ベルギーグランプリ

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ベルギーグランプリ(ベルギーGP, テンプレート:Lang-en-short, テンプレート:Lang-nl-short, テンプレート:Lang-fr-short, テンプレート:Lang-de-short)はベルギーで行われている自動車レースであり、F1世界選手権レースのひとつ。

概要

ファイル:Circuit Spa 2007.png
スパ・フランコルシャン コースレイアウト

初開催は1925年。以来幾度かの中断を挟みながら開催され、1950年のF1世界選手権開幕シーズンからカレンダー入りした。全長12kmの公道コース、スパ・フランコルシャンを舞台に行われていたが、時代とともにマシンの性能向上に対して安全対策の不備が批判されるようになった。1969年のベルギーGPは選手組合 (GPDA) のボイコットによりキャンセルされ、1972年より常設コースのニヴェル・ボレールゾルダー・サーキットへ舞台を移した。この2ヵ所で交互開催を続ける予定だったが、ニヴェルが経営破綻したため、1975年から1982年までゾルダーで連続開催された。1983年には1周の距離が短縮されたスパ・フランコルシャンに再び戻り、1985年以降はずっとスパで開催されている。

開催時期は夏の終わりで、ハンガリーグランプリイタリアグランプリの間に挟まれることが多い。オー・ルージュをはじめ、高速コーナーが多いスパ・フランコルシャンでのレースは、スパ・ウェザーと呼ばれる短時間で天気が頻繁に変わることにより、レースに波乱の展開が多く見られる。

F1から欧州圏のGPが減っていく中で、ベルギーGPも存続が揺らいでいる。2003年はタバコ広告禁止法の施行により開催されず、2006年は主催者の破産や施設改修の遅れにより開催中止となった[1]。2013年以降はフランスGPとの隔年開催という案も検討された[2]

