お昼のゴールデンショー
『お昼のゴールデンショー』(おひるのゴールデンショー)は、1968年4月1日から1971年9月30日までフジテレビ系列局で月曜日 - 金曜日の正午に放送されていたバラエティ番組。
後の『笑ってる場合ですよ!』、そして『森田一義アワー 笑っていいとも!』に続くフジテレビ正午のバラエティ路線の源流を築いた番組として知られている。
概要
テンプレート:独自研究 構成は当時売れっ子の放送作家であった塚田茂・井上ひさし・前川宏司。メイン司会には放送タレントの「マエタケ」こと前田武彦、レギュラーには売出し中であったコント55号(萩本欽一、坂上二郎)を起用し、東京都千代田区有楽町のヴィデオホール(現在の蚕糸会館)からの生中継の形で放送された。当時UHF局の増加で形成されつつあったフジネットワークの看板番組となった。
基本的にはお笑いゲスト(五代目三遊亭圓楽、青空はるお・あきお、林家三平、かしまし娘、夢路いとし・喜味こいし、横山やすし・西川きよし、牧伸二、立川談志、Wけんじ、獅子てんや・瀬戸わんや、コロムビア・トップ・ライト他)と歌のゲスト(中尾ミエ、坂本九、水原弘、ザ・タイガース、畠山みどり、内山田洋とクールファイブ等)を毎回迎え、コントやゲーム等を繰り広げるという内容であった。この番組の中でコント55号が披露したコントからは「忘れもしない12年前!」などという流行語が数々誕生した。
また、当時テレビでは批判的論調が強かった反戦フォークの特集を組む等、時に前衛的な内容にも取り組んだ。
その後、マエタケ、コント55号が週何本ものレギュラーを抱えるようになり毎日の生放送に出演することが困難となったことから、1969年春からは俳優の宍戸錠・森光子・中村メイコ、55号の後輩にあたるコント0番地が新たに司会陣に加えての曜日別司会制に移行。マエタケ・55号の出演しない曜日では企画重視の構成が採られるなどのテコ入れが図られた(例えば、水曜日は中村メイコを中心に予め用意された質問に沿って出演ゲストの過去の秘密を暴く「スターの秘密」コーナーが番組内容の中心に据えられた)。
しかし、マエタケ・55号の出演する曜日と彼らが出演しない曜日で視聴率に大きな開きが生じるようになり、このテコ入れは不調に終わってしまう。結局、この曜日別司会制は1年を経ずに打ち切られ、番組の顔でもあったマエタケも他の司会者とあわせて同年の末を以てスケジュールの都合を理由に番組を降板した。
その後、1970年の新春からは新司会者として、文化放送退社後間もない土居まさるを新たに起用、コント55号を曜日別のレギュラー扱いとし、新たに上方漫才のかしまし娘や医者漫談で一躍人気者となったケーシー高峰らを新レギュラーに加える形で再スタートを切る。更に出演者の入れ替えは進み、同年秋には、ケーシー高峰をメイン司会者に昇格させ、そのアシスタント役としてニッポン放送からの出向の形で今仁哲夫アナウンサーを起用。さらに1971年春からは古今亭志ん朝も新たに司会陣に加わり、高峰・志ん朝の二枚看板にてんぷくトリオ、京唄子・鳳啓助ら、東西を代表する人気芸人を脇に据えて、彼らの芸やギャグを番組の中心に据えた演芸色の強い構成が採られるようになった。
しかし、1971年9月、放送開始から3年半で番組は終了となった。
フジテレビ平日正午のバラエティ番組で、春の改編で始まったものだと年を越して一年以上継続できたものは現時点だとこちらしか存在しておらず、それも40年以上もない。
司会・レギュラー
期間 | 司会 | 月曜日 | 火曜日 | 水曜日 | 木曜日 | 金曜日 | |
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1968.4.1 | 1969.4.4 | ||||||
前田武彦 | |||||||
コント55号 | |||||||
- | 中村メイコ | - | - | 大喜利ゲーム レギュラーメンバー 春風亭柳昇 月の家圓鏡 柳家小きん 三遊亭小圓馬 桂伸治ほか | |||
1969.4.7 | 1969.6.30 | ||||||
前田武彦 森光子 (木) | |||||||
コント55号 | |||||||
- | 中村メイコ | - | - | 大喜利ゲーム レギュラーメンバー | |||
1969.7.1 | 1969.10.24 | ||||||
倍賞美津子(月) 宍戸錠(火・水) 藤間紫(火) 中村メイコ(水) 森光子(木) 扇千景(金) | |||||||
コント55号 (7月・8月) |
コント55号 (9月のみ) コント0番地 (10月) |
