天塩町

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テンプレート:Infobox 天塩町(てしおちょう)は、北海道北部の西海岸に位置する町。北海道内第2位の長さで北海道遺産の大河、天塩川の河口に位置する。北海道らしい大ぶりなシジミの産地として有名。

町名の由来

町域内に河口がある天塩川に由来する。川名の「天塩」は、アイヌ語の「テッシ・オ」((やな)・ある)が転訛したもので、中流域(中川郡美深町恩根内付近)にかつて梁状の岩が川を横切っていたことに由来する。

地理

ファイル:Estuary of Teshio river Aerial photograph.1977.jpg
天塩川河口周辺の空中写真。海岸沿いを約10km南流し、天塩町の中心部付近で日本海へ注ぐ。1977年撮影の18枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。

北海道北部の留萌管内最北部、天塩川下流左岸に囲まれるように位置している。

役場等のある中心市街地はこの河口部に位置し、雄信内(おのぶない・オヌプナイ)集落は国道40号線沿いに位置している。

この両市街地・集落に酪農従事者世帯以外の住民の大半が居住している。

  • 山:
  • 河川: 天塩川
  • 湖沼: 鏡沼

隣接している自治体

人口

テンプレート:人口統計

歴史・沿革

天塩川河口は、サロベツ原野にかけて長く発達した砂嘴浜堤)によって形成された天然の防波堤(この部分は幌延町に属する)により非常に良港であったこと、海山の豊富な天然資源に恵まれていたことから、古くからアイヌ人等によってコタン集落)が築かれ、泊地及び交易の要衝地となった。江戸時代初期に和人(松前藩)が進出してくると、アイヌ人と和人との交易地となり、後に和人によってテシホ場所(番所)が置かれた。

明治期には北方警護を兼ねた農業地開拓事業が実施され、東北・北陸地方などから多くの開拓民が入植した。また、天塩川の流域の森林や、開拓地から切り出して舟運等によって運搬された木材等の集積地となり、材木問屋の支店が居並び木材産業が栄え、江戸期以来伝統のニシンサケマスなどの漁業を営む者、海運業者・各種商工業者が進出し人口が増加、役場、警察営林署などの各行政施設も置かれ、道北における中核都市の一つとして大いに栄えた。

大正期に入り、現・宗谷本線が敷設されると、舟運による木材の集積地としての役目を終えることになり、また、開拓が進み森林資源の枯渇したことによって林業は次第に衰退していくことになった。

昭和期になり、町民悲願の鉄道が1935年(昭和10年)に開通。鉄道の開通は天塩の文化水準・町勢向上に寄与することになったが、戦争勃発により青壮年世代が兵役により削がれ生産人口が減少し、また、昭和中期のニシンの水揚量の激減により漁業が次第に衰退していった。そして、道北各町村と同様、戦後高度経済成長期以降の大都市への人口流出による過疎が進行し現在に至っている。

