松阪駅
松阪駅(まつさかえき)は、三重県松阪市京町および京町一区にある、東海旅客鉄道(JR東海)・近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。
目次
乗り入れ路線
JR東海の紀勢本線・名松線と、近鉄の山田線が乗り入れており、両事業者が構内を分割して管理する共同使用駅となっている。JR東海の駅としては紀勢本線を所属線としている[1]。また、名松線は当駅が起点である。
近鉄線利用時にはPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)およびPiTaPaと相互利用可能な交通系ICカード(相互利用先は当該項目を参照)が使用が可能。但しJR東海利用時にはこれらの利用ができない。
駅構造
5面7線のホームを持つ地上駅。うち、3面4線(単式ホーム1面・島式ホーム2面)がJR用、2面3線(単式ホーム・島式ホーム1面ずつ)が近鉄用となっている。のりばは1番から8番まで存在し、1番ホームと6番ホームが単式ホームで、2・3番ホーム、4・5番ホーム、7・8番ホームがそれぞれ島式ホームとなっている。
なお、 1987年から1990年まで一時的に1番のりばが存在しなかった。旧1番のりばは名松線用のホームで、線路も2番線とは別に敷設されていたが、同線の列車が5番のりば発着に変更されたため廃止、線路を撤去した。その後、旧1番のりばを2番線側に拡張、新たに線路は敷設せずに2番のりばと線路を共有する形で1番のりばが復活した。
JR線の1番のりばと2番のりばは線路(上り1番線)を共有する。なおその他の線路は3番線から順に上り本線、下り本線、下り1番線となっている。近鉄線は6番線が上り列車用、8番線が下り列車用で、間の7番線は上下列車に対応する待避線である。
駅舎は南北に2つあり、南側(南口)をJR東海が、北側(北口)を近鉄が管理する。駅舎とホームへ跨線橋で連絡している。中間改札は無くJR・近鉄のホームは自由に行き来できるが、時々近鉄が4・5番線と6番線の間に臨時の改札口を設けて検札を行っている。
JR東海の駅は駅長・駅員配置駅(直営駅)である。管理駅でもあり、紀勢本線の六軒駅・徳和駅および名松線の各駅を管理している。なお、近鉄の駅長は伊勢中川駅に置かれ、当駅はその被管理駅となっている[2]。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1・3 | テンプレート:ColorJR紀勢本線 | 上り | 亀山・名古屋方面[3] | 一部の普通は5番線 |
テンプレート:Color | テンプレート:Color | |||
4 | テンプレート:ColorJR紀勢本線 | 下り | 新宮・伊勢市方面[3] | 一部の普通は1・5番線 |
5 | テンプレート:ColorJR名松線 | - | 伊勢奥津方面[3] | |
6 | テンプレート:Color近鉄山田線 | 上り | 伊勢中川・津・名古屋・大阪・神戸・京都方面 | |
7 | テンプレート:Color近鉄山田線 | 下り | 宇治山田・鳥羽・賢島方面 | 待避列車 |
上り | 伊勢中川・名古屋方面 | 待避・折返列車 | ||
8 | テンプレート:Color近鉄山田線 | 下り | 宇治山田・鳥羽・賢島方面 |
上り列車のうち、快速「みえ」は1番線、特急「南紀」は3番線から発車する。普通列車は基本的に1番線からであるが、「みえ」の通過待ちを行う場合は3番線に入る。
駅設備
- 南口にはJRの自動改札機が設置されている。東芝製(EG-2000)で、2枚一括投入対応機だが、近鉄線の乗車券類を2枚以上投入すると「枚数超過」となり、通過できない。
- 北口には近鉄の自動改札機が設置されている。全て、赤い筐体の自動改札機日本信号製(GX-7)で、出場時2枚一括処理・PiTaPa等のICカードに対応している。
