中東
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中東(ちゅうとう、Middle East または Mideast)は、狭義の地域概念では、インド以西のアフガニスタンを除く西アジアとアフリカ北東部の総称。西ヨーロッパから見た文化の同一性や距離感によって、おおまかに定義される地政学あるいは国際政治学上の地理区分。
目次
日本における「中東」の概念
日本における中東の概念は、欧米とはやや異なり、イスラム教の戒律と慣習に基づく文化領域の概念として極めて広域に用いられることが一般的である。具体的には、北アフリカのエジプト以西のマグリブ地域(リビア、スーダンを含む)、またはソマリアなどを含めたり、西南アジアのパキスタンやアフガニスタン、場合によってはヨーロッパのキプロスや旧ソ連領の中央アジア諸国を含めたりする場合がある。その為、日本における中東の地域概念の広がりを厳密に定義することは困難である。
このような不確かな概念にも係わらず、日本で中東の概念が広く用いられているのは、広大な範囲に広がるイスラム教国の中から東南アジア・南アジア・ブラックアフリカなどイスラム以外の宗教と入り乱れてまとまった地域を形成している国々を除外し、逆にイスラム教国に取り囲まれているがイスラム教国ではないイスラエル・キプロスなどを組み込んだ地域を「イスラム」という言葉を用いずに表現するのにもっとも適当な概念だからであろう。特に地理的にはアフリカに属すが、政治的・文化的には西アジアのアラブ諸国と同じマシュリク(東アラブ)に属すエジプトを西アジアと一体の地域として扱うためには非常に便利な地域概念と思われる。
欧米諸国における「中東」の概念
中東は、19世紀以降にイギリスなどがインド以西の地域を植民地化するに当たって考え出された概念である。元来はイラン・アフガニスタンおよびその周辺を指す概念であり、現在の中東に含まれる地中海沿岸地域は、バルカン半島とともに近東と称されていた。しかし、中東と近東の概念を混同した中近東という概念の登場を経て、第二次世界大戦中にイギリス軍によってはじめて現在の中東の概念が使用されるようになった。
以降、欧米諸国では、「中東」はほぼアフガニスタンを除く西アジアとアフリカ北東部の国々を指す概念として用いられ、具体的には、アラブ首長国連邦(UAE)、イエメン、イスラエル、イラク、イラン、エジプト、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア、シリア、トルコ、バーレーン、ヨルダン、レバノンの諸国、及びパレスチナ自治政府の管轄地域がその概念の中に含まれている。
アメリカの中東戦略
冷戦崩壊以降、国際安全保障環境は民族・宗教対立の表面化、核拡散、国際秩序の地域分化などが顕著となった。アメリカは、産油国でありながらかつ紛争の絶えない中東への介入を拡大させ、湾岸戦争後はイラクに対する敵視政策を拡大してきた。2001年における4年ごとの国防見直し (QDR) においては中東から東アジアにかけての広い地域を不安定の弧と位置づけ、対アジア戦略の中枢に据えてきた。中でも中東は紛争の絶えない地域でありアメリカの世界戦略の軸とされてきた。
こうしたアメリカの中東への介入によりアルカーイダはアメリカに対する敵視・敵対・テロ活動を増大させ、2001年にアメリカ同時多発テロ事件が勃発、アメリカの富の象徴、ニューヨーク・マンハッタンの世界貿易センタービル(ワールド・トレード・センター)、並びにアメリカの国防機関の中枢、国防総省へのテロが発生し、時のジョージ・W・ブッシュ大統領は、このテロを「新しい戦争」と呼び、ますます中東への介入を強めた。
しかし、国際法上、テロに対する戦争が困難だったアメリカはテロ支援国家を攻撃することによりこれに対抗しようとした。その結果がアフガニスタンのターリバーン政権打倒であり、イラク戦争であった。イラク戦争をはじめとするアメリカの中東戦略は国連安保理の承認を経ずに自国とイギリスを中心とした有志連合によって攻撃をしたため、国際社会から批判された。
アフガニスタンに対してはアフガニスタン戦争でターリバーン政権を打倒し、国連安全保障理事会で採択したアフガニスタンの再建・復興プロセスに基づいて、暫定国会選挙、新憲法案の採択、憲法承認国民投票、正式国会選挙、大統領選挙と政府の樹立などの政治体制の変革を遂行し、2014年末中のアフガニスタンへの派遣軍の全軍撤退をめざしているが、タリバーンによるテロは収束せず治安回復や復興計画が進展していない[1]。
イラクに対してはイラク戦争フセイン政権を打倒し、国連安全保障理事会で採択したイラクの再建・復興プロセスに基づいて、暫定国会選挙、新憲法案の採択、憲法承認国民投票、正式国会選挙、国会による首相の選挙と政府の樹立などの政治体制の変革を遂行し、テロが完全に収束せずテロによる死傷者が発生している状況ではあるが、2011年末にイラクへの派遣軍を全軍撤退させた[2]。
日本との関係
20世紀前半の中東は欧米列強の侵略に悩まされた地域であり、日露戦争において日本が欧米列強の一員であるロシアに対して勝利した事は、中東諸国を含めたアジア諸国に大きな希望を抱かせた。植民地支配からの独立後、また中東戦争時に欧米諸国が一斉に人材や資本を引き上げた時に西側諸国として唯一、政府開発援助や国際協力機構を通じて国際協力を続けたため、親日感情を持つ者も多いという事実がある。日本にとっても豊かな産油国であるこれらの国との関係はエネルギー安全保障上において重要なパートナーであり、日本から東南アジア、インド洋、そして中東にかけて伸びる海洋交通路即ちシーレーンの防衛が課題となっている。
