原子力事故
原子力事故(げんしりょくじこ、テンプレート:Lang-en-short)とは原子力関連施設での放射性物質や放射線に関係する事故のこと。放射性物質や強力な放射線が施設外へ漏れ出すと、人々の健康・生活や経済活動に大きな被害をもたらす。原子力関連施設内での事故であっても、放射性物質や放射線の漏出にまったく無関係な事故は原子力事故とは呼ばない。
原子力発電所などで事故が発生した場合には、国際原子力事象評価尺度 (INES) による影響度の指標が「レベル0」から「レベル7」までの8段階の数値で公表される[1]。本項目ではINESレベル4未満の事象も含めて記述するが、日本の原子力事業者はINESレベル4以上に限って「事故」と呼んでいる。
事故と異常事象
日本の原子力関連施設では、放射性物質が環境中へ放出されて公衆の健康を害する恐れが生じた場合やそれ以上を「事故」と呼び、そのような状況に至らない施設内での不測の事態は「異常事象」と呼んで区別している[2]。
原子力事故の原因と結果
炉心溶融(メルトダウン)
テンプレート:Main 原子炉には核燃料集合体である燃料棒が入っている。燃料棒は核燃料を円筒状の耐熱ジルコニウム合金(ジルカロイ、融点約2,500℃)の容器に入れ、多数個まとめたものである。原子炉内(炉心)は非常に大きな崩壊熱を出しているため、原子炉冷却機能が失われるとジルカロイから発生した水素による水素爆発のおそれのほか、燃料棒が溶解・崩壊し、圧力容器の底に残った冷却水と反応して水蒸気爆発を起こす危険性があるテンプレート:Sfn。さらに燃料が原子炉の底を溶かし(溶融貫通=メルトスルー)炉外に漏れ出す危険や、その冷却水等またはテンプレート:要出典範囲水蒸気爆発や地下水脈への放射性物質の流出による大規模な放射能汚染、更には再臨界のおそれもある。
実際に事故が炉心溶融までに至った例としては、1979年のスリーマイル島原子力発電所事故(アメリカ合衆国)、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故(ソビエト連邦、現ウクライナ)、2011年の福島第一原子力発電所事故(日本・現在進行中)などが挙げられる[3]。
水素爆発・水蒸気爆発
原子炉格納容器や原子炉建屋に水素がたまると酸素と結合して爆発することがある。水蒸気の発生でも爆発することがある。爆発により遮へいがなくなった原子炉より放射性物質が外部に放出される。それを防ぐために「ベント(弁を開いて気体を逃がすこと)」を行う。
冷却材喪失事故
テンプレート:Main 原子炉は常に冷却する必要がある。しかし、冷却剤が配管の破断で喪失する、循環系ポンプが故障する、冷却水の取水が不足するなどした場合、炉心溶融に繋がり大事故に発展する危険性がある[注釈 1]。また、原子炉隔離時冷却系(ECCS)が必ずしも動作するとも限らない。なお、原子炉の臨界終息後も核分裂生成物の熱崩壊[注釈 2]による熱を取り去るために冷却を継続する必要があるテンプレート:Sfn テンプレート:Sfn。ちなみに小規模な原子炉は必ずしも系統だった冷却を必要としていないテンプレート:Sfn。
人為的ミス・計器異常
計器もマニュアルも人間が作るものである以上、設計ミス、製造ミス、チェックミス、操作ミス、故障などが起こり得る。また運転員や管理者はマニュアルに沿って運転するが、それが必ずしも状況に即した適切な対応となるとも限らず、想定外の事象が起こった場合に事故を加速する動作になることがある。
福島第一原子力発電所事故では、1号機において、緊急時に原子炉を冷却する場合は最初に冷却器[注釈 3]を使わずに主蒸気逃し安全弁(SRV)を開けて原子炉の圧力を下げて処する手順書通りに操作し、事態が悪化したとする専門家の指摘の報道[4]もあるが、事実関係はまったくこれと異なり、過去に使用履歴の無い非常用復水器(IC)が起動されたとの報告[5]が出されている。
スリーマイル島原子力発電所事故では各種の警報が一斉に発せられた結果それらのプリントアウトが間に合わなくなり100分も遅延しテンプレート:Sfn、非常給水弁の開け忘れ、「マニュアル通りの」主冷却剤ポンプ停止措置などが事態を深刻化させたテンプレート:Sfn。また、1977年9月にはアメリカのコロラド州で、1980年12月にはオーストラリアのシドニーで、放射性物質を運搬中の車両が交通事故を起こしたテンプレート:Sfn。
臨界事故
テンプレート:Main 高濃度の放射性物質が集まり核反応が連鎖的に続く状態になることを臨界という。原子力発電の安全性はこの臨界を原子炉内で制御できるかどうかにかかっている。東海村JCO臨界事故では作業員がバケツを使って放射性物質を取扱い、バケツの中で制御されない臨界が起きた。 臨界が起こると、その場所から周囲に中性子が放射される。中性子は構造物を貫きやすく、通常の防護服や防護機材さえ貫通して、長距離(数百m - 数km以上)にわたって生物の細胞を損傷する。また、中性子により普通の原子が放射性原子に変化する中性子放射化が起こる。
原子力施設の停電
