ハードロック

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ハードロック (テンプレート:En) は、ロックの一形態。ブルースを基調とする激しいロックを指す。歪んだ音のエレクトリック・ギターを強調したサウンド形態が特徴。1960年代後期にはほぼ確立したジャンルと言える。初期はサイケ・ロックやブルース・ロックの混合物としてスタートし、1970年代初頭までには、ハードロックの呼称が定着した。また、ヘヴィ・メタルという名称も比較的早くから存在していた。英国の「レッド・ツェッペリン」や「ディープ・パープル」などが、典型的なスタイルとされる。


概観

ハードロックの定義は人によって微妙に異なるが、概ね以下の特徴などが挙げられる。

  1. 大音量での演奏
  2. 主にギター音をディストーション等で歪ませた激しいサウンド
  3. 裏拍アクセントを置き、かつそれを執拗に強調する直線的な縦ノリ
  4. 重低音を強調したサウンド作り

これらの事から、(上記3は音楽形式にあたるが)音楽形式としての分類と言うよりは「サウンド形式」での分類であると考えた方が良い。

ベース&ドラムが、時にギター、キーボードも同じ符割(フレーズも同一の場合も多い)を演奏するスタイル(ユニゾンと云う)を好んで採用する点を取り上げれば、演奏形式での特徴も存在すると言えるが、これは前記サウンド特徴を作り出す為の必然(従の位置付け)であると考えるのが妥当であろう。

上述のようなサウンド特徴を演出するに主役の座に着きやすいのはエレクトリック・ギターである。その為エレクトリック・ギター中心のバンド構成になりがちな傾向がある。

歴史

ハードロックに限らず、また全ロック分野だけに留まらず、ポピュラー音楽の発展はブルースとの関連抜きに語る事は不可能である。ブルースは広く知られている通り、そもそもは奴隷状態下に置かれたアメリカの黒人の労働歌鎮魂歌子守唄習俗を唄ったもの等に起源しており、これ故「簡素で分かりやすい形式」(I→IV →Vを基本形とする単純なドミナント進行)であり、またその境遇故に唄われる内容は少なからず、プロテストな色彩であった。ジャズもブルース起源であるが、こちらはブルースのもう1つの顔である「辛辣、痛烈な批判を物語り調にしたり、暗喩にして、ユーモアのオブラートで包みソフィスティケイトする」手法(奴隷であった彼らは、白人への不満を直接的に口にできなかったからである)の流れの方を強く汲んでおり、その後の発展に伴って随分と違う毛色になっている。また、アメリカに於いては、先にジャズやブルースが発展した影響からか、黒人人口がかなりの割合を占めていたのが原因か、ロックンロールロカビリーというカントリーに黒人音楽を混合した形で発展した。1950年代は、フィフティーズ文化でも想像が付く通り、文化的にはアメリカが世界各国の若者の心をとらえていた時代である。

より直接的な感情の発露の道具としてブルースの方が最適であった事から、ブルースを基調とする骨太でソリッドな音楽をやり出す者が次々現れ、イギリスではちょっとした「ブルース・ブーム」になった。これが、ハードロックを含むロックの原点である。ブルースから発展したロックンロール、ロカビリーが既に存在していたアメリカ社会にとれば、ブルースは「もう既によく知っている」「古い」音楽であり、しかも(この当時は今よりあからさまに黒人差別があったので)黒人音楽であるが故の偏見も存在した。そのような環境の中でも、原点であるブルース回帰する流れは、60年代後半のキャンド・ヒートやポール・バターフィールドなど、多くのバンドがいた。

ロックはブルースから「簡素でわかりやすい形式」と「プロテスト的な色彩」とをストレートに受け継ではいるが、これを黒人文化には直接的に影響を受けていないイギリス人が再解釈したものであるので、アメリカのロックンロール、ロカビリーが半ば必然的に持っていた「跳ねるリズム感覚」(俗に「黒っぽさ」とも言われる)は希薄である。リズムが跳ねた感じになるのは、裏拍にアクセントが置かれているからである。クラシック音楽は、ロックと同様「表拍にアクセントがある」のを基本としており、イギリスはそもそもクラシック音楽文化圏であるから、ロックも跳ねないリズムが基本になったのであると考えられる。

