ビブレ
ビブレ (VIVRE) は、日本のファッション専門店である。
イオンリテールが運営しており、イオングループの他業態と比べて若者向けの店舗構成を特徴とする。
目次
沿革
ビブレの誕生
ニチイ[1]は、ビブレ展開の少し前の1979年(昭和54年)4月には都心部の不賑店5店舗[2]を集めた「第五事業部(後のビブレ事業本部)」を設置し、様々な試行錯誤の末に現在のビブレ業態を作り上げた[3]。
こうして、1982年(昭和57年)3月30日に福岡市天神に1号店として「天神VIVRE21」を開店した[4]。 それ以前はスーパー「ニチイ」として営業していたが、競合店の存在(岩田屋や天神コア・ダイエーなど)・都心立地による客層のミスマッチが原因の売り上げ低迷・ニチイとしての個性を発揮できなかった等といった数々のマイナス要因を打開するため、のちにマイカルという社名の語源ともなった「ヤングマインド」を旗印に大幅に改装。若者に照準を絞った店舗とした。 しかし、この業態転換は地元の有力百貨店岩田屋の発言力が強い場所での出店であったため百貨店などと同じブランドを集めた筈でも売れ筋商品があまり回されたなかったことなどが影響して失敗し、開業当初は狙った20代の顧客を集めることが出来ず、業態転換初年度の売上げはニチイ時代を大きく下回る結果に終わった[5]。 そこで、当時人気が出始めていたDCブランドを中心とした品ぞろえへと転換を図り、1982年(昭和57年)11月に大幅な改装を行って多くのDCブランドのインショップが導入して当初の狙いであったファッションにうるさい若者層を引き付けることに成功した[5]。
2号店として1983年(昭和58年)4月に業態転換した河原町ビブレ21は店舗面積が狭いことから衣料品主体という点では天神と同じであったものの、インテリア用品やスポーツ用品などの売り場を設けず、事前のマーケティングで要望の強かった音楽関連に力を入れ、5階にレコード店を入れたほか、6階には最新の機器を備えた演劇や映画上映ができるホールとバンドが練習できるレンタルスタジオ、KBS京都と連携したサテライトスタジオなどを備えたメディアステーションと呼ばれるフロアを設けるなど非物販にも力を入れた店舗構成で大学生の多い京都の町に相応しい店舗を目指した[5]。 また、ビブレクラブという会員組織を作り、近隣の飲食店や映画館、各種教室など様々な施設で割引特典を設けるなど店舗内に留まらない仕掛けを施し、河原町店は開業当初から軌道に乗せることに成功した。
1984年(昭和59年)11月16日には[6]初の新規出店でビブレ4店目となる「原宿ビブレ21」を原宿・表参道に開業し[5]、4階に会員制スポーツクラブのエグザスと美容室[5]、5階にテラス・レストランとレコーディング・スタジオを入居させるなど店舗面積のうち約40%を非物販に当てるなど非物販も重視した店舗戦略を一段と推し進め[5]、非物販部門の持つ集客力と物販部門が相乗効果を発揮する高千で売上を順調に伸ばすことに成功した[5]。
こうした店舗戦略を展開した結果、ファッションなどへの関心の高い若者層に向けた従来の総合スーパーのニチイと全く異なる店舗形態として顧客の若者や仕入れ先であるアパレルメーカーに認知させることに成功し、ビブレは新業態として軌道に乗ることになった[5]。
多店化の進展
先述した3店舗のほか、三宮ビブレや横浜ビブレ、岡山ビブレといった第五事業部(後のビブレ事業本部)に属していた店舗の業態転換による出店を行っただけでなく[5]、高松店などそれ以外の店舗も業態転換して店舗数を増やし[4]、2001年(平成13年)1月末にはグループ金体で北海道1店舗、東北8店舗、関東 6店舗、透畿12店舗、中・四国3店舗、九州2店舗の計32店舗まで店舗網を拡大した[5]。
これらの店舗網の中には、1990年(平成2年)9月に百貨店連合とビブレ事業本部と業務提携して1998年(平成10年)2月にダックビブレに社名変更し[7]、同社が運営する店舗は百貨店協会に加盟したままビブレと名乗った[8]ものも含まれていた。
また、小樽[9]や桑名、茨木、明石などマイカルが展開した大型ショッピングセンターであるマイカルタウン内にも出店した[10]。
業態の不明確化