特筆すべき過去のレース

  • 1960年のレースは重大事故が相次ぎ、「暗黒の週末」と呼ばれた。予選ではスターリング・モスマイク・テイラーが負傷。決勝ではクリス・ブリストウアラン・ステイシーが死亡した。
  • 1964年のレースでは、レース終盤にガス欠による逆転劇が発生した。レースを独走したダン・ガーニーが残り2周でストップし、最終ラップにはグラハム・ヒルブルース・マクラーレンも同じ目に遭い、たなぼたでジム・クラークに勝利が転がり込んだ。そのクラーク自身もチェッカーを受けた後にガス欠でストップした。クラークは1962年のベルギーGPでF1初勝利を挙げてから1965年まで4連覇した。
  • 1967年にはダン・ガーニーイーグル)、1968年にはブルース・マクラーレンマクラーレン)がオーナードライバーとしてチーム初優勝を達成した。
  • 1977年ゾルダーで行われたレースでは、ロータスのNo.2ドライバーのグンナー・ニルソンが雨中の接戦を制してF1初優勝を果たした。しかし、ニルソンの体は精巣癌に侵されており、これが最後の勝利になった。
  • 1981年にゾルダーで行われたレースでは、予選中ピットレーンでオゼッラのメカニックがカルロス・ロイテマンのマシンに撥ねられた。決勝スタートではアロウズのメカニックがエンジンストールしたリカルド・パトレーゼのマシンに駆け寄ったところ、後方からチームメイトのジークフリート・ストールのマシンに追突され両足骨折の重傷を負った。レースはロイテマンがポール・トゥ・ウィンで優勝し、入院していたオゼッラのメカニックは翌週死亡した。
  • 1982年にゾルダーで行われたレースでは、予選でフェラーリジル・ヴィルヌーヴが事故死するアクシデントが発生。決勝レースはヴィルヌーヴのチームメイト、ディディエ・ピローニが撤退し、フェラーリ勢抜きで行われた。この年からウィリアムズに加入したケケ・ロズベルグが序盤からトップを快走していたが、ラスト2周というところで後方グリッドから追い上げを見せたマクラーレンジョン・ワトソンにかわされてしまい、自身F1初優勝はならなかった。
  • 1985年スパ・フランコルシャンで行なわれたレースでは、補修したばかりの路面のアスファルトが剥がれるというアクシデントに見舞われた。このため、予選後に路面の再補修が行なわれ、予選終了から3カ月後に決勝が開催された。
  • 1991年には、前戦でファステストラップを記録したベルトラン・ガショーが逮捕され、その代役としてミハエル・シューマッハジョーダンからF1デビューを果たした。シューマッハは初戦ながら予選7位の健闘を見せたが、スタート直後にリタイアした。レースはシューマッハのチームメイトのアンドレア・デ・チェザリスが終盤まで2位走行し、トップ走行していたマクラーレンのアイルトン・セナを追い上げるも、トラブルにより惜しくも自身とチームのF1初優勝を逃してしまった。ベネトンのロベルト・モレノはこのレースでファステストラップを記録したが、次のイタリアGPでシューマッハとトレードすることになった。
  • 1992年には、ベネトンのミハエル・シューマッハがF1初優勝を果たすが、これは、レース序盤の雨による混乱の中、チームメイトのマーティン・ブランドルのタイヤのわずかな劣化(ブリスター)をシューマッハが見逃さずにいち早くドライタイヤに交換した判断と、ロス・ブラウンの戦略でトップに立ち勝利を収めたことで、その後のシューマッハとブラウンのコンビネーションの強さの礎となったばかりか、F1が純粋な速さだけでなく、戦略的な要素も含めた総合的な強さを必要とすることになる、転機のレースになった。またレース終盤、ロータスミカ・ハッキネンがマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナと5位争いの最中、ケメルストレートでセナを抑える場面があり、結果ハッキネンはセナに抜かれ6位に終わったが、ハッキネンもこのレースでさらに評価を上げて、世代交代を予感させるレースとなった。ちなみに、このシューマッハの優勝は、現在において、F1におけるマニュアルシフト車最後の優勝記録でもある。
  • 1994年には、アイルトン・セナの事故死などで安全性が見直され、この年に限りオー・ルージュが大きく曲げられるカーブとなった。そして、2回の予選セッションともに雨となったが、ジョーダンのルーベンス・バリチェロが絶妙のタイミングでアタックを敢行し、自身及びチームのF1での初めてのポールポジションを獲得した。レースではベネトンのミハエル・シューマッハがトップでゴールするも、レース終了後にスキッドブロック(レギュレーションでマシン底部に付けることを定められている板)が削れ過ぎているという違反を問われて失格になった為、2位でフィニッシュしていたウィリアムズのデイモン・ヒルが繰上げ優勝となった。