ハードロックの起源とされるのは、ビートルズの曲「ヘルター・スケルター」や、ヤードバーズの一部の曲。ブルース・ロックのジャンルでデビューしたクリームジミ・ヘンドリックスが挙げられる。彼らは、ブルーズとロックを融合し、新しいスタイルを呈示してみせた。特に、ジミ・ヘンドリックスは、大音量でディストーションの掛かった音の先駆けとなった。またブルー・チアーやマウンテン。フリーやグランド・ファンク、ユーライア・ヒープなども、ハードロックの草分け的なバンドであった。

共通するのは歪んだギター、ベースのサウンド(ディストーション・サウンド)と「直情的な音表現」である(サウンドに関しては、後述「偶然が生んだサウンド」を参照)。後者をより具体的に表現するなら、チョーキングアーミングの使用である。誤解を避けるために更に補記すると、チョーキングとアーミングを使い出したのは、何もハードロックが最初ではない。ただ、例えばチャック・ベリーなどが用いたチョーキング、ベンチャーズが多用したアーミング、何れも「ユーモラスな」または「コミカルな」音ニュアンスを表現するもので、「肉感的」または「叫び声のよう」と評される事の多いロック系のそれとは明らかに趣を異にする。

1968年には、ジェフ・ベック・グループ(第一期)、レッド・ツェッペリンがデビューし、世界に衝撃を与える。1970年には、後にヘヴィメタルの教祖的存在となるブラック・サバスがデビュー。ディープ・パープルがハードロックに転向。1973年には、グラム・ロックの影響の見られる女性ロッカースージー・クアトロがデビューし、このころには、ハードロックが世界的にブームとなった。

日本でも、ハードロックはブリティッシュ・ロック勢の人気が高かった。これは、上記アーティストは全てイギリスからデビュー(ジミ・ヘンドリックスやスージー・クアトロはアメリカ国籍であるが、渡英して大成功した)している上、その後も暫く(パンク・ニューウェイブが登場するまで)は、ハードロックに於いてはイギリス勢が目立っていたからである。だが、アメリカのバンドも負けておらず、1970年代にはブルー・オイスター・カルトエアロスミスキッスなどのハードロックに分類される多くのバンドが大活躍した。一方でジャーニー、ボストン、フォリナー、TOTO、スティックスなどは、産業ロックというカテゴリーに含まれた。70年代後半にはパンク・ニューウェイブが一大ブームとなり、ハードロックの人気は下降した。当時の人気バンドとしては、ジューダス・プリースト、スコーピオンズ、ACDC、レインボウ(ブラックモアズ・レインボウ)がいた。

1980年代前半になると、ツインギターを売り物にしたナイト・レンジャーがデビュー。日本ではポップ性とハード性を兼ね備えたボン・ジョヴィのシングル曲「ランナウェイ」が大ヒットし、これを皮切りに、「アメリカン・ハードロック」が注目されるようになった。ヴァン・ヘイレンがアルバム「1984」でキーボードを多用しシングル曲「ジャンプ」が大ヒット。続いてラットやモトリー・クルー、ドッケン、ポイズンなど、ロサンゼルス出身のハードロックバンドが続々とメジャーとなり、ロサンゼルス以外のアメリカ出身であるシンデレラなども総じてLAメタルと呼んだ。一方で、デフ・レパードやホワイトスネイクなど、イギリス系のアーティストも上記のバンド以上にアメリカでヒットするなどし、ハードロックそのものが全盛を極めていた。

1980年代中頃になると、さらにアメリカから、アンスラックスメタリカのような、これまでとは違うスピード感と重圧感を売りにしたスラッシュメタルがブレイクした。

1980年代後半~1990年初頭では、パンク・ロック的要素やアコースティック・サウンドを取り入れたハードロックバンド、ガンズ・アンド・ローゼズが一世を風靡した。この頃、テスラやドッケン等、次々にアコースティックの楽曲を取り入れたバンドが続出した。

