ジョン・サーティース

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テンプレート:Infobox テンプレート:元グランプリライダー ジョン・サーティースJohn Surtees OBE, 1934年2月11日 - )は、イギリスイングランド出身のレーサー。2輪(モーターサイクル)のロードレース世界選手権(WGP)と、4輪のフォーミュラ1(F1)の両方で世界チャンピオンになった唯一のレーサーである(2012年現在)。「ビッグ・ジョン」、「怖いもの無しのジョン」の異名を取る。日本では「サーティーズ」と表記される場合もある。

2輪での経歴

サーティースのレース歴は、父親が操縦するサイドカーのパッセンジャー(助手)役からスタートしたと言われる。やがてソロ(サイドカーなしの2輪車)に転向。ビンセントでの活動を経てノートンに移籍し、10代の若さでWGPに進出する。

1956年には母国のノートンからイタリアのMVアグスタに移籍しWGPに参戦。350ccクラスで1958年から1960年まで、最高峰の500ccクラスで1956年と1958年から1960年までチャンピオンになり、WGPで計7つの世界タイトルを獲得している。イタリア語を習得したサーティースは、「イル・グランデ・ジョン」と呼ばれ人気を博した。

4輪での経歴

1950年代には2輪で無敵といえる活躍をしたものの、20代半ばの若さで4輪に転向する。1960年からはロータスでF1にレギュラードライバーとして参戦。しかし、同じチームにジム・クラークがいたことから、1961年にはヨーマン・レーシングへ移籍し、プライベーターとして健闘した。

1963年にフェラーリ入りし、技術者的センスを活かしてマシンの開発に貢献。ドイツGPでF1初勝利を挙げる(チームにとって1年半ぶりの勝利でもあった)。

1964年もフェラーリからF1に出場し、同じイギリス人のクラークやグラハム・ヒルと激しい争いを繰り広げ、F1世界チャンピオンの座に着いた。最終戦の残り2周でクラークがマシントラブルに見舞われるという幸運もあり、ワールドタイトル獲得は劇的なものになった(2位ヒルとのポイント差は僅か1点)。勇敢なサーティースはフェラーリの総帥エンツォ・フェラーリに気に入られたが、チーム内のイタリア国粋勢力に疎まれ孤立することになったと言われる。

1965年はF1のチャンピオン防衛に失敗し、北米のスポーツカーレースに参戦中に骨折する。

1966年ベルギーGPで勝利した直後ル・マン24時間レースに参加したが、予選前にドライバーのエントリーをめぐってチーム監督のエウジェニオ・ドラゴーニと衝突し、そのままフェラーリを去ることになった[1]。この年から開幕した北米のカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ (Can-Am) では、ローラのマシンを駆って初代チャンピオンを獲得した。

ファイル:Honda RA 301, John Surtees, 1968-08-04.jpg
ホンダ・RA301を駆るサーティース(1968年ドイツGP)

1967年からはホンダのドライバーになる。マシンのエンジンは強力だが車体が重いため、ローラとホンダとの仲介役になり、1967年シーズン途中でローラのシャシーにホンダのエンジンを積んだホンダ・RA300(通称「ホンドーラ」)が製作された。サーティースは1967年のイタリアGPでRA300に乗り、ホンダ第1期F1活動の最後の1勝を挙げた。

1970年に自分のF1チームサーティースを立ち上げオーナードライバーとして参戦したが、1970年代前半にドライバー業はほぼ引退した。チーム・サーティースも1978年をもってF1から撤退した。

その後

レース引退後はホンダ車の販売ディーラーを経営していた時期もある。

2003年にはMotoGP殿堂入りを果たした。

運転技術が高いこととメカニズムに精通していることが買われ、クラシックマシンのイベントで往年の名車のライダー/ドライバーに起用されることが多い。サーティース自身がクラシックマシンの愛好家でもあり、自ら整備したビンセントなどに乗りクラシックイベントに積極的に参加している。欧米のイベントだけではなく、日本のクラシックイベントにも度々参加している。

