湯浅駅

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ファイル:JR-West YuasaStation.jpg
1番ホームから新宮方を望む。(2008年8月)

湯浅駅(ゆあさえき)は、和歌山県有田郡湯浅町大字湯浅にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線(きのくに線)のである。

湯浅町だけでなく広川町の中心にも近く、特急「くろしお」の一部が停車する。朝晩には和歌山方面からの折返し列車も設定されている。有田鉄道にもかつて湯浅駅があったが当駅とは位置が違う(歴史で詳述)。

駅構造

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅になっている。島式ホームの2・3番のりばへは跨線橋で連絡している。古くからの木造駅舎は前面がリニューアルされている。

直営駅御坊駅被管理駅)である。

湯浅駅プラットホーム
ホーム 路線 行先 備考
1 テンプレート:Colorきのくに線 和歌山天王寺新大阪方面
2 テンプレート:Colorきのくに線 和歌山・天王寺方面 待避・始発列車のみ
御坊白浜新宮方面 待避列車のみ
3 テンプレート:Colorきのくに線 御坊・白浜・新宮方面
  • 下り本線は1番のりば、上り本線は3番のりばであり、特急はすべてこのホームに停車(通過)する。2番のりばは上下共用の待避線(中線)であり、後続の特急列車の待ち合わせや、和歌山方面からの列車の折返しに使われる。
  • 全てのホームで簡易自動放送が使用されている。

利用状況

1日の平均乗車人員は以下の通りである。[1]

乗車人員推移
年度 1日平均人数
1998 1,752
1999 1,634
2000 1,585
2001 1,533
2002 1,483
2003 1,420
2004 1,404
2005 1,322
2006 1,289
2007 1,263
2008 1,219
2009 1,206
2010 1,215
2011 1,186
2012 1,177

駅周辺

広川の河口に開けた湯浅・広川のかなり大きな集落の入口に当たり湯浅町・広川町の玄関口となっている。駅を出ると湯浅の市街地が広がっており湯浅の港や役場などが近くに存在している。駅前から中紀バスおよび御坊南海バスが路線バスを運行している。

歴史

この町に「湯浅」という駅が最初に出来たのは1915年(大正4年)5月のことで、有田鉄道が湯浅の港にある海岸駅からこの湯浅を経て下津野駅にいたる路線を開通させたのに伴って有田鉄道の湯浅駅(ゆあさえき)が開業したのであるが、この「湯浅駅」は現在の当駅とは異なる。

1927年(昭和2年)8月には国鉄紀勢西線が藤並駅から紀伊湯浅駅(きいゆあさえき)まで延伸となり国鉄も当地への乗り入れを果たすが、この紀伊湯浅駅が現在の湯浅駅になっている。紀伊湯浅駅は開業当初は紀勢西線の終着駅であったが開業1年後の1928年(昭和3年)10月に紀勢西線は紀伊湯浅駅から紀伊由良駅まで延伸となり、終着駅ではなくなった。

戦争が始まると、紀勢西線と有田鉄道が並行する状態は、資源(レール等)の有効活用から望ましくないとされ、1944年(昭和19年)12月には有田鉄道の藤並駅から湯浅駅を経て海岸駅までが「不要不急線」として休止になり、1959年(昭和34年)4月には結局復活を見ず廃止となったため結局湯浅の町には紀勢西線の紀伊湯浅駅のみが残った(有田鉄道は廃止線の代替として、休止のおよそ6年後の1950年(昭和25年)4月より藤並駅から当駅まで紀勢線に乗り入れをするようになる)。

紀伊湯浅駅はその後1959年(昭和34年)7月には今の紀勢本線が全通し亀山駅と和歌山駅(現在の紀和駅)の間が紀勢本線となったのを受け国鉄紀勢本線の駅となり、湯浅駅への改称、さらに国鉄の分割民営化を経て現在に至っている。

有田鉄道は1992年(平成4年)12月に当駅への乗り入れをやめ、2002年(平成14年)12月31日限りで全線廃止となっている。

年表

その他

  • 天王寺駅以遠を往復特急利用すると(ただし、当駅にて購入に限る)48時間の駐車料金が無料になるパーク&ライドを実施中(限定6台)。

隣の駅

西日本旅客鉄道
テンプレート:Colorきのくに線(紀勢本線)
テンプレート:Color快速
紀伊由良駅 - 湯浅駅 - 藤並駅
テンプレート:Color普通(阪和線内で快速または直通快速となる列車を含む)
広川ビーチ駅 - 湯浅駅 - 藤並駅

脚注

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関連項目

外部リンク

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  1. 『和歌山県統計年鑑』及び『和歌山県公共交通機関等資料集』