しかし、マイカル明石内における明石サティと明石ビブレの様に双方に食品売り場が開設される[11][12]など併存するサティとの違いが明確にならない面も生じることになった。
また、新百合ヶ丘や橋本、厚木、北千里、北大路[13]などの様に主婦や家族連れが中心の店舗や[10]、百貨店業態のダックビブレ[8]など20歳代を主力とするビブレの[10]標準的な店舗形態から離れた店舗も増え、業態は不明確化することになった。
店舗網の再編
マイカルが経営再建に取り組む渦中でビブレの店舗網も見直されることになり、2000年(平成12年)10月22日に原宿表参道ビブレを閉店し[14]、同年11月にその跡地を三菱商事へ売却したほか[15]、マイカルタウン内の店舗については直営部分を減らして外部テナントを大胆に導入すると共に、主婦や家族連れが中心顧客となっている店舗については総合スーパーのサティへの転換が進められることになった[10]。
しかし、ビブレのサティへの業態転換が進む前の2001年(平成13年)9月14日にマイカルが民事再生法を申請して事実上経営破たんしたため[16]、この業態転換の第1号店の橋本店のサティへ業態転換はマイカルの経営破たん後となった[17]。
またダックビブレも東京地方裁判所に民事再生法の適用申請をして事実上破綻し[16]、2002年(平成14年)2月28日に日本政策投資銀行や取引先の企業約10社などの出資で企業再建ファンドを設立して資本金をいったん100%減資後にそこから出資を受ける形で再建を目指す方針を発表し[18]、2002年(平成14年)5月に再生計画案が債権者集会で可決されて裁判所から認可を受け[19]、日本政策投資銀行や不動産会社で青森店などの大家である武田(青森市)など15の地元企業・団体が11億7800万円を出資して事業再生に乗り出した[20]。
それに伴って「さくら野百貨店」へ屋号を変更してマイカルグループから独立した独立資本の百貨店として営業することになったため、同社の店舗はビブレではなくなることになった[21]。
こうしたマイカルの破たんと再建の過程で、サティへの転換やさくら野百貨店の離脱、店舗閉鎖などでビブレ業態の店舗は減少することになった。
イオングループとしての展開
イオンの支援で再建を果たしたマイカルは、イオングループのショッピングセンター内にビブレを出店するようになり、2006年(平成18年)9月23日には経営再建後のビブレ新規出店1号店としてイオンモール福岡(当時の「ダイヤモンドシティ・ルクル」)内に福岡東ビブレを開業[22][23]。同年春から、「ワタシっぽく。」という新たなキーワードを導入している。2008年(平成20年)10月にはイオンレイクタウンの「KAZE(イオンモール運営)」内に核店舗の一つとして越谷レイクタウンビブレをオープンした[24]。
2011年(平成23年)3月1日、運営元のマイカルがイオンリテールに吸収合併されたのに伴い、イオンリテールが運営するファッション専門店「フォーラス」と事業を統合し、「ビブレ・フォーラス事業本部」を発足。これにより、イオンリテールのファッション専門店は「ビブレ」と「フォーラス」の2ブランド体制で展開され、今後は事業本部内に設置された「ビブレ事業部」にて展開される。マイカルが運営していた「サティ」がマイカルとイオンリテールの合併で、「イオン」と店舗ブランドを統一したことにより、「ビブレ」はニチイ→マイカル時代からの店舗ブランドで唯一残ったブランド名となった。
2014年(平成26年)に入り、香川県の宇多津ビブレと岡山県の岡山ビブレを順次閉店したことで、中国・四国地方から撤退した。
名称とロゴマーク
ビブレとは、生きる・暮らすという意味を持つフランス語の単語vivre(日本語の発音ではビブルのほうが近い)を語源としている。
- ロゴマーク
- 初代 - ピンク色や緑色(ペパーグリーン・2代目・3代目と同色)などで「vivre21」と小文字で書かれていた。
- 2代目 - 白地に緑系の色(またはその逆)で「VIVRE21」と書かれ、文字が小文字から大文字になった。
- 3代目 - 色の配色は同じだが「21」の文字が削除され単に「VIVRE」となった。
店舗
店舗展開
関東地方で4店舗、東海地方で2店舗、関西地方で5店舗、九州地方で3店舗を展開する。
現行店舗についてはCategory:ビブレの記事及び公式サイトを参照のこと。
