松本空港
松本空港(まつもとくうこう、テンプレート:Lang-en-short)は、長野県松本市と塩尻市にまたがる地方管理空港である。愛称は信州まつもと空港。
目次
概要
松本空港は、長野県が保有・管理するという珍しい経営形態[1][2]で、1965年7月16日に開港した。
日本の空港では最も標高の高い場所(標高657.5m)に位置している[3]。
年間利用客数は、国内84,572人、国際445人(2013年度)[4]。
歴史
開港からジェット化までの地道な発展
1963年2月18日に着工、建設費は3億7300万円。開港後、まず1965年8月5日から17日までの期間限定で、東亜航空(後の日本エアシステム)が大阪国際空港との1日1往復の不定期便を開設、その後1966年10月20日から同空港との間に不定期ではあるが、主に乗客の多い夏季に路線が開設されるようになった。開港当初から、東京国際空港間の路線を開設しようとする動きがあったが、東京都立川基地上空の飛行制限などから迂回ルートとなり、採算が望めないという理由で、一度も開設されなかった。その他用途としては、長野県警の山岳警備用ヘリコプターの発着や軽飛行機用に細々と運営される、という状況であった。大阪線は1982年から通年運航となり、東亜国内航空(当時)のYS-11が1日2往復する、という状態が1993年まで維持された。
その後当空港も1980年代後半になって運輸省(当時)による地方空港整備計画に基づき滑走路の延長計画が表面化してきたが、併せて1998年の長野オリンピック開催決定に伴う長野県内のインフラ整備の一環として、開催時の空の玄関口として面目を一新すべく、全面的な改修工事が施される事となり1993年5月をもって一旦運航を休止。総工費364億円を投じて滑走路の1500mから2000mへの延長及び舗装改良、老朽化・陳腐化の目立っていたターミナルビルも改築の上、1年2ヶ月後の1994年7月に再開した。
日本エアシステム(当時)は、従来の大阪線に加え、福岡線と札幌線もジェット機であるMD-87により新設、3路線による新生・松本空港の運営が始まったが、この後オリンピックまでの3年半余りは、そのカウントダウンに合わせ、松本空港を長野県の空の玄関として活性化させようという気運が高まる中、相次ぐ路線新設も行われる事となった。
オリンピック閉幕翌日の1998年2月23日には関西国際空港へ臨時便が5便運航され、外国の選手・報道関係者等の帰国に際してフル稼働を果たしたが、皮肉にも改修の一大目的であったこの大イベント終了後は利用者が漸減の一途をたどっていく事となる。
苦悩に直面するローカル空港
1994年の滑走路延長によりジェット機の離着陸を可能としたものの、空港の標高により滑走路の実効長が短くなっていること、及びターニングパッドなど中型機の離着陸に必要な設備の整備がなされなかったことから、ジェット機の発着には大きな制限がある。加えて、地元との協定で「MD-87を越える騒音レベルの機材を就航させる場合は協議が必要」とされており、これが拡大解釈され「MD-87以外のジェット機材は就航できない」という誤解を一部で招いている。
同空港の定期便として1994年以来就航していたMD-87型機は製造が既に1999年をもって中止、日本航空自体も同機の退役を進行中であった事に加え、搭乗率低下もあって座席数の少ないターボプロップ機(DHC-8)の運用に切り替える状況となっていた。ちなみに、同空港から2007年9月をもってジェット便は撤退(2010年6月に後述のFDA機エンブラエル 170でジェット便復活)、MD-87型機自体も翌2008年3月をもって日本航空からは完全に退役している。
チャーター便として、台湾、グアム、香港、上海などから、ボーイング737-800型機、エアバスA319型機が使用された実績がある。また、全日空がかつてエアバスA320型機による国内定期便就航を、大韓航空がフォッカー 100型機を用いたプログラムチャーターの就航を長野県側に打診したこともある。
上記の様な事情から、日本航空が新型のジェット機を就航させること自体は可能であると思われるが、そのような動きはみられなかった。
運用時間が8時間と短いことが利便性を損ねているとの指摘がある。運用時間延長に関しては2006年に地元との合意はできたものの、実施時期は未定である。
1998年度をピークに利用客が減少しているため、航空会社はいくつかの路線を廃止している。長野県は「松本空港活性化検討委員会」を発足させ、愛称を「信州まつもと空港」と定めるなどして、利用客の拡大に努めているものの、現在のところ目立った成果はみられない。
