ヘヴィメタル

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox Music genre ヘヴィメタル英語:heavy metal)は、音楽のジャンルの一つ。基本的な俗称はメタル。他にHMヘヴィメタヘビメタ[1]など。1970年代末期から1980年代後半にかけて流行したロックのスタイルで、ハードロックの延長線上にある。両者を並べてHR/HM(HM/HR)と表現することもある。

概要

ヘヴィメタルは比較的古くから、アリーナ向けの商業ロックとアンダーグラウンドにシーンが分かれていて、また時代が下るごとにシーンも細分化が進んできた。シーンの分化はすなわち音楽性の多様化といえ、ヘヴィメタルは様々なサブジャンルを内包している。ヘヴィメタルのサブジャンル参照。

とはいうものの、このジャンルに分類されるバンドのサウンドはハードロック同様、エレクトリック・ギターの歪んだ音を強調した、過激なものであるのが基本的である。それはヘヴィメタルが、ハードロックが限界点を迎えた後、パンク・ロックムーブメントの中で新たな音楽性を求め発展した末に生まれたジャンルであることによる。従って、ハードロックとヘヴィメタルの間に厳密な境界線は無く、ハードロックとヘヴィメタルとをひとくくりにしてHR/HM(HM/HR)と呼ぶこともある。ヘヴィメタル・ミュージシャンであるデーモン閣下は、ハードロックとヘヴィメタルの違いの一例として、「ハードロックに様式美を持ち込むと、ヘヴィメタルになる」と雑誌の対談で説明している。[2]

特徴

音楽的特徴

ジャンル名にもなっているように一般的には音の「ヘヴィさ」が重視される。そのためにギターやベースのチューニングを下げて、通常より低い音が出せるようにしている場合がある。一般的なポピュラー音楽のテンポが概ね80-130bpmであるのに比して、ヘヴィメタルでは200bpm以上の速いテンポの曲または曲の一部が許容される傾向がある。機械に頼らずに人力で刻める速度の限界に挑戦するようなプレイヤーも多い。 ヘヴィメタルではギターソロが重視される場合が多い。また、ドラムソロやベースソロも行われることも多く、よりも演奏で魅せるような曲も多い。こういった傾向から、速弾きなどのテクニカルな演奏を得意とするプレイヤーを多く生み出しており、音楽機材の進化と多様化に多大な影響を与えたとも言われている。

メンバー構成は、ロック一般に見られるものとあまり変わらない。ギタードラムボーカルベースを主軸にし、これにキーボードが加わることもある。

ギター:通例、強いディストーションをかけ、リフはパワーコードを主体とした力強い音でミュートを効かせながら刻む。ヘヴィメタルバンドにはギタリストが2人いることが少なくない。リズムギター担当とリードギター担当に分かれている場合と、2人が同じリフを弾いて重さを増している場合2人が交互にギターソロを弾くこともある。スケールにはペンタトニック、ハーモニックマイナー、クロマチックなどが用いられることが多い。

ドラム:総じてテンポが速く、またBPMが高くなくても、手数が極めて多い傾向がある。バスドラムを2つセッティングしたドラムセット(ツーバス)や、左右の足で一つのバスドラムを連続的に叩ける器具(ツイン・ペダル)で、キックペダルを高速で踏み続けるプレイスタイルが採用されることがある。

ボーカル:1970年代のハードロックの頃から見られたように、高音域でシャウトするもの、デスメタルなどで顕著な、がなり立てたりうめくようなグラウル、グラントという歌唱法を用いるもの、オペラのように朗々と歌い上げるものなど様々である。

ベース:ファンクなどのように縦横無尽に動き回るよりは、リズムギターのリフにユニゾンして中音域の密度を上げ、重厚感の増幅に努めていることが多い。他ジャンルに比べ強烈なアタック音が特徴的なベーシストがしばしば見られる。

歌詞の特徴

テンプレート:節スタブ 攻撃的な音楽性に合わせ、歌詞もやはり攻撃的なものが目立ち、一般社会(特に日本)では悪魔崇拝やオカルト、猟奇的な犯罪、麻薬についてなど、退廃的で過激な歌詞の印象、ないし偏見をもって語られることがあり、PTAなどからの批判の矛先になることがある。これは、このジャンルの始祖的存在であるブラックサバス、特に自身の番組で放送禁止用語を多用するオジー・オズボーンなどのイメージからある程度は仕方の無いものと言える。

しかし実際にはそうしたものだけでなく、ポピュラー音楽として普遍的なラブソングも存在し、他にはスラッシュメタル以降に多く見られるよう政治・社会問題を訴えるもの、移民の歌のように歴史的事象を取り上げたもの、人生観や個人的感情について唄ったもの、ドラゴンフォースに代表されるようなファンタジーもの様々なものが歌詞のテーマにされている。