中心市街地には、木材の集積地として、また、ニシン漁等の漁業基地だったこと等の各種産業がかつて栄えていた頃の面影を残している。

沿革

  • 約3000年前 - 先住民族が竪穴式住居を天塩川河口に築く
  • 江戸時代初期(慶長期) - テシホ(天塩川河口)にテシホアイヌと和人との対等交易地「場所」が開設され、松前藩の役人の常駐開始
  • 1669年寛文9年) - シャクシャインの戦い。以降、全道的に松前藩のアイヌ人への政治的・経済的支配が強化される
  • 1700年元禄13年) - 松前藩が蝦夷地全島地図を作り、初めて「テシホ」の地名が掲載される
  • 1786年天明6年) - 「テシホ場所」で場所請負制を実施。松前藩より紀州商人が場所請負人に任命され、不平等交易が強まる
  • 1803年文化元年)- 天塩厳島神社創建
  • 1855年安政2年)2月 - ロシアの北方進出の対策等の理由から蝦夷地大半が幕府直轄地となり、テシホ場所も同直轄地となる
  • 1857年(安政4年)6月 - 松浦武四郎の天塩川探査。テシホ及びサコカイシ(作返)に宿泊
  • 1869年明治2年)8月15日 - 天塩国6郡が制定。天塩郡発足。
  • 1876年(明治9年) - 天塩郵便局開設
  • 1879年(明治11年) - 天塩村の村名創設
  • 1881年(明治13年) - 天塩村に天塩、中川、上川三郡を管轄する戸長役場が設置
  • 1897年(明治30年) - 天塩村の戸長役場管轄から中川、上川両郡を分離
  • 1902年(明治35年)10月 - 増毛林務課員派出所天塩派出分所開設(現・留萌北部森林管理署
  • 1903年(明治36年) - 遠別村を分立
  • 1909年(明治42年) - 幌延、沙流(現・豊富町)の2村が分立(天塩村戸長役場)
  • 1914年大正3年) - 留萌支庁管轄下に入る
  • 1915年(大正4年) - 二級町村制施行(天塩郡天塩村となる)
  • 1924年(大正13年) - 一級町村制施行(町制施行し天塩町となる)
  • 1935年(昭和10年)6月30日 - 天塩線(後の羽幌線)、幌延~天塩間開通
  • 1987年(昭和62年)3月30日 - 羽幌線廃止。沿岸バスにバス転換

経済

漁業(シジミ漁、サケ漁等)、農業(酪農)、林業の一次産業中心である。

  • シジミ漁:天塩川、サロベツ原野パンケ沼(幌延町)の漁場で漁獲されるシジミ(ヤマトシジミ)の漁獲量は北海道一を誇る。
  • 酪農:町内には1万数千頭の乳牛が飼育されており、その乳牛から生産される生乳の年間生産量は約5万トンである。生産された生乳は農協を通じ、雪印メグミルク株式会社幌延工場(幌延町)へ納入されている。

農協・漁協

金融機関

郵便局

天塩町内の集配業務は「098-33」区域が天塩郵便局、「098-31」区域は雄信内郵便局が受け持っていたが、2007年にいずれも幌延郵便局に移管された。その後、「098-33」区域については郵政民営化後の2011年に天塩郵便局内に新設された郵便事業音威子府支店天塩集配センターに移管され、2012年の日本郵便株式会社発足後は再び天塩郵便局の集配担当区となった。「098-31」区域は現在も幌延郵便局の担当となる。

公共機関

裁判所

林野庁

警察

姉妹都市・提携都市

教育

  • 道立高等学校
  • 中学校
    • 天塩
  • 小学校
    • 天塩、更岸
  • 小中学校
    • 啓徳

このほか、北海道大学演習林が置かれる。

交通

空港

道路

バス

札幌市とを結ぶ沿岸バス株式会社運行の都市間バスが、新栄通6丁目に設置された天塩バスターミナルに発着する他、同社の路線バスが町内各地に設置されているバス停に停車する。

鉄道

かつては国鉄羽幌線が通り、町内に更岸駅干拓仮乗降場天塩駅中川口仮乗降場北川口駅西振老仮乗降場振老駅作返仮乗降場仮乗降場が設置されていたが、1987年(昭和62年)3月に路線廃止されている。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事・名産品

町指定史跡

  • 運上屋跡
  • 天塩駅逓跡
  • 基線渡船場跡
  • 雄信内渡船場跡
  • 振老渡船場跡

観光

  • 鏡沼海浜公園(キャンプ場完備)/松浦武四郎
  • 天塩温泉夕映(宿泊施設・レストラン有)
  • 天塩川河口/天塩川河川公園
  • 天塩川歴史資料館(旧・天塩町庁舎)
  • 天塩厳島神社/いつくしま公園
  • 川口遺跡風景林
  • 北川口展望台
  • てしおこもれびの森

祭事・催事

  • 鏡沼しじみまつり(7月)
  • 厳島神社祭(7月16~18日)
  • てしお川港まつり(8月中旬・花火の打上など)
  • てしお秋の味まつり(9月)

名産品等

ゆるキャラ

  • てしお仮面

出身有名人

外部リンク

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