原子力施設の停電が問題である。電源が失われると冷却が出来なくなり、蒸発で水が失われ重大事故(冷却材喪失事故)となり、そのままだと炉心溶融の上で水蒸気爆発または水素爆発により大量の放射性物質が外部に漏れる虞がある。また放射性物質貯蔵システムでも崩壊熱が出続けているため、当面の間(数年以上)は冷却の必要がある。電力が失われれば状況も不明になり、制御も困難となる。原子力施設における全電源喪失をステーションブラックアウト(Station Blackout、SBO)という。
原子力施設を支える命綱には通常
の4系統がある。
原子炉保安指針[注釈 6]では全ての電源系が停止するのは「『ニューヨークに』隕石が直撃する確率」として扱われていた[注釈 7]が、広域で長時間外部電源系が停止した事例は必ずしも珍しくないテンプレート:Refnest。 2013年2月8日夜には猛吹雪による広域停電のため、アメリカ北東部、マサチューセッツ州プリマスにあるテンプレート:仮リンクの外部電源が途絶え自動停止する事態が発生した。このときはディーゼル発電機で復旧した[6]。
冷却系の損傷
冷却系の損傷は重大事故を招くため、いくつか予備系がある。一つは原子炉の蒸気を使う原子炉隔離時冷却系 (RCIC) 、もう一つは非常用炉心冷却装置 (ECCS) と呼ばれる非常時に大量の水をシャワーする系統である。他にも中性子を止めるホウ酸を注入する系統もある。[注釈 8]
冷却パイプの問題
原子炉内部を冷却するパイプは、(1)細い、(2)薄い、(3)曲がっている、(4)中性子などに曝されている、(5)圧力が高い、(6)密集している、(7)ナトリウム冷却の場合は腐食性が高い(通常は徹底的に不純物を除いた水を用いる)、(8)施工不良[注釈 9]などの悪条件が重なっている。経年変化、不純物、格子欠陥、振動、地震などの条件があると、設計寿命のかなり前に詰まったり破断したりする。定期検査によって全てのパイプを徹底検査できない[注釈 10][注釈 11]ため、事故の原因となり得る。挙動が複雑なので、固有振動の計算が困難で(設計時には可能だが、条件の変化が大きい。古い設計ではかなり省略して計算している)想定外のひずみや圧力の集中が起こり、ひび割れや破断が起きることがある。
パイプの材質は万全ではない。エロージョン/コロージョン(壊食/腐食、E/C)により内面減肉(配管の厚みが減ること)が一部に起こり(局部減肉)穴が開いたり亀裂ができる。場所の予想は困難であり、年間数mmの速度であるので時期の予測も困難であり、検査漏れが大きな事故を招きやすい。これは炭素鋼の弱点であるが、低合金鋼で対処が困難な場合にオーステナイト系ステンレス鋼にすると応力腐食割れを起こす。この問題は火力発電所・石油化学・一般化学プラントなどと共通の未解決問題である[7]。
ナトリウム事故
原子炉の熱を運び出し、タービンを回すための冷却剤として使われるのは通常、水(H2O、軽水ともいう)、重水 (D2O) であるが、液体金属ナトリウム (Na) が使用されることもある。しかし、液体ナトリウムは水分や空気に触れると爆発する性質を持ち、腐食性も高い[注釈 12]。また、別の元素が混入すると硬化し冷却困難となる場合があるテンプレート:要出典。[注釈 13]
反応係数
個々の事象の反応係数は、場合によって異なる。「制御棒を入れると必ず反応が低くなる」わけでもないし、水素の泡(ボイド)の発生や燃料棒や制御棒の抜き差しの速さなどによっても、原子炉の挙動は変化する。当直運転員や管理者が全ての挙動を把握しているわけではないので、事故の時に適切な対処が出来るとは限らない。
制御棒の出入り口など
原子炉及び格納容器内部は完全に閉じ込められているわけではない。まず炉心冷却剤の出入りの太いパイプがあり、各種緊急冷却系、計測器、制御棒、消火系、電力系、通信系などの穴が開いている。それらは格納容器と同等の耐熱性、耐久性、強度を持っているわけではないため、事故の原因となるおそれがある。
主な原子力事故
日本
INESレベル7の事故
福島第一原子力発電所炉心溶融・水素爆発事故
テンプレート:Main 2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、東京電力福島第一原子力発電所で圧力容器内の水位が低下。炉心が高温になるも、非常用電源の故障で緊急炉心冷却システムも作動せず、水蒸気爆発の可能性が高まった。そのため、弁を開いて放射性物質を含んだ水蒸気を大気中に放出した。この作業により、敷地境界域で1015 μSv/hの放射線を確認。燃料棒も一部溶解。日本初となる原子力緊急事態宣言が発令され、周辺半径20kmの住民には避難指示が出された[8]。
経済産業省原子力安全・保安院は12日、国際原子力事故評価尺度 (INES) の暫定値で、「局所的な影響を伴う事故」とするレベル4に当たることを明らかにした。東海村JCO核燃料加工施設臨界事故と同レベル[9]。
経済産業省原子力安全・保安院は1 - 3号機の事故の深刻さを示す国際評価尺度 (INES) を、8段階のうち3番目に深刻な「レベル5」にすると発表した[10]。