2008年には、新たにロードレース世界選手権・GP125クラスへの参入を目指すチームとして「マクストラ・レーシング」(Maxtra Racing)を設立した。マシンは中国のグラン・リバー・グループ(大長江)が製造する豪爵(HAOJUE)を用い、スタッフには元スズキのMotoGPチームでマネージャーを務めたギャリー・テイラー、アプリリアでMotoGPレーサーの開発を手がけたヤン・ウイットーベンなどを集め、2009年よりGP125クラスに参戦。当初は3年計画で参戦を進めるとしていた[2][3]

同チームは2009年の開幕直前にチーム名を「Haojue Racing」と改めたが、マシンはメカニカルトラブル続きで実戦では予選通過すらままならない状況となり、同年の第4戦を最後にレースを欠場。ライダーも他チームに移籍してしまったほか[4]、既に公式Webサイトも閉鎖されており(2010年現在、公式サイトのドメイン自体が別の企業に取得されている)、参戦再開の見込みはほぼないものと見られている。

長男ヘンリー・サーティースもレーシングドライバーになり、国際自動車連盟(FIA)のF2選手権に参戦していたが、2009年7月19日ブランズハッチで開催されたレースで外れたタイヤが頭部を直撃するというアクシデントにより、わずか18歳で事故死した。

主な戦績

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。

ロードレース世界選手権

テンプレート:MGPからテンプレート:MGPまでのポイントシステム

順位 1 2 3 4 5 6
ポイント 8 6 4 3 2 1
クラス チーム 1 2 3 4 5 6 7 8 9 ポイント 順位 勝利数
1952 500cc ノートン SUI
-
IOM
-
NED
-
BEL
-
GER
-
ULS
6
ITA
-
SPA
-
1 18位 0
1954 350cc ノートン FRA
-
IOM
11
ULS
-
BEL
-
NED
-
GER
-
SUI
-
ITA
-
SPA
-
0 - 0
500cc ノートン FRA
-
IOM
15
ULS
-
BEL
-
NED
-
GER
-
SUI
-
ITA
-
SPA
-
0 - 0
1955 250cc NSU FRA
-
IOM
-
GER
-
NED
-
ULS
1
ITA
-
8 7位 1
350cc ノートン IOM
4
GER
3
BEL
-
NED
-
ULS
3
ITA
-
11 6位 0
500cc ノートン SPA
-
FRA
-
IOM
29
GER
-
BEL
-
NED
-
ULS
-
ITA
-
0 - 0
1956 350cc MVアグスタ IOM
-
NED
2
BEL
1
GER
-
ULS
-
ITA
-
14 4位 1
500cc MVアグスタ IOM
1
NED
1
BEL
1
GER
-
ULS
-
ITA
-
24 1位 3
1957 350cc MVアグスタ GER
-
IOM
4
NED
-
BEL
-
ULS
-
ITA
-
3 10位 0
500cc MVアグスタ GER
-
IOM
2
NED
1
BEL
-
ULS
-
ITA
4
17 3位 1
1958 350cc MVアグスタ IOM
1
NED
1
BEL
1
GER
1
SWE
-
ULS
1
ITA
1
48 1位 6
500cc MVアグスタ IOM
1
NED
1
BEL
1
GER
1
SWE
-
ULS
1
ITA
1
48 1位 6
1959 350cc MVアグスタ FRA
1
IOM
1
GER
1
SWE
1
ULS
1
ITA
1
48 1位 6
500cc MVアグスタ FRA
1
IOM
1
GER
1
NED
1
BEL
1
ULS
1
ITA
1
56 1位 7
1960 350cc MVアグスタ FRA
3
IOM
2
NED
1
ULS
1
ITA
-
26 1位 2
500cc MVアグスタ FRA
1
IOM
1
NED
-
BEL
1
GER
1
ULS
2
ITA
1
46 1位 5

