天塩郡

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北海道天塩郡の位置(1.遠別町 2.天塩町 3.豊富町 4.幌延町 黄:明治期)

天塩郡(てしおぐん)は、北海道天塩国留萌振興局宗谷総合振興局

テンプレート:郡データ換算

以下の4町を含む。

留萌管内

宗谷管内

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記4町のまま変更されていない。

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代の天塩郡域は西蝦夷地に属し、慶長年間ころから松前藩によってテシホ場所が開かれていた。陸上交通は、南に隣接する苫前郡以南や北に隣接する北見国宗谷郡方面へは沿岸部を陸路で通行でき、特に文化年間以降、留萌場所などに馬を配置する際は北見国経由で送られていた。

江戸時代後期になると文化元年9月1日厳島神社が創建される。また南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え文化4年天塩郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり庄内藩が天塩に出張陣屋を築き警固を行い、同6年の6藩分領以降庄内藩領となった。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年大宝律令国郡里制を踏襲して天塩郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

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北海道一・二級町村制施行時の天塩郡の町村(1.天塩村 2.幌延村 3.遠別村 青:区域が発足時と同じ町村および合併を経ていない町村 水色:分立して現存する町村 21.豊富村)

脚注

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参考文献

関連項目

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  1. 稚内市例規集 > 稚内市の沿革