その後、同年4月12日、経済産業省原子力安全・保安院は国際評価尺度 (INES) の暫定評価を「レベル7」にすると発表した[11]。
- 2011年11月30日、東京電力は炉心の解析状況を発表した。
- 1号機・・14時間の断水で、燃料は3000度に達し、68tの燃料がすべて溶けて鋼鉄製の圧力容器を抜けて格納容器下部にたまった。さらにコンクリートの床も最大65cm浸食した可能性がある。外側の鉄板までの残りは37cmである。
- 2号機は57%、3号機は63%の燃料が格納容器外へ落下した可能性がある。
福島第一原子力発電所事故の状況は、原子炉格納容器内のメルトダウンだけだったスリーマイル島事故を遙かに超えており、30年超といわれる廃炉作業の見通しはかなり暗いとされる。
INESレベル4の事故
- 1999年9月30日 東海村JCO核燃料加工施設臨界事故
- 日本で3番目の臨界事故で、作業員2名が死亡。レベル4[12]。
INESレベル3以下の事故
- 1978年11月2日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故
- 日本で最初の臨界事故とされる。
- 戻り弁の操作ミスで制御棒5本が抜け、午前3時から、出勤してきた副長が気付きゆっくり修正し終わる10時半までの7時間半、臨界が続いたとされる。
- 沸騰水型の原子炉で、弁操作の誤りで炉内圧力が高まり、制御棒が抜けるという本質的な弱点の事故。この情報は発電所内でも共有されず、同発電所でもその後繰り返され、他の原発でも(合計少なくとも6件)繰り返される。1999年志賀原発事故も防げたかも知れず、本質的な弱点なので、世界中の原子炉で起こっている可能性がある。
- 特に重要なのが、1991年5月31日の中部電力浜岡3号機の制御棒が同様に3本抜けた事故である。中部電力は1992年にマニュアルを改訂した。「国への報告はしなかったが、他電力へ報告した。」と主張した。
- 事故発生から29年後の2007年3月22日に発覚、公表された。東京電力は「当時は報告義務がなかった」と主張している。
- 1989年1月1日 東京電力福島第二原子力発電所3号機事故
- 原子炉再循環ポンプ内部が壊れ、炉心に多量の金属粉が流出した事故。レベル2。
- 1990年9月9日 東京電力福島第一原子力発電所3号機事故
- 主蒸気隔離弁を止めるピンが壊れた結果、原子炉圧力が上昇して「中性子束高」の信号により自動停止した。レベル2。
- 1991年2月9日 関西電力美浜発電所2号機事故[13]
- 蒸気発生器の伝熱細管[注釈 14]の1本が破断し、55トンの一次冷却水が漏洩し、非常用炉心冷却装置 (ECCS) が作動した。レベル2。放出量0.6キュリー。
- 1991年4月4日 中部電力浜岡原子力発電所3号機事故
- 誤信号により原子炉給水量が減少し、原子炉が自動停止した。レベル2。
- 1997年3月11日 動力炉・核燃料開発事業団東海再処理施設アスファルト固化施設火災爆発事故
- 低レベル放射性物質をアスファルト固化する施設で火災発生、爆発。レベル3。
- 1999年6月18日 北陸電力志賀原子力発電所1号機事故
- 定期点検中に沸騰水型原子炉 (BWR) の弁操作の誤りで炉内の圧力が上昇し3本の制御棒が抜け、想定外で無制御臨界になり、スクラム信号が出たが、制御棒を挿入できず、手動で弁を操作するまで臨界が15分間続いた。点検前にスクラム用の窒素を全ての弁で抜いてあったというミスと、マニュアルで弁操作が開閉逆だったと言うのが、臨界になる主な原因であった。
- 所長も参加する所内幹部会議で隠蔽が決定され、運転日誌への記載も本社への報告も無かったとされる。当時の所長代理は、発覚時点で常務・原子力推進本部副本部長=安全担当、志賀原発担当。総点検の聞き取りに対しては事故を報告しなかった。
- 原発関連の不祥事続発に伴う2006年11月の保安院指示による社内総点検中、報告が出た結果、2007年3月公表に至った。レベル1 - 3。
- 日本で2番目の臨界事故とされる。
- 日本原子力技術協会が、最悪の事態を想定して欠落データを補完した研究によると、定格出力の15%まで出力が瞬間的に急上昇した即発臨界であった可能性がある。ただし、燃料中のウラン238が中性子を吸収し、それ以上の事態になる可能性はなかったという。
- この事故に関して、一部マスコミ等で「制御棒が落下した」「沸騰水型原子炉の制御棒は下から挿入されるので、水圧が抜けると落下する危険がある」との誤解があったが、実際は「水圧装置の誤作動により、引き抜き動作が行われた」であり、重力の影響で落下したのでないことに注意が必要である。
- 2011年3月11日 東京電力福島第二原子力発電所事故
- 東日本大震災による地震・津波で原子炉の冷却機能が一時不全状態に陥った事故。
- 原子力安全・保安院は2011年3月18日にINESレベル3であるとの暫定評価を下した。
- 2013年5月23日 J-PARC放射性同位体漏洩事故
- J-PARCハドロン実験施設にて、装置の誤作動により管理区域内に漏洩した放射性同位体が、排気ファンを回すという人為的な行動によって管理区域外に漏洩した事故。
