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テンプレート:駅情報 紀和駅(きわえき)は、和歌山県和歌山市中之島にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)紀勢本線の駅。
当初は「和歌山駅」であったが、市の代表駅・主要駅としての地位は早々に和歌山市駅や和歌山駅(旧・東和歌山駅)に移っている。
駅構造
かつては単式・島式2面3線のホームを有していたが、1985年(昭和60年)3月からは島式ホームが廃止され、単式ホーム1面1線のみをもつ構造(停留所)となった。そして、駅周辺の立体交差化に伴い2008年(平成20年)10月に高架化され、エレベータも設置[1][2]された。なお、同工事の期間中は2両分しかない仮ホームを北側に仮設していた。
和歌山市の玄関口としての雰囲気を残していた駅舎は、高架化工事のため解体された。両隣の駅(JR和歌山駅・南海和歌山市駅)には自動改札機が設置されているが、この駅には設置されていない。ICOCA等のICカードも利用できない。自動券売機は2013年3月22日にプラットホーム上に設置された。
当駅は和歌山駅管理の無人駅である。停車列車は全てワンマン運転ながら、全てのドアが開く(運転士は集札に関与しない)。
駅周辺
利用状況
1日の平均乗車人員は以下の通りである。[3]
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 1日平均人数 |
1998 | 108 |
1999 | 86 |
2000 | 79 |
2001 | 71 |
2002 | 59 |
2003 | 64 |
2004 | 66 |
2005 | 71 |
2006 | 70 |
2007 | 64 |
2008 | 67 |
2009 | 71 |
2010 | 67 |
2011 | 73 |
2012 | 65 |
駅は市街地に近接した立地だが、1時間に上下各1 - 2本の列車しかないほか繁華街からも外れていることもあり利用者は少ない。
歴史
1898年(明治31年)、当駅と船戸仮駅との間に開通した紀和鉄道の和歌山駅として開業。和歌山城下北東の外れに位置し、現在でこそ紀勢本線の一中間駅になっているが、開業当初は和歌山市の玄関口であり、最盛期には構内に和歌山機関庫をおき、東客車留置線の先端は阪和線築堤直下(紀伊中ノ島駅プラットホーム前、現JR社宅用地)に達する広大な用地を持っていた。しかし、開業からわずか5年後の1903年(明治36年)3月には、大阪市と直結する南海鉄道(現在の南海本線)が和歌山北口駅から南伸するとともに紀和鉄道も当駅から西伸して和歌山市駅が開業し、地域における当駅の重要性は早くも低下した。
1904年(明治37年)8月、紀和鉄道は関西鉄道に買収された。1907年(明治40年)10月には国有化され、1909年(明治42年)10月の線路名称の制定により、王寺駅から当駅を経て和歌山市駅に至る路線が和歌山線となり、国鉄和歌山線の駅となった。
1924年(大正13年)2月28日、紀勢西線が当駅から箕島駅まで開通し、和歌山線と紀勢西線の分岐駅となった。しかし、同時に紀勢西線の中間駅として東和歌山駅が開業すると、1930年(昭和5年)6月16日には、またも大阪市と直結する阪和電気鉄道(現在の阪和線)が和泉府中駅から南伸して阪和東和歌山駅を開業させ、紀勢西線との接続駅とした。当駅の重要性はますます下がり、阪和電気鉄道が南海鉄道山手線を経て1944年(昭和19年)11月に国有化されると、大阪 - 南紀ルートから外れた当駅に代わり、国鉄における和歌山のターミナル駅の座は完全に東和歌山駅へ移ることとなった。
第二次世界大戦後、和歌山の中心駅としての地位を完全に失った当駅は、その駅名もまた東和歌山駅に譲ることとなり、1968年(昭和43年)2月1日、紀和駅に改称された(同年3月1日に東和歌山駅が和歌山駅に改称)。
1961年(昭和36年)7月1日に、和歌山線田井ノ瀬駅と東和歌山駅を結ぶ短絡線が開通した。当初は貨物支線だったが、のち旅客列車も運転されるようになり、1972年(昭和47年)3月15日から和歌山線のメインルートとなった[4]。その一方、従来からあった田井ノ瀬駅から当駅までの路線が支線となったのち、1974年(昭和49年)10月に正式に廃止されたことにより当駅は和歌山線から外れ、紀勢本線の中間駅のひとつとなった。
1978年(昭和53年)には紀勢本線の新宮駅 - 和歌山駅間が、和歌山駅から和歌山市駅を残す形で電化され、箕島方面からの直通列車が激減した。
1985年(昭和60年)には列車交換設備を撤去されるとともに無人化された。高架化工事前にあった旧駅舎は木造モルタル塗りの大きなものだったが、解体直前には無人化の影響もあって荒廃していた。旧駅舎に掲示されていた建物財産標には「大正9年3月」と表示されていた[5]が、幾度かの改築で完成時の面影は少なくなっていた。