- 自動精算機はタッチパネル式高額紙幣・ICカードチャージ対応機。
- 自動精算機更新後も、ICカード入金機が設置されている(千円札のみ対応)。
- 双方とも近鉄回数券カード対応。スルッとKANSAI及びJスルーカードには対応していない(正式なアナウンスはなされていないが、券売機(新型のタイプ)にこれらのプリペイドカードを挿入することにより切符を購入することができる)。
- どちらの切符も双方の駅舎で購入できるが、北口では、JRの切符は近距離自動券売機のみの販売になっている。
- かつては跨線橋の南端より三交百貨店に直結する有人改札口もあったが、同百貨店の閉店により建物は解体、今後の跡地活用方法が決まっていないため現在は有料駐車場となっている。
- 駅売店は近鉄側は6番ホーム上にPocket Platを設置していたが、2011年4月28日より橋上通路内にコンビニ型店舗K PLATが開設された[1]。JR側は改札脇にキヨスクと「あら竹」の駅弁売店、駅そば店がある。
- JR・近鉄とも水洗式便所の設備がある。バリアフリー・オストメイト対応。
特徴
- JR線
- 当駅を通る全ての旅客列車が停車する。
- 名物駅弁として「元祖特撰牛肉弁当」(1260円)などがある。すべてあら竹の販売。発売当初、10500円と日本一高い駅弁「極上松阪牛ヒレ牛肉弁当」(改札外の販売を含めるなら、東武日光駅の「日光埋蔵金弁当」150000円版が最高)だったのもこの駅の駅弁である。なお「元祖特撰牛肉弁当」も1959年、150円で売り出した当初は日本一高い駅弁だった。
- 快速「みえ」は登場当時、1往復の紀伊勝浦駅発着の列車(現在は特急「南紀」に格上げ)を除き、この駅までの運転だった。
- 紀勢本線・名松線とも非電化。
- 近鉄線
- 甲特急以外の全ての列車が停車する。
- 待避線は上下共用である。快速急行・急行は宇治山田駅を特急に続行して発車するため、当駅で待避を行なうのはほとんどが普通列車であるが、日中は伊勢中川駅か明星駅、明野駅で待避を行なうため、当駅での待避は行われない。
- 名古屋駅方面への急行の折り返し列車が設定されている。明星車庫への編成差し替え回送がない限り、7番線で折り返す。日中の半数は、当駅での同一方向の大阪方面発着急行への接続が考慮されており、下りは当駅にて同一ホームでの乗り継ぎが可能であるが、上りの場合は跨線橋を渡る必要があるため、接続先列車が先発しない場合は伊勢中川駅で乗り換えるという方法もある。
- 朝夕および深夜に、名古屋・大阪方面の特急および大阪方面に直通する快速急行の始発着列車が設定されている。2012年3月19日までは大阪方面の区間快速急行も設定されており、同列車の終点でもあった。
- その他
- 松阪市の代表駅である。
- JR紀勢本線と近鉄線の三重県側最南の接続駅であるため、東紀州方面と大阪方面の乗り継ぎ客が多い。紀勢本線・参宮線の各駅と大阪方面に関して、当駅 - 鶴橋間の近鉄線を介した通過連絡運輸も設定されている。(この為か近鉄の車内で「JR線はお乗換えください」とアナウンスされる)
- 駅周辺に駐車場が多く、松阪市内外から当駅まで車で来て鉄道を利用する人も多い。
- 三重交通・三重急行自動車が、ここから(正確には松阪中央病院発着)、尾鷲・熊野市方面へ「南紀特急バス」を運行している。
駅弁
主な駅弁は下記の通り[4]。
- 松阪名物霜ふり弁当
- 松阪名物モー太郎寿司
- 本居宣長辨當
- 五街道 彩弁当
- 松阪名物うまーいどん丼
- 元祖特選牛肉弁当
- 松阪名物黒毛和牛モー太郎弁当
- 復刻版 元祖牛肉弁当
- 特上牛肉弁当
- 匠の技 松阪牛物語
- ほかほかモー太郎松阪(まっつぁか)弁当
- 松阪でアッツアツ牛めしに出会う!!