過激な内容の歌詞も、単に注目を引くためのもので、作詞者の実生活や、メディアの取材やコンサートでのファンとの交流で見せるメンタリティとはかけ離れていることもままある。だが、ブラックメタルのように本格的に反キリスト思想などの主張を歌詞に取り入れ、音楽活動全体の指針にしているバンドが存在するのも事実であるが、その一方でストライパーのようなクリスチャン・メタルという分野もある。これらも上記の政治・社会問題や歴史的事象を取り上げたものの派生とも取れる。

ファッション

テンプレート:節スタブ ステレオタイプなヘヴィメタルファッションとして、長髪、バンドロゴやアルバムジャケットをプリントした黒系のTシャツ、ジューダス・プリーストのような皮のジャンパーや皮ブーツ、細身ジーンズとスケーターシューズの合わせ、迷彩柄のカーゴパンツ、衣類に打たれたスタッド(鋲)やスパイク、バンドロゴのワッペンや缶バッジを大量に付けたジャケットなどが挙げられる。

反キリスト的なコンセプトのあるバンドでは逆十字やペンタグラムをかたどったアクセサリーを身につけたり、白粉をベースにおどろおどろしい模様をつけた化粧(コープスペイント)などを施すこともある。

しかし、例えば皮製のファッションは、ロブ・ハルフォードSMファッションが由来であり[3]、他の例として黒人音楽を取り入れたコーンのようなバンドではBボーイファッションを取り入れるなど、バンドやプレイヤー個人ごとのアイディアや音楽性、信条などから多様化しているのが実際である。

長髪は、基本的にヘッドバンギングした際の見栄えを良くするためのものであり、1990年代後半以降のジェイムズ・ヘットフィールドのように短髪でも問題はない。

ステージパフォーマンス

テンプレート:節スタブ 音楽面では、例えば速弾きや特殊な奏法などを用いた各演奏者のテクニックを誇張するためにスタジオ版よりも長時間に及ぶギター、ドラム、ベース各パートのソロタイムが設けられることが多く、曲中にギター同士やギターとキーボードで競い合うようにソロを弾いたりといったものがしばしばある。

ステージ下手・中央・上手のメンバーがフォーメーションを取りながらリズムに合わせてヘッドバンギングしながら演奏をするのもメタルらしい演出のひとつである。

バンドごとに見られる演出としては、

といったようにバンドコンセプトにそった独自のものがみられ、他にも火吹きパフォーマンス、花火やパイロテクニクス、巨大な舞台装置など、特にビッグネームのライブでは派手で過激なものが広く見られる。

ファンもこうしたパフォーマンスや演奏に応えてヘッドバンギングをしたり、指でメロイック・サインを組みながら腕を振ったりする(フィストバンギング)。更には激しく身体をぶつけ合う者(モッシュピット)、ステージからダイブする者、集団でアリーナを輪になって駆け抜ける者(サークルピット)など、ヘヴィメタルバンドのコンサートではしばしば会場全体に激しい興奮と狂乱状態が見られ、時折それが原因で事故が発生することもある。

バンドロゴ、アルバムジャケット、アートワーク

テンプレート:節スタブ

語源

名詞であるヘヴィメタルが形容的に使用されたのは、ビートニク作家であるウィリアム・S・バロウズの著作「ソフト・マシーン(1961)」の中であるが、この形容的表現がロックと結びつけられたのは、ローリング・ストーン誌の音楽ジャーナリスト、レスター・バングスヤードバーズを評した事が最初である。ただし、バンドの音楽性としてヘヴィメタルという形容を明示的に使ったのは、音楽プロデューサー、サンディ・パールマンが、自らプロデュースしていたブルー・オイスター・カルトに対してである。また、これには、バロウズと親交が深く、かつ、ブルー・オイスター・カルトのメンバー、アラン・レイニアの恋人でもあったパティ・スミスの影響もあったとされる。

他に、「ロック(岩)よりもハード(硬い)」もしくは「ロック(岩)よりもヘヴィ(重い)」だからヘヴィメタルと言う説など、諸説ある。

歴史

ヘヴィメタル黎明期

今日ヘヴィメタルと形容される音を最初に取り扱ったバンドについては諸説ある。

キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」が最初であるとする説や、ビートルズヘルター・スケルター - Helter Skelter」(『ザ・ビートルズ』収録、1968年発表)をヘヴィメタルの元祖の一つとする説もある。割れるようなサウンド、激しいリフの上にシャウトするコーラス部などの音楽的な要素と、この曲に影響されてシャロン・テートらを惨殺し当時大きな話題となった狂信的な悪魔崇拝者カルト集団首領チャールズ・マンソンによる米国での殺人事件と結びついたイメージも後のパンクロックやヘヴィメタルに影響を与えた。

その他にも1960年代後半からクリームヴァニラ・ファッジレッド・ツェッペリンディープ・パープルを始めとするラウドなロックが多数現れた。また、ステッペンウルフ1968年に出した「ワイルドで行こう(ボーン・トゥ・ビー・ワイルド)」の歌詞には、オートバイ(のエンジン音)を"Heavy Metal"に例える箇所がある。これらのバンドも音的にヘヴィメタルな要素を多分に含んでいるが、いずれもハードロックの範疇に留まると見なすことが多い。

