1987年の日本シリーズ

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テンプレート:複数の問題 テンプレート:Infobox プロ野球日本シリーズ 1987年の日本シリーズ(1987ねんのにっぽんシリーズ、1987ねんのにほんシリーズ)は、1987年10月25日から11月1日まで行われたセ・リーグ優勝チームの読売ジャイアンツパ・リーグ優勝チームの西武ライオンズによる日本プロ野球日本選手権シリーズである。

概要

森祇晶監督率いる西武ライオンズ王貞治監督率いる読売ジャイアンツの対戦となった1987年の日本シリーズは、1983年と同じ組合せで、巨人OB対決となった。1983年は、巨人の王監督は助監督で、西武の森監督はバッテリーコーチ(ヘッド格)であったが、今度は監督として対決することとなった。しかし、この戦いも結局西武が4勝2敗で勝利し、2年連続7度目の日本一(西鉄時代を含む。西武では4度目)。テンプレート:要出典範囲

西武が日本一に王手をかけて迎えた第6戦、西武の守備走塁コーチの伊原春樹は、巨人の守備の甘さに乗じて、2回に二塁走者の清原和博をセンターフライで、8回に一塁走者のをセンター前ヒットで、それぞれ一気にホームインさせる。2回の清原の走塁は、中堅手ウォーレン・クロマティの緩慢な送球、中継に入った二塁手篠塚和典の送球ミス(清原が既に三塁を回って本塁に向かっているにも関わらず、三塁に投げた)、そして三塁手原辰徳の緩慢な本塁返球(清原が本塁に向かっているにも関わらず三塁ベース上で意味のないタッチのそぶりをした後、本塁に送球した)とミスが3つ続いた隙を突いたものである。8回の辻の走塁は、再びクロマティの緩慢な送球と、中継に入った遊撃手川相昌弘の癖(先の塁にいる辻よりも打者走者に気を取られ、三塁を回る辻を見ていなかった)に付け込んだものであった。

その前の第5戦でも巨人は初回に3失策を喫した。これに対して西武は辻や石毛宏典秋山幸二といった守備の名手だけでなく、守備に不安のあったジョージ・ブコビッチまでがファインプレーをみせた。

巨人は前年のシリーズMVPの左腕投手・工藤公康を全く打てず、第6戦で原辰徳が放ったソロ本塁打が工藤からの唯一の得点だった。第6戦の9回表、西武の日本一決定目前の場面で清原が突然涙を流し、それをなだめる辻の姿も見られた[1]PL学園高校の同期、清原と桑田真澄の「KK対決」は2打数1安打1四球の成績だった。なお、このシリーズ終了後に取り壊される後楽園球場で行われた最後のシリーズでもある。

この年より、パ・リーグ主催試合のみ指名打者(DH)制の採用が認められる方式になった。以降、2010年現在の日本シリーズまでパ・リーグ主催試合ではこの方式が採用されている。またこの年から1986年の西武対広島戦の時間切れ引き分けをきっかけに延長戦のルールが見直され、時間制限廃止・第7試合までは延長18回まで、本割りで決まらず第8試合以後の決着となった場合は延長も無制限とするルールが制定された。

試合結果

第1戦

10月24日 西武 入場者32365人

巨人 0 0 4 0 0 2 0 1 0 7
西武 2 0 1 0 0 0 0 0 0 3

(巨)桑田、○加藤初(1勝)、水野鹿取山倉
(西)●東尾(1敗)、小田松沼雅森山伊東
勝利打点 中畑1
【本塁打】
(巨)中畑1号2ラン(3回東尾)、駒田1号ソロ(6回東尾)

[審判]パ藤本(球)セ田中 パ村田 セ山本文(塁)パ前川 セ福井(外)

