独眼竜政宗 (NHK大河ドラマ)

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テンプレート:基礎情報 テレビ番組 独眼竜政宗(どくがんりゅうまさむね)は、NHK1987年昭和62年)1月4日から12月13日に放送した大河ドラマ。主演は渡辺謙

原作は山岡荘八の小説『伊達政宗』で、伊達家を題材にした大河ドラマとしては江戸時代伊達騒動を描いた『樅ノ木は残った』(1970年)以来となる。己の知恵と才覚によって仙台藩62万の礎を一代で築いた奥州戦国武将伊達政宗の生涯を描いた。

制作の前段

1984年昭和59年)の『山河燃ゆ』、1985年(昭和60年)の『春の波涛』、1986年(昭和61年)の『いのち』と、大河ドラマは三年連続で近代路線シリーズが続いていた。時代劇路線の視聴者のためには「NHK新大型時代劇」が水曜日の枠でつくられた。

近代路線シリーズの視聴率は、『山河燃ゆ』21.1%、『春の波涛』18.2%、『いのち』29.3%であった[1]。 『いのち』は視聴率的には近代路線シリーズ中で唯一成功し、ドラマ性も評価も高かったものの、登場人物に歴史上の人物が全く登場しない異色作で「大河ドラマではなく、連続テレビ小説の延長線だ」という意見もあった。その一方で「NHK新大型時代劇」は良作が続き評判がよく、視聴者は時代劇を求めていると判断したNHKは『いのち』以降の近代路線シリーズを白紙とし、『徳川家康』以来4年ぶりに時代劇路線シリーズの大河ドラマが復活した。

特徴

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大河ドラマ最大のヒット作

平均視聴率39.7%は、大河ドラマの歴代トップを誇っており、最高視聴率47.8%は、『赤穂浪士』(53%)、『武田信玄』(49.2%)に次ぐ第3位の記録である(2010年8月現在)[1]

不動明王について教えられた梵天丸(政宗の幼名)がその養育係である喜多に語った「梵天丸もかくありたい」という台詞は流行語となった。ただし本編でこのセリフを言うのはこのシーンと、第11回「八百人斬り」で政宗が刀に映った自分の顔を見て、少年時代を回想したのち、刀を振るいながらこのセリフを繰り返す場面のみである。先述の梵天丸のシーンは、この第11回や26回「絶体絶命」など、政宗が幼少期を回想する場面で使用された。

2003年平成15年)、NHKがテレビ放送開始50年を記念して行なった「もう一度見たいあの番組」という一般視聴者によるテレビ番組のリクエストでは、総合部門の第9位、大河ドラマ部門の第1位に輝いた。また、2005年(平成17年)に行われた好きな大河ドラマは?というアンケートで第1位を獲得し、放送から21年経った今でも人気は根強い。なお2004年(平成16年)1月3日・4日に総合テレビで、同年7月26日~30日に衛星第2テレビで総集編が本放送当時の完全ノーカット版で再放送された。

2014年4月5日よりBSプレミアムで再放送されている。当時の放送をノーカットで放送する予定。

オープニング解説

オープニング前に史実の解説などを行う手法は『獅子の時代』に前例があるが、本作を期として以降の大河ドラマの恒例となった。

NHKでの本放送ではアバンタイトルとしてオープニング前に1987年(昭和62年)当時の世相などを絡めて史実の解説などが行われていた。以下に具体例を挙げる。

  • 秀吉家康・政宗の年齢差を長嶋清原に置き換えて説明した。
  • 梵天丸役の藤間遼太米沢城間取りを、藤次郎役の嶋英二聚楽第の間取りを紹介した。
  • 本能寺の変の説明を、過去の大河ドラマの映像から信長が自刃する場面を交えて行った[2]
  • 小田原攻めでの解説では、CGを使い豊臣軍20万の兵が北条軍が立てこもる小田原城を包囲している様子を詳しく説明[2]
  • 本物の花押にしか入れていないと政宗が主張した鶺鴒(せきれい)の眼で有名なエピソードでは、当時の内閣総理大臣中曽根康弘の花押を紹介。
  • 46話ではジェームス三木が仙台城大広間のセットに登場し、政宗の有名な五言絶句・「馬上少年過ぐ」の解説を行った。

