バッド・カンパニー

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テンプレート:Infobox Musician バッド・カンパニー(Bad Company)は、1973年イギリスで結成されたハードロックバンド。グループ名の意味は悪友。

概要

ボーカルのポール・ロジャースとドラムスのサイモン・カーク(元フリー)、ギターのミック・ラルフス(元モット・ザ・フープル)、ベースのボズ・バレル(元キング・クリムゾン)の4人によって結成。
前身のフリーよりもシンプルで洗練されたサウンドを持ち味としており、1974年のデビューから1982年までに6枚のアルバムを発表し、その多くがアメリカでプラチナムセールスを記録するなど、本国イギリス以上にアメリカで高い人気を誇った。
1982年にポール・ロジャースが脱退してからも、メンバー・チェンジを繰り返しながら活動を続けていたが、1999年2008年にそれぞれオリジナル・メンバーを中心とした再結成が行われており、2010年には35年ぶりの来日公演を行った。

来歴

デビューからポール・ロジャース脱退まで

1974年、彼らはレッド・ツェッペリンが設立したスワンソング・レコード(本国イギリスではアイランド・レコード)からデビュー・アルバム『バッド・カンパニー』を発表する。シングル「キャント・ゲット・イナフ」は全米5位、全英15位のヒットし、アルバムは全米1位、全英3位を記録。売り上げはアメリカだけで500万枚、全世界で1200万枚を超える大ヒットとなった。

1975年には2ndアルバム『ストレート・シューター』を発表し、米英ともに3位を記録するヒット作となり、アメリカでは200万枚を売り上げた。本作からは「フィール・ライク・メイキン・ラヴ」が全米10位、全英20位とヒットしている。また本作の発表にあわせて、1975年3月3日には日本武道館で一夜限りの来日公演が行われた。

1976年には3rdアルバム『ラン・ウィズ・ザ・パック』を発表。全米5位、全英4位を記録し、アメリカでは100万枚を売り上げている。ポール・ロジャースもこのアルバムをお気に入りの一枚に挙げている。

ここまでバッド・カンパニーは順調にヒットを飛ばしてきたが、1977年に発表した4thアルバム『バーニン・スカイ』は、当時のパンクブームに押されてか、全米15位、全英17位とやや伸び悩み、アメリカでのアルバム・セールスも50万枚にとどまった。デビュー以来ほぼ休みなく活動していたバンドは、ここでいったん活動休止している。

1979年には、前作から2年ぶりの5thアルバム『ディソレーション・エンジェル』を発表。アルバムもアメリカナイズされた作風が受けて、全米3位、全英10位とヒット、アメリカでは200万枚を売り上げた。また「ロックン・ロール・ファンタジー」も久々にシングルヒットを記録している。しかしバンドは、ここでその流れを断ち切るかのように、再び活動を休止している。

そして1982年には前作から3年ぶりに6thアルバム『ラフ・ダイアモンド』を発表。しかしこの頃になるとメンバー間の人間関係は非常に悪化しており、アルバム自体もやや散漫な出来となり、全米26位、全英15位とヒットには至らなかった。結局ポール・ロジャースは本作をもって、バッド・カンパニーを脱退。オリジナル・メンバーの作品としてはこれが最後の作品となった。バッド・カンパニーとしての活動はここでひとまず休止した。日本でバッド・カンパニーというと、一般的にはここまでの時期を指すことが多い。

ポール脱退後の活動

ポールはソロ活動の後、ジミー・ペイジザ・ファームを結成。一方、残りのメンバーは、1986年に元テッド・ニュージェント・バンドのブライアン・ハウをボーカリストとして起用しバッド・カンパニーを再始動させる。すぐボズ・バレルが脱退したものの、フォリナーからリック・ウィルスが加入。音楽性はスタジアム・ロックへと様変わりし、1990年の『ホーリー・ウォーター』はアメリカで100万枚のセールスを挙げるなど商業的には成功したアルバムもあったが、1994年にメンバー間の不和からブライアン・ハウが脱退する。