その頃、ドイツ勢からは、ハロウィンやガンマ・レイといった、スピードメタル/パワー・メタル、イギリス勢からはNWOBHM(ニュー・ウェイブ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)、ヨーロッパからは北欧メタルが出現し、現在では、ハード・ロック/ヘヴィ・メタルには、次のような様々なジャンル分けがされることもある。

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偶然が生んだサウンド

1960年代当時トランジスタはやっと実用化レベルに達したばかりで、今日のような歪み率の低い電気特性の優秀なアンプ(アンプリファイア)は存在しなかった。トランジスタ以前の電気増幅素子真空管であった。トランジスタに比較して、真空管は与えられた入力の音響特性を変えずに増幅出来る帯域が非常に狹い。今日で言う「高忠実度再生能力」(Hi-Fi)が低いという事である。具体的には「小音量だとノイズに埋もれてしまい」「大音量だと音色が歪む」特性を持っていた。

折も折、先んじて1950年代後半からアメリカで起こっていた公民権運動、これと相前後する形で世界各国で学生運動が勃発、少し時代が下ってベトナム反戦運動がこの流れに合流する形で「反権力」を旗印とした市民運動が全世界的に盛り上がった時代である。先述した通りブルースの流れを踏襲しているロック音楽全般がプロテスト的色彩を帯びていたのは理の当然である。無論プロテスト的ではないロックも存在しなくはなかったが、この時代のムードにマッチする形で主流なものは総じてプロテスト的であった。その親和性故に市民運動の集会とロック(またはフォークソング)コンサートが合同で行われる形式(今で言うコラボレーション)が自然発生的に出来上がり、また、どちらも(若者を中心に)人が集まることに利害を感じる「市民運動組織団体」「レコード会社、コンサート興行主等の音楽産業界」双方の思惑が一致した事から、このコラボレーションは次第に大規模化、組織化されていく(これの最大規模のものが「ウッドストック・フェスティバル」である)。

多くの聴衆に音を聴かせる必要性が増してきた事から、PAシステムと共に楽器用アンプも大出力のものが求められるようになっていった。この要求に応えるべくヴォックスフェンダーマーシャルオレンジなど各社が大出力のアンプをこぞって製造し出したが、先述の通りそもそも大音量再生には無理がある真空管で半ば強引に高出力のものを作っていたので、少し音量を上げると非常によく歪んだ(とは言っても今日の、最初から歪ませる事を狙って設計されているハイゲイン・アンプでのディストーション・サウンドと比較すれば「軽く歪んだ」程度であり、「ナチュラル・ディストーション」と今日呼ばれる事から想像が付くように、現代の感覚では寧ろナチュラルに近い音である)。但し、この当時は「ディストーション」という呼称は使われておらず、その動作原理から「オーバードライブ」と呼ばれた。

ディストーション・サウンドというと今やその代名詞にすらなっているのがマーシャル・アンプであるが、これに最初に飛び付いたのはザ・フーピート・タウンゼントである(マーシャル社が設立されたのは1962年[1]で、この当時クラプトンはヴォックス社のAC-30を使っていた)。にも関わらず(幸か不幸か)タウンゼントがハードロックのサウンドの立役者とされないのは、ザ・フーの音楽性がポップ色、ロックンロール色を色濃く残していたからである。

その後「ハードロック=ディストーション・サウンド(オーバードライブ・サウンド)」という定式が確定した。この後は、各アンプ・メーカーも、それまでのように歪みにくいアンプではなく、歪みやすいアンプを意図的に作るようになった。また、トランジスターが安価で供給され、これと入れ替わるように供給不足から高値になっていった真空管であるが、真空管の歪み方はウォームでマイルドであるのに対して、トランジスターでの歪みは耳障りなで不愉快な音になりやすい事から、現在に至るまでギター・アンプに関しては真空管が健在である。

ミュージシャン

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参考文献

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関連項目

外部リンク

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  1. マーシャル社のオフィシャル・サイト