M41軽戦車

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テンプレート:戦車 M41ウォーカー・ブルドッグ軽戦車(エム41ウォーカー・ブルドッグけいせんしゃ)は、1946年ゼネラルモーターズ社がM24軽戦車の後継として開発し、アメリカ陸軍を中心に使用された軽戦車である。愛称は朝鮮戦争で第8軍の初代指揮官としての任務中、交通事故死したウォルトン・ウォーカー中将にちなんでウォーカー・ブルドッグと名付けられた。

開発

T37という名称で試作が開始され、フェイズI、II、IIIという3種類の異なる試作車が製作された。続いてフェイズIIの各部に改良を図りT41と名称を変えた試作車が3輌製作された。1950年1月に改良型のT41E1が100輌発注されて生産が開始された。

車体・防護力

ファイル:M41A3-Walker-Bulldog-latrun-1.jpg
M41A3の正面クローズアップ

重量19t、砲塔は圧延鋼板と鋳造部品(防盾・砲架まわり)を組み合わせて溶接した、油圧または手動で全周旋回可能な物となっている。

火力

主砲としては、新たに設計された60口径76.2mm戦車砲T91E3(T94)を採用した。これは、新型の76x580mmR弾を使用しており、これは同じ口径76.2mm砲でも、従来のM4中戦車のM1戦車砲や、M10駆逐戦車のM7戦車砲より軽量かつ射程・威力ともに勝る物であった。改良された量産型はM32と呼ばれる。

動力

操行装置はM24よりも進化して超信地旋回可能なクロス・ドライブ式アリソンCD-500-3(オートマチック前進2段・後進1段)となり、従来の戦車のようなレバーではなく、T字型ハンドルで操縦を行った。この操行装置とコンチネンタルAOS895-3水平対向6気筒ガソリンエンジン(グロス出力500馬力)、さらにトーションバー式サスペンションの組み合わせにより、路外での高い機動力を発揮できた。

生産

生産はゼネラルモーターズ社の傘下キャデラック社が行なった。生産型第1号車は1951年半ばに完成し、1,802輌が生産された。その後砲架を改良し、AOS 895-3空冷ガソリンに変更したM41A1軽戦車に移行。さらにエンジンをAOSI 895-5に変更したM41A2、M41A3に改修され、最終的には5,500輌近くが生産された。

配備・運用

ファイル:M41D in Chengkungling 20111009a.jpg
台湾台中市成功嶺介壽台に展示のM41D
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クーデターでバンコクに展開したタイ王国陸軍所属のM41

折しも朝鮮戦争が勃発した当時、朝鮮半島でアメリカ陸軍機甲部隊が装備していた戦車は、第二次世界大戦末期に配備が開始されたM24軽戦車であった。これは、当時アメリカで使用されていた軽戦車としては最高の物であったが、対する北朝鮮軍主力戦車ソ連製のT-34-85中戦車であり、攻撃力・装甲が劣る軽戦車の限界で、対戦車・装甲車用の徹甲弾成形炸薬弾どころか、対人・対非装甲目標の榴弾で容易に撃破されてしまった。

そのため、軽戦車ながらT-34に対抗できる火力を持つと期待されるT41E1は、試験終了前の1951年に生産ラインから直接戦場に投入された。実戦を経験した結果、命中率向上のために新たに装備されていたステレオ式測遠機に、振動により狂いが生ずる致命的欠陥が認められた。このため、従来型の直接照準望遠機に戻し、砲をT91E3に変更し、その後各種の試験と改良が進められ、1953年5月にM41軽戦車として制式化された。

M41はベトナム戦争でも実戦投入された。南ベトナム軍にも供与され、北ベトナムPT-76軽戦車やT-54戦車と戦っている。レバノン内戦でも軍や民兵によって運用されていた。

