グランドひかり
グランドひかりは、東海旅客鉄道(JR東海)と西日本旅客鉄道(JR西日本)が1989年から2002年まで東海道・山陽新幹線で運転していた「ひかり」の一種の車両・列車愛称。
目次
導入の背景
1987年の国鉄分割民営化直後、1985年に登場した新型車両である100系はJR東海のもつX・G編成しかなく、JR西日本は0系しかないという状況だった。そこで、旅客サービスの向上と到達時分の短縮を目的に東京駅 - 博多駅の「速達ひかり」(通称Wひかり)用として、JR西日本は独自の100系を製作することとなった。その車両を使用して運転されたのが「グランドひかり」である。
車両・編成
車両設備
東京駅 - 博多駅の長距離運用につくことを念頭に、G編成で省略された食堂車を設定すると共に、G編成と同等のグリーン車3両を確保するため、2階建て車両をX・G編成に比べ2両増やし、計4両連結した事が大きな特徴である。
2階建て車両はモータを積まない付随車であるため、X・G編成では付随車となっている先頭車を電動車とすることで、編成出力を同等に確保している。また、さらなる速度向上のため、各部の構造が見直されている(新幹線100系電車#V編成を参照のこと)。
1 - 6・11 - 16号車は平屋建て車両普通車である。7 - 10号車は2階建て車両であり、1階は7・9・10号車が普通車指定席で8号車は売店、2階は車窓からの展望が良いことや乗客の通り抜けがないことから、7・9・10号車がグリーン車、8号車が食堂車に設定された[1]。食堂車にはデジタル速度計も設置された。
普通車(1 - 6・11 - 16号車と7・9・10号車の1階)は直接照明が採用されたが、グリーン車と食堂車(7 - 10号車の2階)は間接照明が採用された。
2階建て車両の場合、通常の平屋建て車両と比較して特に1階の居住性や車窓が劣るため、オーディオサービスとビデオサービス(JR東海とのサービス格差が生じない山陽新幹線区間のみ)が実施されるほか、座席も通常の2列+3列のものではなく、「ウエストひかり」で実績のあるゆったりした2列+2列のものを採用した。X・G編成と同じく、11号車には車椅子対応設備が設置された。
前述のビデオサービスは、4次車であるV5編成から新たに5インチの液晶テレビが搭載され、1990年11月1日から使用を開始した[2]。V1 - V4編成にも搭載され、1991年3月16日から全編成で放映を開始している[2]。 テンプレート:-
編成
100系3000番台V編成16両で、「100N系」とも呼称される。最高速度は東海道区間220km/h、山陽区間230km/hである。
100N系 グランドひかり | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
テンプレート:TrainDirection | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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編成 | 組成月日 | 製造会社 | 編成名削除日 | 廃車日 | 備考 | |||
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号車 | ||||||||
1 - 8 | 9 - 10 | 11 - 12 | 13 - 16 | |||||
V1 | 1989年3月7日 | 川崎重工業 | 近畿車輛 | 日立製作所 | 2000年7月3日 | (8号車)2000年8月25日[4] (7,9,10号車)2000年12月1日[4] (3号車)2003年5月21日[5] |
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V2 | 1989年2月10日 (2002年10月1日) |
川崎重工業 | 近畿車輛 | 日立製作所 | 2002年11月25日 | (7 - 10号車)2002年12月3日[6] (5号車)2004年6月7日[7] (3号車)2005年3月22日[7] |
2002年10月1日に7 - 10号車をV9編成のものと差し替え。 7 - 10号車の廃車日は当初V2編成に連結されていたもの。 | |
V3 | 1989年6月29日 | 川崎重工業 | 近畿車輛 | 日立製作所 | 2002年5月27日 | (7 - 10号車)2002年5月27日[6] (5号車)2003年11月9日[5] |
3,4号車のみ1989年6月13日落成 | |
V4 | 1989年12月28日 | 川崎重工業 | 近畿車輛 | 2002年6月25日 | (7 - 10号車)2002年6月25日[6] (5号車)2003年11月9日[5] (3号車)2004年10月29日[7] |