以上のようにヘヴィメタルの源流は様々挙げられるが、いずれも後から見てヘヴィメタルを構成する一要素というレベルである。より現在のヘヴィメタルシーンにまで直接的な影響をもたらしているバンドとして、1970年デビューのブラック・サバスがある。同年発表のファーストアルバム『黒い安息日』やサードアルバム『マスター・オブ・リアリティ』などで彼らが提示した、重々しくおどろおどろしい楽曲やダークな歌詞、奇抜なパフォーマンスは、当時のロックシーンにおいてセンセーショナルであった。

NWOBHMとヘヴィメタルの確立、定着

英国のハードロック1970年代初頭に一時代を築き上げるが、複雑で難解になっていく演奏技術への反動などから、1970年代半ばにパンク・ロック・ムーブメントが起きる。かつてのハードロックは「オールド・ウェーブ」と呼ばれるようになり、ブリティッシュ・ハードロック・シーンはその勢いを失っていった。しかしながらアンダーグラウンドシーンでは様々な若手バンドが、一部ではパンクの過激さをも取り入れながら、新しい時代のハードロックを模索するようになっていた。サウンズ誌の記者ジェフ・バートンにより『NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)』と名付けられたこのムーブメントは、パンクの収束と入れ替わるようにやがてイギリス全土に広がった。1980年にはアイアン・メイデンデフ・レパードがメジャーデビューし、シーンは一気に活性化していく。

NWOBHM勢に結成は先立ちながら、同時期のヘヴィメタルの立役者として強烈な存在感を放つのが、同じくイギリス出身のジューダス・プリーストである。1969年の結成当初は比較的オーソドックスなハードロックをプレイしていた彼らであるが、やがて硬質で疾走感のあるギターリフを用い、金属的な高音ボーカルでシャウトするなどの音楽様式を作り出した。さらに1970年代後半からはレザー・ファッションを取り入れるなど、ステージ・パフォーマンスの面でも後々までステレオタイプ化されるような「ヘヴィメタル」のイメージを作り上げた。またモーターヘッドは、ロックンロールにパンクロック的な要素やスピード感のあるリズムを導入し、後のハードコア・パンクスラッシュメタルの先駆けにもなった。さらにディープ・パープルのコンピレーション・アルバムが大ヒットするなど、かつてのハードロックバンドの再評価、活躍も見られた。

イギリス国外のバンドについては、ドイツのスコーピオンズアクセプト、フランスのトラスト、オランダのヴァンデンバーグ、デンマークのプリティ・メイズマーシフル・フェイト、スペインのバロン・ロッホなどが注目された。日本では、1976年BOWWOW1981年LOUDNESSがデビューし、共に日本国外においても人気を博した。

舞台はアメリカへ~産業化と全盛期

1978年にヴァン・ヘイレンがデビューアルバム「炎の導火線」でブレイクしたのを皮切りに、ヘヴィメタル・シーンはアメリカにも広がっていく。1980年代に入ると、モトリー・クルーラットナイト・レンジャーらの成功によりロサンゼルスを中心としたシーンが活性化、LAメタル、またはグラム・メタルと呼ばれるジャンルが誕生する。ドッケンW.A.S.P.ポイズンL.A.ガンズの他、東海岸ではボン・ジョヴィスキッド・ロウシンデレラなどのバンドが次々とメジャーデビューを果たした。こうしたバンドはグラム・メタルの名に違わず、グラム・ロックの影響を受けた派手でグラマラスでなルックスと、過激ながらも基本的に陽気でノリのよいサウンドと歌詞が特徴で、広く若者の支持を集めることができたのである。MTVはヘヴィメタルバンドを大々的にバックアップし、産業化が進んでいくこととなる。

こうしてヘヴィメタルの巨大マーケットがアメリカに生まれると、それは旧来の英国市場とは比較にならない規模であり、欧州のバンドの多くがアメリカ進出を目指すようになった。ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンといった英国の古参はもとより、英米以外の国からも多数のヘヴィメタルバンドがアメリカでも受け入れられ、特にオーストラリアのAC/DC、西ドイツ(当時)のスコーピオンズ、カナダのラッシュトライアンフ等の活動が目立った。1980年代後半にはボン・ジョヴィデフ・レパードホワイトスネイクといったグループがアメリカを中心に爆発的なセールスをあげ、ドイツのハロウィン、日本のLOUDNESSなどもビルボードのアルバムチャートに顔を出すなど、全盛期を迎えた。

同時期のヨーロッパ独自のシーンの発達

1980年代中期のヨーロッパでは英国の伝統的ハードロックの影響下に、スピードを重視したアップテンポのリズムとメロディックで分かりやすい歌で人気を得たアクセプト、透明感のあるサウンドや幻想的で叙情性のある歌で人気を得るヨーロッパらの活躍があった。またスウェーデン出身のイングヴェイ・マルムスティーンは、クラシック音楽のバイオリニストパガニーニの影響を受け、ネオクラシカルメタルと呼ばれるスタイルを確立。彼の速弾きは世界のギタリストたちに衝撃を与える。ドイツのハロウィンはメロディアスで疾走感みなぎる新たな形式を生み出し、後のメロディックスピードメタルパワーメタル)へと繋がった。

