関ケ原町
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関ケ原町(せきがはらちょう)は、関ヶ原の戦いの古戦場として有名な岐阜県不破郡の町。自治体名称の正式表記には小書きの「関ヶ原」ではなく「関ケ原」を採用している。
目次
地理
位置
岐阜県の西端に位置し、伊吹山の南東麓に位置する。南北を山岳に囲まれている交通の要衝であり、古代には三関の一つ不破関があった。中山道沿線ではあるが、現在では名神高速道路、東海道新幹線、東海道本線が通っている。
地形
人口
隣接する自治体
気候
日本海側気候で若狭湾からの季節風により、雪が降りやすく、豪雪地帯となっている。
- 気温 - 最高37.9℃(2013年(平成25年)8月14日、1994年(平成6年)8月8日)、最低-8.7℃(1984年(昭和59年)2月12日)
- 最大降水量 - 265ミリ(2012年(平成24年)9月18日)
- 最大瞬間風速 - 25.9メートル(2013年(平成25年)4月17日)
- 最深積雪 - 79センチ(1999年(平成11年)1月9日)
- 夏日最多日数 - 129日(2012年(平成24年))
- 真夏日最多日数 - 72日(1994年(平成6年))
- 酷暑日最多日数 - 20日(2010年(平成22年))
- 熱帯夜最多日数 - 29日(2010年(平成22年))
- 冬日最多日数 - 76日(1984年(昭和59年))
歴史
沿革
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制施行に伴い、不破郡関ケ原村が成立する。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 不破郡関ケ原村・松尾村・藤下村・山中村及び相川村の一部(野上)が合併し、関原村となる。
- 1928年(昭和3年)4月1日 - 関原村が町制施行し、関ケ原町となる。
- 1954年(昭和29年)9月1日 - 不破郡玉村・今須村及び岩手村の一部が合併し、関ケ原町となる。
- 1971年(昭和46年)3月16日 - 町章を制定する。[1]
- 2004年(平成16年) - 住民投票により大垣市との合併協議から離脱し、その後町長が責任を取り辞任する。3期連続で任期終了前の辞任となる異例の事態となる。その時の町長選挙でも合併推進派と否定派とが争う形になるが、ここでも否定派の候補が当選する。垂井町との合併は視野にいれず単独での道を歩むことになるが、小学校の統廃合などの課題も多い。
- 2007年(平成19年)7月17日 - 役場庁舎移転。
行政
姉妹都市・提携都市
紋章
教育
中学校
- 関ヶ原中学校
小学校
- 関ヶ原小学校
小中学校併設校
警察
病院
交通
鉄道路線
この地域の雪が原因で、東海道新幹線が徐行運転を行い、遅れることがある。
道路
高速道路
一般国道
県道
有料道路
名所・旧跡・観光スポット
- 関ヶ原古戦場跡
- 笹尾山-石田三成陣跡
- 桃配山-徳川家康最初陣跡
- 松尾山-小早川秀秋陣跡
- 大谷吉継の墓・陣跡
- 島津義弘陣跡
- 宇喜多秀家陣跡
- 小西行長陣跡
- 徳川家康最後の陣跡
- 松平忠吉・井伊直政陣跡
- 田中吉政陣跡
- 宇喜多秀家陣跡
- 福島正則陣跡
- 脇坂安治陣跡
- 黒田長政・竹中重門陣跡
- 藤堂高虎・京極高次陣跡
- 自害峰の三本杉
- 関ケ原町歴史民族資料館
- 不破の関跡
- 関ヶ原ウォーランド
- 関ヶ原メナードランド(閉園)
- 中山道関ヶ原宿、今須宿、寝物語の里(美濃・近江の国境)
- 胡麻の郷
参考文献
脚注
外部リンク