第1次吉田内閣
概要
旧憲法下で天皇から組閣の大命を受けて発足した最後の内閣である。昭和21年(1946年)4月10日に行われた戦後初の総選挙で日本自由党が比較第一党となると、幣原内閣は総辞職することになり、幣原喜重郎は30日に参内して自由党総裁の鳩山一郎を後継首班に奏請、鳩山はただちに組閣体制に入った。しかし5月4日になって突然GHQから政府に鳩山を公職追放する旨の指令が送付されると状況が一変。鳩山は元政友会の重鎮で鳩山と個人的に親しかった古島一雄を訪ねて後継総裁を依頼するが古島は高齢を理由にこれを固辞。そこで駐米大使や駐英大使を歴任し今は宮内大臣として宮中にあった松平恒雄に白羽の矢を立て、過去にも外務省OBに総理を引き受けさせるに当たり、数々の説得に実績のあった吉田茂に説得を依頼した。
松平が吉田に総裁を引き受ける意思があることを伝えると、数日後鳩山はその松平と直接会ったがまったく折があわず、鳩山はその足で外相公邸吉田に訪ねて「あの殿様じゃ党内が収まらないから君にやってもらいたい」と総裁後継を持ちかけた。しかし吉田は驚き「俺につとまるわけがないし、もっと反対が出るだろう」とやはり相手にしなかった。しかし総選挙からすでに1ヵ月が経っており、いつまでも総裁選びでゴタゴタしていたらGHQが自由党の政権担当能力に疑問を持ち始める不安があったため、元政友会幹事長の松野鶴平は毎晩のように吉田のもとに押し掛けて後継総裁を引き受けるよう吉田を説得した結果、吉田は結局折れて「1. 金作りは一切やらない、2. 閣僚の選考に一切の口出しは無用、3. 辞めたくなったらいつでも辞める」という勝手な3条件を書にしたためて鳩山に手渡すと、「君の追放が解けたらすぐにでも君に返すよ」と言って総裁就任を受諾した。
5月16日、幣原の奏請を受けて吉田は宮中に参内、昭和天皇から組閣の大命を拝した。吉田は自由党の幹部には何の連絡もせずに組閣本部を立ち上げほぼ独力で閣僚を選考、22日に再度参内して閣僚名簿を奉呈、幣原の日本進歩党との連立による第一次吉田内閣が発足した。
日本国憲法の施行、第二次農地改革などの重要課題を遂行するが、食料状況の深刻化、労働攻勢の激化により厳しい政権運営を迫られた。新憲法下で初となる昭和22年(1947年)4月の第23回衆議院議員総選挙で与党は善戦したが、日本社会党が比較第一党となったため、自由・進歩両党は連立を組み直してまで政権にすがるよりは下野する道を選び、ここに内閣は総辞職した。
閣僚
改造前
1946年5月22日 - 1947年1月31日
- 内閣総理大臣
- 吉田茂(再任・兼任)
- 1946年5月22日 - 1947年1月31日
- 吉田茂(兼任)
- 1946年5月22日 - 6月15日
- 1946年6月15日、第一復員省を復員庁に統合
- 吉田茂(兼任)
- 1946年5月22日 - 6月15日
- 1946年6月15日、第二復員省を復員庁に統合
- 復員庁総裁・国務大臣
- 田中耕太郎(民間・東京帝国大学法学部教授)
- 1946年5月22日 - 1947年1月31日
- 星島二郎(衆議院日本自由党)
- 1946年5月22日 - 1947年1月31日
- 平塚常次郎(衆議院日本自由党)
- 1946年5月22日 - 1947年1月31日
- 一松定吉(衆議院日本進歩党)
- 1946年7月1日 - 1947年1月31日
- 1946年7月1日、運輸省と内務省から部局を分離して新設
- 1946年5月22日 - 7月1日は国務大臣(無任所)兼任、以後は逓信大臣専任
- 経済安定本部総務長官・国務大臣
- 膳桂之助(貴族院研究会)
- 1946年8月12日 - 1947年1月31日
- 1946年8月12日、新設
- 1946年7月23日 - 8月12日は国務大臣(無任所)、以後は経済安定本部総務長官・物価庁長官兼任
- 物価庁長官
- 膳桂之助(兼任)
- 1946年8月12日 - 1947年1月31日
