アカデミー賞
テンプレート:Infobox Award アカデミー賞(アカデミーしょう、Academy Awards)は、アメリカ映画の健全な発展を目的に、キャスト、スタッフを表彰し、その労と成果を讃えるための映画賞。アカデミー・アウォーズとも呼ばれる。
アカデミー賞は授賞式前年の1年間にアメリカ国内の特定地域で公開された作品を対象に選考され、また映画産業全般に関連した業績に対して授与される。
前年の作品が対象となるため(第7回から)、2012年に開催されたアカデミー賞を2011年度などと表示することが慣例である。第1回アカデミー賞は、1927年から1928年7月31日までに公開された映画がノミネート対象となっている。なお、テレビ中継はアメリカの放送局、ABCで放送され、日本ではWOWOWで放送される。
目次
概要
「アメリカ映画の祭典」という冠詞を付けられることが多い事からも分かるとおり、基本はアメリカ映画を対象とした映画賞であり、作品の選考対象も「1年以内にロサンゼルス地区で上映された作品(詳細は後述)」と比較的狭義である。
しかし、その知名度と世界三大映画祭よりも古い歴史を持つ権威ある賞であるため、マーケットへの影響力は国際映画祭の各賞以上に大きく、受賞結果が各国の興行成績に多大な影響を与える。このため各国のマスコミは「映画界最高の栄誉」と報道することが多い。
受賞すると、賞の名称を刻印したオスカー像と呼ばれる金メッキの人型の彫像が贈られ、賞金の類は一切付与されない。
毎年11月に予備選考が行われ、翌年の1月にノミネートが発表される。その後、映画芸術科学アカデミー会員の投票が行われ、2月の最終日曜もしくは3月の第一日曜に授賞式が行われる。第85回の開催は2013年2月24日、日曜日である。
アメリカでは非常に注目度の高いイベントの一つであり、第85回のテレビ中継の視聴者数は4030万人である[1]。スーパーボウルなどNFLの一部の試合中継に次いで、アメリカで最も視聴者数の多いコンテンツの一つになっている。
沿革
もともとアカデミー賞の授賞式は1929年に設立された「映画芸術科学アカデミー」の夕食会の一環として始まった。第1回は1929年5月16日にロサンゼルスにあるルーズベルトホテルで行われた夕食会の際に舞台上で、3カ月前に授賞を通知しておいた受賞者を招待して賞を贈与した。当初はオスカー像ではなく、同様のデザインを施した楯が贈られた。
第1回授賞式で、『第七天国』で女優賞を受賞したジャネット・ゲイナーによれば、「これからも互いにいい仕事をして頑張りましょうという程度の、ちょっとした内輪の集まりだったのよ」と当時の様子を振り返っているとおり、授賞式は5分程度で簡単に済まされていた。
第2回から地元ラジオ局により実況が開始され、第17回から全国放送となった。エンタテインメント色が色濃くなったのは、第二次世界大戦で前線にいた兵士達の耳を喜ばせるためだったという。
テレビ中継が開始されたのは第25回の授賞式から。中継を担当したのはNBCであった。当時の視聴率はNBC開局以来の高記録であった。現在はABCが中継している。
授賞式会場は、2回目以降はアンバサダー・ホテルやビルトモア・ホテルが使用され、晩餐会形式で執り行われた。回を増すごとにスケールが拡大していき、やがて収容人数の多い映画館で行われるようになった。第74回からは現行のドルビー・シアター(旧コダック・シアター)で行われている。ドルビー・シアターとは10年の契約であり、現在のアカデミー会員数はすでに収容人数の5800人を超えているため、手狭になるのも時間の問題であるといわれている。
名称
「Academy Awards」は日本[2]・アメリカ合衆国[3]テンプレート:要出典範囲において商標登録されているため、これらの国では当該商標権を侵害する形での無断使用はできない。逆に日本語表記の「アカデミー賞」は商標登録されておらず、「日本アカデミー賞」や「レコード・アカデミー大賞」など各方面で「アカデミー賞」の語が用いられている。ゆえに日本語表記の「アカデミー賞」に、登録商標を示すとされる®(丸アール)マークをつけるのは誤りである。
また、この他にも料理や建築、文学や美術などさまざまな映画以外の賞においても、「○○界のアカデミー賞」という具合に、アカデミー賞はその権威の高さを表す冠詞として扱われている。
選考
