DAISUKI!

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組

DAISUKI!』(ダイスキ)は、一部日本テレビ系列局で放送された日本テレビ製作のバラエティ番組。全421回。製作局の日本テレビでは1991年4月13日から2000年3月25日まで放送。

概要

番組の概要

松本明子・飯島直子・吉村明宏(途中降板)・中山秀征(吉村降板後〜最終回)たちレギュラー陣が毎回様々なロケ地を探索したり、何かを体験したりして楽しむ様子を放送していた深夜番組である。ロケは基本的にゲスト出演者を招いて行われていたが、その一方でゲストを呼ばずにレギュラー陣だけで進めることも多かった。

また、放送開始当初は番組後半に約15分間のドラマコーナーを内包していた。このコーナーには毎回様々な新人女優たちが出演し、各々が配役をこなしていたが、これに関しては番組本編のレギュラー陣はノータッチだった。

毎回のCM入り前に表示されるアイキャッチには、篠原涼子仲間由紀恵辺見えみりといった当時の若手女性アイドルたちが出演していた。彼女たちが「DAISUKI!」とタイトルコールをするこの番組のアイキャッチは、アイドルのイメージビデオとしての役割も果たしていた。

テーマソングには、初期の関東ローカル時代においてはシックの「シック・ミスティーク」を起用していたが、系列地方局でも放送されるようになってからはシュガー・ベイブの「SHOW」を起用していた。エンディングテーマには、当初は真心ブラザーズの「自転車に乗って」(高田渡の同名曲のカバー)を起用していたが、後にシュガー・ベイブの「今日はなんだか」を起用するようになった。

番組タイトルロゴは「A」の文字と「S」の文字が下部で交差しており、「AX」とも読めるようにデザインされている。AXとは日本テレビのコールサイン「JOAX-TV」のことで、関東ローカル時代の名残であるとも言える。

番組終了とその後

番組は末期においても安定した人気を保ち、一部のスポーツ新聞にはゴールデン進出との報道もあった[1]。しかし、その直後に松本が妊娠して身重になったことや、新しい番組ソフトを開発するなどの理由から番組の終了が決定[2]。9年間の放送に幕を閉じることとなった。

レギュラー放送は2000年3月に終了したが、同年9月と12月にそれぞれ単発でスペシャル版が放送された。また、2009年5月1日には中山秀征司会の『おもいッきりDON!』に金曜レギュラーの松本明子とゲストの飯島直子が揃って出演したことから、同日放送分の終盤で「おもいッきりDAISUKI!」というミニコーナーが放送され、9年ぶりの復活を果たした。コーナー終盤で、中山は「ぜひDAISUKI!スペシャルやりましょうよ!」と発言した。なお、同コーナーでのアイキャッチは、金曜レギュラーの上原美優が担当した。

視聴率

番組スタートから1年間は5%前後で推移していたが、中山がレギュラーに加入した後は徐々に視聴率を上げ、安定的に二桁を記録するようになった。最高視聴率は1995年2月放送回の14.7%で、末期においても10%前後の視聴率を維持していた[2]。当時中山が司会を務めていた『TVおじゃマンボウ』の週間視聴率ランキングの深夜番組部門では、殆どの回で第1位だった。

出演者

レギュラー

  • 松本明子 - 放送第1回目から最終回まで出演。
  • 飯島直子 - 放送第1回目から最終回まで出演。
  • 吉村明宏 - メイン進行担当。放送第1回目から1992年9月まで出演。
  • ビシバシステム - 放送第1回目から1991年秋までは彼らによるコントコーナーがあった。
  • 風見しんご - 1992年春から同年9月まで出演。
  • 中山秀征 - 吉村と風見に代わって、1992年10月からレギュラー入り(メイン進行担当)。以後は最終回まで出演。

準レギュラー

  • 見栄晴 - およそ1か月から2か月に一度の割合でゲスト出演するなど出演回数が飛び抜けて多く、事実上の準レギュラーとなっていたが、出演するたびにレギュラー陣から「呼んでないよ」と言われていた。
  • 山田雅人 - 見栄晴ほどではないが出演回数が多く、彼もまた年末ジャンボ宝くじ企画に参加したりと事実上の準レギュラーとなっていた。
  • 大竹まこと
  • 長江健次 - 吉村明宏がメインMC当時の準レギュラー。この番組をきっかけとして社会人サークルを結成し、そのメンバーも交えた企画を数回放送するなどしていた。