- 原子力規制委員会は、2013年5月27日に本件をINESレベル1に相当する事象と暫定的に評価した。
その他の事故
- 1973年3月 関西電力美浜発電所燃料棒破損
- 美浜一号炉において核燃料棒が折損する事故が発生したが、関西電力はこの事故を公表せず秘匿していた。この事故が明らかになったのは内部告発によるものである。
- 1974年9月1日 原子力船「むつ」の放射線漏れ事故
- 1995年12月8日 動力炉・核燃料開発事業団高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩事故
- 2次主冷却系の温度計の鞘が折れ、ナトリウムが漏洩し燃焼した。レベル1。この事故により、もんじゅは15年近く経った2010年4月まで停止を余儀なくされた。
- 1998年2月22日 東京電力福島第一原子力発電所
- 第4号機の定期検査中、137本の制御棒のうちの34本が50分間、全体の25分の1(1ノッチ約15cm)抜けた。
- 2004年8月9日 関西電力美浜発電所3号機2次系配管破損事故
- 2次冷却系のタービン発電機付近の配管破損により高温高圧の水蒸気が多量に噴出。逃げ遅れた作業員5名が熱傷で死亡。レベル0+。
- 2007年7月16日 新潟県中越沖地震に伴う東京電力柏崎刈羽原子力発電所での一連の事故
- 同日発生した新潟県中越沖地震により、外部電源用の油冷式変圧器が火災を起こし、微量の放射性物質の漏洩が検出された。この地震により発生した火災は柏崎刈羽原子力発電所1箇所のみであるとされる。
- 震災後の高波によって敷地内が冠水、このため使用済み核燃料棒プールの冷却水が一部流失している。
- 全ての被害の詳細は2007年10月現在もなお調査中である。この事故により柏崎刈羽原子力発電所は全面停止を余儀なくされた。
- 2007年11月13日、経済産業省原子力安全・保安院はこの事故をレベル0-と評価した。
- 2010年6月17日 東京電力福島第一原子力発電所2号炉緊急自動停止
- 制御板補修工事のミス[注釈 15]があったが、常用系電源と非常用電源(常用系から供給されている)から外部電源に切り替わらず、冷却系ファンの停止を招き、緊急自動停止(トリップ)した。電源停止により水位が2m低下した。燃料棒露出まで40cm(単純計算で6分)であった。トリップ30分後に非常用ディーゼル発電機2台が動作し、原子炉隔離時冷却系[注釈 16][14]が動作し、水位は回復した[15][注釈 17][注釈 18]。
カナダ
- 1952年12月12日 チョーク・リバー研究所事故
- 1947年にカナダオンタリオ州(オタワの北西150km)に建設された出力4.2万KWの実験用原子炉NRXの事故である。操作ミスで制御棒が引き抜かれ、1万キュリーまたは370テラベクレルの放射能を有する放射性物質が外部に漏れた。後年、国際原子力事象評価尺度レベル5と判定された。その後1993年まで稼働していた[16]。
旧ソビエト連邦・ロシア
- 1957年9月29日 ウラル核惨事
- 旧ソビエト連邦ウラル地方に建設された「チェリャビンスク65」という暗号名を持つ秘密都市の、「マヤーク」(灯台の意味)という兵器(原子爆弾)用プルトニウムを生産するための原子炉5基および再処理施設を持つプラントで起こった事故。プルトニウムを含む200万キュリーの放射性物質が飛散した。放射性物質の大量貯蔵に伴う事故の危険性を知らせた事故である。原子力における冷却不能が(廃棄物であっても)爆発大事故につながった事故である。当初この事故は極秘とされていたが、西側に亡命した科学者であるテンプレート:仮リンクが1976年に英科学誌「ニュー・サイエンティスト」に論文を掲載したことで知られるようになった。国際原子力事象評価尺度でレベル6の大事故であり、現在も放射能汚染は続いている。
- 1986年4月26日 チェルノブイリ原子力発電所事故
- ソビエト連邦下のウクライナ共和国チェルノブイリ原発4号機が爆発・炎上し、多量の放射性物質が大気中に放出されたレベル7の大事故。原因は諸説あるが、発電実験中、出力が急上昇して起こったとされている。放射性物質は気流に乗って世界規模で被曝をもたらした。直接の死亡者は作業員・救助隊員の数十名だけである。しかし、2005年に発表された世界保健機関 (WHO) 等の複数組織による国際共同調査結果では、この事故による直接的な死者は最終的に9,000人と評価された。2000年4月26日に行われた14周年追悼式典では事故処理に従事した作業員85万人のうち、5万5,000人が死亡したと発表されている。この事故を契機に国際的な原子力情報交換の重要性が認識され、テンプレート:仮リンク (WANO) が結成された。
- 1993年4月6日 トムスク-7での事故
- ロシア連邦トムスク州の都市セヴェルスクに旧ソ連時代からあるトムスク-7再処理コンビナートにおいて、硝酸での清掃時にタンクが爆発する事故。爆発によって放射性ガスの雲が放出された。国際原子力事象評価尺度レベル4の事故[17]。
イギリス
- 1957年10月10日 ウィンズケール原子炉火災事故