しかし現在では権利上の問題が絡むため、CSなどでのNHK以外での放送ではともにカットされている。なお、DVDなどで販売されている「完全版」に関しては、このオープニング前の紹介・解説も完全に収録されている。

オープニング映像

またオープニング映像自体も大河ドラマの常識を変えた作品であった。それまでの大河ドラマのオープニングは、風景などの単純な映像が中心であった。

本作のオープニングはアバンタイトルの映像に被せてテーマ音楽が流れ、それと共に題字が現れる。映像には終始、青色を基調としたトンネル風の背景と、「黒漆五枚胴具足 伊達政宗所用」の兜を着用し、馬に騎乗した姿の政宗に扮した渡辺謙が登場。レーザー光線や、逆光撮影によるシルエットや合成といった特殊効果を駆使した映像が使われた。映像に登場する変わり兜はすべてレプリカではない本物が使われ、ラストでスポットライトを浴びて政宗が佇む姿は、仙台城址の騎馬像とほぼ同じ構図になっている。

オンド・マルトノを効果的に用いた独特のテンポと、重厚で壮大な曲調が特徴の池辺晋一郎作曲のテーマ音楽は、他のテレビ局も含めてテーマ音楽を「伊達政宗」や「仙台」に関する映像を流すときにBGMとする例が現在でも多々見られる。

なお、宣伝用のポスターにも特殊効果を用いたり、あるいはタキシード姿の渡辺謙に兜を持たせ眼帯を着けさせるなど、時代劇の枠を超える様々な工夫が施された。

遺骨映像

最も斬新な演出の一つとして、伊達政宗本人の遺骨が映像として紹介された。政宗墓所・瑞鳳殿第二次世界大戦時の仙台空襲で焼失、1979年昭和54年)に再建されたが、それに先立ち1974年(昭和49年)に行われた発掘調査で発見されたもので、年月が経過していたにも拘らず、奇跡的に残っており、科学的鑑定により生前の政宗の容貌・体格・血液型なども推定できた。本作ではそれらを第1話のアバンタイトルで紹介し、最終回ラストで発掘調査の映像と政宗本人の頭蓋骨を再び映して物語は幕を閉じる。

登場人物のイメージを重視した俳優陣

また、「渡辺謙=知名度の高くない若手」、「勝新太郎=衆目の知るところの大御所」という図式が、そのまま「政宗=奥羽の若き大名」、「秀吉=老成した天下人」にも当てはまる。もっとも、渡辺は大河二本目であったのに対し(時代劇作品としては初)、『座頭市』シリーズなどに主演した大御所・勝は、本作が唯一の大河ドラマ出演であった。

配役決定後、渡辺は勝に事前に挨拶しておこうとしたが、勝は「小田原で政宗が秀吉と初めて出会うのなら、そのシーンの撮影まで渡辺と会うべきでない」と主張。撮影は渡辺と勝が会うことがないよう調整して行われ、小田原での対面シーン本番で初めて二人は実際に顔を合わせた。このシーンの収録後、渡辺は勝から「いい眼をしていたぞ…」との声をかけてもらったという。

また、終生のライバルのひとり最上義光役には当初、松田優作がキャスティングされていたが実現しなかった(奇しくも後年、2009年の大河ドラマ『天地人』では松田優作の長男である龍平が政宗役を演じ、渡辺の娘であるが愛姫役だった)。

主演の渡辺謙は1984年(昭和59年)の『山河燃ゆ』以来、2度目の大河ドラマ出演であり、本作の前年(1986年)に同じNHKで放映されていた連続テレビ小説はね駒』出演中に「眼がいい」と言われ、抜擢されたという。彼は当時必ずしも知名度のある俳優ではなかったが、本作で一躍一流スターの仲間入りを果たした。ただ、はまり役となったために、「渡辺謙=伊達政宗 」の固定イメージが定着してしまい、彼はその後役者としては苦労したようである。十数年後、渡辺は映画『ラストサムライ』でアカデミー賞助演男優賞候補に挙げられるが、その時の記者会見でも「これでようやく伊達政宗から卒業できるかな」と発言している。