2009年9月、経営再建中の日本航空は松本空港からの撤退を表明し、定期旅客便が消滅する可能性が生じた。(後述)
ビジネス機の拠点として
1998年より諏訪市に本社拠点を置くセイコーエプソンが、ビーチクラフト キングエアB200型・300型機を社有機として購入し、国内各地に点在する事業所(精密機械部品工場)への社員出張用途に、松本空港を拠点として、庄内空港(酒田市の酒田事業所・東北エプソン)・鳥取空港(鳥取市のエプソンイメージングデバイス)・八尾空港へコーポレートシャトルとして定期的に就航している。
2004年に液晶パネル生産をする千歳事業所(千歳市)を新千歳空港至近の工業団地に新設したが、日本航空定期便を利用するよう配慮しているとされる。
なお、1999年9月の台湾大地震の際には、携帯電話向け液晶パネル生産において当時世界規模で過半数のシェアを支えていた、現地法人の事業所(工場)の被災状況の視察と救援物資輸送を目的として、松本空港から鹿児島空港・那覇空港を経由して、台北へ向かう海外特別便が運航された。
札幌線休止問題
2007年1月には、当空港唯一のジェット便であった札幌(新千歳空港)線を運航する日本航空インターナショナル(旧日本航空ジャパン)が、同路線を2007年10月より休止することを決定し、長野県に通告を行った。日本航空はこの休止の理由をMD-87の退役に伴う代替機が用意できないためとしていた[5]。長野県(信州まつもと空港利用促進協議会)や松本青年会議所では、運航存続を求める署名運動で合わせて15万人を超える署名を集め、2007年2月7日までに日本航空へ提出した結果、長野県が日本航空へ支援金を支払うことなどを条件として、同路線を存続させることで合意に至った[6]。運航は子会社の日本エアコミューターへと移管、意外な形で同社初の北海道路線誕生に。なお機体はMD-87からDHC-8-400に変更され、13年続いた当空港のジェット機定期運航が後述のFDA就航まで消滅した。
この合意により、札幌線は2007年9月まで毎日1往復運航されていた福岡便を週3往復に減便した上で、残る4日分の運航を札幌線に振り替えるという措置によって存続される形となった。このため、福岡方面への利便性が低下することから、日本航空側では引き続き毎日運航される大阪線を利用し福岡へ乗り継ぐ乗客に対し、運航時刻の調整や乗継割引の導入で便宜を図ると説明している。札幌線と福岡線は便数を減らすことによって、大阪線は乗り継ぎ客を見込むことによって、松本空港における全体的な座席供給数は減るものの、利用率と収益性においては改善が図れるとしている。このダイヤ改正により2005年度の利用率が42.3%と低迷している大阪線の利用者が増加した場合、増便させる考えもあると説明している。ただし、これらの措置の詳細については今後検討することとされている。長野県と日本航空との合意には、羽田再拡張に伴う機材配備が整う時期を目途として早期の復便を誠意を持って検討する、という内容が盛り込まれている。
なお減便当月の2007年10月の利用者数は7136人(前年同月比6168人・46.4%減)[7]。路線ごとの利用者数・利用率の内訳は以下の通り(括弧内は前年同月比)。
- 札幌線 2301人(週7往復 定員134人→週4往復 定員74人)・88.8%(12.6ポイント増)
- 福岡線 1230人(週7往復→週3往復)・69.3%(12.7ポイント減)
- 大阪線 2691人・61.6%(2.2ポイント増)
- 国際チャーター便 914人
JALの撤退とFDAとの協議
2009年9月、経営再建中の日本航空(JAL)は松本空港からの撤退を表明した。これにより、松本空港からは定期便が消滅する可能性が生じた。10月には、日本航空から2010年6月以降の早い時期に松本空港から撤退する意向が長野県に伝えられた。それを受け、長野県は路線存続に向けた活動を開始した。11月には、前原誠司国土交通大臣と会談し、路線存続を要請した。その後、村井仁長野県知事から、静岡空港をハブ空港とするフジドリームエアラインズ(FDA)と、福岡便及び新千歳便について、ジェット機による毎日運航の実現を目指し、協議を行っているという発表があった。
