周防大島
周防大島(すおうおおしま)は、山口県大島郡周防大島町に属する島である。人口約19,739人(2010年11月1日現在)。
概要
国土地理院が定める正式名では屋代島(やしろじま)と称する[1]が、周防国の大島であったことから単独で周防大島(または単に「大島」)と呼ばれることが多い[2]ほか、周防大島諸島に含まれる周辺の小島とあわせて呼ぶこともある。古くから瀬戸内海海上交通の要衝とされ、万葉集にもこの島を詠んだ歌がある。
地理
本州沖約2kmの瀬戸内海上にある。瀬戸内海では淡路島、小豆島に次ぎ3番目に大きい島である。本州との間の大島瀬戸は潮流が速く、古くは水運の難所とされていたが、現在は好漁場として釣り人のメッカとなっている。島内は海岸沿いまで山が迫り、平地は屋代・小松地区や安下庄地区などわずかしかない。島内最高峰は嘉納山(かのうさん)だが、最も山姿が美しいのは嵩山(だけさん、619m)で大島富士とも呼ばれている。晴れた日には島東部から四国の石鎚山まで望むことができる。瀬戸内海の豊富な魚介類やみかんの産地として名高い。気候は温暖で平均気温は15℃を超える。
歴史
縄文時代や弥生時代の遺跡により、当時から周防大島に人間活動のあったことがわかっている。『日本書紀』ではイザナミが生んだ大八島の一つ、7番目に生まれた島とされ、『古事記』にも同様の記述があり、古代の主要交通路だった瀬戸内海の要所だったことの表れと考えられている。このほか『国造本紀』に大島国造が見える。平城宮の長屋王邸跡から大島郡の物産であることを示す木簡が多く出土しており、長屋王の封戸が大島郡内に設定された可能性が指摘されている。また、畿内と筑紫との海路において、風光明媚な要所であることから、歌枕としても知られていた(『万葉集』巻15・3638番田辺秋庭、『後撰和歌集』恋4・829番大江朝綱など)。また、『源氏物語』「玉鬘」巻には大島を歌った和歌が登場する[3]。
鎌倉時代初期までに屋代荘・安下荘・島末荘の3荘園が成立し、これらの地頭職として大江広元が任ぜられた。治承・寿永の乱に際しては、島末荘に平知盛が城塞を構築したとする記録が残されている。室町時代には周辺海域に海賊が現れ、宇賀島衆と三島衆(村上一族)などの争いが繰り広げられた。厳島の戦い以後、大島は村上氏と深いつながりを持つようになり、村上武吉の墓が内入の元正寺に置かれている。
産業
漁業、農業(果樹、特にみかん)、観光業が産業の中心である(観光業については観光の節を参照)。
交通
島内の主要交通路は、島の北側海岸線に沿って東端の伊保田から本州への大島大橋までを結ぶ国道437号である。このほか主要地方道の山口県道4号大島環状線と山口県道60号橘東和線、一般県道の県道103号大島橘線、県道108号地家室白木港線、県道351号油田港線、県道362号白木漁港佐連線が島内を通っている。
本州の柳井市とは大畠瀬戸をまたぐ大島大橋(国道437号)により結ばれている。最寄りの鉄道駅は本州の大畠駅(柳井市)。
大島には久賀港、安下庄港、小松港、伊保田港、白木港、沖浦港の6箇所の地方港湾がある(うち白木・沖浦両港は周防大島町が、その他は山口県が港湾管理者となっている)。周防大島 松山フェリーが大島東端の伊保田港と柳井港(柳井市)及び三津浜港(松山市)とを結んでいる。このほか、小松・久賀・日前・伊保田の各港から周辺離島への町営渡船が運航している。
かつて大島大橋が開通する1976年7月4日までは、本州の大畠駅近くにある大畠港と大島の小松港との間を大島連絡船(国鉄鉄道連絡船)が所要13分で運航していた。さらに柳井港駅近くにある柳井港から同島の開作港までの連絡船(防予汽船)が運航していたほか、通津港(岩国市)から同島の久賀港までの連絡船(同)も存在していた。
観光
温暖な気候から「サザンセト」の名称のもと、リゾート化が進められている。年間約90万人が訪れる。
- みかん狩り(島全域)
- 海水浴(島全域)
- 片添ヶ浜海水浴場(片添ヶ浜海浜公園)
- 地引き網体験(片添ヶ浜など)
- 屋代ダム(屋代地区)
- 橘ウインドパーク(パラグライダー施設、安下庄地区)
- 五条千本桜
- 道の駅サザンセトとうわ
- 星野哲郎記念館
- 陸奥記念館(戦艦陸奥の記念館、伊保田地区)
- なぎさ水族館(戦艦陸奥と併設、伊保田地区)
- 日本ハワイ移民資料館
郷土料理
- 魚介料理(大畠瀬戸、情島、沖家室の鯛料理、生ウニ)
- 茶粥(番茶を煮出した粥。蒸かしたサツマイモなどを入れる)
- サツマ汁(ほぐした魚の身とダシ・味噌をトッピングした飯)
- じんだ(ネギ味噌にメバルの身を加えすり潰し、お茶漬けとして食べる)
- みかん鍋(みかんを鍋に入れた新名物の郷土料理)
伝承
- 虚空太鼓(こくうだいこ)
- 毎年6月頃にどこからともなく太鼓のような音が聞こえてくるという怪異が伝わっている。これは、かつて芸人一座を乗せた船が時化に遭い、太鼓を鳴らして助けを呼びつつ海に没したことがあり、以来その季節になるとその太鼓の音が海から鳴り出すのだといわれている[4]。
その他
- ロックミュージシャンの浜田省吾は父親が亡くなった1987年4月、父親の故郷である周防大島を訪れ、自身の作品、「PROMISED LAND」を父の棺に収めている[5]
脚注
- ↑ 主な島(2008年)(第五十九回日本統計年鑑 第1章) - 統計局(2010年版、2011年9月17日閲覧)
- ↑ 『日本の島ガイド SHIMADAS(シマダス)』第2版 p.564 2004年7月、財団法人日本離島センター、ISBN 4931230229
- ↑ 田坂憲二「大宰府への道のり」(倉田実・久保田孝夫 編『王朝文学と交通』(竹林舎、2009年) ISBN 978-4-902084-87-0)
- ↑ 『妖怪事典』p.158 - 村上健司著、毎日新聞社(2000年)
- ↑ 朝日新聞2010年11月6日。「Be」2面。