巨人の先発はこの年15勝を挙げ防御率1位と大躍進を果たした桑田真澄。西武はこれも15勝を挙げた東尾修。1回裏、先頭石毛宏典の強烈なピッチャー返しが桑田を直撃。桑田の焦った送球が高投となり、石毛は二塁まで進んだ。続く金森栄治のバントで桑田が野選、あっという間に無死1、3塁のピンチとなった。ここで秋山幸二がライト前にはじき返し、先制点。4番に入っていたブコビッチは三振に倒れ、1死1、2塁の場面で清原和博との日本シリーズで初めてのKK対決。ここで清原はレフトへクリーンヒット。当たりが鋭すぎて二塁走者の金森は三塁止まり。1死満塁となって、続く6番の安部理の三塁ゴロ併殺崩れの間に金森が生還して2点目を挙げた。一方の巨人は3回、駒田徳広が左中間二塁打。1死後、原辰徳吉村禎章篠塚利夫の三連打で同点。吉村が三盗失敗で2死となったが、7番中畑清がレフトポール際に2ランを叩き込み、逆転に成功した。その裏西武はヒット、四球で2死1、2塁とし、伊東勤のタイムリーヒットで1点を返した。桑田は3回もたずKO。しかしリリーフした加藤初水野雄仁が完璧に西武の反撃を抑え込んだ。巨人は6回には代打岡崎郁のタイムリーと駒田の本塁打で追加点を挙げ、東尾をKO。8回には鴻野淳基のタイムリーヒットで追加点を挙げた。4点差だったが、巨人は手堅く9回から鹿取義隆を投入、危なげなく西武打線を抑え切り、巨人が先勝した。

なお、テンプレート:要出典範囲

第2戦

10月25日 西武 入場者32424人

巨人 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
西武 0 0 1 0 0 2 3 0 X 6

(巨)●西本(1敗)、広田岡本光-山倉
(西)○工藤(1勝)-伊東
勝利打点 石毛1
【本塁打】
(西)石毛1号ソロ(3回西本聖)、秋山1号ソロ(6回西本聖)、清原1号3ラン(7回広田)

[審判]セ福井(球)パ前川 セ田中 パ村田(塁)セ井上 パ寺本(外)

西武の先発は工藤、巨人はシーズン成績は良くなかったものの日本シリーズでの実績を買われた西本聖。巨人打線は工藤に全く歯が立たなかった。わずか3安打、そのうち外野に飛んだ安打は1本だけという完敗。攻撃では第1戦4三振だったブコビッチをベンチに下げたが、3回石毛、6回秋山、7回清原と主軸に本塁打が飛び出した。

第3戦

10月28日 後楽園 入場者40608人

西武 0 0 0 1 0 1 0 0 0 2
巨人 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1

(西)○(1勝)-伊東
(巨)●江川(1敗)、水野-山倉
勝利打点 ブコビッチ1
【本塁打】
(西)ブコビッチ1号ソロ(4回江川)、石毛2号ソロ(6回江川)

[審判]パ寺本(球)セ井上 パ前川 セ田中(塁)パ藤本 セ山本文(外)

巨人は江川卓、西武は郭泰源の先発。江川はストレートが135キロにも満たず、明らかに好調からほど遠い様子だったが、カーブとのコンビネーションとコントロールに活路を見出し、郭と互角の投手戦を展開。均衡が破られたのは4回。第1戦不振、第2戦でベンチに下げられていたブコビッチに対し、江川は不用意にストレートでストライクを取りに行ったところをブコビッチが見逃さずジャストミート。打球はライトスタンドに吸い込まれた。6回には先頭打者の石毛に対してカウント1-1からのストレートが真ん中に入ったところを捕らえられ、レフトへのホームラン。江川は2球の失投で2点を失った。これ以外はほぼ完璧に抑えていただけに悔やまれる2球だった。巨人は7回、2安打でつかんだチャンスに中畑がタイムリーヒットで1点を返し、9回にも1死から原の内野安打で同点のランナーを出したが、続く吉村のあたりは不運にもファースト清原の正面。原は戻れずダブルプレーで万事休した。郭は8安打を許しながら要所を締めて1失点の完投勝利。江川はこの年限りで引退、これが最後の公式試合登板となった。

第4戦

10月29日 後楽園 入場者40829人

西武 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
巨人 2 0 0 0 0 2 0 0 X 4

(西)●松沼博(1敗)、小田、渡辺小野、松沼雅-伊東
(巨)○槙原(1勝)-山倉
勝利打点 吉村1
【本塁打】
(巨)1号ソロ(6回渡辺)、篠塚1号ソロ(6回渡辺)

[審判]セ山本文(球)パ藤本 セ井上 パ前川(塁)セ福井 パ村田(外)

巨人は初回、2死1、3塁のチャンス、吉村の打球はボテボテの三塁ゴロだったが、これが幸運にも内野安打となり、三塁走者の駒田が生還し先制。さらに篠塚も中前タイムリーで追加点。7回には原、篠塚の本塁打で4-0とし、試合をほぼ決めた。巨人の先発・槙原寛己は11奪三振の力投で西武を完封。対戦成績を五分に戻した。