渡辺の出演は実際に右目を閉じた状態で行われたため所作には苦労し、西郷輝彦によると、入室の場面で頭を下げていたら大きな音がしたので面を上げると、渡辺がひっくり返っていたという。ただし、第11回「八百人斬り」での夢の中のシーンにて、かつ鏡に映った姿でのみ両目を開いた状態で登場している。最終話の脚本段階では、政宗臨終の幻想シーンで両目が開かれるという演出が盛り込まれていたが、本編では用いられなかった。

錚々たる豪華出演陣にジェームス三木は「嬉しい悲鳴」と前置きしつつ「勝さんと岩下さんのクレジットの優劣をつけられないから、二人が同じ回に登場しないように書き分けた」と語っている[3]

しかし、実際のクレジットでは、勝は全出演回で(助演出演陣の中で最高位とされる)トメに位置され、勝と同じ回に出演した時の岩下はトメのひとつ手前の位置であり、ハッキリと勝優位の序列がなされている。おそらく、ジェームスの記憶違いで、岩下との折り合いで困ったのは勝ではなく北大路でないかと推測される(渡辺が登場する第8回までは北大路がトップ、岩下がトメで、一概に優劣をつけられない状態であった。しかし、渡辺が登場後は当然渡辺がトップに位置され、岩下と北大路のどちらがトメに位置するかで序列の優劣をつけられることになる。そのため、秀吉役である勝が小田原の陣よりもかなり早めに登場してトメに位置され、岩下と北大路のクレジットはまたも一概に優劣がつけられない曖昧な位置に置かれ、お茶を濁す形になった)。

大河バブルの先駆け

また、本作の大ヒットの結果、仙台市を初めとした縁の地には、東北新幹線1982年開業)により観光客が殺到し、渡辺謙や桜田淳子が参加した仙台・青葉まつりも過去最高の観光客数となって「大河バブル」のさきがけとなった。この作品以降、各地の自治体は地元でインフラを整備したり、オープンセットを作ったりしてでも、大河ドラマの舞台地の誘致をするようになる。

しかし、本作はバブル景気1986年12月1991年2月)初期に放送され、好景気による国民の高揚感と、受け入れ側の仙台市の政令指定都市化(1989年4月1日)前の関連インフラ整備(仙台市営地下鉄南北線開通など)、各種イベントの開催(「SENDAI光のページェント」開始、「'87未来の東北博覧会」開催など)、そして、政宗没後350年関連事業(「瑞鳳殿」再建、「仙台・青葉まつり」再開、「仙台市博物館」新築)等々が重なった結果であり、降って湧いたような「バブル」であった。

一方、政宗にとって最大の敵役となる最上義光があくどく描かれてしまったことや、意図の有無にかかわらず各種イベントが用意されていた仙台市や宮城県側に観光客が集中してしまったことなどに、山形県の関係者らからは不満が上がった。ただし、当時は山形新幹線山形自動車道も開通しておらず、特に東北地方以外からの観光客には山形県へのアクセスが悪かった背景もある。

また、伊達政宗の江戸時代での領国である宮城県は観光客で賑わったものの、戦国時代の伊達政宗の版図であり、作中の前半期の舞台である山形県や福島県は大河バブルとはほぼ無縁であった。例えば米沢市は江戸時代の米沢藩ゆかりの上杉景勝上杉鷹山に代表される「上杉の町」をアピールしており、伊達政宗をはじめ伊達家については全くアピールしなかった(もっとも本作の放送期間中・直後は、戦国時代の伊達政宗の本拠であった事をアピールしている)。

その他

先述の通り、「梵天丸もかくありたい」という台詞が流行語となりドラマの人気に拍車をかけた。これに味をしめた脚本のジェームス三木は、その後の作品でも流行語を作り出そうとするも全部滑ってしまい、『八代将軍吉宗』でも江守徹演じるナビゲーター役の近松門左衛門に「さればでござる」という台詞を連発させるも流行語にはならなかった[3](ドラマ自体はヒットしている)。