1970年代から1980年代にかけて新左翼系国際テロ組織の日本赤軍による活動拠点となり、多数の民間人が犠牲になったテルアビブ空港乱射事件や日航機ハイジャック事件などの舞台ともなった。 テンプレート:Main
アメリカ合衆国によるイラク戦争の開戦後は、日本もアメリカの同盟国としてイラク戦争の後方支援並びにイラク戦後復興支援に尽力している。日本のイラクへの自衛隊派遣に反対する人々は「アメリカの戦争への協力」、「アメリカのいいなり」、「イラク国民のためにならない」、「自衛隊の派遣は憲法違反」、「武装組織との戦闘によりイラク国民にも自衛隊にも死傷者が発生したらイラク国民の対日感情が悪化する」などの理由で批判し、論争になった。イラクでアメリカ軍やイギリス軍を攻撃した武装勢力は、イラクに派遣された日本の自衛隊に対しては攻撃せず、自衛隊はイラクの武装勢力との戦闘による死傷者は発生せず、自衛隊もイラク国民を死傷させなかった。イラクからの自衛隊の撤退後に、イラクの大統領、首相、外相、その他の閣僚や政府幹部、国会議員団が来日して、日本の首相や閣僚と会談した時に、日本がイラク戦争後のイラクの復興に協力したことに感謝を表明した[3][4][5][6][7][8][9][10]。
中東の国 - 首都の一覧
ここでは中東の国として、西アジア諸国・地域、及びに北アフリカのアラブ諸国(アラブ人が多数を占める国)を記載する。
伝統的中東
拡大中東
その他
このほかに、これらの国々も「中東」に含まれる場合もある。
国旗 |
国章 |
国名 |
正式国名 |
原語(公用語)表記 |
人口 |
面積 (km2) |
首都 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
テンプレート:Flagicon | 22x15px | エリトリア | エリトリア国 | ሃገረ ኤርትራ(アムハラ語) Hagere Ertra(ティグリニャ語) ادولة اإريتريا(アラビア語) |
テンプレート:Nts | テンプレート:Nts | アスマラ |
テンプレート:Flagicon | 22x15px | コモロ | コモロ連合 | Udzima wa Komori(コモロ語) Union des Comores(フランス語) الاتحاد القمر(アラビア語) |
テンプレート:Nts | テンプレート:Nts | モロニ |
テンプレート:Flagicon | 22x15px | ギリシャ[t 2] | ギリシャ共和国 | Ελληνική Δημοκρατία(ギリシア語) | テンプレート:Nts | テンプレート:Nts | アテネ |
また、旧ソ連の構成国家である、南コーカサス諸国および中央アジア諸国も「中東」に含む場合もある。
表註
- ↑ 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 G8により提案された拡大中東
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 ヨーロッパにも分類され得る
- ↑ 2013年現在、国際連合に加盟する193カ国中134カ国(69.4%)から「パレスチナ国(State of Palestine)」として国家承認されている。
- ↑ 2012年8月に暫定政権の統治が終了するまでは、「ソマリア共和国(Republic of Somalia)」を国名としていたが、全土を実効支配しておらず、公式国名と見なされていなかった。
- ↑ 2011年リビア内戦後のリビア国民評議会による暫定政権はロゴマークのみしか制定しておらず、正式な国章はまだ決まっていない。
脚注
関連項目
外部リンク
- 財団法人 中東協力センター
- 財団法人 中東調査会
- 財団法人 日本エネルギー経済研究所 中東研究所センター
- 日本中東学会
- ジェトロ・アジア経済研究所 中東・中央アジア
- PHP総合研究所中東・北アフリカ研究会
- ↑ 外務省>アフガニスタン・イスラム共和国>基礎データ
- ↑ 外務省>イラク共和国>基礎データ
- ↑ 外務省>イラク共和国>麻生総理とタラバーニー・イラク大統領との会談
- ↑ 外務省>イラク共和国>イラク副大統領と麻生外務大臣との会談について(概要)
- ↑ 外務省>イラク共和国>ハーシミー・イラク副大統領と中野経済産業副大臣及び宇野外務大臣政務官との会談
- ↑ 外務省>イラク共和国>マーリキー・イラク首相と麻生外務大臣との会談について(概要)
- ↑ 外務省>イラク共和国>野田総理大臣とマーリキー・イラク首相の会談
- ↑ 外務省>イラク共和国>ズィーバーリー・イラク外相による野田総理表敬
- ↑ 外務省>イラク共和国>シャハリスターニー・イラク石油大臣、ハリーリー同国産業鉱物資源大臣一行の中曽根外務大臣との会談
- ↑ 外務省>イラク共和国>イラク国会議員代表団による榛葉外務副大臣表敬
- ↑ この内、3,355km²は北キプロス・トルコ共和国の実効支配地域。