若狭湾

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若狭湾(わかさわん)は、福井県から京都府にかけての海岸地形を形成する、日本海に深く入り込んでできた。福井県北部西端の越前岬と京都府北端の経ヶ岬を結ぶ直線、及び本州の海岸線によって囲んだ海域を指し、2,657 km²の面積を有する。日本海側では珍しい大規模なリアス式海岸が特徴である。

特徴

ファイル:Japan Fukui Map Chikei.png
左:若狭湾、右:越前海岸

若狭湾は日本海の大陥没湾となっており、リアス式海岸が発達している。湾内には敦賀湾世久見湾小浜湾矢代湾内浦湾舞鶴湾宮津湾などの支湾があり、観光名所として日本三景の一つ天橋立日本三大松原の一つ気比の松原を含む。その風光明媚な地形は1955年笙の川以西の全湾岸周辺が若狭湾国定公園の大部分に、また1968年には東岸周辺の一部が越前加賀海岸国定公園の一部に指定されていたが、2007年8月3日に若狭湾国定公園のうち由良川以西が分離独立し、大江山などを加えて新たに丹後天橋立大江山国定公園となり、3つの国定公園を有することになった。

日露戦争当時、日本海軍はロシア海軍が本土に上陸する地点は若狭湾であると想定し、京都への侵攻を防ぐため舞鶴に鎮守府を、また舞鶴から高浜町にかけての海岸沿いには砲台を備えた要塞を設置した。


若狭湾に点在するは古来より良港でしかも京都にも近いため、(サバ)などの魚介類の水揚げ地(いわゆる鯖街道)とされてきた。また、ふぐの養殖も盛んに行われている(若狭ふぐ)。現在夏季には近畿方面からの海水浴利用で賑わいを見せ、それ以外の季節は釣り客が訪れる。近年は環境の回復と共に少数ではあるがクジライルカオットセイ(稀)やウミガメなども湾内に現れるようになった。

若狭湾原子力発電所群

若狭湾沿岸には、敦賀発電所に2基、美浜発電所に3基、大飯発電所に4基、高浜発電所に4基、もんじゅに1基、計14機の原子力発電所が集中している。人口密集地である大阪圏や、その飲料水源である琵琶湖に近く、原発事故時の被害が危惧されていたが、1586年天正地震で津波が発生した記録があることが東日本大震災後の新聞報道[1]などで広く知られるようになり、懸念が高まっている[2][3]

日本共産党京都府会議員団は、京都府に若狭湾原子力発電所群の安全対策等を速やかに求める緊急申し入れを行った[4]

過去の地震活動

沿岸市町村

ファイル:Wakasa bay beach.jpg
湾内には砂浜も

以下の5市8町に面している。越前岬から海岸線の到来順。

福井県

京都府


若狭湾の半島

若狭湾には西端の丹後半島のほか小規模な半島が多数見られる。

西から列挙すると

栗田半島-大浦半島 - 音海半島 - 大島半島 - 内外海半島 - 常神半島 - 敦賀半島

の順になっている。景勝地が多く、常神半島腹部には三方五湖、内外海(うちとみ)半島には蘇洞門(そとも)、音海半島には音海断崖がある。

その他

脚注

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関連項目


外部リンク

  • 「「防災の日」に考える “想定外”と決別する」東京新聞2011年9月1日付朝刊社説。
  • テンプレート:PDFlink 若狭湾沿岸における 天正地震による津波について
  • テンプレート:PDFlink 若狭湾沿岸における天正地震による津波堆積物調査について
  • 若狭湾原発群の安全対策を速やかにせよ 共産党京都府議団 京都民報 2011年4月15日 18:13
  • 小松原琢, 水野清秀, 金田平太郎, 須藤宗孝, 山根博(1999): 史料による1662年寛文地震時の三方五湖周辺における地殻変動の復元,歴史地震, No.15, pp81-100.