スラッシュメタルの流行とその影響

NWOBHMそのものは1980年代半ばにその勢いを失ってしまうが、世界各地で「NWOBHMに続け」と若者達がバンドを結成するきっかけとなった。 アメリカのアンダーグラウンドシーンでは、メタリカメガデススレイヤーアンスラックスなどのバンドが、ハードコア・パンクの影響を受けながらよりヘヴィで過激な音楽形態であるスラッシュメタルを確立。これらはテンポの速さ、リフに重きを置いたサウンド、ダークな世界観を特徴とし、当時隆盛を極めていたグラム・メタルとは一線を画するものであった。

80年代後半のメタルシーンを席巻したスラッシュメタルも似通ったスタイルのバンドの乱立などで衰退していくが、フロリダではスラッシュメタルの凶暴性を突き詰めたデスメタル、北欧ノルウェーではスラッシュメタルの要素に加え反キリスト教のコンセプトを強調したブラックメタルが誕生するなど、その後のエクストリーム・メタルシーンの成立に大きな影響を与えるとともに、シーンの細分化が進んだ。

古典的ヘヴィメタルの衰退~オルタナティヴ・メタルの勃興

ヘヴィメタルは1980年代後半に商業的なピークを迎えるが、ガンズ・アンド・ローゼズのヒットを最後に、メジャーのロックシーンでは衰退の一途を辿ることになる。というのも、ポップ・ミュージック化したロックへの反発から生まれた、グランジオルタナティヴ・ロックバンドがより若者たちの支持を集めるようになり、やがて爆発的なムーブメントになったからである。この変化に対応できなかったバンド、あるいは変化の過程でファンの支持を得られなかったバンドはやがて表舞台から消えていった。

この状況に楔を打ち込んだのがスラッシュ・メタルの代表と目されていたメタリカであった。彼らはアルバム『メタリカ』(1991年)でスラッシュ的なスピード性を放棄し、オルタナティヴ・サウンドと通じるような重厚な音楽性を導入してヘヴィメタルの新しい方向性を示し、2200万枚という大ヒットを飛ばす。また、メタリカ同様パンテラが『俗悪』で、ヘルメットが『ミーンタイム』で提示した、速さより重さ・グルーヴ感を強調した音楽性は、数々のバンドの手本とするところとなる。パンテラに強く触発されたロブ・ハルフォードジューダス・プリーストを脱退してFIGHTを結成したことは、この時期の流れを象徴するものといえよう。また、インダストリアル・ロックバンド、ミニストリーは『詩編69』に見られるように、従来の彼らの音楽にスラッシュメタル的な要素を加えるようになっていったが、この頃からフィア・ファクトリーをはじめとするメタル勢からも電子音楽にアプローチする動きが現れ始める。

こうした動きに呼応するようにしてヘヴィメタルシーンは若手ミュージシャンを中心にオルタナティヴ・メタルとして変容を始める。それは、シンプルなリフに重いギターサウンド、冷徹に現代社会を見つめる歌詞のテーマ、ラップの導入など、時代に求められた様々な要素を注ぎ込んだ新しいメタル像(ニュー・メタル)であった。しかし、日本ではこの動きをモダン・ヘヴィネスやヘヴィ・ロックと呼称して区分し、旧来のヘヴィメタルとは違うことを強調したマーケティングが行われた。

このような流れの中、シャロン・オズボーンは、夫オジー・オズボーンが時代の半歩先を行く音楽性で常にヘヴィメタルの象徴であり続けたことを活かし、若手ニューメタル・バンドとオジー・オズボーン擁するブラック・サバスという組み合わせで全米をツアーするオズフェストというツアーに打って出る。これは見事に成功し、マリリン・マンソンスリップノットコーンなどのプロモーションに大きく貢献し、メタルコアなど後続のムーブメントに大きな影響を与えた。さらに結果的にはオジー・オズボーンそしてブラック・サバスを伝説的な存在へと昇華させることにも成功した。

こうして1990年代は、新しい時代にふさわしい姿に成長したバンド、消えていった旧世代のバンド、時代に応じて現れた若手のバンドと、世代交代が急速に進んでいった時代であったが、ヘヴィメタルとしての本質を見失っていき、メタル界全体が進むべき道を見出せない錯綜の時代となりメタル界全体の衰退という状況を生み出した。

2000年代以降のヘヴィメタル

1990年代後半のヨーロッパでは、デスメタルに叙情的なメロディを取り入れたメロディックデスメタルゴシック・ロックのサウンドやゴスファッションを取り入れたゴシックメタル、先述のイングヴェイ・マルムスティーンハロウィンのような音楽性を強調したメロディックスピードメタル、ヘヴィメタル的な要素を守りつつもニュースクール・ハードコアに接近したメタルコア、など、新たな動きが生み出されていった。また、ヘヴィメタルと電子音楽との融合は90年代初頭のインダストリアル・メタルなど過去から行われていたが、2000年代に入ってパソコンの普及が進んだことから、テクノエレクトロニカトランスダブステップなどの要素を取り入れたメタルバンドも現れるようになっている。このようなサブジャンル化(後述)は現在も止まることなく進んでいる。