選考はアメリカの映画産業従事者の団体、映画芸術科学アカデミー(AMPAS)の会員の無記名投票が行われ、所定の賞を授与される。
基準
アカデミー賞は、原則として前年の1年間にノミネート条件(ロサンゼルス郡内の映画館で連続7日以上の期間、有料で公開された40分以上の長さの作品で、劇場公開以前にテレビ放送、ネット配信、ビデオ発売などで公開されている作品を除く、など)を満たした映画作品について扱われる。
なお「劇場公開以前にテレビ放送などで公開されていない」という基準については、かつて『Shall we ダンス?』が米国内での公開前に日本国内で日本テレビ系列でテレビ放映されたことが原因でノミネート対象から外されたことがある[4]など、基準が曖昧な時期があったが、現在は米国外ですでに公開されている映画については「映画が最初に公開されてから90日間、劇場公開以外の方法で公開されていない」「ロサンゼルスでの劇場公開の前に米国内で劇場公開以外の方法で公開されていない」の2条件を満たすことが要件とされている[5]。
また長編アニメ賞、外国語映画賞、ドキュメンタリー映画賞など、賞によっては独自のノミネート条件を設けているものがある。詳細はそれぞれの賞の記事を参照のこと。
選出
投票権を持つ映画芸術科学アカデミー会員は、大部分がハリウッドの業界関係者による編成であり、新聞記者や映画評論家など公平な立場で判断できる分野の会員が少ないのが特徴。各賞の投票についても、例えば「アカデミー監督賞」であればハリウッドで働く映画監督の会員がノミネート作品選定に投票するなど、賞に応じた業務に携わる会員が担当する(もっとも、作品賞のノミネートおよび各賞ノミネート発表後の本選の投票は全会員が行うことができるので、最終的には各部門に携わる者以外の意向が結果に反映される)。
情報管理
最終投票は授賞式の一週間弱前に締め切られ集計されるが、結果は厳重に封印されて、大手会計事務所のプライスウォーターハウスクーパースの金庫に保管され、結果書類は当日、事務所の職員2人が授賞式会場に直接持ち込む。(生中継では、会場に入っていく会計事務所の職員が映されることもある。)賞の授与担当プレゼンターがステージで開封するまでは、外部へは一切知らされない。
受賞結果について、当初は報道の関係上マスコミには事前通達してあったが、1939年に『風と共に去りぬ』が作品賞を受賞した際に、一部新聞が主宰者との協定を破って前日に抜け駆け報道をしたため、翌年より前記会計事務所の管理するシステムとなり、今日に至る。
特色と現状
アカデミー賞はハリウッドの映画関係者が選考を行うことから、各賞の選出については、アメリカの国情や世相などが色濃く反映され、必ずしも芸術性や作品の完成度の高さでは選ばれない。例えばカンヌ国際映画祭などの著名な国際映画祭で大賞を受賞した作品が、アカデミー賞ではノミネートもされないことが多いのは有名。ゆえに、どうしても選出作品の足並みが揃ってしまう他の国際映画祭では見られない、独特の傾向と盛り上がりを見せる映画賞である。
授賞式
式典
授賞式は毎年2月の最終もしくは3月の第1日曜日にハリウッドのドルビー・シアターで行われる。会場前を通るハリウッド大通りは、ドルビーシアターを中心に東はカフエンガ通りから西はラ・ブレア通りまで、東西計1マイル(1.6km)程度にわたり、授賞式当日午前からほぼ1日中、招待状を持つ関係者およびロサンゼルス市警察関係以外の車両は一切通行止めとなる。特に会場へ到着するリムジンなどの下車場所となる東側のハイランド通りとの交差点付近からシアター前までの通路は赤い絨毯で装飾されるため、一般に「レッドカーペット」とも呼ばれている。
出席は招待客のみで、チケットの販売は行われておらず、それ以外の客は出席できないので、15時頃までであれば、先述のハイランド通りとの交差点東側まで近寄ることはできるが、交差点手前50m程度の位置で警察官によるセキュリティチェックが行われ、ナイフなど不審物を持つ者は通過が許されない。また交差点付近各方向10m程度の幅はフェンスに設置された黒幕で覆われており、レッドカーペット付近を最短距離で直接見ることは難しい。なお15時以降からは招待客の到着が活発化するため、それ以上の交差点以降の立ち入り自体を一切禁止する。