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V5 | 1990年7月5日 | 近畿車輛 | 日立製作所 | 2002年2月12日 | ||||
V6 | 1990年12月14日 | 日立製作所 | 近畿車輛 | 2000年8月24日 | (7 - 10号車)2000年12月1日[4] (5号車)2000年12月28日[4] |
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V7 | 1991年2月26日 | 川崎重工業 | 近畿車輛 | 日立製作所 | 2001年11月9日 | |||
V8 | 1991年7月5日 | 川崎重工業 | 近畿車輛 | 日立製作所 | 2001年9月30日 | |||
V9 | 1991年12月12日 | 川崎重工業 | 日立製作所 | 近畿車輛 | 2002年9月25日 | (9,10号車)2002年12月3日[6] (7,8号車)2010年7月30日[8] |
停車駅と所要時間
- 速達タイプ 東京駅 - 博多駅 : 5時間47分(1992年3月14日以降は最速5時間44分) 新大阪駅 - 博多駅 : 2時間49分(所要時間は小郡通過の場合)
- その他 途中停車駅は様々な種類があり、これらの駅の中に停車しない列車もある。カッコ内は停車頻度の少ない駅
運用の変遷
東海道・山陽新幹線内を走破する、すべての定期「ひかり」および、臨時扱いだが毎日運転する「ひかり」として運転された。時刻表にも、1989年5月から"「グランドひかり」・2階建て4両"と記載された。
1989年3月11日
「グランドひかり」が東京 - 博多間2往復で運転を開始。山陽新幹線区間での最高速度を230 km/hとし、東京 - 博多を5時間47分で走破。途中、名古屋・京都・新大阪・岡山・広島・小郡(ひかり29号のみ)・小倉に停車。 テンプレート:Col
1990年3月10日
100系X編成が充当されていた1往復を「グランドひかり」に変更。所要時間の短縮が行われた。 テンプレート:Col
1991年3月16日
上り1本を「グランドひかり」から別編成に変更の上、2.5往復を「グランドひかり」に変更して5往復の運用に。上り1本(ひかり10号)が新神戸に初停車。 テンプレート:Col
1992年3月14日
上り1本を「グランドひかり」から別編成に変更の上、東京 - 博多間の2往復と広島始発の上り1本を「グランドひかり」に変更し、山陽新幹線内完結の1往復を追加して8往復体制に。福山・徳山に初停車(ひかり150号)。東海道区間で所要時間の短縮が行われた。 テンプレート:Col
1999年3月13日
新幹線における食堂車の営業列車は東京 - 博多間4往復のみとなる。 テンプレート:Col
2001年10月1日
- 下り
- ひかり201号 東京7:30 → 新大阪10:23
- 上り
- ひかり240号 新大阪19:56 → 東京22:50
このほか、多くの臨時列車に充当された。
「グランドひかり」引退へ
1992年に300系と最速達列車「のぞみ」がデビューした。当初は早朝深夜時間帯のみだったが、その後に行われた、「のぞみ」の昼間時間帯の運転実施や増便によって、300系より40 - 50km/hも遅い100系は[9]ダイヤ作成時の足かせとなり、従来の最速達であった「ひかり」よりも「のぞみ」のほうが所要時間が短縮されたため、「のぞみ」に客足が向くようになった。
2000年3月でまず利用率の良くなかった食堂車営業を休止。その後も「ひかり」を中心に活躍したが2002年5月18日をもって定期運用から離脱。そして2002年11月23日、新大阪駅 - 博多駅のさよなら運転をもって「グランドひかり」は消滅した。
「グランドひかり」さよなら運転
2002年10月8日に、JR西日本から同年11月23日に以下の1往復でさよなら運転が行うことが発表された[10]。同列車では食堂車の復活や「グランドひかり」の最速運転を行うなど、全盛期を彷彿させるものだった。ただし、食堂車の利用に関しては事前の予約が必要とされた[11]。
さよなら運転にはV2編成が充当された(新幹線100系電車#V編成参照)が、2階建て車両は状態の良いV9編成のものと差し替えられていた。
列車名 | 運転区間(始発・終着時刻) | 停車駅 | 使用 編成 |
備考 |
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ひかり568号 | 博多 10:33発 → 新大阪 13:22着 | 小倉・広島・岡山 | V2 | 「グランドひかり」最速の2時間49分で運行 |
ひかり563号 | 新大阪 17:14発 → 博多 20:25着 | 新神戸・姫路・岡山・広島・小郡・小倉 | V2 |
- 「ひかり563号」新大阪駅発車時に「出発式」が、博多駅到着後に「引退式」が取り行われた。