村井知事は11月30日、松本空港への乗り入れを協議していたFDAが、就航を正式決定したと発表した。その際、FDAへの財政支援や利用促進策について支援を検討するとした。一方でFDA側は、JAL撤退直後に就航することが目標としているが、便数などは「静岡空港利用客の利便性を考慮しながら検討したい」としている[8]。松本空港への就航は、機材繰りの関係から、静岡空港から撤退するJALの静岡 - 福岡便の引き継ぎが前提としている[9]。
村井長野県知事は川勝平太静岡県知事に対し、FDAの就航について2010年1月の会談を申し込んだ。川勝知事は、現在2機体制のFDAは来春に1機増えても、JAL撤退後の(静岡発)福岡便にどう回していくかを含め、松本就航をすぐに決断できないのではないかとしており、松本就航は正式決定とする長野県側と温度差を見せた[10]。こうしたことから、JALが撤退する直後となる2010年6月1日からの就航が実現できるかが危ぶまれた。
2010年1月13日、FDAホームページにて、6月1日からの運航決定が発表された[11]。1月18日にデモ飛行が行われ、静岡空港から福岡空港、松本空港、新千歳空港、松本空港、福岡空港、静岡空港というダイヤになるという見通しが示された[12]。
なお、FDAの運航となった2010年6月1日以降も、札幌線、福岡線共にコードシェア便という形でJALの名も残っている。
2014年8月1日、日本航空の経営破綻の影響で2010年に廃止されていた松本-大阪線が1日1往復1ヶ月限定の季節便として再就航した。長野県や松本市が日本航空と協力して事前広報に力を入れた結果、8月1日時点での全便搭乗率は85.1%に達し、松本空港到着の第1便は76人乗り満席という好スタートを切った[13][14]。
就航路線
航空会社名が2社以上の場合、最前(太字)の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航(コードシェア)便。
国内線
休廃止路線
- 仙台空港(運航期間:1996年8月20日 - 1997年10月31日)
- 大阪国際空港(運航期間:1965年8月5日 - 2010年5月31日)
- 関西国際空港(運航期間:1996年9月1日 - 1998年10月31日)
- 広島空港(運航期間:1995年4月25日 - 1998年3月31日)
- 高松空港(運航期間:1998年6月2日 - 1999年5月31日)
- 松山空港(運航期間:1998年6月1日 - 2001年6月30日)
- 静岡空港(運航期間:2010年10月31日 - 2011年3月26日)
空港へのアクセス
運行経路・停車停留所などの詳細は、各バス会社記事や公式サイトで確認。
バス
その他
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:日本の空港- ↑ 長野県松本空港条例に基づく、長野県企画振興部交通政策課と出先機関の長野県松本空港管理事務所の管理による。(長野県広報「信州まつもと空港のご案内」)
- ↑ 国土交通省 公式サイト 空港一覧
- ↑ 長野県公式サイト「信州まつもと空港(長野県松本空港)─よくお寄せいただく質問」
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ 知事会見20070126 - 長野県公式ホームページ(2007年5月9日時点のアーカイブ)
- ↑ 信州まつもと空港松本−札幌線存続について - 長野県公式ホームページ(2007年2月22日時点のアーカイブ)
- ↑ [http://www.shinmai.co.jp/news/20071101/KT071031ATI090015000022.htmテンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 県とFDAが合意、札幌、福岡便を継承(朝日新聞 12月01日)テンプレート:リンク切れ
- ↑ FDA:松本就航 知事が静岡県に来月の会談要請 /長野(毎日新聞 12月12日)テンプレート:リンク切れ
- ↑ テンプレート:PDFlink(2010年2月15日時点のアーカイブ)
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 信濃毎日新聞 2014年8月2日付紙面(第32面)掲載記事
- ↑ 『日航大阪線、4年ぶり就航 松本空港に季節便で』 2014年8月2日付 中日新聞
- ↑ JALグループ、2014年度 路線便数計画を決定 日本航空株式会社 2014年1月22日付