Honda鈴鹿硬式野球部
テンプレート:社会人野球チーム Honda鈴鹿硬式野球部(ホンダすずかこうしきやきゅうぶ)は、三重県鈴鹿市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属する社会人野球チームである。
1971年に、本田技研工業鈴鹿製作所の硬式野球部として創部(当時のチーム名は「本田技研鈴鹿」)。激戦区である東海地区において中堅どころのチームとして数多くの全国大会出場歴を誇り、1994年には都市対抗野球で優勝を果たした。その後、2009年を最後に二大大会への出場が途絶えるなど、低迷状態にあったが、2014年、東海地区第4代表の座を獲得し、5年ぶりに都市対抗野球への出場を果たした。
設立・沿革
- 1971年 - 「本田技研鈴鹿」として創部
- 1972年 - 都市対抗野球初出場
- 1974年 - 日本選手権初出場(第1回大会)
- 1994年 - 都市対抗野球初優勝
- 2001年 - チーム名を「ホンダ鈴鹿」に改称
- 2007年 - チーム名の一部をアルファベット表記(「Honda鈴鹿」)に改称。[1]
主要大会の出場歴・最高成績
- 都市対抗野球 出場20回、優勝1回(1994年)
- 日本選手権 出場9回、4強1回(1998年)
- JABA北海道大会 優勝1回(1984年)
- JABA静岡大会 優勝1回(1996年)
- JABA京都大会 優勝1回(2008年)
- JABAベーブルース杯争奪大会 優勝2回(1977,81年)
- JABA高砂市長杯争奪大会 優勝1回(1985年)
- JABA富山市長旗争奪富山大会 優勝1回(2014年)
- JABA長野県知事旗争奪野球大会 優勝1回(1991年)
- JABA高山市長旗争奪飛騨高山大会 優勝2回(2001,02年)
- JABA伊勢大会 優勝2回(1981,2009年)
主な出身プロ野球選手
- 山本功児内野手(1975年巨人ドラフト5位)
- 羅本新二内野手(1978年ヤクルトドラフト外)
- 近田豊年投手(1987年南海ドラフト外)
- 湯舟敏郎投手(1990年阪神ドラフト1位)
- 高宮和也投手(2005年横浜大学生・社会人ドラフト希望入団枠)
- 宮崎充登投手(2006年広島大学生・社会人ドラフト希望入団枠)
- 中東直己外野手(2006年広島大学生・社会人ドラフト5巡)
- 濱矢廣大投手(2013年楽天ドラフト3位)[2]
元プロ野球選手の競技者登録
チャンステーマ
ホンダ3チームの共通チャンステーマである「全開HONDA」は鈴鹿チームの応援団が編み出したといわれる。また、鈴鹿チームは「全開HONDA」のほか、以下のオリジナルのチャンステーマ3曲を持っている。いずれも作詞:宮本進一、作曲:長谷川道治。
- ノンストップHONDA
この曲は、前年度の優勝により推薦出場となった1995年第66回都市対抗野球本大会に合わせて作られた。歌詞は、勢いのついた打線をカーレースに参戦するクルマになぞらえたもので、鈴鹿サーキットの地元、そして自動車メーカーであるホンダ鈴鹿ならではの曲である。曲間の間奏でバンドやスタンドの応援スタッフが左回りに一周する、珍しい楽曲でもある。
- スーパースター
この曲は本田技研鈴鹿として五年ぶりに出場した2000年第71回都市対抗野球本大会に合わせて作られた。歌詞は、勢いのついた打線を後押しするものとなっており、得点圏(中でも三塁)にランナーが進むと演奏される。
歌詞に「ドームで一番輝け」とあるように、2大大会(都市対抗野球、日本選手権)を意識した曲ではあるが、ドームへの出場の願いを込めて現在では地方大会でも定番曲として演奏される。
- 熱闘鈴鹿
この曲はホンダ鈴鹿が2005年第76回都市対抗野球本大会に出場した際に初めて演奏された。作成にあたってのコンセプトは「男っぽさ」。 歌詞にはあえてカタカナを使用せず、曲後半の選手名の部分も「熱く叫べ」との指示がある。「ノンストップHonda」や「スーパースター」とからめて使用される。
脚注
関連項目
- Honda硬式野球部 - 埼玉県狭山市を拠点とする本田技研工業の野球チーム。
- Honda熊本硬式野球部 - 熊本県菊池郡大津町を拠点とする本田技研工業の野球チーム。
- Honda Elk - 鈴鹿市を拠点とする本田技研工業のハンドボールチーム。
- Honda Heat - 鈴鹿市を拠点とする本田技研工業のラグビーチーム。
公式サイト
テンプレート:都市対抗野球大会優勝チーム- ↑ チーム名を縦書きにする際には、従来どおりカタカナと漢字の「ホンダ鈴鹿」と表記する。
- ↑ テンプレート:Cite web