こうしてヘヴィメタルのスタイルは分散化が進み、空洞化したヘヴィメタルは王道を失っていた。そこへ(再び)現れたのが、1980年代のヘヴィメタルを支えたクラシック・メタルの王者であるジューダス・プリーストアイアン・メイデンらであった。黄金期のラインナップで再興した彼らは新たなアルバムの発売やツアーなど精力的な活動を行い、メタルシーンの活性化に貢献した。シャロン・オズボーンもまたこうした動きを見逃さず、これらの大御所バンドはもちろん、新旧問わず活躍しているバンドが多数参加する一大イベント「オズフェスト」を毎年の定例イベントとして仕上げていった。

折から音楽業界全体に「再結成ブーム」が到来していることもあり、ベテランバンドの再結成・再編成は止まるところを知らない。特にモトリー・クルーヨーロッパホワイトスネイクなどは反響を呼び、再結成ツアーが成功を収めた。ジャパニーズ・メタルにおいてもラウドネスがオリジナルメンバーに戻ったり、アースシェイカーANTHEMBOWWOWSHOW-YA等が再結成したりするなど、同じような現象が起きている。

アメリカの調査会社NPDによると、2006年に前年と比較して最も市場が成長したロック系音楽ジャンルはハードロック/ヘヴィメタルとなっている。

日本におけるヘヴィメタル

テンプレート:See also

1980年代初期

1980年代初期に日本のメタルシーンに大きな影響を与えたアーティストはマイケル・シェンカー・グループゲイリー・ムーアレインボーヴァン・ヘイレンなどである。現在のJ-POPにおいてもマイケル・シェンカーやゲイリー・ムーアに影響されたアーティストは多く、1990年代初期のビーイング系音楽にはそれらしい泣きのフレーズや叙情的なメロディがふんだんに盛り込まれていた。

日本のバンドでは1981年にデビューを遂げたラウドネスが1983年からアメリカツアーを行ったり、1976年デビューのBOWWOWが1982年にレディング・フェスティバルに出演したり、日本でも若いヘヴィメタルバンドを盛り上げるために音楽雑誌のYOUNG GUITARロッキンfが積極的にメタルフェスを開いていたりと日本でもヘヴィメタルは盛り上がりを見せた。

1980年代中期(速弾きブーム)

アメリカでのLAメタルブームは日本のバンドにも影響を与え、日本のバンドの殆どがLAメタル系のような派手なルックスになった。その中でも特に派手だった44マグナムの人気は高く、中でも美形ギタリストの広瀬“JIMMY”さとしの女性人気は尋常ではなかった。

また、高崎晃ジェイク・E・リーウォーレン・デ・マルティーニジョージ・リンチ山本恭司らはギターヒーローとしてギター少年の憧れの的となる。その後登場したイングヴェイ・マルムスティーン(当時はスティーラーに在籍)の出現は、速弾き戦国時代突入の幕開けとなった。

1980年代中期と言えば1984年10月にシンコー・ミュージック・エンタテイメントから日本初のヘヴィメタル雑誌「BURRN!」が創刊されている。当時はインターネットもないためヘヴィメタルの情報が中々入ってこない時代でもあり、日本初のメタル雑誌の登場は更にメタルシーンを盛り上げる結果となった。

1984年には日本初の「スーパー・ロック '84 イン・ジャパン」が西武球場等の各球場で行われ、ホワイトスネイクマイケル・シェンカー・グループスコーピオンズボン・ジョヴィアンヴィルらが出演。尚、この時のイベントを収めたビデオは後に商品化されたが現在は廃盤である。

1980年代中期(ポップメタルへの反逆)

メタリカなどのスラッシュメタルバンドがアメリカのアンダーグラウンドシーンで人気を獲得する中、日本でもポップメタルに反逆する第二世代と呼ばれるバンドが次々と登場し、その中でもFLATBACKERANTHEMは音楽雑誌で第一世代のバンドに毒を吐き、過激な演奏でコアなファンを獲得した。同時期にデビューした聖飢魔IIBURRN!誌では0点という記録に残る評価を受けたが、ヘヴィメタルファン以外にも支持されていったバンドである。

1985年にはLOUDNESSが世界デビューを飾り、1987年にはVOW WOWがイギリスを中心に、海外進出を機にFLATBACKERから改名したE・Z・Oはアメリカを中心に活動を開始した。また、1980年代の日本のメタルシーンはインディーズを中心に盛り上がりを見せ、その中には後にモンスターバンドと化すXの姿もあった。特にXは44マグナム以上に派手なルックスかつ凶暴なパフォーマンスで少しずつ人気を得ていた。また、当時のXは日本のヘヴィメタルシーンをあざ笑うかのようにテレビ番組の出演を繰り返していた。(詳しくはXの項目参照)

