森山良二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox baseball player 森山 良二(もりやま りょうじ、1963年7月20日 - )は、福岡県北九州市出身の元プロ野球選手投手)、プロ野球コーチ

テンプレート:Byから東北楽天ゴールデンイーグルス一軍投手コーチとしてブルペンを担当する。

経歴

プロ入り前

福岡大附属大濠高校では入学時からずば抜けた球威を誇り[1]、3年夏のテンプレート:Byにエースとして夏の甲子園大会に出場。初戦の2回戦で函館有斗を5安打2失点に抑えて完投勝利を収めた[2]が、3回戦で鎮西高校に敗れている。早稲田大学を目指して2年間浪人した後、北九州大学に進学した[3]

2年秋のテンプレート:Byにはエースとして九州六大学リーグで3位に入る原動力となった[4]が、高校時代から注目していた西武のスカウトに入団を打診されて[1]同年で大学を中退。野球部のないONOフーヅに入社してレストランレジ打ちなどを行ない[1]テンプレート:By11月のドラフト会議では全くといっていいほどのノーマークの中で西武から単独で1位指名を受けた。担当スカウトは楠城徹で、契約金と年俸それぞれ5,000万円、480万円(いずれも推定)で入団している[5]

プロ野球選手時代

打者としての素質にも定評があった[6]投手となり、1年目のテンプレート:By自主トレーニングの段階から優れた身体能力を発揮し、森祇晶監督にはバランス能力の高さを評価されている[3]9月10日に一軍初登板を果たすと10月13日にはプロ初先発で初勝利を挙げた。同年の日本シリーズでは第1戦でリリーフとして登板し、1イニングを1安打無失点に抑えている[7]

2年目のテンプレート:By東尾修の出場停止や小野和幸の移籍もあって[8]先発ローテーションに入り、パームボールを武器に前半戦だけで8勝を挙げてローテーションに定着した[9]。後半戦はパームの制球に苦しんだがシーズン通算で10勝し、同年の日本シリーズでは、第4戦で最少被安打のシリーズタイ記録となる2安打完封勝利[9]を収めて優秀選手賞を受賞した。これらの活躍が評価されて新人王を獲得し、オフには1,000万円増の年俸1,500万円(推定)で契約を更改している[10]

しかしテンプレート:Byはひじと肩の故障から2試合のみの登板に終わり、テンプレート:Byオープン戦で好投して先発復帰を目指した[11]ものの未勝利となった。テンプレート:By頃から軟投派への転向を目指し[12]テンプレート:By開幕直前の3月24日清水義之との交換トレードで中村日出夫と共に横浜に移籍した。横浜では中継ぎやローテーションの谷間の先発を任され、6月6日の対中日戦で5年ぶりに先発勝利を挙げている[12]。その後、テンプレート:By限りで現役を引退した。

現役引退後

古巣の西武に戻りテンプレート:Byからテンプレート:Byテンプレート:Byからテンプレート:Byテンプレート:Byからテンプレート:Byまで2軍投手兼トレーニングコーチ、テンプレート:Byは2軍投手コーチ、テンプレート:Byテンプレート:Byからテンプレート:Byにかけて1軍投手(ブルペン担当)兼トレーニングコーチを務めた。2007年でコーチの契約が終わり他球団への移籍も白紙になっていたところ、四国・九州アイランドリーグ福岡レッドワーブラーズから監督就任のオファーを受けてこれを受諾[13]。地元での人望が厚く、かつプロでの実績がある点を評価されたという[13]。プロ入りする選手が生まれる事を目標に[13]テンプレート:Byからテンプレート:Byまで監督を務めて、球団がリーグ戦参加を休止したのにともない退団。テンプレート:By東北楽天ゴールデンイーグルスの一軍投手コーチ(ブルペン担当)に就任した。

プレースタイルなど

最速143km/hの速球パームボールに加え、カーブスライダーを駆使した[14]。また制球が良く速球が低目に決まり[15]、マウンド度胸の良さにも定評があった[14]

プロでは新人王を獲得するなど活躍したが故障などの苦労も経験し、高圧的にならず後輩に好かれる性格だったと言う[13]

1988年のオープン戦で中日相手に好投した時、星野仙一監督が試合後のインタビューで「何であんなわけ分からんピッチャーに抑えられるんや」とボヤいた。この事が同年日本シリーズ第4戦の完封へと繋がった。試合中ベンチに戻る度に中日ベンチを睨み付けてたと言う[16]。その後、2011年には、コーチを務める楽天の監督に星野が就任することになる。

詳細情報

年度別投手成績

テンプレート:By2 西武 4 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 43 10.2 9 1 1 0 0 6 0 0 4 2 1.69 0.94
テンプレート:By2 28 24 10 2 2 10 9 0 -- .526 706 169.0 166 12 41 4 4 77 3 0 72 65 3.46 1.22
テンプレート:By2 2 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 30 5.1 11 0 4 1 0 2 0 0 7 7 11.81 2.81
テンプレート:By2 7 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 64 13.2 20 3 6 1 0 8 2 0 13 13 8.56 1.90
テンプレート:By2 3 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 36 8.2 11 0 2 1 0 3 0 0 2 2 2.08 1.50
テンプレート:By2 6 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 52 10.2 14 5 5 0 1 6 2 0 9 9 7.59 1.78
テンプレート:By2 横浜 13 10 0 0 0 2 3 0 -- .400 205 45.0 48 9 26 0 0 33 1 0 28 26 5.20 1.64
テンプレート:By2 18 4 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 173 41.0 45 5 9 2 0 16 3 0 20 18 3.95 1.32
テンプレート:By2 5 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 48 10.1 10 2 8 0 1 5 0 1 5 5 4.35 1.74
通算:9年 86 42 10 2 2 14 15 0 -- .483 1357 314.1 334 37 102 9 6 156 11 1 160 147 4.21 1.39

表彰

記録

背番号

  • 31 (1987年 - 1993年)
  • 24 (1993年 - 1995年)
  • 84 (1996年 - 1997年)
  • 80 (1998年 - 2009年)
  • 72 (2010年 - )

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

テンプレート:東北楽天ゴールデンイーグルス テンプレート:Navboxes テンプレート:福岡レッドワーブラーズ歴代監督

テンプレート:西武ライオンズ1986年ドラフト指名選手
  1. 1.0 1.1 1.2 毎日新聞、2008年4月15日付朝刊、福岡地方面
  2. asahi.com 第63回全国高校野球選手権大会 福岡大大濠 対 函館有斗
  3. 3.0 3.1 読売新聞、1987年1月28日付朝刊、P.17
  4. 毎日新聞、2004年6月3日付朝刊、福岡地方面
  5. 読売新聞、1986年11月22日付朝刊、P.17
  6. 読売新聞、1986年11月21日付朝刊、P.16
  7. NPB公式記録 1987年度日本シリーズ 第1戦
  8. 読売新聞、1987年12月24日付朝刊、P.17
  9. 9.0 9.1 読売新聞、1988年10年27日付朝刊、P.18
  10. 読売新聞、1988年12月11日付朝刊、P.19
  11. 読売新聞、1990年4月5日付朝刊、P.18
  12. 12.0 12.1 読売新聞、1993年6月7日付朝刊、P.21
  13. 13.0 13.1 13.2 13.3 毎日新聞、2008年4月16日付朝刊、福岡地方面
  14. 14.0 14.1 読売新聞、1988年5月4日付朝刊、P.14
  15. 読売新聞、1988年10月27日付朝刊、P.19
  16. ベースボール・マガジン社 ベースボールマガジン1993年秋 - 栄光の日本シリーズ