八尾空港
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テンプレート:Infobox 空港 八尾空港(やおくうこう、テンプレート:Lang-en-short)は、大阪府八尾市空港にある空港。空港法におけるその他の空港である。
概要
空港法におけるその他の空港ではあるが、設置者及び管理者は国土交通大臣である。古くからゼネラル・アビエーションの拠点として有名である。日本では珍しい交差滑走路を持つ[1]。交差滑走路を持つのは仙台空港、新潟空港、東京国際空港、そして八尾空港だけである。運用時間は8時 - 19時30分の11.5時間だが必要によって延長する場合がある[2]。空港への進入道路は22時から翌6時の間は閉鎖される[2]。最大離陸重量5.7tを超える航空機の使用は原則認められていない[2]。
周辺に航空法の高さ制限を超える違法な構造物や樹木が650件も存在するため、安全上の問題を抱えているテンプレート:要出典。
歴史
- 1933年(昭和8年) - 中河内郡大正村大字南木本・太田の農地埋め立てにより東西700m、南北300mの芝生張滑走路が設けられ、阪神飛行学校が設立、民間機パイロットの養成訓練開始。なお、開校年については、下記八尾市立図書館HPや『日本民間航空史話』(日本航空協会)では1938年(昭和13年)とあり、陸上自衛隊八尾駐屯地HPでは1934年(昭和9年)とある。
- 1940年(昭和15年) - 大日本帝国陸軍へ移譲。阪神飛行学校閉校。大正陸軍飛行場と改称。
- 1941年(昭和16年) - 約6倍に拡張される。北側と西側へ拡張され、南木本と太田を結ぶ道路(旧八尾藤井寺線)は分断され西へ迂回させられるが、エプロンへの通路が設けられたため地下道でくぐるようになった。
- 1944年(昭和19年)7月 - 京阪神防空のため編成された陸軍第11飛行師団司令部が置かれ、また二式単戦「鍾馗」、四式戦「疾風」装備の飛行第246戦隊・第246飛行場大隊が置かれた。
- 1945年(昭和20年) - 米軍によって一時接収され、ヘリコプター部隊が使用。三角地(現ターミナルエリア)での農耕が始まる。
- 1952年(昭和27年) - 阪神飛行場と改称し一部民間での使用開始。
- 1954年(昭和29年) - 米軍が撤収し、日本政府に全面返還。
- 1956年(昭和31年)3月31日 - 八尾飛行場と改称し全国初の民間飛行場として使用開始。
- 1961年(昭和36年) - 空港整備法による第二種空港に指定。
- 1969年(昭和44年) - 海上保安庁第五管区海上保安本部八尾航空基地設置。
- 1970年(昭和45年) - 大阪市消防局航空隊基地設置。
- 1984年(昭和59年) - 八尾南駅北側にあった旧エプロンが廃止され、新たに整備された現ターミナル地区へ移転。
- 1987年(昭和62年) - 固定翼エプロン増設。A滑走路改良工事。
- 1994年(平成6年) - B滑走路改良工事。
- 2004年(平成16年) - 海上保安庁第五管区海上保安本部八尾航空基地が、関西空港海上保安航空基地への再編に伴い廃止。
- 2006年(平成18年)5月11日 - B滑走路隣接民有地に、航空法が定める高さ制限を越える建造物の築造があり、撤去作業のため6月12日まで閉鎖。
- 2007年(平成19年)2月13日 - 阪急ホールディングス・阪神電気鉄道の経営統合に伴う事業の一環として、阪神タイガースヘリコプターの披露式典が行われた。
- 2008年(平成20年)8月19日 - 同空港に着陸しようとした第一航空の小型機が機体トラブルのため、八尾市内の大阪外環状線弓削交差点東側の市道に緊急着陸。乗っていた2人が軽傷を負う事故が発生した。
利用航空会社
- 過去に日東航空(日本エアシステムの前身)が定期便で利用していたテンプレート:いつ。
- 航空機使用事業(固定翼機): 朝日航空、大阪航空、共立航空撮影、第一航空、ノエビアアビエーション、ヒラタ学園
- 航空機使用事業(回転翼機): 朝日航洋、東邦航空、中日本航空、ヒラタ学園
- メンテナンス・ディーラ: 関西アビエーション
- 個人利用、法人利用
- 昭和航空は、2012年1月25日に大阪地裁へ自己破産を申請し、倒産した。
利用官公庁
利用状況
約180機の固定翼機やヘリコプターが常駐しており、小型ビジネスジェット機も常駐・飛来する。
利用目的は、固定翼機及び回転翼機を使用しての宣伝広告・写真測量・遊覧飛行・薬剤散布・操縦訓練等の産業航空、災害援助・海難援助・消火救難・海洋汚染パトロール、報道・ドクターヘリの給油、企業所有のビジネス航空機の運航整備基地などのほか、自家用航空機にも利用されており多種多様である。
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2013年6月3日、日本維新の会共同代表の橋下徹と大阪府知事兼幹事長の松井一郎は米軍の新型輸送機オスプレイの訓練について八尾空港を候補地として国に提案したが[4]、八尾市長の田中誠太は受け入れ反対を表明した[5]。
配備航空機
- 陸上自衛隊
- 大阪府警察航空隊
- 大阪市消防局航空隊
アクセス
- 近畿道八尾ICから中央環状線経由で、八尾南方面へ15分ほど
- 大阪市営地下鉄 谷町線 八尾南駅から徒歩約15分
- 近鉄八尾駅または藤井寺駅からは近鉄バス(70番)、JR久宝寺駅からは近鉄バス(08番)で、八尾空港前下車。ターミナルへは徒歩約10分
関連項目
- 八尾市立志紀中学校 - 空港北隣にあり、主として自衛隊ヘリコプターによる騒音が酷かったため、防衛施設庁の予算で防音校舎へ建て替えられたテンプレート:いつ。
- 八尾市立大正小学校 - 旧校地が飛行場拡張予定地となったため、1943年に現校地に移転した。
- 志紀
- 小倉美術印刷 - 総合印刷会社として市内より1976年に移転した。
脚注
外部リンク
- 八尾空港 - 国土交通省大阪航空局
- 八尾空港・八尾市立図書館
- 日本アマチュア飛行クラブ
- ↑ 自衛隊基地では空自松島、空自防府北、海自小月が交差滑走路を持つ。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 テンプレート:Cite web
- ↑ テンプレート:Cite press release
- ↑ テンプレート:Cite news テンプレート:Cite news
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