コント55号 | コント55号 (9月のみ) コント0番地 (10月) |
コント55号 (7月~9月) コント0番地(10月) 大喜利ゲーム レギュラーメンバー | |||
1969.10.27 | 1969.12.31 | ||||||
倍賞美津子(月) 宍戸錠(火・金) 藤間紫(火) 中村メイコ(水) 森光子(木) 扇千景(金) | |||||||
立川談志 コント0番地 (12月のみ) |
てんぷくトリオ コント0番地 (11月のみ) |
コント0番地 (11月のみ) |
コント0番地 都家かつ江 (11月のみ) お笑い中継車 レギュラーメンバー (大喜利ゲーム改題) | ||||
1970.1.1 | 1970.6.26 | ||||||
土居まさる | |||||||
月の家圓鏡 鳳啓助・京唄子 (4月~) |
てんぷくトリオ | かしまし娘 ※4月のみ 山崎唯と 久里千春が代理 |
獅子てんや・瀬戸わんや (1月・6月) トリオ・ザ・スカイライン (2月~) Wけんじ (3月・4月) ドンキーカルテット (5月のみ) | ||||
1970.6.29 | 1970.9.30 | ||||||
月の家圓鏡 鳳啓助・京唄子 三遊亭圓楽 |
てんぷくトリオ 三遊亭圓楽 |
コント55号 ケーシー高峰 |
かしまし娘 ケーシー高峰 |
獅子てんや・瀬戸わんや ケーシー高峰 | |||
1970.10.1 | 1971.3.31 | ||||||
今仁哲夫 ケーシー高峰 | |||||||
東八郎 鳳啓助・京唄子 |
てんぷくトリオ | 中村メイコ 高松しげお 和田浩治 早瀬久美 |
かしまし娘 (~1月) なべおさみ (2月・3月) |
ギャグメッセンジャーズ | |||
1971.4.1 | 1971.4.30 | ||||||
東八郎 東京ぼん太 |
かしまし娘 | 毒蝮三太夫 | |||||
1971.5.3 | 1971.9.30 | ||||||
古今亭志ん朝 ケーシー高峰 | |||||||
- | 高松しげお | - | 神津善行 | - |
スタッフ
- 構成:塚田茂・井上ひさし・前川宏司
- 音楽:宮内國郎
- 演奏:有馬徹とノーチェ・クバーナ/見砂直照と東京キューバン・ボーイズ→ダン池田とニューブリード→豊岡豊とスイングフェイス
ネット局
系列は放送当時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | フジテレビ | フジテレビ系列 | 製作局 |
宮城県 | 仙台放送 | 1970年10月から | |
秋田県 | 秋田テレビ | 1969年10月開局から | |
山形県 | 山形テレビ | 1970年4月開局から | |
長野県 | 長野放送 | 1968年12月20日のサービス放送から[1] | |
静岡県 | テレビ静岡 | 1968年12月開局から | |
富山県 | 富山テレビ | 1969年4月開局から | |
石川県 | 石川テレビ | ||
福井県 | 福井テレビ | 1969年10月開局から | |
中京広域圏 | 東海テレビ | ||
近畿広域圏 | 関西テレビ | ||
岡山県 | テレビ岡山 | フジテレビ系列 NETテレビ系列 |
現:岡山放送、1970年4月から、1971年3月打ち切り[2] 当時の放送エリアは岡山県のみ |
島根県 | テレビしまね | フジテレビ系列 | 現:山陰中央テレビ、1970年4月開局から 当時の放送エリアは島根県のみ |
愛媛県 | 愛媛放送 | 1969年12月開局から | |
福岡県 | テレビ西日本 | ||
佐賀県 | サガテレビ | 1969年4月開局から | |
熊本県 | テレビ熊本 | フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 | |
宮崎県 | テレビ宮崎 | フジテレビ系列 | 1970年4月開局から[3] |
鹿児島県 | 鹿児島テレビ | フジテレビ系列 日本テレビ系列 NETテレビ系列 |
1969年4月開局から |
琉球政府 | 沖縄テレビ | フジテレビ系列 | 1968年12月から、当時はアメリカ合衆国の施政下 |
映像について
生放送であり、当時は放送用テープが高価だったためか、VTRはほとんど残っておらず、1988年3月31日にフジテレビ系列で放送された回顧特番『フジテレビ30年史』のコーナー「大そうじで出てきた番組たち」では、前田・55号時代のキネコ版(かなり画面は傷んでおり、断りのテロップを添えた)を放送した(ただし静止画や録音テープはある程度残されてはいる)。