主演男女・助演男女の各賞のプレゼンター(賞の授与者)は、基本的に前年度の受賞者が反対の性の賞(前年の主演男優賞受賞者が翌年の主演女優賞)に対して行うことが慣例となっている。支払われるギャランティはなく、あくまでも無償奉仕である。
第66回のクリント・イーストウッド、第67回のスティーヴン・スピルバーグ、第68回のロバート・ゼメキス、第69回のメル・ギブソン、第80回のマーティン・スコセッシのように、近年は監督賞プレゼンターを前年度の受賞者が担当している。
受賞スピーチ
スピーチは45秒以内と制限されている。これは、第15回に主演女優賞を受賞したグリア・ガースンが自分の生い立ちまで話し始めてしまい、実に5分半もスピーチしたためである。以来、時間制限が導入されているが、第73回のジュリア・ロバーツは4分以上、第74回のハル・ベリーは約5分と、感激のあまり制限を無視する人もいる[6]。
賞品
受賞者には受賞名が刻印されたオスカー像が贈られる。賞金や副賞は一切無く、あくまでも名誉のみが与えられる賞である。但しアカデミー賞効果で受賞作がヒットしロイヤリティ収入が増える、次回作での出演料が増える、といった形で結果的に受賞者の収入に影響が出る場合が多い。
逆にノミネートされただけで賞を逃した人物には残念賞として、日本でいうところの福袋のようなものが与えられる。袋の中身は服飾品や旅行券、あるいは洗剤やシロップなど、その年によって異なる雑多な物品が入っており、その総額は数万ドル相当にも及ぶ。
エピソード
- 平均的な授賞式の時間は約3時間半。最長記録は第72回の4時間3分。
- 授賞式の延期
- 第10回の授賞式で、舞台公演中だったために式典を欠席していたアリス・ブラディが助演女優賞を獲得した際、“代理人”と称する男性が壇上に上がりオスカー像を受け取ったが、この男性はブラディとは無関係で、そのまま像を持ち去ってしまったという。
- 第46回(1974年度)授賞式の最中、全裸の男が壇上に乱入し、生放送が一時中断されるというハプニングが発生。司会のデヴィッド・ニーヴンが場を取り成したが、2002年の授賞式で主演男優賞に選ばれたエイドリアン・ブロディが、同賞プレゼンターのハル・ベリーと熱烈なキスをする場面が放送されたこと、あるいは2004年2月に第38回スーパーボウルにおいてジャネット・ジャクソンが生放送で歌っている最中に胸を露出する[7]といった不祥事があったため、2005年の中継からは5秒遅らせて放送されている。
種類
賞はいくつかの部門に分かれている。
部門
- 作品賞 (Academy Award for best motion picture of the year, 1928 - )
- 初期はドラマ部門、喜劇部門など、現在のゴールデングローブ賞のように、内容によって分かれていた。当初はノミネートが10作品選出されたが、第17回(1944年)から5本選考となり、第82回からは再び10作品選考となる。
- 監督賞 (Academy Award for Achievement in cinematic direction, 1928 - )
- 主演男優賞 (Academy Award for Performance by an actor in a leading role, 1928 - )
- 主演女優賞 (Academy Award for Performance by an actress in a leading role, 1928 - )
- 美術賞 (Academy Award for Best Production Design, 1928 - )
- 撮影賞 (Academy Award for Best Cinematography, 1928 - )
- 脚色賞 (Academy Award for Writing Adapted Screenplay, 1928 - )
- 録音賞 (Academy Award for Sound Mixing, 1930 - )
- 短編アニメ賞 (Academy Award for Animated Short Film, 1931 - )
- 歌曲賞 (Academy Award for Best Original Song, 1934 - )
- 作曲賞 (Academy Award for Original Music Score, 1934 - )
