日本のいちばん長い日

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テンプレート:Infobox Film日本のいちばん長い日』(にほんのいちばんながいひ)は、1967年に公開された日本映画。製作及び配給は東宝で、東宝が創立35周年を記念して製作した白黒映画

大宅壮一の名で発表されたノンフィクション『日本のいちばん長い日』[1]文藝春秋、初版1965年)を、東宝創立35周年記念作品として映画化。

概要

タイトルの「日本のいちばん長い日」とは、昭和天皇や閣僚たちが御前会議において降伏を決定した1945年昭和20年、明治78年)8月14日の正午から、国民に対してラジオ日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を指している。

陸軍将校の暴発(宮城事件)や厚木飛行場小園安名大佐の反乱(悩乱)、政府首脳等の苦衷を通して、ポツダム宣言の発表の後、広島と長崎への原子爆弾投下を経て迎える8月14日から15日にかけての極限状態の一日を中心に、ポツダム宣言を受諾するまでの大日本帝国の姿を描く。テーマとは別に異常なまでのカットバックナレーションの多さも、多くの議論を起こした。今日でも脚本家「橋本忍」論の重要なテーマである。

原作はクレジット上では「一億総白痴化」「駅弁大学」など多くの名言を残した、ジャーナリストで評論家の大宅壮一となっているが、実際は当時文藝春秋の編集者で、後に作家となる半藤一利が執筆した。俳優陣も三船敏郎以下豪華な顔ぶれとなり、いわゆるオールスター映画とされる。

ラストの青年将校たちが疾走する砂利が敷かれた広場は本物の皇居二重橋前であり手持ちのカメラも含め、普通は撮影許可は下りない場所である。監督の岡本喜八は逮捕を覚悟の上でゲリラ的にロケを敢行し、制止されてもおかしくはないと考えていたが、警備員達は笑いながら見物しているだけで特に問題は起きなかったという。

なおエンディングの配役クレジットタイトルは、昭和天皇役の八代目松本幸四郎以外は登場順で表示された。

配役

※はノンクレジット

政府関係者

内閣
官邸
外務省
宮内省
情報局

陸軍関係者

陸軍省
参謀本部
第一総軍
第二総軍
東部軍
近衛師団
児玉基地(陸海混成第207飛行集団)
横浜警備隊
航空士官学校
憲兵隊

海軍関係者

軍令部
海軍省
厚木基地(第302航空隊)

宮城関係者

重臣
侍従

日本放送協会(NHK)関係者

その他

特別出演

スタッフ

原作[現行版]

半藤は当時、版元の社員だったので、「大宅壮一編」で出され角川文庫でも再刊された。大宅は序文のみ書いている。改訂版は、戦後50年の1995年6月に刊行。講談社インターナショナルで英訳版も出版された。

注釈

  1. タイトルはノルマンディー上陸作戦を描いた映画『史上最大の作戦』の原題“The Longest Day”から採用されている。
  2. 笠智衆の実子で東宝社員
  3. 一部の映画資料には記載
  4. 「黒井大尉」が実際には存在しない以上に原作との大きな違いはクライマックスで畑中少佐が拳銃を突きつける場面で実際に銃口の先にいたのは映画には登場しない人物で、日本放送協会の報道部副部長の柳澤泰雄(やすお)で、映画上映の18年後の発表の発表で、著書『検閲放送』(けやき出版)に詳細が書かれている(伊藤千尋「映画の旅人」朝日新聞be2014年8月9日)。
  5. 5.0 5.1 パンフレットには記載
  6. この人物はフィクションである。航空士官学校上原重太郎大尉と、通信学校窪田兼三少佐をミックスさせた人物である。上原大尉が殺害犯とする証言が大勢だが、窪田は戦後も生き残っており、自身こそが森師団長を殺害した、と雑誌等に証言していた。
  7. 遠景と手や後姿などで出演。

関連項目

外部リンク

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