプレート:Color快速「妙高」
- 通過
- テンプレート:Color快速「くびき野」(下り1号を除き停車)・テンプレート:Color普通
- テンプレート:Color快速「妙高」
脚注
- ↑ 1.0 1.1 脇野田駅新駅舎が10月19日に使用開始となります - JR東日本新潟支社(2014年6月30日付プレスリリース)同日閲覧
- ↑ 2.0 2.1 新しい脇野田駅の使用開始と併せ上越妙高駅の自由通路などの暫定供用を10月19日より開始 - 上越市ホームページ(2014年6月30日掲載)同年7月1日閲覧
- ↑ 脇野田駅付近の線路切換工事に伴う列車の運休及びバス代行輸送の実施について - JR東日本新潟支社(2014年6月30日付プレスリリース)同年7月5日閲覧
- ↑ 北陸新幹線全体の概要 - 上越市ホームページ(2014年3月5日更新)同年6月24日閲覧。所要時間は、国土交通省交通政策審議会陸上交通分科会鉄道部会整備新幹線小委員会・第4回(2012年2月27日)資料での試算によるもの。
- ↑ 県の第三セクター、新潟県並行在来線株式会社は2010年(平成22年)11月22日に設立され、2012年(平成24年)4月1日付で現在の商号「えちごトキめき鉄道株式会社」に改称した。
- ↑ 要望書 信越本線(脇野田駅)移設事業について - 上越タウンジャーナル
- ↑ 信越本線(脇野田駅)移設事業に係る弊社へのご要望に対する回答 - 上越タウンジャーナル
- ↑ 新幹線駅設置における利便性を図った信越本線移設計画 - 季刊「Consultant」233号・2006年10月(一社法 建設コンサルタンツ協会)2014年6月5日閲覧
- ↑ 同会議は両市のほかに柏崎市、十日町市、佐渡市の3市の行政・経済関係者も参画しており、計5市による連携PRプロジェクトが進められている。
- ↑ 新幹線駅名「上越」「妙高高田」で議論こう着 - 上越タウンジャーナル(2012年2月2日付)2014年7月5日閲覧
- ↑ 第9回駅名等検討部会 会議録 - 新幹線まちづくり推進上越広域連携会議(2013年3月13日更新)2014年7月2日閲覧
- ↑ 北陸新幹線上越新駅名 一転2案並列で要望へ - 上越タウンジャーナル(2012年4月10日付)2014年7月7日閲覧
- ↑ JR東日本新潟支社に北陸新幹線上越(仮称)駅の名称案を要望しました - 新幹線まちづくり推進上越広域連携会議(2012年5月31日更新)2014年7月7日閲覧
- ↑ JR東日本本社に北陸新幹線上越(仮称)駅の名称案を要望しました - 新幹線まちづくり推進上越広域連携会議(2012年8月7日更新)2014年7月7日閲覧
- ↑ 新駅名を「妙高高田」に 考える会がJRに要望 - 上越タウンジャーナル(2013年8月7日付)2014年7月18日閲覧
- ↑ テンプレート:Cite web - 東日本旅客鉄道
- ↑ 新幹線駅名は「上越妙高駅」 - 上越タイムス(2013年6月7日付)2014年7月18日閲覧
- ↑ 「上越妙高駅」に両市長“歓迎” - 上越タイムス(2013年6月7日付)2014年7月18日閲覧
- ↑ 並行在来線駅名 脇野田駅から上越妙高駅への変更を提案 - 上越タウンジャーナル(2013年9月7日付)2014年7月18日閲覧
- ↑ えちごトキめき鉄道だより 第6号(2014年1月) - 新潟県 2014年6月5日閲覧
- ↑ 東口・西口・自由通路名称案一覧 - 新幹線まちづくり推進上越広域連携会議
- ↑ 自由通路名は「脇野田通り」に - 上越タイムス(2013年11月9日)2014年6月5日閲覧
- ↑ 長野駅で乗務員交代 全列車が停車 北陸新幹線 - 信濃毎日新聞 2013年6月17日
- ↑ 同 - 47NEWS(2013年6月17日)2014年6月16日閲覧
関連項目
外部リンク
- 脇野田駅 - JR東日本
- ようこそ。越五の国へ。 - 新幹線まちづくり推進上越広域連携会議
- 新幹線・交通政策課(新幹線まちづくり推進室) - 上越市ホームページ