- 編集賞 (Academy Award for Film Editing, 1935 - )
- 助演男優賞 (Academy Award for Best Supporting Actor, 1936 - )
- 助演女優賞 (Academy Award for Best Supporting Actress, 1936 - )
- 視覚効果賞 (Academy Award for Visual Effects, 1939 - )
- 脚本賞 (Academy Award for Writing Original Screenplay, 1940 - )
- 外国語映画賞 (Academy Award for Best Foreign Language Film, 1947 - )
- 衣裳デザイン賞 (Academy Award for Costume Design, 1948 - )
- 音響編集賞 (Academy Award for Sound Editing, 1963 - )
- 短編映画賞 (Academy Award for Best Live Action Short Film, 1974 - )
- 長編ドキュメンタリー映画賞 (Academy Award for Best Documentary Feature, 1980 - )
- 短編ドキュメンタリー映画賞 (Academy Award for Best Documentary Short Subject, 1980 - )
- メイクアップ&ヘアスタイリング賞 (Academy Award for Best Makeup and Hairstyling, 1981 - )
- 長編アニメ賞 (Academy Award for Best Animated Feature, 2001 - )
撮影賞・美術賞(当時の呼称は室内装置賞)・衣裳デザイン賞はカラーと白黒で部門分けされていた時期がある。第30回(1957年度)に一本化されたが、撮影賞は第31回(1958年度)に、美術賞と衣裳デザイン賞は第32回(1959年度)に二分化された。第40回(1967年度)から全てが一本化された。
特別賞
本賞以外に、『表彰に値する顕著な功績のあった者』に対して贈与される賞全般を指す。毎年必ず選出されるわけではなく、該当者が存在する場合に設定されている。これらの賞には定まった賞の名称はなく、単に「特別賞」として贈与されるものや、「名誉賞」の名称で贈与されるものもある。なお、特定の条件を満たした者は、特別賞枠内に設定された下記のような特定の賞が贈与される。
- 映画業界に顕著な功績のあったプロデューサーに対して贈られる賞
- 長年にわたり映画業界全体の発展に顕著な功績のあった人物に対して贈られる賞
- 映画業界に技術面で顕著な功績のあった技術者に対して贈られる賞
最近では、アメリカのスタントマンが在籍している団体が、スタントマン部門賞を設立してほしいという嘆願を出している。
英語以外の映画の扱い
アカデミー賞は「米映画の祭典」と銘打ってはいるものの、前記ノミネート条件を満たしていれば、英語音声以外で公開される映画(アメリカ以外の国で製作された映画を含む)であっても作品賞を含む本賞にノミネートされたり、あるいは受賞したりということは可能である。(但し実際には、ハリウッドの関係者が選出するというシステム上、純粋な外国映画はノミネートはされても受賞に至ったことは少ない。)
前記ノミネート条件を満たしていないアメリカ国外制作の非英語作品の場合は、各国の映画産業が映画芸術科学アカデミーに推薦する形で「外国語映画賞」にエントリーされる。
「外国語映画賞」の第1回は、1946年の第19回で「特別賞」に選出されたイタリア映画の『靴みがき』。もっとも、この時点で「外国語映画賞」という賞は存在せず、前述の「特別賞」の一つという扱いであった。ちなみに『靴みがき』の選出理由は、「敗戦国であるイタリアが、創造精神を駆使して、敗戦の逆境を跳ね返す作品を作り出したこと」であった。
翌年の1947年に「この年にアメリカ国内で公開された、最も優れた外国語映画」という理由付けで、フランス映画『聖バンサン』が選出され、外国語映画賞の母体的な選考理由がここに初めて誕生、以後同選考基準によって、米国内で公開された優れた外国語映画が1本、選出されるようになる。