1980年代後半(バンドブーム)

1987年のGuns N' Rosesの登場により、日本のメタルシーンにおいてもGuns N' Rosesのフォロワーが登場した。1989年にデビューしたX(現X JAPAN)については、音楽面の将来性で多くが期待を持ったものの、TV等のメディア登場初期に見せたやりたい放題のパフォーマンスに反発、幻滅していった者も少なくない。彼らがバンドというよりも奇抜なパフォーマンス集団として『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』出演した際、コーナー名や番組中で「ヘビメタ」という略称が多用されたために、ヘビメタという略称が蔑称として世間一般に浸透してしまうこととなってしまう。

また、Xの成功と影響を受けてその後次々とデビューしたバンドには、楽曲や演奏技術は二の次でヴィジュアルとパフォーマンスばかりを過度に重視する、すなわち本来のバンドとしてのスタンスからさえ大きく逸脱した方向性を見せたものさえ出てくる始末であった。これらは若年女性層からの熱狂的な支持こそ受けていたが、ヘヴィメタルのプレイヤーやファンの間には、ヘヴィメタルのイメージに対して大きな誤解を与えるイロモノ( =「本来のその中心から外れているもの」の意) として強い不安感と嫌悪感を生む事になった。

事実、Xの活躍はめざましく、テレビや新聞、女性誌といった一般マスコミにも取り上げられて知名度を大きく上げる事となったが、これは同時にXのスタイルがヘヴィメタルのパブリック・イメージとして急激に浸透してしまうという事態を引き起こすことに繋がった。21世紀に入った後も80年代にヘヴィメタルに無縁な若者だった層からはこの当時のXのイメージに基づいた、ヘヴィメタルに対する偏ったイメージに根ざした発言が少なからず聞かれるところである。

通常の(日本的な)ロック音楽より過激で、暴力的なイメージがあったため非行化と結びつくと軽音楽部でのへヴィメタルバンド結成や、学園祭などでの演奏を禁止する高校大学もあった。

TBSラジオ全国こども電話相談室において、子供の「ヘヴィメタルって何ですか?」という質問に、回答者が「知らなくていいこと」と説明を拒否したことがある。そのことを伊藤政則が自身のコラム「断言」で痛烈に批判したテンプレート:要出典。この件に関しては当時伊藤の事務所に所属していたANTHEMが1986年にリリースしたアルバム『TIGHTROPE』収録の「Fingers On The Trigger」でこの件に関する怒りで作ったと証言している。[4]

しかし、それまでの日本のヘヴィメタルでは、歌謡曲と同様に一般マスコミから取り扱われる程の大ヒットを記録した曲は無く、従ってヘヴィメタル自体が日本の音楽史にあってはメインの売れ線からは一貫して外れた位置に置かれていた。その為ジャンル全体の情報量が不足している中、ヘヴィメタル分野で事実上初めて一般テレビマスコミにまで注目され話題性を提供できたのが、正統派ヘヴィメタルを好むプレイヤーやファンがイロモノ路線として嫌っていた、聖飢魔IIやXなどの見た目のインパクトも重要視し、音楽よりも視覚的なパフォーマンスでマスコミから扱われていたバンドであった。実際Xなどはメジャーレーベルで発売したCDで数字を叩き出すまでは『ちょっと過激な音楽もできるバラエティタレント』並の扱いしかされていなかった。かくして彼等がヘヴィメタルの見た目の象徴として扱われた為、これらの偏ったイメージが一般に定着してしまったという点は否めない。

また、視聴率至上主義のテレビマスコミにとっては、それまで巨大ヒットを生み出さなかったヘヴィメタルに対して、そもそも「ロック音楽のイロモノ」程度の認識しか無かったという点も大きい。他にも当時の「BURRN!」などの編集スタイルなどの影響もあり、当時のヘヴィメタルのミュージシャンの多くには音楽一筋というイメージを最重視し、テレビなどでタレント的な活動もするヘヴィメタルやロックのミュージシャンを蔑視する風潮があったと言われており、一般マスコミの持つ大衆への影響力への軽視が招いたツケであるという指摘もある。

いずれにせよ、この1989年に始まったバンドブームにより、派手な見た目やパフォーマンスを重視し演奏を軽んじたバンドが非常に増えた。それらのバンドの多くがXと同系統のファッションという事から「ヘビメタ」と見なされた事により、普通に音楽性を重視して活動していたメタルバンドはその煽りをくらい軽視されるという結果になっていった。こうした経緯から、1990年代には日本のヘヴィメタルは少しずつ、しかし、確実に衰退していくこととなる。

挙げ句には「BURRN!」でさえ人気投票のBORE部門には「ヘビメタの流行とイカ天ブーム」がある程、当時のヘヴィメタルファンにはヘビメタは差別用語とみなされてしまっている。その後、インディーズでヘヴィメタルバンドとして活動していたバンドのほとんどがヴィジュアル系へと移行した。またメジャーデビューに際しての所属事務所やレコード会社の販売戦略面からの要求で、音楽性も含めて移行をせざるを得ない状況に追い込まれていったものも多い。