- 世界初の原子炉重大事故。イギリス北西部の軍事用プルトニウムを生産するウィンズケール原子力工場(現セラフィールド)の原子炉2基の炉心で黒鉛(炭素製)減速材の過熱により火災が発生、16時間燃え続け、多量の放射性物質を外部に放出した。避難命令が出なかったため、地元住民は誰も避難しなかった。数十人がその後白血病で死亡した。現在の所白血病発生率は全国平均の3倍である。当時のマクミラン政権が極秘にしていたが、30年後に公開された。現在でも危険な状態にある。2万キュリーのヨウ素131が工場周辺500平方キロメートルを汚染し、ヨードの危険性を知らせたことで有名である。水素爆発のおそれから注水に手間取った。これはスリーマイル島でも繰り返された。
アメリカ合衆国
- 1959年7月13日 サンタスザーナ野外実験所燃料棒溶融事故
- カリフォルニア州ロサンゼルス市郊外約50kmのシミバレーにあったナトリウム冷却原子炉の燃料棒が溶融した。1500-6500キュリーのヨウ素131と1300キュリーのセシウム137が環境中に放出されたとされる。1960年に閉鎖されその後解体された。1979年に学生が偶然資料を発見し公表するまで極秘であり、2011年8月現在エネルギー省のサイトに一切情報がない。
- 1996年にプルトニウム239とコバルト60、2011年にセシウムがそれぞれ規制値の数倍から数百倍検出された。
- 1961年1月3日 SL-1事故
- w:SL-1 (Stationary Low-Power Reactor Number One) はアメリカのアイダホフォールズにあった海軍の軍事用の試験炉である。運転出力は軍事基地のための暖房用の熱エネルギーとして400 kW、電気出力として200 kWの合計600 kWであり、設計出力は3 MWであった。当事者が死亡してしまったため事故の原因ははっきりとは分かっていないが、制御棒を運転員が誤って引き抜き、原子炉の暴走が起きたと考えられている。10センチまでしか引き出してはいけない制御棒が50センチも引き出されていたが、この制御棒は引き出すときにハウジングに引っかかることが事件前の映像からもわかっており、運転員が力まかせに引っ張ったものと考えられている。その結果大量の水蒸気が瞬時に発生し炉内が高圧になって炉が破壊された。この暴走により、13トンの原子炉容器が3メートル近く飛び上がった。事故で放出されたエネルギーは約50 MJに相当し、炉内にあった約100万キュリーの核分裂生成物のうち約1パーセントが放出されたと考えられている。
- なお原子炉は暴走したものの、その後減速材である軽水が失われたため自然に停止したと考えられている。また、冷却材が失われても炉心が溶融しなかったのは、炉の出力が小さかったためとも考えられる。
- 事故が起きたのは午後9時であり、当時夜勤で3人の運転員がいたが2人は即死であったと考えられる。事故発生後に救出隊が駆けつけたときは放射線の強さが非常に強く、1時間半は現場に近づく事さえできなかった。現場に入ると制御室には2人がおり、その内の2人がまだ生きていて救急車で搬送されたが、搬送中に死亡した。事故から数日後に残りの1人が原子炉の暴走により飛び出した制御棒に胸を貫かれ、天井に磔にされた状態で発見された。
- 3人の遺体は、露出していた頭部や手などが余りにも汚染度が激しかったため、切断して高レベル放射性廃棄物として処理しなければならなくなった。搬送に使用した救急車も放射能に汚染されてしまったために、後に放射性廃棄物として処分しなければならなくなった。
- チェルノブイリ原子力発電所事故が起きるまでは原子炉で死者が出た唯一の事故として知られていた。この事故により制御棒の設計は見直され、放射線汚染の際の対処方法も開発された。[18]
- 1966年10月5日 エンリコ・フェルミ1号炉
- エンリコ・フェルミ炉はアメリカのデトロイト郊外にあった高速増殖炉試験炉である。1966年10月5日に炉心溶融を起こし閉鎖された。原子炉の炉心溶融事故が実際に発生した最初の例とされている[注釈 19]。後にこの事故について書かれたドキュメンタリーテンプレート:Fullのタイトルには、『我々はデトロイトを失うところであった』と書かれた。
- 1979年3月28日 スリーマイル島原子力発電所事故
- アメリカ・スリーマイル島原子力発電所の炉心溶融事故。レベル5の事故であり、不完全な設備保全、人間工学を重視していない制御盤配置、そして中央制御室運転員の誤判断等が重なって発生した。当初は外部へ放射性物質が大量に放出されたとの報道もあった。この事故の影響により、アメリカ政府は新規原発建設中止に追い込まれた。アメリカではこの事故を契機にトラブルや運転等の情報を共有する組織としてテンプレート:仮リンク (INPO) が結成され[19][20]、その後の原子力発電所の安全性向上に寄与することとなった。
フランス
- 1963年10月フランスのサン=ローラン=デ=ゾー原子力発電所で燃料溶融事故