- 1946年8月12日、新設
- 行政調査部総裁・国務大臣
- 斎藤隆夫(衆議院日本進歩党)
- 1946年10月28日 - 1947年1月31日
- 1946年10月28日、新設
- 1946年5月22日 - 10月28日は国務大臣(無任所)、以後は行政調査部総裁兼任
- 国務大臣(無任所)
- 植原悦二郎
- 1946年5月22日 - 1947年1月31日
- 国務大臣(憲法担当)
- 金森徳次郎(貴族院同成会)
- 1946年6月19日 - 1947年1月31日
- 林譲治
- 1946年5月29日 - 1947年1月31日
- 周東英雄
- 1946年6月14日 - 1947年1月31日
改造後
1947年1月31日 - 5月24日
- 内閣総理内閣大臣
- 吉田茂(日本自由党総裁)
- 1947年1月31日 - 5月24日
- 吉田茂(兼任・留任)
- 1947年1月31日 - 5月24日
- 植原悦二郎(衆議院日本自由党)
- 1947年1月31日 - 5月24日
- 石橋湛山(留任・衆議院日本自由党)
- 1947年1月31日 - 5月24日
- 復員庁総裁・国務大臣
- 木村篤太郎(留任・司法省官僚)
- 1947年1月31日 - 5月24日
- 高橋誠一郎(民間・慶應義塾塾長・経済学者)
- 1947年1月31日 - 5月24日
- 河合良成(留任・貴族院同成会)
- 1947年1月31日 - 5月22日
- 吉田茂(臨時代理)
- 1947年5月22日 - 5月24日
- 吉田茂(兼任)
- 1947年1月30日 - 2月15日
- 木村小左衛門(衆議院日本進歩党)
- 1947年2月15日 - 5月24日
- 石井光次郎(衆議院日本自由党)
- 1947年1月31日 - 5月24日
- 一松定吉(留任・衆議院日本進歩党)
- 1947年1月31日 - 5月24日
- 経済安定本部総務長官・国務大臣
- 石橋湛山(兼任)
- 1947年1月30日 - 3月20日
- 高瀬荘太郎(東京商科大学教授・経済学者)
- 1947年3月20日 - 5月24日
- 国務大臣(無任所)兼任
- 物価庁長官
- 石橋湛山(兼任)
- 1947年1月30日 - 3月20日
- 高瀬荘太郎(兼任)
- 1947年3月20日 - 5月24日
- 国務大臣(無任所)兼任
- 行政調査部総裁・国務大臣
- 斎藤隆夫(衆議院日本進歩党)
- 1947年1月31日 - 5月24日
- 国務大臣(無任所)
- 星島二郎(衆議院日本自由党)
- 1947年1月31日 - 5月24日
- 国務大臣(無任所)
- 田中萬逸(衆議院日本進歩党)
- 1947年2月28日 - 5月24日
- 国務大臣(憲法担当)
- 金森徳次郎(留任・貴族院同成会)
- 1947年1月31日 - 5月24日
- 林譲治
- 1947年1月31日 - 5月3日(内閣官房設置)
- 林譲治
- 1947年5月3日 - 5月24日
- 入江俊郎(貴族院同和会)
- 1947年1月31日 - 5月24日
- 周東英雄
- 1947年1月31日 - 4月30日
政務次官
- 外務政務次官
- 内務政務次官
- 川崎末五郎:前政権(1945年10月31日) - 1946年6月4日
- 大野伴睦:1946年6月4日 - 1946年6月22日
- 世耕弘一:1946年6月22日 - 1947年3月4日
- 林連:1947年3月4日 - 1947年5月24日
- 大蔵政務次官
- 司法政務次官
- 文部政務次官
- 農林政務次官
- 商工政務次官
- 運輸政務次官
- 厚生政務次官
- 逓信政務次官
- 中川重春:1946年7月1日 - 1947年5月24日
参与官
- 外務参与官
- 内務参与官
- 大蔵参与官
- 司法参与官
- 文部参与官
- 農林参与官
- 商工参与官
- 運輸参与官
- 辻寛一:1946年6月4日 - 1947年3月4日
- 厚生参与官
- 逓信参与官