なお、1968年の改称時になぜ駅名を「紀和」としたのかははっきりしない。当駅を開業させた紀和鉄道の社名に因んだという説が有力だが、当時の国鉄に買収元の社名を付けた先例はなく、それだけが理由であるとは考えにくい。一方、過去も含めて駅の所在地および周辺に「紀和」という地名も存在せず、その正確な理由は、資料からは詳らかではない[6]。
年表
- 1898年(明治31年)5月4日 - 紀和鉄道の船戸仮駅から当駅までの開通に伴い同線の終着駅の和歌山駅(わかやまえき)として開業。
- 1903年(明治36年)3月21日 - 紀和鉄道が当駅から和歌山市駅までを開業させ中間駅化。
- 1904年(明治37年)8月27日 - 紀和鉄道が関西鉄道に買収。
- 1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が鉄道国有法により国有化。国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称の制定により和歌山線の所属に。
- 1924年(大正13年)2月28日 - 紀勢西線が当駅から東和歌山駅(現在の和歌山駅)をへて箕島駅まで開業し分岐駅に。
- 1945年(昭和20年)9月24日 - RTO(連合軍鉄道輸送事務所)設置。[7]閉鎖時期不詳。
- 1959年(昭和34年)7月15日 - 三木里駅から新鹿駅までの開通で現在の紀勢本線が全通し新たに亀山駅と当駅の間が紀勢本線となり、当駅も国鉄紀勢本線および和歌山線の駅に。
- 1961年(昭和36年)7月1日 - 国鉄和歌山線の貨物支線が田井ノ瀬駅から東和歌山駅まで開通。
- 1968年(昭和43年)2月1日 - 東和歌山駅に和歌山の名を譲るため現在の名称たる紀和駅(きわえき)に改称、東和歌山駅はこの一ヵ月後に和歌山駅に改称。
- 1972年(昭和47年)3月15日 - 国鉄和歌山線の貨物支線であった田井ノ瀬駅から和歌山駅までの旅客営業を開始。和歌山線のすべての定期旅客列車が和歌山駅に直通となり、同時に和歌山線の当駅から和歌山市駅までが紀勢本線に編入。
- 1974年(昭和49年)10月1日 - 和歌山線の支線となっていた田井ノ瀬駅から紀伊中ノ島駅をへて当駅までの路線が廃止。
- 1980年(昭和55年)4月1日 - 紀和駅荷物センターが開設(1986年に廃止)。
- 1984年(昭和59年)10月1日 - 和歌山駅 - 和歌山市駅間が電化開業する。
- 1985年(昭和60年)3月14日 - 急行「きのくに」廃止に伴い、当駅を発着する優等列車が消滅。無人駅化。[8]
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継。
- 2006年(平成18年)2月10日 - 高架化工事に伴い、仮設ホームを使用開始。
- 2008年(平成20年)10月4日[1][2] - 高架化工事が完成し、高架駅となる。
鉄道唱歌
1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した鉄道唱歌第5集(関西・参宮・南海篇)49,50番の歌詞にて、当駅が登場する。 テンプレート:Indent テンプレート:Indent
隣の駅
- 西日本旅客鉄道
- テンプレート:Color紀勢本線
かつて存在した路線
- 日本国有鉄道
- 和歌山線(旧線)
- 紀伊中ノ島駅 - 紀和駅
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:和歌山線 (田井ノ瀬 - 紀和)- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:PDFlink(市長記者会見) - 和歌山市(2008年8月19日付、2011年5月3日閲覧)
- ↑ 2.0 2.1 JR紀和駅高架の供用始まる 渋滞緩和などに効果 - わかやま新報(2008年10月5日付、2011年5月3日閲覧)
- ↑ 『和歌山県統計年鑑』及び『和歌山県公共交通機関等資料集』
- ↑ 1972年3月15日のダイヤ改正で、和歌山線のすべての定期旅客列車は和歌山駅に直通するようになり、当駅を経由する列車はなくなった。
- ↑ 鉄道雑学研究所/駅と駅構内/紀勢本線/紀和(きわ)駅その2
- ↑ 「国鉄全駅ルーツ大辞典」(村石利夫編著・池田末則監修 竹書房 昭和53年)によると、「紀州の紀と和歌山の和をとったもの」とあるが、通常は紀和鉄道のように、紀伊国(紀州)と大和国(和州)の総称である。
- ↑ 「天王寺鉄道管理局三十年写真史」 P177
- ↑ 日本国有鉄道公示S60.3.12公181