第5戦

10月30日 後楽園 入場者41383人

西武 3 0 0 0 0 0 0 0 0 3
巨人 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1

(西)○東尾(1勝1敗)、S工藤(1勝1S)-伊東
(巨)●桑田(1敗)、岡本光、加藤初、西本、鹿取-山倉
勝利打点 秋山1

[審判]パ村田(球)セ福井 パ藤本 セ井上(塁)パ寺本 セ田中(外)

巨人・桑田、西武・東尾という第1戦と同じ顔合わせ。1回、石毛の三塁へのゴロを原がお手玉。辻発彦の送りバントのあと、秋山が右中間を破り先制。清原の打席の時に桑田が誰もいない2塁へ牽制球を投じ秋山は3塁へ。清原を打ち取って2死にこぎつけるも、安部、ブコビッチに連打を許し初回3失点。この後伊東の中前打をウォーレン・クロマティがはじき(この回チーム3つ目のエラー)、清家政和を敬遠で歩かせ満塁とすると、東尾にあわや走者一掃の大ファウルを打たれるという危ない場面があった。結局東尾を何とか打ち取り1回を投げ切ったものの、桑田はこれで降板。巨人は2回以降、小刻みな継投で西武の追加点を許さなかったが、打線が東尾の前に沈黙。かろうじて4回吉村のタイムリーヒットで1点を返したものの、これ以外はチャンスらしいチャンスも作れないまま9回に。先頭のクロマティがセカンドの横を抜けるライト前ヒットで出塁。原は三振に仕留めたが(東尾は原の初球のど真ん中直球を見逃すという消極的な打撃に助けられた)、吉村、篠塚と好調の左打者が続くところで、西武は手堅く工藤に交代。テンプレート:要出典範囲余裕たっぷりだった。その余裕のとおり、吉村をセンターフライ、篠塚を三振に仕留め、ゲームセット。西武が2年連続の日本一に王手をかけて、所沢に戻ることになった。

なお、この試合が後楽園球場で行われた最後の公式試合であった。

第6戦

11月1日 西武 入場者32323人

巨人 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1
西武 0 1 1 0 0 0 0 1 X 3

(巨)●水野(1敗)、鹿取-山倉
(西)○工藤(2勝1S)-伊東

巨人
1 (一) 中畑清
2 (遊) 鴻野淳基
川相昌弘
3 (中) クロマティ
4 (三) 原辰徳
5 (左) 吉村禎章
6 (二) 篠塚和典
7 (指) 有田修三
8 (捕) 山倉和博
9 (右) 駒田徳広
西武
1 (三) 石毛宏典
2 (二) 辻発彦
3 (中) 秋山幸二
4 (一) 清原和博
5 (左) 安部理
6 (右) ブコビッチ
7 (捕) 伊東勤
8 (指) 白幡隆宗
9 (遊) 清家政和

【本塁打】
(巨)原2号ソロ(7回工藤)
(西)清家1号ソロ(3回水野)

[審判]セ田中(球)パ寺本 セ福井 パ藤本(塁)セ山本文 パ前川(外)

再び舞台を西武球場に移しての第6戦。ここまでほぼ互角の戦いぶりに見えた両者だったが、大一番で西武が切り札を見せ、野球の質の違いを見せつけることになる。2回、清原がヒットで出塁、安部の送りバントで1死2塁。続くブコビッチはセンター後方へ深いフライ。この打球で二塁走者の清原は一気に三塁を蹴り、ホームイン。さらに8回、2死から辻がヒットで出塁。2死1塁となり続く秋山がセンター前ヒット。1塁ランナーの辻は巨人の守備をつき一気にホームイン。この2つのビッグプレーによる2点のほか、3回には公式戦でも本塁打のなかった清家の一発が飛び出し、西武が優位に試合を進めた。巨人は7回、原のホームランで一度は追い上げたが、8回裏の辻の走塁でとどめを刺され、工藤の前に沈黙。工藤がこのまま完投し、西武が2年連続の日本一となった。最後の打者は1983年と同様、篠塚利夫であった。