1995年、ほとんど無名のボーカリストだったロバート・ハートが加入。ロバートの声はポール・ロジャースを彷彿とさせるともいわれており、この第3期のラインナップでは2枚のアルバムを発表したが、結局商業的には成功しないまま活動を終えた。

再結成

1999年、バッド・カンパニーはオリジナル・メンバーにて再結成を果たす。そしてオリジナルメンバーとしては17年ぶりに新曲も収録したベストアルバムを発表。30公演にも及ぶ全米ツアーも成功を収めた。しかし早くもミック・ラルフスとボズ・バレルが脱退することを発表。

2001年、オリジナル・メンバーのポールとサイモンに加え、96年加入のデイヴ・コールウェル(ギター)とポールのソロバンドで活動していたジャズ・ロクリー(ベース)と共に全米ツアーを行い、ライヴ盤とそのDVDを発表した。この時ポールはこのままバッド・カンパニーとしての活動を活性化させていく可能性も示唆していたが、その後はソロ・アーティストとしてツアーを行うなどして、バッド・カンパニーとしての活動は2002年以降停止していた。

2005年から2009年まで、ポールはクイーンのメンバーとコラボレートし、ツアーで「キャント・ゲット・イナフ」などバッド・カンパニーの代表曲も数曲披露した。加えて2006年にオリジナルメンバーのボズ・バレルが亡くなったこともあり、バッド・カンパニーとしての活動再開の可能性は低いともみられていた。

2006年にはオリジナルメンバーのバンド初となるライブ・アルバム『ライヴ・イン・アルバカーキ76』が発売される。これはミック・ラルフスの秘蔵テープを音源化したものだったが、ポール・ロジャースのマネージメントからクレームがつき、発売と同時に廃盤、回収されてしまったため、現在高値で取引されている。また2007年には、ポール・ロジャース在籍時の初期6作品が、日本限定で紙ジャケにて再発され、全作品がオリコンチャート入りするほどの売り上げを記録した。

2008年には、オリジナル・メンバーの3人のほかに、サポート・メンバーとしてリン・ソレンセン(ベース)、ハワード・リーズ(ギター・元ハート)を加えた5人編成で、一夜限りの再結成ライヴを行った。このライヴの成功を受けて、2009年ドゥービー・ブラザーズとともに北米ツアーを敢行。2010年ジョー・ペリー・プロジェクトをオープニングアクトに据えて、30年以上ぶりの本国イギリスでツアーを行い、同年10月には35年ぶりに日本公演を行うことを発表。しかし、来日直前になってミック・ラルフスが急病で参加できなくなったことから、来日公演はミック抜きの4人編成で行われた。

2013年、再々結成をし、アメリカをツアー。メンバーはポール、ミック、サイモン、ハワードの4人に、ベースのリン・ソレンソンを加えた5人編成。

ディスコグラフィー

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第一期-オリジナルメンバー在籍時

第二期-ブライアン・ハウ(Vo)在籍時

  • Fame and Fortune - フェイム・アンド・フォーチュン (1986)
  • Dangerous Age - デンジャラス・エイジ (1988)
  • Holy Water - ホーリー・ウォーター (1990) 全米35位
  • Here Comes Trouble - ヒア・カムズ・トラブル (1992) 全米40位
  • What You Hear Is What You Get: The Best of Bad Company - ベスト・オブ・バッド・カンパニー・ライブ (1993) (ライヴ盤)

第三期-ロバート・ハート(Vo)在籍時

  • Company of Strangers - カンパニー・オブ・ストレンジャーズ (1995)
  • Stories Told & Untold - トールド・アンド・アントールド (1996)

第四期-オリジナル・メンバーによる再結成以降

  • The Original Bad Company Anthology - バッド・カンパニー・アンソロジー (1999) (ベスト盤) 全米1位
  • In Concert: Merchants Of Cool - バッド・カンパニー イン・コンサート 2002 (2002) (ライヴ盤) 全米114位
  • Hard Rock Live - リユニオン・ライヴ (2010) (ライヴ盤)

関連項目

外部リンク