アイキャッチ

(五十音順)

主な放送内容

番組のロケは、その回で定められたテーマに基いて行われていた。暦や季節に準じた行事に興じることが多かった。1つの企画が2週にわたって放送されたり、逆にこれらの企画が複合して1週に放送されたりということも多かったが、日本テレビ以外のネット局では週連続の企画が次週には放送されなかったり、逆に2週目から放送されたりすることもあった。

季節に関係なく行われたもの

特にシリーズ化していたもの

  • 旅行
  • ジャンボ宝くじ当選照合 - レギュラー陣とゲストがグループで共同購入していた。後述のパチンコ企画に次ぐ人気企画で、放送回数は28回を数えた。
  • パチンコ - 最多放送企画で、放送回数は50回を数えた。前述のとおり、最高視聴率を獲得した回もパチンコ企画を行った回である。なお年越し特番時には、リーチがかかった状態で新春を迎える(カウントダウンは無し)演出で放送した。
  • ホームセンターディスカウントストアスーパーマーケットなどでの買い物企画 - ロケ先で販売されている物を指定された金額内に収まるように考案しつつ購入するという企画で、そこで買った材料を持ってそのままキャンプや料理、パーティーへなだれ込むというパターンが多かった。その場合、松本たちが買い物および料理をする模様を1週目に放送し、パーティーをする模様を2週目に放送していた。

放送局

この番組が放送されていた土曜24:00枠はローカルセールス枠で、放送時間もスポンサーもネット局ごとにまちまちだった。日本テレビでは前々番組『おとなのにほへ』から続くJT(日本たばこ産業)の一社提供枠で、当初は引き続きJTが日本テレビでのローカルスポンサーを務めていたが、末期では各社相乗り提供で放送されていた。

放送対象地域 放送局 系列 放送日時 備考
関東広域圏 日本テレビ 日本テレビ系列 土曜 24:00 - 25:00 (1991年4月 - 1994年3月)
土曜 24:25 - 25:25 (1994年4月 - 2000年3月)[3]
製作局
北海道 札幌テレビ 土曜 24:25 - 25:25 (1995年4月 - 2000年3月)
中京広域圏 中京テレビ 金曜 25:55 - 26:55 (1994年10月 - 1995年3月)
----途中省略[4]----
土曜 25:55 - 26:55 (1998年10月 - 2000年4月)
1994年10月から1995年9月までは金曜深夜に放送
1995年10月から1996年9月までは木曜深夜に放送
1996年10月から2000年4月までは土曜深夜に放送
近畿広域圏 読売テレビ[5] 水曜 25:35 - 26:35 (1997年10月 - 2000年3月)
広島県 広島テレビ 土曜 24:25 - 25:25 (1995年4月 - 2000年3月) 同時ネット[6]
香川県岡山県 西日本放送 日曜 12:00 - 13:00 (1994年 - 1996年9月)
土曜 24:25 - 25:25 (1996年10月 - 2000年3月)[7]
同時ネット(1996年10月以降)
徳島県 四国放送 水曜 25:30 - 26:30

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:前後番組

テンプレート:中山秀征
  1. スポーツニッポン 1999年7月14日付 「日本テレビ「DAISUKI!」10月の改編でゴールデンへ進出!」
  2. 2.0 2.1 東京新聞 2000年3月14日付 「「DAISUKI!」“打ち止め” パチンコ企画、高視聴率だけど『新しいソフト開発したい』松本明子の6月出産予定も一因」
  3. 直前枠の30分番組『NNNきょうの出来事 Sports&News』土曜版が15分に短縮され、間の時間帯で40分番組の『スポーツうるぐす』がスタートしたため、以後は25分遅れで放送。
  4. 1994年10月から1998年9月までは放送時間が半年ごとに変動しており、放送時間の変遷全てを記すと膨大な量になるため。
  5. 関西地区においては、読売テレビでの放送が開始されるまで独立UHF局のKBS京都奈良テレビサンテレビで放送されていた。
  6. それ以前にも、土曜26時頃に時差ネットで放送していた模様。
  7. 日本テレビとの同時ネットへ移行。それまで番組を放送してきた日曜12:00枠は、以後は『メレンゲの気持ち』の遅れネット枠として使われた。
  8. 青森放送では、金曜25時台に放送していた。