- 高崎伊勢崎自転車道 255.JPG
横浜ビブレ
- Yokohama World Porters.JPG
横浜ワールドポーターズビブレ
- Aeon cinema shinyurigaoka.jpg
新百合ヶ丘ビブレ
- Mozo AEON Wonder City Shopping Center 04.JPG
名古屋ワンダーシティビブレ
- ÆON KUWANA SC No.1 (2).JPG
桑名ビブレ
- Kitaoji VIVRE.JPG
北大路ビブレ
- ÆON Ibaraki shopping center (4).jpg
茨木ビブレ
- ÆON Akashi Shopping Center No.1.JPG
明石ビブレ
- Sannomiya VIVRE.JPG
三宮ビブレ
- Tenjin VIVRE.JPG
天神ビブレ
かつて存在した店舗
関東地方
東京都
- 初の新規出店でビブレ4店目となる「原宿ビブレ21」として開業[5]。地下1階・地上5階建てで店舗面積は約3,830m²[5]。
- 開業当時は、4階が当時ニチイ・グループであったピープルが運営する会員制スポーツクラブのエグザスと美容室があり、5階にはテラス・レストランとレコーディング・スタジオを入居させるなど店舗面積のうち約40%を非物販に当てていた[5]。
- 2000年(平成12年)11月に三菱商事へ売却された[15]。跡地は「エスキス表参道」→「ジャイル」
神奈川県
- 小田原ビブレ
- 店舗跡には2000年(平成12年)4月27日にアプリ小田原が開店した[25]。
- 本牧ビブレ(当時の名称は本牧ネビュラ)
群馬県
- 高崎ビブレ(高崎市八島町[28]、1976年(昭和51年)3月開店[29] - 1986年(昭和61年)3月に初代高崎サティに業態転換[29] - 1996年(平成8年)3月に高崎ビブレに業態転換[29] - 2014年(平成26年)3月31日閉店[29])
- 高崎駅西口前にに「ニチイ高崎店」として開店し、サティとビブレへ合計2度業態転換した[29]。
- 当店跡地の他に西隣の[28]グランドホテル長谷川と高崎市が所有する日本通運跡地などを合わせた約7,400m²の敷地に9~10階建てで延べ床面積約45,000m²の店舗を建設して[30]、約200店舗が入居する大型商業施設をイオンモールが2016年(平成28年)に開業する計画が進められている[30]。
関西地方
京都府
- 宝ヶ池ビブレ
- 河原町ビブレ(京都府京都市中京区[31]、1970年(昭和45年)開店[31] - 1983年(昭和58年)4月に河原町ビブレ21に業態転換[5] - 2010年(平成13年)7月末閉店[31][32])
- ニチイ発祥店舗の1つ「ヤマト小林商店」跡地であり、店舗名としてはニチイ河原町店[5]→河原町ビブレ21[5]→河原町ビブレ[31]という変遷となっている。
- 地上6階、地下1階で売り場面積は約7,000m²[31][33]。「ニチイ」として開業した当時から衣料品専門の店舗であった[31]。
- 2003年(平成15年)1月29日にロフトを1階から5階までの核店舗として新装開店し[33][34]、閉店時には直営は地下1階の衣料品だけとなっていた[31]。ロフトは市内移転。
- 店舗跡には1階部分に店舗が入居する地上11階・地下1階建てのマンション建設計画を不動産会社が立て、地元の商店街などから反対されている[32]。
大阪府
兵庫県
- 尼崎ビブレ(元ニチイ尼崎店 → 1985年(昭和60年)に尼崎サティに業態転換[4] → 尼崎ビブレ → NAC尼崎 → 閉店)
和歌山県
- 和歌山ビブレ(元ニチイ和歌山店、?開店 - 2001年(平成13年)5月閉店[35])
奈良県
- 奈良ビブレ(奈良市小西町[36]、元ニチイ奈良店:1968年(昭和43年)11月開店[37] - 1990年(平成2年)6月に奈良ビブレに業態転換[37] - 2013年(平成25年)1月20日閉店[36][37]。)
中国・四国地方
岡山県
- 岡山ビブレ(岡山市北区幸町[40][41]、元ニチイ岡山店:1979年(昭和54年)6月開店[42] - 1986(昭和61年)年岡山ビブレに転換[40][41] - 2014年(平成26年)5月11日閉店[40])