F1世界選手権

チーム シャーシ エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 順位 ポイント
1960 ロータス ロータス
18
クライマックス
直4
ARG
-
MON
Ret
500
-
NED
-
BEL
-
FRA
-
GBR
2
POR
Ret
ITA USA
Ret
14位 6
1961 ヨーマン クーパー
T53
クライマックス
直4
MON
Ret
NED
7
BEL
5
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
5
ITA
Ret
USA
Ret
12位 4
1962 ヨーマン ローラ
Mk4
クライマックス
V8
NED
Ret
MON
4
BEL
5
FRA
5
GBR
2
GER
2
USA
Ret
RSA
Ret
4位 19
ローラ
Mk4A
ITA
Ret
1963 フェラーリ フェラーリ
156
フェラーリ
V6
MON
4
BEL
Ret
NED
3
FRA
Ret
GBR
2
GER
1
ITA
Ret
USA
Ret
MEX
DSQ
RSA
Ret
4位 22
1964 フェラーリ フェラーリ
158
フェラーリ
V8
MON
Ret
NED
2
BEL
Ret
FRA
Ret
GBR
3
GER
1
AUT
Ret
ITA
1
1位 40
ノースアメリカン USA
2
MEX
2
1965 フェラーリ フェラーリ
158
フェラーリ
V8
RSA
2
MON
4
BEL
Ret
FRA
3
5位 17
フェラーリ
1512
フェラーリ
フラット12
GBR
3
NED
7
GER
Ret
ITA
Ret
USA
-
MEX
-
1966 フェラーリ フェラーリ
312/66
フェラーリ
V12
MON
Ret
BEL
1
2位 28
クーパー クーパー
T81
マセラティ
V12
FRA
Ret
GBR
Ret
NED
Ret
GER
2
ITA
Ret
USA
3
MEX
1
1967 ホンダ ホンダ
RA273
ホンダ
V12
RSA
3
MON
Ret
NED
Ret
BEL
Ret
FRA
-
GBR
6
GER
4
CAN
-
4位 20
ホンダ
RA300
ITA
1
USA
Ret
MEX
4
1968 ホンダ ホンダ
RA300
ホンダ
V12
RSA
8
7位 12
ホンダ
RA301
SPA
Ret
MON
Ret
BEL
Ret
NED
Ret
FRA
2
GBR
5
GER
Ret
ITA
Ret
CAN
Ret
USA
3
MEX
Ret
1969 オーウェン BRM
P138
BRM
V12
RSA
Ret
SPA
5
MON
Ret
NED
9
FRA
-
11位 6
BRM
P139
GBR
Ret
GER
DNS
ITA
NC
CAN
Ret
USA
3
MEX
Ret
1970 サーティース マクラーレン
M7C
コスワース
DFV
RSA
Ret
SPA
Ret
MON
Ret
BEL
-
NED
6
FRA
-
18位 3
サーティース
TS7
GBR
Ret
GER
9
AUT
Ret
ITA
Ret
CAN
5
USA
Ret
MEX
8
1971 サーティース サーティース
TS9
コスワース
DFV
RSA
Ret
SPA
11
MON
7
NED
5
FRA
8
GBR
6
GER
7
AUT
Ret
ITA
Ret
CAN
11
USA
17
19位 3
1972 サーティース サーティース
TS14
コスワース
DFV
ARG
-
RSA
-
SPA
-
MON
-
BEL
-
FRA
-
GBR
-
GER
-
AUT
-
ITA
Ret
CAN
-
USA
DNS
NC 0

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

テンプレート:Sister テンプレート:350ccクラス世界チャンピオン テンプレート:MotoGPクラス世界チャンピオン テンプレート:F1ドライバーズチャンピオン テンプレート:Can-Am歴代チャンピオン テンプレート:ロータス テンプレート:スクーデリア・フェラーリ テンプレート:ホンダF1 テンプレート:BRM

テンプレート:サーティース
  1. 『スクーデリア・フェラーリ 1947 - 1997 50年全記録』(ソニー・マガジンズ、1998年)p.66。
  2. マクストラ・レーシング、上海でプロジェクト発表 - motogp.com・2008年5月2日
  3. トランスワールドスポーツGAORA)・第813回(2009年1月15日放送分)
  4. M.ランセンデール、新規参戦チームから移籍 - motogp.com・2009年7月8日