1990年代

世界的にヘヴィメタルシーンが力を失ってゆく中、日本国内ではドイツや北欧出身のメタルバンドを中心に依然として人気は根強く、ハロウィンなどのバンドは安定した人気を持っていた。1989年にデビューしたMr.Bigや1993年デビューのアングラは日本で高い評価を受け、特にMr.Bigは女子高生の支持を得て、ポール・ギルバートはギターキッズの注目の的であった。1988年以降、1992年、1994年、1995年にはイングヴェイ・マルムスティーン日本武道館でのライブを成功させるなど、1990年代以降日本で好調な人気を得て、それ以降も日本を重要なマーケットとして位置づけて、活動している者も少なくない。

『BURRN!』編集長である広瀬和生の証言によれば、日本市場でのBURRN!の発行部数とヘヴィメタルバンドのアルバムの売り上げが最も多かった時期は1997年との事である[5]

しかしこれは海外のバンドに限った事であり、日本のバンドはXの影響を受け、雨後の筍の如く出現してくるヴィジュアル系バンドの全盛の影に完全に隠れてしまい、冬の時代どころか氷河期に陥っていた。それまでの有力バンドは1989年に44マグナムが解散したのを筆頭に、1990年にVOW WOWとEZOとDEAD END、1992年にANTHEM、1994年にアースシェイカーと次々と解散してゆく。わずかにOUTRAGEUNITEDが日本のメタルファンからも根強い人気を誇ったが、メジャーな成功を収めたとは言い難かった。

また、このHM/HR系の斜陽化とバブル景気後の業態再編や利益性を重視する企業体質への変化の過程の中で、メジャーレーベルではこの時期にバンド整理を実行したものもあり、契約解除の理由はセールス不振やバンドメンバーのスキャンダルなど色々ではあってもメジャー契約を打ち切られ、新たなる契約先を求めて数多くのバンドが音楽業界をさまようことになった。また、この時期に解散に追い込まれたものも少なくない。唯一アメリカで安定した活動を続けるLOUDNESSにも全盛期の力は既に無く、メンバーチェンジを繰り返しながら2000年のオリジナルメンバー再集結までは細々とした活動が続く事となる。そして、本来ならばこれらの後続となるべき新進のメタルバンドについても、『ヘビメタはダサい』『時代後れ』などの理由をつけられて、メジャーデビューどころか、もはやそれ以前の段階の演奏の場の確保さえまともにできない者すら出るという有様で、演奏の場の確保を目的にビジュアル系やそれに近いスタイルへの転換を余儀なくされたケースもあった。

一方、ヴィジュアル系バンドの開拓者として別格の存在になったXについても、セールス面でこそ好調であったがその活動は順風満帆とまでは言えなかった。1992年にベースのTAIJIを解雇すると同時に名前もアメリカの同名のバンドとの混乱を避ける事を目的にX JAPANと改めた。改名後はYOSHIKIの体調面の問題(頚椎椎間板ヘルニアや神経性無気力症候群など)もあってか初期の様な激しい曲は少なめになり、バラード主体となった。そして1997年にヴォーカルのTOSHIの音楽性の方向の違いによる脱退を機に2000年まで一時解散のはずだったが、ソロとして好調に活動していたhideが翌年急死してしまったため、全盛期のメンバーによる再結成は不可能となってしまった。しかし、2007年にはYOSHIKIの口から「2007年には復活する」との宣言がなされ、2008年3月には東京ドーム公演を行っている。また、TAIJIこと沢田泰司もXを解雇された直後こそLOUDNESSなどに参加するものの、後に著しい低迷に陥り、2011年に死去している。

他方、企画色の強いモノではあったが、1996年にはヘヴィメタルとアニメソングを軽いノリで融合させたアニメタルがデビューし、マスコミが注目した他、カラオケ需要なども発生したことからヘヴィメタルとしては記録的なヒットとなった。これが数年間注目されなかった日本のメタルシーンに再び脚光を与えるきっかけとなる。その後1998年にSEX MACHINEGUNSConcerto Moonがデビュー。特にSEX MACHINEGUNSに関しては、かつてのXのように「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」、「堂本兄弟」、「パパパパパフィー」などのバラエティ番組にも数多く出演し、ヘヴィメタルをよく知らない世代の人々にもその名を轟かせた。これにより全盛期ほどではないが、多少の活気を取り戻したといえる。

2000年代

2000年以降、1980年代に活躍したバンドがオリジナルメンバーや全盛期のメンバーで再結成するなど、ベテランバンドの活動が活発になるが、それらしい活動をするベテランバンドはLOUDNESSとANTHEMくらいである。2000年以降の有力なバンドには、2000年にBURRN!誌のプッシュを受けデビューしたDOUBLE DEALERや、2001年にメジャーデビューした陰陽座、2003年にデビューしたGalneryusなどがある。しかし、2006年にはSEX MACHINEGUNSが活動を休止(しかし2007年にはメンバーを変えて、また活動を再開している)、更に2007年にはDOUBLE DEALERがフロントマンの下山武徳がマネージャーとのトラブルが原因で解散を表明している。