- 1999年12月27日、ジロンド川に面するボルドー近くのルブレイエ原子力発電所で、大嵐のため洪水が発生し、外部電源系が全部停止し、1,2号機の全電源喪失が起こった。1,2号機は蒸気発生器により炉心冷却ができ、またESWSも復旧した。幸い4号機が30日未明に復旧しこの事態は収まった[21][22]。この教訓は知られていたが、JNESの2007年の指摘に対し国内原発での安全策は講じられなかった[23][24][25]。
- 2008年7月7日、トリカスタン原子力発電所事故
- 7日の夜から8日にかけて、フランス・アヴィニョン北部ボレーヌ市に接するトリカスタン原子力発電所において、ウラン溶液貯蔵タンクのメンテナンス中、 タンクからウラン溶液約3万リットルが溢れ出し、職員100人余が被曝し、付近の河川に74 kgのウラニウムが流れ出した。原発は一時閉鎖され、水道水の使用や河川への立ち入りが禁止されるなどした[26][27]。フランス原子力安全庁は事故レベルを0としている。
スイス
- 1969年1月21日
- スイスのボー州リュサン(Lucens)の研究用ガス冷却地下原子炉での冷却材喪失事故で、炉心燃料が一部溶融、放射性物質が洞窟内に漏れた[28]。その後地下水経由での環境中への放射性物質流出が続いている。
沸騰水型原子炉の臨界事故
- 1973年11月、バーモントヤンキー原発(米バーモント州)
- 検査のため抜いた状態だった制御棒の隣の制御棒を誤って抜き、炉心の一部が臨界。圧力容器と格納容器の蓋は開けたままだった。
- 1976年11月、ミルストン原発1号機(米コネティカット州)
- 臨界は炉心スクラムで止まった。
- 1987年7月オスカーシャム原発3号機(スウェーデン)
- 制御棒の効果を調べる試験中に制御棒を抜いていたところ想定外の臨界状態になったが、運転員が気付くのが遅れ、臨界状態が続いた。
ブラジル
- 1987年9月、ゴイアニア被曝事故
- ブラジルのゴイアニア市で発生した放射能汚染事故。閉鎖された病院に放置されていた放射線療法用の医療機器から放射線源が盗難に遭い、地元のスクラップ業者によって解体された事で内部のセシウム137が露出。放射性物質の危険性を認識できず蛍光物質が暗闇で光るという特性に好奇心を持った人々が自宅に持ち帰るなどした事で、貧民街を中心に汚染が広がった。同年の12月までに250人が被曝し、4人が急性放射線障害で死亡した。翌年の3月までに汚染がひどかった家屋7軒が解体され、周辺の土壌交換などが行われた。
主な軍事原子力事故
原子力潜水艦などの事故(原潜事故)について、概説する。なお、旧ソ連やアメリカをはじめ、各国とも原子力の軍事利用に関する事故の情報は軍事機密とされ、事故の詳細は公表されないことが多い。
原子力潜水艦
旧ソ連・ロシア
テンプレート:出典の明記 級の名前はNATOが命名。本当の名前は当時最高機密事項だったので、旧ソ連海軍もNATO名を使用。深さは沈没した潜水艦のいる場所の深さである[注釈 20]。
- 1961年7月4日 K-19(ソ連海軍初の原潜、ホテル級原子力潜水艦、テンプレート:要出典範囲) 一次冷却系の圧力低下によって生じた事故である。8名が死亡した。原因は、修理中の溶接棒の破片が冷却回路内に入っていたためのテンプレート:要出典範囲[注釈 21]。
- 1968年3月8日 ハワイ沖でゴルフ型潜水艦K-129が沈没した。核ミサイル3発搭載[注釈 22]。
- 1968年5月 ノヴェンバー級原子力潜水艦 液体金属冷却剤の硬化。9名死亡。燃料の20%損傷[注釈 23]。
- 1969年11月15日K-19バレンツ海で米スレッシャー級のガトーと衝突した。
- 1970年4月11日 ビスケー湾4,700m。ノベンバー級K-8。52名死亡した
- 1970年6月 エコー2型原子力潜水艦が米「トートグ」と衝突、ソ連側が沈没した。
- 1971年3月 ソ連沿岸で米ソ原潜が衝突、詳細不明となった。
- 1972年2月24日 K-19ニューファンドランド沖1,200kmで火災事故。28名死亡した。
- 1974年5月 ソ連沿岸で米ソ原潜が正面衝突した。
- 1979年7月 太平洋艦隊で冷却水漏れ[注釈 24]。
- 1981年8月 沖縄沖でエコー1型原子力潜水艦艦内で火災が発生し、9名以上が死亡した[注釈 25]。
- 1983年 チャーリー1型原子力潜水艦の原子炉室に浸水し、16名が死亡した[注釈 26]。
- 1985年8月10日正午頃 エコー2型K-431。ウラジオストック近郊チャジマ湾の船舶修理工場で燃料棒交換中に、原子炉の誤操作で制御棒が抜かれ、炉心の核反応が高まり原子炉が爆発した。10名が即死、290名が被曝した。500万キュリーの放射能を持つ放射性の塵と、200万キュリーの放射能を持つ放射性の希ガス類が流出し、北西30kmに渡り拡散したとされる[注釈 27]。この事故で放出された放射能は総量で推定26京ベクレルであった[29]。
- 1985年12月 ウラジオストック近郊で冷却水漏れとメルトダウン事故が起きた。
- 1986年夏 エコーII級 一次冷却回路に別の元素が混入した。
- 1986年夏 ヴィクター級原子力潜水艦でメルトダウン事故が起きた可能性が疑われている。