「外国語映画賞」という正式な賞として、これまでの特別賞から独立したのは1956年(同年の受賞作はイタリア映画『道』)からで、同年から各国推薦の作品を5本厳選してノミネートし、うち1本に賞を授与するという、現在のスタイルが完成した。
一方、アニメーション作品など特定ジャンルの作品は、当該ジャンルの規定に沿った賞の対象となる(アニメーション作品で長編のものなど)が、作品賞を含む他の各賞の条件も満たしていればそれら各賞の選考対象にもなりうる。
日本との関係
- 1936年(第9回) - 『巨星ジーグフェルド』の今津やすへい(エディ今津)が美術賞にノミネート。
- 1951年(第24回) - 『羅生門』(黒澤明監督作)が名誉賞を受賞。
- 1952年(第25回) - 当時映画雑誌の編集長を務めていた淀川長治が日本人として初めて授賞式に正式に招待される。『羅生門』で松山崇が美術賞にノミネート。
- 1954年(第27回) - 『地獄門』(衣笠貞之助監督作)が名誉賞、同作で衣装デザインを担当した和田三造が衣装デザイン賞をそれぞれ受賞。
- 1955年(第28回) - 『宮本武蔵』(稲垣浩監督作)が名誉賞を受賞。『雨月物語』で甲斐荘楠音が衣装デザイン賞にノミネート。
- 1956年(第29回) - 『七人の侍』(黒澤明監督作)で江崎孝坪が衣装賞、松山崇が美術賞にそれぞれノミネート。
- 1957年(第30回) - ナンシー梅木が映画『サヨナラ』で助演女優賞を受賞。助演男優賞には『戦場にかける橋』で早川雪洲がノミネート。外国語映画賞でも『ビルマの竪琴』(市川崑監督作)がノミネート。美術賞でも『十戒』のアルバート野崎がノミネート。
- 1961年(第34回) - 『永遠の人』(木下惠介監督作)が外国語映画賞にノミネート。また、村木与四郎も『用心棒』で衣装デザイン賞にノミネート。
- 1963年(第36回) - 『古都』(中村登監督作)が外国語映画賞にノミネート。
- 1964年(第37回) - 『砂の女』(勅使河原宏監督作)が外国語映画賞にノミネート。
- 1965年(第38回) - 勅使河原宏が『砂の女』で監督賞にノミネート。また、『怪談』(小林正樹監督作)が外国語映画賞にノミネート。
- 1966年(第39回) - マコ岩松が『砲艦サンパブロ』で助演男優賞にノミネート。また、黛敏郎が『天地創造』で作曲賞にノミネート。
- 1967年(第40回) - 『智恵子抄』(中村登監督作)が外国語映画賞にノミネート。
- 1970年(第43回) - 『トラ・トラ・トラ!』で佐藤昌道と姫田真左久と古谷伸が撮影賞に、井上親弥が編集賞に、村木与四郎と川島泰造が美術賞にそれぞれノミネート。
- 1971年(第44回) - 『どですかでん』(黒澤明監督作)が外国語映画賞にノミネート。
- 1972年(第45回) - キヤノンの向井二郎、広瀬隆昌が映画用マクロズームレンズの開発により科学技術賞を受賞。
- 1975年(第48回) - 黒澤明監督作品の『デルス・ウザーラ』がソ連代表として、外国語映画賞を受賞。日本からの出品作『サンダカン八番娼館・望郷』(熊井啓監督作)も候補になる。また、キヤノンの鈴川博が科学技術賞を受賞。
- 1980年(第53回) - 『影武者』(黒澤明監督作)が外国語映画賞と美術賞(村木与四郎)にノミネート。
- 1981年(第54回) - 『泥の河』(小栗康平監督作)が外国語映画賞にノミネート。また、映画用高感度カラーネガフィルムの開発により富士写真フイルム(現在の富士フイルムホールディングス)が科学技術賞を受賞。
- 1985年(第58回) - 『乱』が全4部門で候補になり、その内のワダ・エミが衣装デザイン賞を受賞。その他、黒澤明が監督賞に、斎藤孝雄と上田正治と中井朝一が撮影賞に、村木与四郎と村木忍が美術賞にそれぞれノミネート。
- 1987年(第60回) - 坂本龍一が『ラストエンペラー』で作曲賞を受賞(共同)。
- 1989年(第62回) - 黒澤明が名誉賞を受賞。
- 1991年(第64回) - 石岡瑛子が『ドラキュラ』で衣装デザイン賞を受賞。
- 1998年(第71回) - 伊比恵子が短編ドキュメンタリー映画賞を受賞。
- 2002年(第75回) - 宮崎駿のアニメ映画『千と千尋の神隠し』が長編アニメ賞を受賞。また、短編アニメ賞には山村浩二の『頭山』がノミネート。