利用状況
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。近鉄はJRからの乗り継ぎ人員を含んでいる。
年度 | JR東海 | 近畿日本 鉄道 |
---|---|---|
1997年 | 2,077 | 10,364 |
1998年 | 2,000 | 9,967 |
1999年 | 1,974 | 9,721 |
2000年 | 1,970 | 9,459 |
2001年 | 1,928 | 9,185 |
2002年 | 1,840 | 8,840 |
2003年 | 1,774 | 8,596 |
2004年 | 1,709 | 8,456 |
2005年 | 1,775 | 8,327 |
2006年 | 1,863 | 8,203 |
2007年 | 1,845 | 8,009 |
2008年 | 1,836 | 7,867 |
2009年 | 1,769 | 7,536 |
2010年 | 1,683 | 7,434 |
2011年 | 1,654 | 7,379 |
2012年 | 1,619 | 7,530 |
近鉄
- 松阪駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 2008年11月18日の調査結果によると、1日の利用客は14,108人(前回2005年11月8日の調査では13,690人)。この数字は…
- 近鉄の全調査対象駅(287駅)中、52位。
- 山田線・鳥羽線・志摩線の駅(33駅、他線接続駅含む)の中では最多(以下、宇治山田駅、伊勢中川駅と続く)。
- 三重県内の近鉄の駅(116駅、但し調査当時の数)の中では、4位。
- 2008年11月18日の調査結果によると、1日の利用客は14,108人(前回2005年11月8日の調査では13,690人)。この数字は…
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 1,115,790 | ←←←← | 1,185,339 | 2,301,129 | |||
1951年(昭和26年) | 1,256,760 | ←←←← | 928,684 | 2,185,444 | |||
1952年(昭和27年) | 1,216,830 | ←←←← | 1,267,700 | 2,484,530 | |||
1953年(昭和28年) | 1,202,195 | ←←←← | 1,344,942 | 2,547,137 | |||
1954年(昭和29年) | 1,234,650 | ←←←← | 1,403,612 | 2,638,262 | |||
1955年(昭和30年) | 1,301,610 | ←←←← | 1,458,487 | 2,760,097 | |||
1956年(昭和31年) | 1,460,310 | ←←←← | 1,522,984 | 2,983,294 | |||
1957年(昭和32年) | 1,548,660 | ←←←← | 1,560,062 | 3,108,722 | |||
1958年(昭和33年) | 1,690,890 | ←←←← | 1,597,754 | 3,288,644 | |||
1959年(昭和34年) | 1,799,280 | ←←←← | 1,414,043 | 3,213,323 | |||
1960年(昭和35年) | 2,077,560 | ←←←← | 1,451,328 | 3,528,888 | |||
1961年(昭和36年) | 2,272,860 | ←←←← | 1,493,833 | 3,766,693 | |||
1962年(昭和37年) | 2,607,030 | ←←←← | 1,593,533 | 4,200,563 | |||
1963年(昭和38年) | 2,758,020 | ←←←← | 1,510,220 | 4,268,240 | |||
1964年(昭和39年) | 3,041,340 | ←←←← | 1,566,648 | 4,607,988 | |||
1965年(昭和40年) | 3,298,530 | ←←←← | 1,625,004 | 4,923,534 | |||
1966年(昭和41年) | 3,303,390 | ←←←← | 1,579,026 | 4,882,416 | |||
1967年(昭和42年) | 3,421,740 | ←←←← | 1,663,263 | 5,085,003 | |||
1968年(昭和43年) | 3,501,090 | ←←←← | 1,788,316 | 5,289,406 | |||
1969年(昭和44年) | 3,496,260 | ←←←← | 1,875,108 | 5,371,368 | |||
1970年(昭和45年) | 3,810,030 | ←←←← | 2,017,892 | 5,827,922 | |||
1971年(昭和46年) | 3,831,990 | ←←←← | 2,070,033 | 5,902,023 | |||
1972年(昭和47年) | 3,931,320 | ←←←← | 2,201,265 | 6,132,585 | |||
1973年(昭和48年) | 3,892,200 | ←←←← | 2,398,137 | 6,290,337 | |||