  • 1995年も、前年同様予選は雨となったが、途中から雨がやんだことにより、アタックのタイミングにより大きくタイムに影響する結果となった為、チャンピオン争いをしていたウィリアムズのデイモン・ヒルが8位、ベネトンのミハエル・シューマッハに至っては16位に沈むことになった。レースでも、途中から降り出した雨による大きな順位変動が見られたが、最終的にはシューマッハが逆転優勝を果たすことになる。これはF1史上最多勝を誇るシューマッハの数多くの勝利の中でも、最も後方グリッドからのものである。
  • 1998年には、レーススタート直後に、マクラーレンのデビッド・クルサードとフェラーリのエディ・アーバインの接触から、クルサードのスピンをきっかけに後方の多数のマシンを巻き込む事故が発生した。レースは赤旗再スタートとなるが、再開後のレースでも、チャンピオン争いをしていたマクラーレンのミカ・ハッキネンが1コーナーでフェラーリのミハエル・シューマッハと接触後スピンし、リタイア。その後レースは大雨となり視界不良の中、多くのドライバーがリタイアしていった。そして、トップ走行していたミハエル・シューマッハが、周回遅れのクルサードに後方から追突するアクシデントが発生。ミハエル・シューマッハがピットに戻りマクラーレンのガレージへ、怒鳴り込みの抗議に出向く一幕があった。結局レースは、ジョーダンのデイモン・ヒルが、チームメイトのラルフ・シューマッハを従え、チーム初優勝を1-2フィニッシュで飾ることとなった。
  • 2000年のレースでは、13周目にトップを走っていたマクラーレンのミカ・ハッキネンが、スタブローの濡れた縁石でハーフスピンをした。2位走行していたフェラーリのミハエル・シューマッハがトップに躍り出る。その後、それぞれ1回のタイヤ交換を行い、順位はそのままであった。しかし、ここからハッキネンは、1周平均コンマ5秒もシューマッハより速いペースで追い上げる。徐々に差が縮まっていき、40周目と41周目でのケメル・ストレート・エンドの攻防となった。40周目は、ハッキネンがシューマッハのイン側からオーバーテイクを試みるも、シューマッハがぎりぎりマシン1台分のスペースまでイン側を締めるブロックにて防ぎ、ハッキネンの左フロントウィングとシューマッハの右リアタイヤがわずかに接触する際どいバトルとなったが、シューマッハは紙一重でブロックに成功する。翌41周目は周回遅れのBARリカルド・ゾンタを左のアウト側からシューマッハが追い抜こうとすると、同時にハッキネンはゾンタの右のイン側わずかなスペースに差込み、シューマッハ、ゾンタの2台ともまとめて一挙に追い抜き、再逆転。そのままトップでチェッカーを受けた。この3台が並走するオーバーテイクシーンは、「20世紀最高のオーバーテイク」とも報道され、近年のF1のバトルシーンのうちでも最も見ごたえのあるシーンの1つとなった。なお、ハッキネンがオー・ルージュからラディオンを抜けるときのスピードは、当時として初の300km/hオーバーとなった。
  • 2001年には、レース序盤にジャガーのエディ・アーバインとプロストルチアーノ・ブルティが接触し、ブルティは高速コーナのブランシモンのタイヤバリアに突っ込むという大事故が起こった為、赤旗中断となった。この事故でブルティが大事に至らなかったことは不幸中の幸いであった。レースはフェラーリのミハエル・シューマッハが優勝を果たすが、これはアラン・プロストの記録を破る、F1史上最多となる52勝目であった。
  • 2003年は、タバコ広告規制の問題が影響し、22年ぶりにベルギーGPが開催されなかった。
  • 2年ぶりにカレンダーに復活を果たした2004年のレースでは、フェラーリのミハエル・シューマッハが5年連続7回目のチャンピオンを決定した。これはファン・マヌエル・ファンジオの4年連続を上回る、史上最長期間連続のチャンピオン獲得の記録となった。また、ミシュランタイヤのトラブルにより、B・A・Rのジェンソン・バトンなど数名のドライバーがリタイアとなるが、高速走行中のもので、一歩間違えば大惨事につながりかねないものであった。
  • 2006年、暫定の開催カレンダーには決勝日9月17日の第16戦として掲載されていたが、ベルギーGP主催者側がFIAに開催辞退の申請をし受理され、同年の開幕戦直前(2月8日)に開催中止が発表された。スパ・フランコルシャンサーキットの改修が理由となっているが、財政難による中止がささやかれていた中での発表だった。
  • 2008年はレース終盤の雨の中でキミ・ライコネンルイス・ハミルトンが優勝争いを展開。ライコネンがクラッシュし、ハミルトンがトップチェッカーを受けた。しかし、バトルの際にシケインをショートカットしたことで利益を得たとしてレース後に25秒加算ペナルティを課され、3位に順位が落ちた。
  • 2009年はフォース・インディアジャンカルロ・フィジケラがチーム初のポールポジションを獲得。「チーム初入賞が初優勝」という快挙が期待されたが、決勝ではライコネンに競り負け2位となった。