編成表
テンプレート:TrainDirection | |||||||||||||||||
号車 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | |
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形式 | 121 (Mc) |
126 (M') |
125 (M) |
126 (M') |
125 (M8) |
126 (M') |
179 (Tsd) |
168 (T'dd) |
179 (Tsd) |
178 (T'sd) |
125 (M7) |
126 (M') |
125 (M) |
126 (M') |
125 (M) |
122 (M'c) | |
座席 | 普通車 | テンプレート:Bgcolor 普通車 |
テンプレート:Bgcolor | テンプレート:Bgcolor 普通車 |
普通車 | ||||||||||||
定員 | 65 | 100 | 90 | 100 | 80 | 100 | 74 | 0 | 74 | 74 | 73 | 100 | 90 | 100 | 90 | 75 | |
編成番号:V2 | 車両番号 | 3002 | 3006 | 3004 | 3007 | 3802 | 3008 | 3009 | 3009 | 3109 | 3009 | 3702 | 3009 | 3005 | 3010 | 3006 | 3002 |
- 定員1285名。全席指定席で運行。8号車は食堂・売店のため定員設定なし。
沿革
- 1989年(平成元年)3月11日 : 「グランドひかり」デビュー。東京 - 博多間1日2往復の設定。新大阪 - 博多間を当時の最速である2時間49分で駆け抜けた。
- 1990年(平成2年)3月10日 : 東京 - 博多間1日3往復に増便。
- 1993年(平成5年)3月18日 : 東京 - 博多間1日5往復、東京 - 広島間1日1往復、東京 - 岡山間1日1往復、東京 - 新大阪間1日1往復の計8往復に増便[12]。
- 2000年(平成12年)
- 3月10日 : 「ひかり127号」(東京 → 博多・V4編成充当)の運行をもって、食堂車の営業を休止。
- 3月11日 : 「のぞみ」の運行が増加するにともない、定期運行区間を東京 - 広島間に短縮。広島 - 博多間の運転は臨時扱い。
- 12月31日 : 「時をかける旅、メモリアルトレインツアー ひかり号食堂車リバイバル」が実施され、1日のみ食堂車営業が復活(ひかり559号・新大阪 → 博多・V7編成充当)[13]。
- 2001年(平成13年)9月30日 : 山陽新幹線の定期運用を終了。
- 2002年(平成14年)
運用終了後
運用終了直前の2000年から2005年までにかけて、「グランドひかり」用のV編成は徐々に6両K編成、4両P編成に組み換えが進行していた。X・G編成と違い、先頭車が電動車であることから短編成化が容易(ユニット構成が0系と同じになったため)であった。P編成とK編成の車両数は108両(4両編成が12本と6両編成が10本)である。V編成の電動車の数も108両(12両が9本分)である。V編成の電動車は(一部G編成の車体にV編成の電装品を搭載したり、中間車が先頭車化されたものもあるが)なんらかの形ですべてK・P編成に流用された。また、7 - 10号車のグリーン車と普通車の座席もK・P編成に流用された。
食堂車の写真に写っている電光掲示板は0系WR編成に利用された。
関連項目
テンプレート:日本の新幹線- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 テンプレート:Cite book
- ↑ 5.0 5.1 5.2 テンプレート:Cite book
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 テンプレート:Cite book
- ↑ 7.0 7.1 7.2 テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 100系の設計最高速度は275km/hであるが、騒音基準を満たせなかった事により、東海道新幹線や山陽新幹線におけるスピードアップに対応できなかった。
- ↑ さよなら「グランドひかり」(インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2002年10月8日
- ↑ 食堂車のリバイバル営業!(インターネット・アーカイブ) - 西日本旅客鉄道プレスリリース 2002年10月8日
- ↑ 12.0 12.1 テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book