1974年(昭和49年) | 4,167,800 | ←←←← | 2,452,775 | 6,620,575 | |||
1975年(昭和50年) | 3,927,960 | ←←←← | 2,422,981 | 6,350,941 | |||
1976年(昭和51年) | 3,689,040 | ←←←← | 2,289,290 | 5,978,330 | |||
1977年(昭和52年) | 3,540,480 | ←←←← | 2,346,392 | 5,886,872 | |||
1978年(昭和53年) | 3,402,030 | ←←←← | 2,359,027 | 5,761,057 | |||
1979年(昭和54年) | 3,322,950 | ←←←← | 2,331,378 | 5,654,328 | |||
1980年(昭和55年) | 3,300,000 | ←←←← | 2,354,860 | 5,684,860 | |||
1981年(昭和56年) | 3,428,190 | ←←←← | 2,300,211 | 5,548,401 | |||
1982年(昭和57年) | 3,080,700 | ←←←← | 2,281,818 | 5,362,518 | 11月16日 | 22,937 | |
1983年(昭和58年) | 3,083,460 | ←←←← | 2,228,351 | 5,311,811 | 11月8日 | 23,917 | |
1984年(昭和59年) | 2,972,730 | ←←←← | 2,184,273 | 5,157,003 | 11月6日 | 22,800 | |
1985年(昭和60年) | 2,967,360 | ←←←← | 2,179,515 | 5,146,875 | 11月12日 | 22,226 | |
1986年(昭和61年) | 2,888,610 | ←←←← | 2,153,579 | 5,042,189 | 11月11日 | 22,949 | |
1987年(昭和62年) | 2,805,780 | ←←←← | 2,082,428 | 4,888,208 | 11月10日 | 20,751 | |
1988年(昭和63年) | 2,734,230 | ←←←← | 2,072,235 | 4,806,465 | 11月8日 | 21,330 | |
1989年(平成元年) | 2,631,540 | ←←←← | 2,067,527 | 4,699,067 | 11月14日 | 20,657 | |
1990年(平成2年) | 2,651,110 | ←←←← | 2,070,088 | 4,721,198 | 11月6日 | 20,084 | |
1991年(平成3年) | 2,680,980 | ←←←← | 2,032,145 | 4,713,125 | |||
1992年(平成4年) | 2,604,510 | ←←←← | 1,960,209 | 4,564,719 | 11月10日 | 20,088 | |
1993年(平成5年) | 2,547,210 | ←←←← | 1,897,972 | 4,445,182 | |||
1994年(平成6年) | 2,509,290 | ←←←← | 1,837,757 | 4,347,047 | |||
1995年(平成7年) | 2,442,120 | ←←←← | 1,780,082 | 4,222,202 | 12月5日 | 18,338 | |
1996年(平成8年) | 2,307,180 | ←←←← | 1,720,043 | 4,027,223 | |||
1997年(平成9年) | 2,160,090 | ←←←← | 1,622,790 | 3,782,880 | |||
1998年(平成10年) | 2,098,890 | ←←←← | 1,539,016 | 3,637,906 | |||
1999年(平成11年) | 2,047,800 | ←←←← | 1,509,820 | 3,557,620 | |||
2000年(平成12年) | 1,973,610 | ←←←← | 1,478,969 | 3,452,579 | |||
2001年(平成13年) | 1,884,330 | ←←←← | 1,468,003 | 3,352,333 | |||
2002年(平成14年) | 1,798,590 | ←←←← | 1,428,130 | 3,226,720 | |||
2003年(平成15年) | 1,753,650 | ←←←← | 1,392,343 | 3,145,993 | |||
2004年(平成16年) | 1,754,400 | ←←←← | 1,332,027 | 3,086,427 | |||
2005年(平成17年) | 1,740,210 | ←←←← | 1,299,288 | 3,039,498 | 11月8日 | 13,690 | |
2006年(平成18年) | 1,737,510 | ←←←← | 1,256,505 | 2,994,015 | |||
2007年(平成19年) | 1,710,030 | ←←←← | 1,221,565 | 2,931,595 | |||