過去の結果

決勝日 ラウンド サーキット 勝者 所属チーム 結果
1950 6月18日 5 スパ・フランコルシャン ファン・マヌエル・ファンジオ アルファ・ロメオ 詳細
1951 6月17日 3 スパ・フランコルシャン ジュゼッペ・ファリーナ アルファ・ロメオ 詳細
1952 6月22日 3 スパ・フランコルシャン アルベルト・アスカーリ フェラーリ 詳細
1953 6月21日 4 スパ・フランコルシャン アルベルト・アスカーリ フェラーリ 詳細
1954 6月20日 3 スパ・フランコルシャン ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 詳細
1955 6月5日 4 スパ・フランコルシャン ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス 詳細
1956 6月3日 4 スパ・フランコルシャン ピーター・コリンズ フェラーリ 詳細
1958 6月15日 5 スパ・フランコルシャン トニー・ブルックス ヴァンウォール 詳細
1960 6月19日 5 スパ・フランコルシャン ジャック・ブラバム クーパー 詳細
1961 6月18日 3 スパ・フランコルシャン フィル・ヒル フェラーリ 詳細
1962 6月17日 3 スパ・フランコルシャン ジム・クラーク ロータス 詳細
1963 6月9日 2 スパ・フランコルシャン ジム・クラーク ロータス 詳細
1964 6月14日 3 スパ・フランコルシャン ジム・クラーク ロータス 詳細
1965 6月13日 3 スパ・フランコルシャン ジム・クラーク ロータス 詳細
1966 6月12日 2 スパ・フランコルシャン ジョン・サーティース フェラーリ 詳細
1967 6月18日 4 スパ・フランコルシャン ダン・ガーニー イーグル 詳細
1968 6月9日 4 スパ・フランコルシャン ブルース・マクラーレン マクラーレン 詳細
1970 6月7日 4 スパ・フランコルシャン ペドロ・ロドリゲス BRM 詳細
1972 6月4日 5 ニヴェル エマーソン・フィッティパルディ ロータス 詳細
1973 5月20日 5 ゾルダー ジャッキー・スチュワート ティレル 詳細
1974 5月12日 5 ニヴェル エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン 詳細
1975 5月25日 6 ゾルダー ニキ・ラウダ フェラーリ 詳細
1976 5月16日 5 ゾルダー ニキ・ラウダ フェラーリ 詳細
1977 6月5日 7 ゾルダー グンナー・ニルソン ロータス 詳細
1978 5月21日 6 ゾルダー マリオ・アンドレッティ ロータス 詳細
1979 5月13日 6 ゾルダー ジョディー・シェクター フェラーリ 詳細
1980 5月4日 5 ゾルダー ディディエ・ピローニ リジェ 詳細
1981 5月17日 5 ゾルダー カルロス・ロイテマン ウィリアムズ 詳細
1982 5月9日 5 ゾルダー ジョン・ワトソン マクラーレン 詳細
1983 5月22日 6 スパ・フランコルシャン アラン・プロスト ルノー 詳細
1984 4月29日 3 ゾルダー ミケーレ・アルボレート フェラーリ 詳細
1985 9月15日 13 スパ・フランコルシャン アイルトン・セナ ロータス 詳細
1986 5月25日 5 スパ・フランコルシャン ナイジェル・マンセル ウィリアムズ 詳細
1987 5月17日 3 スパ・フランコルシャン アラン・プロスト マクラーレン 詳細
1988 8月28日 11 スパ・フランコルシャン アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1989 8月27日 11 スパ・フランコルシャン アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1990 8月26日 11 スパ・フランコルシャン アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1991 8月25日 11 スパ・フランコルシャン アイルトン・セナ マクラーレン 詳細
1992 8月30日 12 スパ・フランコルシャン ミハエル・シューマッハ ベネトン 詳細
1993 8月29日 12 スパ・フランコルシャン デイモン・ヒル ウィリアムズ 詳細
1994 8月28日 11 スパ・フランコルシャン デイモン・ヒル ウィリアムズ 詳細
1995 8月27日 11 スパ・フランコルシャン ミハエル・シューマッハ ベネトン 詳細
1996 8月25日 13 スパ・フランコルシャン ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
1997 8月24日 12 スパ・フランコルシャン ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
1998 8月30日 13 スパ・フランコルシャン デイモン・ヒル ジョーダン 詳細
1999 8月29日 12 スパ・フランコルシャン デビッド・クルサード マクラーレン 詳細
2000 8月27日 13 スパ・フランコルシャン ミカ・ハッキネン マクラーレン 詳細
2001 9月2日 14 スパ・フランコルシャン ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2002 9月1日 14 スパ・フランコルシャン ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2004 8月29日 14 スパ・フランコルシャン キミ・ライコネン マクラーレン 詳細
2005 9月11日 16 スパ・フランコルシャン キミ・ライコネン マクラーレン 詳細
2007 9月16日 14 スパ・フランコルシャン キミ・ライコネン フェラーリ 詳細
2008 9月7日 13 スパ・フランコルシャン フェリペ・マッサ フェラーリ 詳細
2009 8月30日 12 スパ・フランコルシャン キミ・ライコネン フェラーリ 詳細
2010 8月29日 13 スパ・フランコルシャン ルイス・ハミルトン マクラーレン 詳細
2011 8月28日 12 スパ・フランコルシャン セバスチャン・ベッテル レッドブル 詳細
2012 9月2日 12 スパ・フランコルシャン ジェンソン・バトン マクラーレン 詳細
2013 8月25日 11 スパ・フランコルシャン セバスチャン・ベッテル レッドブル 詳細
2014[3] 8月24日 12 スパ・フランコルシャン ダニエル・リチャルド レッドブル 詳細

冠スポンサー

脚注

  1. "FIA、ベルギーGP中止を発表". レスポンス.(2006年2月9日)2013年7月3日閲覧。
  2. "F1フランスGPとベルギーGP、開催権料で合意できず". TopNews.(2012年3月3日)2013年7月3日閲覧。
  3. 【F1 ベルギーGP】リチャルドが今季3勝目…タイトルを争うメルセデス勢がまさかの同士討ち - スポーツナビ、2014年8月25日閲覧

関連項目

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外部リンク

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