上述の2つのビッグプレーはセンター・クロマティの緩慢な返球をついたものと言われているが、それだけではなく、巨人中継陣の判断の甘さをも見越したものだったといわれている。
2回のプレーは、清原の動きに中継陣がまどわされたものだった。これは、クロマティからの返球を中継した篠塚は三塁の原に送り、原からバックホームされたが、間一髪セーフというプレーであり、篠塚から直接バックホームされていたらアウトだったろうと見られている。篠塚によれば、三塁を回ろうとしている清原は見えていたという。しかし三塁を回った清原が一旦三塁に戻ろうとしたのが見えたので、篠塚は三塁に送球した。原も清原が三塁に戻ると予想しており、タッチする体制で送球を受け取ったためにわずかにバックホームが遅れたのだという。清原の動きが守備陣のかく乱を呼んだのである(ただし西武ベンチは清原が一直線に本塁に突入することを狙っていたのであり、清原が三塁を回った後に戻ろうとしたのは想定外だったそうである)。篠塚はそれ以降、中継時には必ず真っ先にバックホームをするようになったものだろうと見られている。
8回のプレーも、クロマティの緩慢な送球だけでなく、中継に入った川相昌弘がバッターの2塁進塁を警戒する体制になるために三塁走者の動きが死角になる、という弱点を巧みに突いたものだった。川相はそれ以降、中継時には必ず真っ先に走者の本塁への進塁有無を確かめるようになったという。
当時西武のコーチだった伊原春樹によれば、テンプレート:要出典範囲

巨人はこのプレーの他にも、シーズン通算打率が.162の有田を指名打者に使うといった采配面での批判も受けたテンプレート:要出典範囲。当時黄金期を迎えていた西武との「球界の盟主交代」の印象を残す格好となった。

2完投の工藤が1972年1973年の堀内恒夫以来となる2年連続日本シリーズMVPに選ばれた。

表彰選手

  • 3試合登板(先発2、リリーフ1)して2勝0敗1セーブ、2完投、1完封勝利。防御率0.48。第6戦で胴上げ投手。
  • 打率.409(22打数9安打)、1本塁打。
  • 第3戦で江川からダメ押し本塁打。
  • 第2戦で西本から本塁打。第5戦で桑田から先制タイムリー二塁打。第6戦で日本一を決定付けるタイムリー。
  • 第4戦に先発し、完封勝利。

テレビ・ラジオ中継

テレビ中継

  • 第1戦:10月25日
  • 第2戦:10月26日
試合開始が13時(JST)だった関係上『笑っていいとも!』は12時55分で終了となり、後座番組『ライオンのいただきます』は休止となった。
  • 第3戦:10月28日
試合開始が13時(JST)だった関係上『午後は○○おもいっきりテレビ』は12時50分までの短縮放送となった。
  • 第4戦:10月29日
試合開始が13時(JST)だった関係上、日本テレビは『午後は○○おもいっきりテレビ』を12時50分まで短縮して放送。また、NHK総合は正午のニュースを5分短縮し、連続テレビ小説はっさい先生』は通常より30分繰り上げて放送したため、『ひるのプレゼント』が休止となった。
  • 第5戦:10月30日
試合開始が13時(JST)だった関係上『午後は○○おもいっきりテレビ』は12時50分までの短縮放送となった。
  • 第6戦:11月1日
副音声・実況:山田二郎 ゲスト:出光ケイ安部譲二

※なお、第7戦はTBSテレビで中継される予定だった。

ラジオ中継

  • 第1戦:10月25日
  • 第2戦:10月26日
  • 第3戦:10月28日
  • 第4戦:10月29日
  • 第5戦:10月30日
  • NHKラジオ第1 解説:山本浩二 ゲスト解説:加藤英司
  • TBSラジオ(JRN) 実況:林正浩 解説:田淵幸一、小林繁
  • 文化放送(NRN) 解説:豊田泰光
  • ニッポン放送(NRN) 実況:胡口和雄 解説:江本孟紀 ゲスト解説:高田繁日本ハム監督)
  • ラジオ日本 解説:有本義明
  • 第6戦:11月1日
  • NHKラジオ第1 実況:三原渡 解説:鈴木啓示 ゲスト解説:山下大輔(大洋、翌年のシーズン開幕直前に引退を表明)
  • TBSラジオ(JRN) 実況:中村秀昭 解説:杉下茂、張本勲
  • 文化放送(NRN) 実況:戸谷真人 解説:黒江透修
  • ニッポン放送(NRN) 実況:小林達彦 解説:谷沢健一 ゲスト解説:門田博光(南海)
  • ラジオ日本 解説:浅野啓司

脚注

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外部リンク

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  1. スポーツニッポン1987年11月1日・西武-巨人(西武)