- 1986年10月9日 バミューダ諸島沖でヤンキー級原子力潜水艦K-219で何らかの事故が発生し、米国沖で火災により沈没した。この艦は核ミサイルを搭載しており、核弾頭34基も海中に没した疑いがあった[30]。
- 1989年4月 ノルウェー沖1,685mでマイク級原子力潜水艦K-278コムソモレツで火災が発生し沈没した。40数名が死亡した。核兵器2個が海没したとされる。
- 2000年8月 オスカーII型原子力潜水艦の「クルスク K-141」 (18,000t) が、炉心に約2トンの核燃料を搭載したままバレンツ海の110mに沈没した。118名が全員死亡した。
- 2011年12月29日ムルマンスクのドックで修理中のデルタ級原子力潜水艦「エカテリンブルクK-84」(排水量約1万2000t)で足場用の木材から火災が発生し20時間燃え続けた[注釈 28]。その後の報道で魚雷[注釈 29]と核弾頭搭載のSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)[注釈 30]も艦内あったという[注釈 31]。 ロシアはほぼ一昼夜1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故以来最悪の核事故が起きる瀬戸際にあったという。
ソ連は旧式化した原子炉を少なくとも日本海に4基、北極海に17基投棄している。放射性廃棄物も多数海洋投棄している事実が発覚している。
旧ソ連体制が崩壊する前後当時のロシア社会の大変革期には、ミハイル・ゴルバチョフ書記長がペレストロイカやグラスノスチ政策によって軍組織に情報公開を迫ったことや、原子力潜水艦自体ほとんどが退役していたか、書類上は現役であっても多くが稼動不可能な状態にあったこと、東西冷戦終結によって戦略核戦力のすべてを秘匿し維持し続ける必要性が失われたことなどから、こうした旧ソ連の原潜に関する情報が公表されるようになった。
アメリカ合衆国
- 1963年4月10日 米パーミット級原潜「スレッシャー」、大西洋ニューイングランド沖2,500 mにて沈没した。原子炉緊急停止。1962年6月の衝突事故と海面下の内部波の関与が疑われる。129名が死亡した。後の潜水調査で、残骸からコバルト60が検出されている。
- 1965年5月22日 米スキップジャック級原潜「スコーピオン」、大西洋3,000 mにて沈没した。沈没原因の詳細は不明である。核兵器2個搭載。99名が死亡した。
フランス
航空機事故
- 1966年1月17日 米軍のB-52G戦略爆撃機がスペイン南部の沿岸上空で空中給油機と衝突し、4個の水爆が地上と海中に落下した。そのうち2個の水爆の起爆装置が地上で爆発し、プルトニウムとウラニウムが飛散した。1,500トンの土が回収されたが、2008年の調査では、30ヘクタールの5万立方メートルに500gのプルトニウムが深さ5mまで残っている(パロマレス米軍機墜落事故を参照)。
船舶事故
その他の事故
原子力事故を主題とした作品
※事故が物語上の1エピソードとして扱われる作品も含まれている。
- プロメテウス・クライシス(The Prometheus Crisis) - テンプレート:仮リンクとテンプレート:仮リンクによる1975年のアメリカの小説。巨大原子力発電所が事故を起こしロサンゼルスを死の灰が襲う。
- チャイナ・シンドローム - 1979年公開のアメリカ映画
- チェーン・リアクション - 1980年公開のオーストラリア映画
- ゴルゴ13 第213話「2万5千年の荒野」 - 日本のシリーズ漫画の、1984年に発表された当エピソードでは、南カリフォルニアで操業を開始した原子力発電所にメルトダウンの危機が迫る。ゴルゴ13は貯まった水蒸気を逃がすために原子炉内のパイプを狙撃する。
- みえない雲 - 1987年発表のドイツのヤングアダルト向け小説。2006年には映画化された
- 一九九九年地球壊滅 - 1988年発表の桐山靖雄による日本の小説。世界4ヵ国にある5ヵ所の原子力発電所が爆破され、世界中に死の灰が広がる。
- 第五惑星アスカ - 1989年発表の日本のライトノベル
- 夢 『赤冨士』、『鬼哭』- 1990年公開の日本、アメリカ合作映画 黒澤明監督の夢を基にしたオムニバス映画で『赤富士』では原子力事故で富士山が噴火する様子を、続く『鬼哭』では放射能汚染で人が鬼になって生きる世界を描いている。
- 罵詈雑言(バリゾーゴン)- 1996年発表の渡辺文樹監督による自主映画。福島県のある原子力発電所で起こった重大トラブルにからんで自殺、殺人事件が起こる。事件を知った主人公が村人から話を聞いて回る間に、村への大規模な原子力発電所の誘致の動きが進む[31]。
- K-19 - 1961年に起こったソ連の原子力潜水艦「K-19」での原子力事故をモデルにした、2002年のアメリカ映画
- ザ・ホワイトハウス シーズン7第12話「Duck and Cover」 - アメリカのテレビドラマシリーズの、2006年1月に放送(日本では2009年に放送。和題は『メルトダウンの危機』)された当エピソードにおいて、カリフォルニアの原子力発電所で事故が発生する。