2008年(平成20年) | 1,695,720 | ←←←← | 1,178,850 | 2,874,570 | 11月18日 | 14,108 | |
2009年(平成21年) | 1,659,510 | ←←←← | 1,091,288 | 2,750,798 | |||
2010年(平成22年) | 1,640,190 | ←←←← | 1,071,449 | 2,711,639 | 11月9日 | 13,034 | |
2011年(平成23年) | 1,646,430 | ←←←← | 1,054,011 | 2,700,441 | |||
2012年(平成24年) | 1,667,070 | ←←←← | 1,081,466 | 2,748,536 | 11月13日 | 12,723 |
駅周辺
- 松阪公園(松坂城跡)・本居宣長記念館・歴史民俗資料館・御城番屋敷
- 松阪市役所
- 松阪市民病院
- 継松寺(岡寺観音)
- 松阪商人の館
- 本居宣長旧宅
- 三重県立松阪工業高等学校
- 済生会松阪総合病院
- 東海ゴム工業松阪製作所
- ヤマダ電機テックランド松阪店
- 服部家具センター松阪店
- 松阪警察署
- 紀勢国道事務所
バス路線
南口
松阪駅前
- 松阪市市街地循環バス鈴の音バス
- 左回り(松阪駅→市役所前→市民文化会館→桜町中央→宝塚町→駅部田山の世古→久保中学校→松阪駅)
- 右回り(松阪駅→久保中学校→駅部田山の世古→宝塚町→桜町中央→市民文化会館→市役所前→松阪駅)
- 空港アクセス線
- 三雲松阪線
- 三雲地域振興局
- 三重交通
- 1番乗り場
- 2番乗り場
- 3番乗り場
- 02系統 パークタウン学園前
- 08系統 三重中京大学 (新四ッ又経由) ※廃止
- 4番乗り場
北口
近鉄松阪駅
- 松阪市市街地循環バス鈴の音バス
- 左回り
- 右回り
- 空港アクセス線
- 松阪港・空港アクセス
- JR松阪駅
- 三雲松阪線
- 三雲地域振興局
- 黒部・東地区コミュニティバス
- 出間 ※土休日運休
- 機殿・朝見地区コミュニティバス
- 機殿地区市民センター ※土休日運休
- 青木バス
歴史
JR東海
- 1893年(明治26年)12月31日 - 参宮鉄道の駅として、津 - 宮川の開通時に開業。一般駅。
- 1907年(明治40年)10月1日 - 参宮鉄道が国有化、国有鉄道に移管。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定により、参宮線所属駅となる。
- 1929年(昭和4年)8月25日 - 国鉄名松線が権現前駅まで開業。
- 1937年(昭和12年)12月3日 - 駅舎改築[5][6]。
- 1959年(昭和34年)7月15日 - 紀勢本線全通に伴い、参宮線多気以北が紀勢本線に編入され、同線の所属駅となる。
- 1962年(昭和37年)11月16日 - 新駅舎完成。
- 1978年(昭和53年)8月4日 - 三交ビル口開設[6]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物の取扱いを廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 荷物の取扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道が継承。
近鉄
- 1930年(昭和5年)
- 1941年(昭和16年)3月15日 - 大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道に改称。この時の線路名称改定で、山田線所属駅となる。
- 1944年(昭和19年)6月1日 - 関西急行鉄道が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道設立。
- 1955年(昭和30年)4月3日 - 北口開設[7][8]。
- 1969年(昭和44年)10月16日 - 近鉄下り待避線設置。
- 2007年(平成19年)4月1日 - 近鉄山田線PiTaPa使用開始。
- 2008年(平成20年)
三重電気鉄道(廃止)
- 1912年(大正元年)8月17日 - 松阪軽便鉄道大石線(のちの三重電気鉄道松阪線)の松阪駅が開業。駅は国鉄松阪駅の南側に置かれた。
- 1919年(大正8年)7月 - 社名変更により松阪鉄道の駅となる。
- 1928年(昭和3年)1月20日 - 社名変更により松阪電気鉄道の駅となる。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 会社合併により三重交通の駅となる。
- 1964年(昭和39年)
隣の駅
- 東海旅客鉄道
- 紀勢本線
- 特急「南紀」停車駅
- テンプレート:Color快速「みえ」
- テンプレート:Color普通
- 名松線(全列車が各駅に停車)
- 松阪駅 - 上ノ庄駅
- 近畿日本鉄道
- 山田線
- テンプレート:Color快速急行
- テンプレート:Color急行
- 伊勢中川駅 - 松阪駅 - (宮町駅〈一部〉) - 伊勢市駅
- テンプレート:Color普通
かつて存在した路線
- 三重電気鉄道
- 松阪線
- 松阪駅 - 平生町駅
脚注
関連項目
- 日本の鉄道駅一覧
- 新松阪駅(廃駅、伊勢電気鉄道→近鉄伊勢線)
- 三重県道20号松阪停車場線