- 2003年(第76回) - 渡辺謙が『ラストサムライ』で助演男優賞にノミネート。また、『たそがれ清兵衛』(山田洋次監督作)が外国語映画賞にノミネート。
- 2004年(第77回) - 宮城島卓夫がゴードン・E・ソーヤー賞を受賞。
- 2005年(第78回) - 宮崎駿のアニメ映画『ハウルの動く城』が長編アニメ賞にノミネート。
- 2006年(第79回) - 菊地凛子が『バベル』で助演女優賞にノミネート。また、メイクアップアーティストの辻一弘も『もしも昨日が選べたら』でメイクアップ賞にノミネート。アメリカ映画ではあるが、日本側の視点で硫黄島の戦いを描いた『硫黄島からの手紙』が作品賞含め4部門にノミネート。日本語による作品が外国語映画賞ではなく作品賞候補になったのは史上初。
- 2007年(第80回) - 流体シミュレーション・システムの開発により坂口亮が科学技術賞を受賞(共同)。メイクアップアーティストの辻一弘が『マッド・ファット・ワイフ』でメイクアップ賞に2年連続でノミネート。また、浅野忠信主演のカザフスタン映画『モンゴル』が外国語映画賞にノミネート。
- 2008年(第81回) - 『おくりびと』(滝田洋二郎監督作)が外国語映画賞を受賞(外国語映画賞が独立した賞となってからの日本映画の受賞は史上初)。また加藤久仁生のアニメ映画『つみきのいえ』が短編アニメーション賞を受賞。日本の作品のダブル受賞は実に54年ぶりの快挙。
- 2012年(第85回) - 石岡瑛子が『白雪姫と鏡の女王』で21年ぶり2度目の衣装デザイン賞にノミネート。ノミネート時点で石岡は既に亡くなっていた。
- 2013年(第86回) - 宮崎駿のアニメ映画『風立ちぬ』が長編アニメ賞にノミネート。また、森田修平のアニメ映画『九十九』が短編アニメ賞にノミネート。また、日本人の芸術家夫婦を描いた『キューティー&ボクサー』が長編ドキュメンタリー映画賞にノミネートされた。
関連項目
- 映画芸術科学アカデミー
- オスカー像
- ウルフギャング・パック
- ビリー・クリスタル
- ハリウッド
- 映画の賞
- 日本アカデミー賞
- 英国アカデミー賞
- 台湾の金馬奨(金馬賞)
- ゴールデンラズベリー賞(ラジー賞)
- セザール賞(フランス版アカデミー賞)
- アカデミー
- ドルビー・シアター
- ザテレビジョンドラマアカデミー賞(日本のテレビドラマに関する賞)
脚注
外部リンク
- Academy of Motion Picture Arts and Sciences - 映画芸術科学アカデミー公式サイトテンプレート:En icon
- The Oscars - アカデミー賞授賞式公式サイトテンプレート:En icon
- Oscar Legacy - アカデミー賞各年の概要(公式サイト)テンプレート:En icon 2013年2月5日閲覧
- The Official Academy Awards Database - アカデミー賞公式データベーステンプレート:En icon
- Academy Awards - インターネット・ムービー・データベース テンプレート:En icon
- アカデミー賞 - allcinema ONLINE テンプレート:Ja icon
テンプレート:アカデミー賞史 テンプレート:アカデミー賞授賞式の司会者 テンプレート:Culture Award of US
- ↑ Oscars 2013: TV ratings rise with Seth MacFarlane as host Los Angeles Times 2013年2月26日閲覧。
- ↑ 登録商標 第2720595号及び第4198514号
- ↑ 米国登録商標 第1103859号 第1880473号 第1956313号 及び第2245965号
- ↑ 『「Shall we ダンス?」アメリカを行く』(周防正行著、太田出版、1998年)pp.411 - 412
- ↑ 80th annual Academy Awards of merit・RULE THREE 'THE AWARDS YEAR and DEADLINES'
- ↑ ハル・ベリーは後に『キャットウーマン』でゴールデンラズベリー賞を受賞してしまった際、その授賞式でこのアカデミー賞の受賞スピーチのパロディーを演じて喝采を浴びた。
- ↑ ただし後に故意であったことが判明した。