日本国内では、若年層にソナタ・アークティカのような北欧のメロディックスピードメタルパワーメタル)を類似したスタイルのバンドが増えている(但し、殆どのバンドがインディーズ止まり)。そのことからテクニックを重視するバンドが増えている。ルックスに関してはGalneryusAtomic Tornado時空海賊SEVEN SEAS等のヴィジュアル系のようなルックスのバンド(現にGalneryusのSyuはかつてヴィジュアル系バンドのメンバーだった)とDOUBLE DEALERArk Storm等の1980年代のメタルを継承したバンドに大別できる。またVersaillesやDELUHIなどヴィジュアル系バンドでありながらメタルスタイルの音楽性を取るようなバンドも現れつつある。

また、日本でもアーチ・エネミーチルドレン・オブ・ボドムの影響でメロディックデスメタルを演奏するバンド(BLOOD STAIN CHILDSERPENTなど)も増えている。

一方で、BURRN!等のメディアは日本の若手バンドをあまり取り上げずベテランバンドを大きく扱う傾向にある(特にBURRN!は編集スタッフ各々の嗜好に左右される場合が多い)ため、若手や中堅バンドがあまりスポットを当てられない風潮もある。また、歴史的にもメガヒットがほとんど無いジャンルであるため、テレビの音楽番組への露出やコマーシャルのタイアップに恵まれない事も、若手バンドの知名度向上面においてネックとなっている。

ギター雑誌ではあるものの、BURRN!の競合誌(発行元が同じシンコー・ミュージック)でもあるYOUNG GUITAR誌は積極的に若手バンド及びギタリストを取り上げているものの、取り上げているバンド及びギタリストの大半がスポンサーであるESPや音楽学校のMI JAPAN出身のギタリストが所属するバンドか、1980年代を彷彿させるネオクラシカルな速弾きばかりを披露するギタリストやバンドをプッシュしている。

同じく、1980年代から日本のバンドを積極的にプッシュしている「ロッキンf」は若手のバンドをDVD等に収録してプッシュはしているものの、かつてのような盛り上がりは無くなり、2007年8月発売号を最後に権利関係の問題で「ロッキンf」名義での発行が終了し、老舗雑誌の歴史から幕を閉じることになった。但し、名称を「We ROCK」に変更し、現在も刊行中である。

また海外ではジャパニーズ・メタルバンドよりも、メタルに影響を受けたアニメソングやヴィジュアル系バンド、ハードコアバンドの方が知名度が高くなっている状況がある。そういった流れの中で、元々ヴィジュアル系からスタートしたバンドDir en greyが、2005年頃からヴィジュアル系的なメイクなどを辞め、ヘヴィメタルバンドに本格的に転向し、イギリスのヘヴィ・メタル専門月刊誌『Metal Hammer』が主催するメタル音楽賞「METAL HAMMER GOLDEN GODS 2008」の最優秀インターナショナルバンド部門にノミネートされるなど、世界規模で高い評価を得ている。

2010年代

日本のメタルシーンとしては、AldiousLIGHT BRINGERなど女性Voを擁したメタルバンドや、Dragon Guardianのような同人音楽出身の活躍が目立つ。

ヘヴィメタルのサブジャンル

主に1990年代以降、時代に合わせてサウンドを変更し生き延びるバンドもあれば衰退の波に飲み込まれて消えていくバンドもあった。その一方で、新しいサウンドや他ジャンルのサウンドを貪欲に消化し、様々なスタイルでプレイするヘヴィメタル・バンドが誕生した。尚、下記のジャンルは定義が非常に曖昧でもある。 テンプレート:Colbegin

テンプレート:Colend 地域ごとに特有の音楽性が認められる場合、地域別サブジャンルが出来る場合がある。

主要ヘヴィメタルバンド

ヘヴィメタル・アーティストの一覧を参照。

ジャパニーズ・メタルアーティスト一覧を参照。

ヘヴィメタルを取り扱うメディア

テレビ番組

ラジオ番組

雑誌

休刊した雑誌

漫画

脚注

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テンプレート:ウィキポータルリンク テンプレート:Sister

テンプレート:Asbox

テンプレート:ヘヴィメタル テンプレート:ロック・ミュージック

テンプレート:Link GA

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  1. ただし、日本においてヘヴィメタルを「ヘビメタ」と略すのは侮辱的な意味が含まれている事があり、メタルファンからは好まれていない。
    参照:【エンタがビタミン♪】“ハードロック芸人”のあるある。「ヘビメタと言われてイラっとする」に反響。 Techinsight 2013年9月27日
  2. 『聞く力』阿川佐和子著・文春新書 2012年
  3. JUDAS PRIEST『殺人機械』日本盤ライナーノーツ 伊藤政則による解説文より。
  4. ロッキンf立東社) 1986年5月号 58p リーダー柴田直人の証言より。
  5. BURRN! 2013年10月号 38p