スリーマイル島原子力発電所事故
スリーマイル島原子力発電所事故(スリーマイルとうげんしりょくはつでんしょじこ)は、1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した重大な原子力事故。スリーマイル島 (Three Mile Island) の頭文字をとってTMI事故とも略称される。原子炉冷却材喪失事故 (Loss Of Coolant Accident, LOCA) に分類され、想定された事故の規模を上回る過酷事故 (Severe Accident) である。国際原子力事象評価尺度 (INES) においてレベル5の事例である。
経緯
メトロポリタン・エジソン社(所有はGPUニュクリア社)のスリーマイル島原子力発電所は州都ハリスバーグ郊外のサスケハナ川のスリーマイル島 (Three Mile Island) と呼ばれる、周囲約3マイルの中州にある。
スリーマイル島原子力発電所は2つの原子炉を有し、そのうち2号炉はバブコック&ウィルコックス社(B&W社)が設計した加圧水型原子炉 (PWR) で電気出力は96万kWであった。事故当日、2号炉は営業運転開始から3ヶ月を経過しており、定格出力の97%で営業運転中だった。
事故は1979年3月28日午前4時過ぎから起こった。
2次系の脱塩塔のイオン交換樹脂を再生するために移送する作業が続けられていたが、この移送鞄管に樹脂が詰まり、作業は難航していた。この時に、樹脂移送用の水が、弁等を制御する計装用空気系に混入したために異常を検知した脱塩塔出入口の弁が閉じ、この結果主給水ポンプが停止し、ほとんど同時にタービンが停止した。 二次冷却水の給水ポンプが止まったため、蒸気発生器への二次冷却水の供給が行われず、除熱が出来ないことになり、一次冷却系を含む炉心の圧力が上昇し加圧器逃し安全弁が開いた。
このとき弁が開いたまま固着し圧力が下がってもなお弁が開いたままとなり、蒸気の形で大量の原子炉冷却材が失われていった。加圧器逃し安全弁が熱により開いたまま固着してしまったのである。原子炉は自動的にスクラム(緊急時に制御棒を炉心に全部入れ、核反応を停止させる)し非常用炉心冷却装置 (ECCS) が動作したが、すでに原子炉内の圧力が低下していて冷却水が沸騰しておりボイド(蒸気泡)が水位計に流入して指示を押し上げたため加圧器水位計が正しい水位を示さなかった。このため運転員が冷却水過剰と誤判断し、非常用炉心冷却装置は手動で停止されてしまう。
このあと一次系の給水ポンプも停止されてしまったため、結局2時間20分開いたままになっていた安全弁から500トンの冷却水が流出し、炉心上部3分の2が蒸気中にむき出しとなり、崩壊熱によって燃料棒が破損した。このため周辺住民の大規模避難が行われた。運転員による給水回復措置が取られ、事故は終息した。
結局、炉心溶融(メルトダウン)で、燃料の45%、62トンが溶融し、うち20トンが原子炉圧力容器の底に溜まった[1]。給水回復の急激な冷却によって、炉心溶解が予想より大きかったとされている。
当時の現場の環境
- コントロールパネル上の2つある出口弁の片方の表示ランプ上に別のスイッチに掛かっていた注意札が覆いかぶさった状態で見えにくくなっていた。[2]
- 異常状態を表示する警告灯や警報音送出装置が多数設置されていた。しかし、そのことが逆に現場に混乱と疲弊を生じさせる結果となった。事故当時、137個もの警報灯が点灯する「クリスマス・ツリー現象」が生じ、また警報音も30秒間に85回も鳴り響く状況であり、後に運転員が「パネル板を外して窓の外へほうり出したくなった」と証言するほどであった。このことが作業員の精神的疲労の蓄積と冷静な思考を阻害させる要因になってしまい、現場の混乱度を高めてしまうこととなった。[3]
周辺地域への影響
放出された放射性物質は希ガス(ヘリウム、アルゴン、キセノン等)が大半で約92.5 PBq(250万キュリー)。ヨウ素は約555GBq(15キュリー)に過ぎない。セシウムは放出されなかった。周辺住民の被曝は0.01 - 1mSv程度とされる(後述)。この被害は1957年に起きたイギリスのウィンズケール原子炉火災事故に次ぐ。
人体への影響
テンプレート:仮リンクは、公式発表された放出値を用いて、「発電所から10マイル以内に住む住民の平均被曝量は8ミリレムであり、個人単位でも100ミリレムを超える者はいない。8ミリレムは胸部X線検査とほぼ同じで、100ミリレムは米国民が1年で受ける平均自然放射線量のおよそ三分の一だ」としている[4][5](1ミリレムは0.01mSv)。
