敷島町

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テンプレート:Infobox 敷島町(しきしままち)は、山梨県のほぼ中央部、中巨摩郡にあった町である。町名は合併時の公募による。

平成の大合併以前の山梨県における町の中で中道町櫛形町甲西町上野原町白州町河口湖町とともに数少なく「まち」と読む自治体であった。(この7町も合併で消滅したが、河口湖町だけは富士河口湖町となり現在も県内で唯一「まち」を名乗っている。)下記#その他も参照。

地理

県中央北部、郡北東部に位置。東西4キロメートル、南北15キロメートルの南北に長い帯状の町域で、中央部を亀沢川が南流し、中部の亀沢地区で東側を流れる荒川と合流する。北部は山岳地帯で茅ヶ岳金ガ岳のほか、曲岳や黒富士太刀岡山などの山々が連なる。また、荒川上流の花崗岩の侵食により形成された景勝地として知られる御岳昇仙峡の西側に属する。中南部は荒川扇状地の平坦地で、「島三条」地域は古くから水田農耕が行われている。

歴史

先史・古代

ファイル:Fujimura Memorial Hall.JPG
旧睦沢学校(甲府市藤村記念館)

町域には旧石器時代の遺跡は見られないものの、縄文時代からの考古遺跡が分布している。縄文遺跡は亀沢川流域に多く分布しており、北部山間部より南部平坦地に集中する。大下条の金の尾遺跡弥生時代の集落遺跡を主体としているが、縄文前期から中期の住居跡や縄文式土器などの遺物が出土している。また、滝下の金ノ宮遺跡は縄文中期の大規模集落として知られる。金の遺跡は県内で少ない弥生時代の集落遺跡で、弥生後期を中心に水田遺構は見られないが住居跡や土坑内の壺棺を伴う方形周溝墓が検出され、弥生式土器などの遺物も出土している。

古墳時代の遺跡には大下条の御岳田遺跡が古墳前期の集落遺跡で、甲府盆地南部の曽根丘陵地域(旧中道町)にヤマト王権の影響を受けた大型古墳が築造されていた時期にあたる。6世紀には中道勢力が衰退し盆地各地へ古墳築造が拡散するが、隣接する甲府市千塚では加牟那塚古墳万寿森古墳など横穴式石室を伴う盆地北西部勢力の大型古墳が出現しているが、町域でも境の大塚古墳や島上条の大庭古墳など横穴式石室をもつ古墳4基が現存している。また、金の尾遺跡や大下条の松ノ尾遺跡は同時代の集落遺跡がある。

古代の律令時下では巨麻郡に属する。甲斐国は早くから仏教文化を受容し、盆地北縁部では旧春日居町寺本廃寺があり、甲府市川田町には寺本廃寺へ瓦を供給した川田瓦窯跡があるが、町域では天狗沢に同じく古代寺院へを供給していたと考えられている7世紀中頃の天狗沢瓦窯跡があり、平安仏も出土している。また、中下条・上下条の松ノ尾遺跡は奈良・平安時代の集落遺跡として知られ、近辺は巨摩郡家が所在した可能性も考えられている。

中世

平安時代後期には甲府盆地各地で荘園が成立するが、町域南部は志摩荘域に含まれ、中下条はその中核地域であったと考えられている。

戦国時代に甲斐は守護武田氏と有力国衆・他国勢力との乱国時代を経て守護武田氏による統一が進み、大永元年(1521年)には駿河今川氏配下の武将福島正成を主体とする今川勢が富士川沿いに侵攻し甲府へ迫り、武田信虎が今川勢を飯田河原合戦(甲府市飯田町)に次いで町域の上条河原合戦で撃退している。

中世には荒川支流亀沢川より取水し荒川右岸地域を灌漑する上条堰用水堰として開削され、地域社会により管理・維持されている。

近世

近世には巨摩郡北山筋に属し、22箇村が見られる。甲府城背後の山間地域では、林業の専門技術を提供して特権を得るや大鋸と呼ばれる村々があったが、甲府城北西の亀沢川流域に位置する上芦沢、下芦沢、上福沢、下福沢、神戸、安寺、打返、漆戸、上菅口、下菅口、獅子平、草鹿沢(甲府市)の12箇村は地域的な関係が強く北山筋12箇村と総称され、御用仙として加藤光泰、浅野氏ら豊臣系大名時代の甲府城建設にも動員されており、諸役免除の特権を得ている。12箇村は仙御用の由緒を記した共有文書を保持し、宝暦7年の高掛三役の新規上納に反対し、連帯して特権維持の訴願運動を行った。

南部平坦地では、扇状地を利用した穀倉地帯となっており、近代まで水車精米業が行われていた。

近現代

睦沢村亀沢に設立された旧睦沢小学校は、「藤村建築」と評される明治初期の山梨県知事藤村紫朗が推進した擬洋風建築の校舎で、1966年(昭和41年)に甲府市古府中町の武田神社へ移築され、2010年(平成22年)には甲府駅北口広場に再移築され甲府市藤村記念館となっている。

沿革

文化財

上菅口、下菅口にある郷倉は江戸時代後期の建築で、年貢米や凶作時の食料を貯蔵していた土蔵造瓦葺の貯蔵庫であり、県指定有形民俗文化財に指定されている。また、上菅口のネズの巨樹は県指定天然記念物。

出身有名人

その他

  • 接尾辞「町」まで含めた「敷島町」の読み方については各種資料で「しきしままち」と「しきしまちょう」の二者が混用されていたが、正式な読み方は「しきしままち」の方である。

参照

関連項目