平田昭彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:出典の明記 テンプレート:ActorActress

ファイル:Akihiko Hirata poster detail.jpg
映画『ゴジラ』で平田が演じた芹沢博士

平田 昭彦(ひらた あきひこ、1927年12月16日 - 1984年7月25日)は、日本俳優。本名、小野田 昭彦(おのだ あきひこ)。

日本統治時代の朝鮮京城(現ソウル)生まれ。東宝映画、テレビドラマで活躍。特撮分野の名優としても知られる。

来歴・人物

東京陸軍幼年学校陸軍士官学校(60期)、旧制第一高等学校を経て、東京大学法学部政治学科卒。陸士での同期には中條高徳が居た。また、東大での親しい同期には児島襄松下康雄らが居た。東大では演劇部に所属。母親が世田谷で映画関係者のよく利用する旅館を営み、兄の小野田嘉幹が映画界に就職したこともあり、映画界への興味を抱き、大学在学中は新東宝で助監督のアルバイトをやっていた。

1950年に大学を卒業すると東京貿易に入社。しかし、映画界への興味は捨てきれず、山口淑子の勧めもあって、俳優への転身を決意。1953年、第5期東宝ニューフェイスとして東宝に入社し、同年、マキノ雅弘監督『抱擁』でデビューする。

端整なマスクと知的で気品のある雰囲気で東宝の若手スターの1人となり、文芸作品から、アクション、時代劇戦争映画コメディまで数多くの映画に出演した。岡本喜八福田純本多猪四郎稲垣浩監督らの作品の常連である。戦争映画における士官役や、アクション映画の殺し屋やインテリヤクザ役などで、堂に入ったダンディぶりを発揮した。殺し屋役では、岡本脚本、福田監督の『100発100中』で純白のスーツに身を固めた硫酸魔など、自分の体にこぼして最期をとげる間抜けさも含め、平田ダンディズムの代表的演技となっている。

1954年、東宝の特撮怪獣映画の第1作『ゴジラ』に芹沢博士役で出演、以降東宝・円谷プロ系特撮作品の常連となる。芹沢博士は苦悩する科学者だったが、以後は主にクールで知的な博士・科学者役を得意として作品を引き締め、品格を与えた。テレビでも『ウルトラマン』の岩本博士、悪役としては『レインボーマン』のミスターKなどを演じている。

1970年代以降はテレビを中心とし、ドラマだけでなくバラエティ番組にも出演した。人気クイズ番組ぴったし カン・カン』の「ぴったしチーム」レギュラー解答者としても活躍。この番組では、司会の久米宏が休暇中に司会を代行する萩本欽一に替わって「カン・カンチーム」キャプテンを務めたり、ゲストとしても出演したことがある。東宝系を中心に舞台にも数多く出演し、芸術座の『人間の条件』では主演、帝国劇場では山田五十鈴演じる静御前の相手役として、1カ月間にわたり源義経を務めたこともある。

夫人は女優久我美子1961年、平田の猛アタックの末に結婚し、おしどり夫婦として知られた(仲人は稲垣浩監督)。実兄に映画監督小野田嘉幹、義姉(嘉幹の妻)に女優の三ツ矢歌子、実妹に女優の音羽美子がいる。

1984年7月25日、癌性リンパ管症で死去。テンプレート:没年齢

なお、この年9年ぶりに最新作が公開されることになっていた『ゴジラ』では、復活に向けてのキャンペーンにも芹沢博士の扮装で参加しており、出演の予定もあったが叶わなかった(役柄は芹沢博士ではなく東都日報編集長。代役は佐藤慶が務めた)。

エピソード

  • 同じ東宝出身の佐原健二とは平田が亡くなるまで親友関係にあった。佐原によると、平田は「ボクが『ウルトラQ』で君(佐原)が演じた万城目を演じたかったんだよなぁ」と語っていたという。[1]
  • 初代ゴジラ、初代バラン、ウルトラマンでも倒せなかった初代ゼットンと、怪獣を一撃で撃退する役を3度も演じており、何かと怪獣に関わる役柄が多かった。また、悪の首領を演じた『レインボーマン』の最終話でも死ななかったことから、隠れた不死身の特撮ヒーローとして崇拝する特撮ファンも多い[2]

主な出演作品

映画

テレビドラマ

レギュラー・準レギュラー出演

ゲスト・単発出演

吹き替え

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

  • 中村深海『映画俳優 平田昭彦』 くまがい書房、2013年。ISBN978-4990394691

外部リンク

テンプレート:Sisterテンプレート:Asbox
  1. テンプレート:Cite book
  2. NHKBS『日めくりタイムトラベル』(昭和41年編)の石坂浩二高橋ジョージのコメントより