キャスト・登場人物

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スタッフ

放送

放送日程

放送回 放送日 演出 視聴率
第1回 1987年1月4日 誕生 樋口昌弘 28.7%
第2回 1987年1月11日 不動明王 36.9%
第3回 1987年1月18日 親ごころ 吉村芳之 40.7%
第4回 1987年1月25日 元服
第5回 1987年2月1日 愛姫 樋口昌弘
第6回 1987年2月8日 侍女成敗
第7回 1987年2月15日 初陣 吉村芳之
第8回 1987年2月22日 若武者
第9回 1987年3月1日 野望 樋口昌弘
第10回 1987年3月8日 男の器量
第11回 1987年3月15日 八百人斬り 吉村芳之 46.9%
第12回 1987年3月22日 輝宗無残
第13回 1987年3月29日 人取橋 西村与志木
第14回 1987年4月5日 勝ち名乗り 樋口昌弘
第15回 1987年4月12日 めごとねこ 吉村芳之
第16回 1987年4月19日 南北の敵
第17回 1987年4月26日 宮仕え 木田幸紀
第18回 1987年5月3日 お東、居座る 樋口昌弘
第19回 1987年5月10日 大移動 西村与志木
第20回 1987年5月17日 決戦、摺上原 吉村芳之
第21回 1987年5月24日 修羅の母
第22回 1987年5月31日 弟を斬る 樋口昌弘
第23回 1987年6月7日 小田原へ
第24回 1987年6月14日 天下人 吉村芳之
第25回 1987年6月21日 人質、めご
第26回 1987年6月28日 絶体絶命 西村与志木
第27回 1987年7月5日 黄金の十字架
第28回 1987年7月12日 知恵くらべ 樋口昌弘
第29回 1987年7月19日 左遷
第30回 1987年7月26日 伊達者 吉村芳之
第31回 1987年8月2日 子宝
第32回 1987年8月9日 秀次失脚 西村与志木
第33回 1987年8月16日 濡れ衣 樋口昌弘
第34回 1987年8月23日 太閤の死 吉村芳之
第35回 1987年8月30日 成実失踪
第36回 1987年9月6日 天下分け目 西村与志木
第37回 1987年9月13日 幻の百万石 諏訪部章夫
第38回 1987年9月20日 仙台築城 木田幸紀
第39回 1987年9月27日 五郎八、嫁ぐ 吉村芳之
第40回 1987年10月4日 大船造り
第41回 1987年10月11日 海外雄飛 樋口昌弘
第42回 1987年10月18日 大坂攻め
第43回 1987年10月25日 ねこ、宇和島へ 木田幸紀
第44回 1987年11月1日 大坂夏の陣 吉村芳之
第45回 1987年11月8日 ふたりの父 諏訪部章夫
第46回 1987年11月15日 離縁状 樋口昌弘
第47回 1987年11月22日 天下の副将軍 木田幸紀
第48回 1987年11月29日 伊達流へそ曲がり 吉村芳之
第49回 1987年12月6日 母恋い
最終回 1987年12月13日 大往生 樋口昌弘 47.8%
平均視聴率 39.7%(視聴率は関東地区ビデオリサーチ社調べ)[1]

総集編

  1. 「梵天丸もかくありたい」 1987年12月27日、19:20-20:35
  2. 「男は一生 父とたたかう」 1987年12月28日、 19:30-20:45
  3. 「母の愛は海より深く」 1987年12月29日、19:20-20:35
  4. 「難波のことも夢のまた夢」 1987年12月30日、19:20-20:35
  5. 「楽しまずんばこれいかん」 1987年12月31日、19:20-20:35

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:前後番組

テンプレート:大河ドラマ
  1. 1.0 1.1 1.2 ビデオリサーチ NHK大河ドラマ 過去の視聴率データ
  2. 2.0 2.1 これらの映像は総集編でも見られる。
  3. 3.0 3.1 『週刊現代』2012年10月13日号166頁 「『独眼竜政宗』を語ろう」のジェームス三木、北大路欣也、吉村芳之の対談
  4. 第1回時は喜多長世名義。また本編にも出演した。