放射性降下物による健康への影響に関する初期の科学的文献は、こうした放出値に基づいて、発電所の周辺10マイルの地域におけるガンによる死者の増加数は1人か2人と推定している[6]テンプレート:Verify credibility。10マイル圏外の死亡率が調査されたことはない[6]。1980年代になると、健康被害に関する伝聞報告に基づいて地元での運動が活発化し、科学的調査への委託につながったが、一連の調査によって事故が健康に有意な影響を与えたという結論は出なかった。
アメリカの研究組織である放射線と公衆衛生プロジェクトは、19の医学論文と書籍 Low Level Radiation and Immune Disease を著した Joseph Mangano による算定を引用して、事故の2年後の風下地域における乳幼児死亡率に急な増加が見られることを報告した[6][7]。
動植物への影響
地域の動植物にも影響があったとも伝えられている[6]。反核運動家 en:Harvey Wasserman は、放射性降下物は「地域の野生動物や農場の家畜に死や病気の災厄」をもたらし、その一例として馬や牛の繁殖率が著しく低下したことがペンシルベニアの農業局が出した統計に表れていると述べたが[8]、同局は事故との関連を否定している。
また、原発から40km圏内で100以上の動植物の奇形が発見されていると報道されている。[9]
映画チャイナ・シンドローム
このプラントの事故は、映画チャイナ・シンドローム公開の12日後に起こった。 映画ではジャック・レモンが核カタストロフィーの可能性を指摘した原子力プラントのスーパーバイサ役を、ジェーン・フォンダがカリフォルニアテレビ局のTVニュースレポーター役を演じている。
この映画のリリース後、フォンダは原子力発電反対のロビー活動を始めた。彼女の影響で、原子物理学者で長く米政府の科学アドバイザーだったエドワード・テラーは、彼の原子力発電を支持するロビー活動によって"水爆の父"とニックネームされた[10]。
注釈・参考文献
- ↑ この状態は In-vessel melt = 圧力容器内溶融と呼ばれる。
- ↑ 『実務入門 ヒューマンエラーを防ぐ技術』東京電力技術開発研究所ヒューマンファクターグループ著、河野 龍太郎編
- ↑ 「信じられないミス」はなぜ起こる 著:黒田 勲
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 テンプレート:Cite journal
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ Harvey Wasserman, CounterPunch, 24 March 2009, People Died at Three Mile Island
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite book
関連項目
- 原子力発電
- 安全工学
- チャイナ・シンドローム (映画) - アメリカで事故の12日前に公開
- スリーマイル原子力発電所事故に対する東京電力の対応
- チェルノブイリ原子力発電所事故
- 福島第一原子力発電所事故
- 原子力事故
外部リンク
- 『原子力安全白書(昭和56年版)』
- 高度情報科学技術研究機構-原子力百科事典 ATOMICA
- 米国スリー・マイル・アイランド原子力発電所事故の概要 (原子力百科事典 ATOMICA)
- TMI事故の経過 (原子力百科事典 ATOMICA)
- TMI事故時の避難措置 (原子力百科事典 ATOMICA)
- TMI事故による作業従事者の被曝 (原子力百科事典 ATOMICA)
- TMI事故直後の評価 (原子力百科事典 ATOMICA)
- TMI事故の我が国における対応 (原子力百科事典 ATOMICA)
- TMI事故直後の米国における対応 (原子力百科事典 ATOMICA)
- TMI事故直後の諸外国等における対応 (原子力百科事典 ATOMICA)
- TMI事故の現状と調査研究 (原子力百科事典 ATOMICA)
- 米国原子力規制委員会
- 京都精華大学 - 中尾ハジメ著『スリーマイル島』
- Three Mile Island Alert - Photo Gallery - 放射線による畸形植物等の写真集
- 中国新聞 - 核時代 負の遺産
- 時事ドットコム
テンプレート:放射線de:Kernkraftwerk Three Mile Island#Der Unfall vom 28. März 1979