- COPPELION - 2008年より連載が続いている日本の漫画
- 臨界幻想2011 - 1981年から82年にかけて『臨界幻想』の題で上演され、『臨界幻想2011』に改作後2012年から再演されている日本の舞台演劇
- 希望の国 - 2012年公開の日本映画
脚注
注釈
注釈 原子力施設の停電
出典
参考文献
- テンプレート:Cite book
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- テンプレート:Cite book
- テンプレート:Cite book
- 日本原子力学会『EURANOS 食糧生産システム管理 ハンドブック』
- 日本原子力学会『EURANOS 飲料水管理ハンドブック 対策技術データシート仮訳 V1.0』平成23年12月
- 日本原子力学会『EURANOS 欧州における放射能事故で汚染された居住エリア管理のための包括的ハンドブック』
- 『EURANOS 欧州における放射能事故後、緊急時対策の解除を支援するための助言』英文(Generic Guidance for Assisting in the Withdrawal of Emergency Countermeasures in Europe Following a Radiological Incident)
関連項目
テンプレート:ウィキポータルリンク テンプレート:Sister
- 原子力事故の一覧
- en:Nuclear_power_accidents_by_country 各国の原子力発電所の事故(英版)
- 国際原子力事象評価尺度
- 原子力発電 - 原子力発電所 - 警戒区域 - 5重の壁
- 原子力委員会 - 原子力安全委員会 - 原子力安全・保安院
- 原子力資料情報室
- 原子力撤廃
- 廃炉
- 反核運動
- 埋蔵電力
外部リンク
- 原子力百科事典 ATOMICA トップページ(財団法人 高度情報科学技術研究機構)
- 核時代 負の遺産
- 原子力施設情報公開ライブラリー「ニューシア」
- 原子力安全基盤機構 国内・国外トラブルが検索できる
- ↑ 原子力安全規制 - 高度情報科学技術研究機構
- ↑ 村主進『原子力発電のはなし』日刊工業新聞社、1997年7月15日初版第1刷発行、ISBN 978-4-526-04043-6テンプレート:要ページ番号。
- ↑ テンプレート:Harvnb炉心溶融の概念、冷却剤損失、冷却水由来の水蒸気爆発について。
- ↑ 「非常冷却装置、後回しに 東電手順書に疑問点 福島第一」朝日新聞 2012年5月1日23時57分
- ↑ 「福島第一原子力発電所被災直後の対応状況について」東京電力 2011年12月2日
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- ↑ 小林英男「失敗知識データベース:原子力発電所の配管破裂で蒸気噴出 【2004年8月9日、福井県美浜町】」(2004年美浜原子力発電所事故)畑村創造工学研究所。
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- ↑ 橘内良雄、小林英男「失敗知識データベース - 失敗百選「原子力発電所蒸気発生器伝熱細管破断 1991年2月9日、福井県 美浜町」畑村創造工学研究所。
- ↑ 福島第一原子力発電所5号機「原子炉隔離時冷却系の機能喪失における保安規定違反」事象に関する根本原因分析の実施および再発防止対策の策定について」平成22年11月29日
- ↑ 平成22年7月6日:東京電力:福島第一原子力発電所2号機における原子炉自動停止に関する調査結果について
- ↑ Chalk River, Canada :Encyclopedia of Earth
- ↑ Timeline: Nuclear plant accidents BBC News, 11 July 2006.
- ↑ ヒストリー・チャンネル 現代の驚異「欠陥計画」テンプレート:Full
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- ↑ 「原子力発電所の全電源喪失規制はなぜ遅れたか」ATOMOΣ 日本原子力学会誌 2012年1月p33
- ↑ 外部電源が途絶え、すぐには復旧しない前例であった。大嵐という1,000年に一度ではない事例である。
- ↑ 我が国のシビアアクシデント対策の変遷 原子力規制はどこで間違ったかp6
- ↑ 2001年02月03日にも南カリフォルニアのオノフレ原子力発電所でも電源系統の火災により電源喪失を経験している。
- ↑ サンオノフレ原子力発電所で火災が発生し、緊急停止「失敗知識データベース」
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- ↑ スイスの原子力発電開発と開発体制 (14-05-09-02)ATOMICA
- ↑ 中川八洋『脱原発のウソと犯罪』
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