その後、アメリカ陸軍ではM551シェリダン空挺戦車が登場し、主力偵察戦車の座を譲ることになるが、28ヶ国において使用が続けられた。

台湾デンマークでは旧式化したM41に近代化改修を施し、それぞれM41D、M41DK-1として採用した。 M41は軽戦車ゆえの運用のしやすさから、現在も二線級装備として保有している国がある。2006年9月19日タイで発生した陸軍によるクーデターでは、首都バンコクの各所にクーデター勢力側のM41が展開された。 テンプレート:-

日本におけるM41

日本陸上自衛隊第2次防衛力整備計画においてアメリカの無償援助による225両の取得を計画[1]し、最終的にM41A2[2] 147輌の供与を受けた。

M41はM24に替わる形で全国の戦車部隊に配備が進めらた。国産の61式戦車が開発・配備されると61式への更新が進められたが、自衛隊に供与されたアメリカ戦車の中では最も長く装備されており、最後の車両が退役したのは61式の次世代の国産戦車である74式戦車の開発・配備以後の1983年のことである。なお、自衛隊より返還された車両の一部は台湾に再供与され、その後も使用されている。

ヴァリエーション

T37
試作車。フェイズI、II、IIIが存在。
T41
フェイズIIを改称したものとこれの発展型3両。
T41E1
T41の改良型。M32戦車砲を装備。
M41
M41A1
M41A2
M41A3
中華民国64年式軽戦車
M41D
M41DK-1
M42ダスター自走高射機関砲
M44 155mm自走榴弾砲
M52 105mm自走榴弾砲

採用国

テンプレート:Col

登場作品

ニュージーランド軍の退役車両が登場している。
アメリカ軍戦車として登場。
作品の設定年代(1979年)としてはアメリカ軍の現役戦車として登場するのは誤りである。
ムウ帝国の攻撃に警戒し、防衛隊が市街地へ急行するシーンにおいて、足回りだけではあるが1カットだけ写っている。
陸上自衛隊の装備車両がソビエト戦車役で登場。
演習フィルムの流用ではなく自衛隊に協力を取り付けて実際に御殿場の演習場で撮影された。ポスターにもM41がそのまま描かれている。
自衛隊の協力により陸上自衛隊の車両が登場。
陸上自衛隊の車両がアメリカ戦車役で登場。
撮影は自衛隊の協力の元、御殿場の演習場で行われている。また、本作にはM4A3E8シャーマンも登場している。
ドイツ軍IV号戦車役で登場。
  • 『地獄の戦線』
ドイツ軍戦車役で登場。1950年代の製作のため初期型の車両が登場している珍しい作品。
地熱発電所を襲撃したガメラの攻撃に参加。演習時に撮影したものを巧みに編集して使用している。
ロケ地のタイ陸軍の車両が日本連合軍双方の戦車役で登場。
なお、当作に対し「1両の戦車を国籍マークだけ描き換えて使い廻している」と語られていることがあるが、予告編には複数台登場するシーンが存在しており、誤認である。
ドイツ軍戦車役で登場。
ロケ地のスペイン陸軍の車両がアメリカ軍戦車役で登場。
陸上自衛隊の協力で、実車が登場。
以後、出動場面が『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』などでも流用された。
この映画の戦闘シーンは他の様々な映画に流用されているため、他の映画でもこの作品に登場したM41を見ることができる。
円盤着陸時に登場。また、火星人がアメリカ議会に出席する際にホワイトハウス前にも登場している。

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:Sister

テンプレート:第二次世界大戦後のアメリカの装甲戦闘車両

テンプレート:自衛隊の装甲戦闘車両
  1. 陸上自衛隊軽戦車のM41というのは、二次計画の期間中二百二十五両というものをアメリカからもらう、こういう計画を立てまして、そのうちの百四十五両程度は受領済みでございます。43 - 参 - 予算委員会 - 11号 昭和38年03月11日
  2. 西ドイツに供与されていたものがM48などに更新されて返還されたもの