- 「ニチイ岡山店」を併設する形で開店し[42]、1986(昭和61年)年に「岡山ビブレ」として新装開店した。
- 地上4階地下1階建てのA館と地上5階地下1階建てのB館の2館で構成され、合わせて敷地面積約8,090m²に売り場面積約16,240m²の店舗で、最盛期の1997年度(平成9年)は売上高約100億円を上げていたが、約半分にまで減少したことなどを理由に閉店となった[40]。
広島県
- 跡地は建物を改装しビジネスホテルとテナントビルになった。
香川県
- 高松ビブレ(高松市丸亀町[45]、元ニチイ高松店 - 1999年(平成11年)8月閉店[45])
- 宇多津ビブレ (1994年(平成6年)3月開店[46] - 2014年(平成26年)2月28日閉店[47])
- 併設されていたホテル・温泉施設「ホテルリゾナーレ宇多津」も2002年(平成14年)1月に閉鎖された[48]
- ゼンエーフーズが「ロイヤルプリンセス宇多津」として2002年(平成14年)7月1日に再開業したが[49]、2003年(平成15年)2月末で閉鎖された[50]。
- 地元の結婚式場運営会社の株式会社三貴商事が引き取り、2003年(平成15年)5月1日に「ホテルセントカテリーナ」として再々開業したが[50]、それも2012年(平成24年)8月末で3度目の閉鎖となった[51]。
徳島県
- 地場百貨店のつぼ美屋の新館として1974年に建設された地上13階・地下1階建て延べ約8,400m²のビルに出店していた[52]。
- 2001年(平成13年)10月12日に「ラスタ徳島」(複合商業ビル)となったが[53]2003年(平成15年)1月27日閉店した[54]。跡地は2005年(平成17年)にノヴィルが取得したが、地震などによる損壊の危険性を避けるとして2012年(平成24年)9月から解体された[52]。
九州地方
福岡県
- 1973年4月に福岡市内で寝具店を展開するてんぐ屋産業所有のビルに福岡ニチイ西新店(西新ショッピングデパート)として開店[56][57]。
- 1990年にビブレにリニューアル後、2000年に閉店した。
- 解体後、てんぐ屋産業による住居・商業複合施設SAVOY 西新テングッドシティ(現:TenGoodCity SAVOY)が開業。
サティを経てイオンに転換したもの
マイカルの経営再建策の一環として幅広い客層に対応出来る品揃えによる収益改善を図るため食品売場を併設していて主婦や家族連れが中心となっているビブレをサティに業態転換し[10]、2011年(平成23年)3月1日にサティ全店のイオンへの店名変更に伴ってイオンとなった[58]。
神奈川県
大阪府
- 店舗周辺の狭商圏を対象として総菜や野菜などの食品を充実させると共に衣料品の商品構成を見直して北千里サティに業態転換した[17]。
- 東大阪市の近鉄奈良線・布施駅前の再開発事業の一環として開発された複合施設ヴェル・ノール布施の核店舗として開業[62]。
- 2008年3月18日に閉店し、その跡に、同年3月20日に閉店した「布施サティ」の後継店舗の位置付けとなる「布施駅前サティ」として同年3月28日に再オープン。
鳥取県
- 米子ビブレ(元米子サティ(初代) - 米子駅前サティ - イオン米子駅前店)
- 2001年(平成13年)2月25日に閉店し、同年3月にサティに業態転換した[64]。
ダックビブレ
テンプレート:See also 地方百貨店をニチイ(後のマイカル、現・イオンリテールの前身の一つ)が支援する形で誕生した百貨店連合がダックビブレに社名変更し、ビブレとして展開したもの[19]。
ビブレと称していたものの、日本百貨店協会に加盟する百貨店業態として営業していた[8]。
2001年(平成13年)9月14日に[16]株式の76.4%を直接保有して間接保有と合せて83.4%を保有する[19]親会社のマイカルが民事再生法適用を申請したことに伴い[65]、ダックビブレも東京地方裁判所に民事再生法の適用申請をして事実上破綻した[16]。
2002年(平成14年)2月28日に日本政策投資銀行や取引先の企業約10社などの出資で企業再建ファンドを設立して資本金をいったん100%減資後にそこから出資を受ける形で再建を目指す方針を発表し[18]、2002年(平成14年)5月に再生計画案が債権者集会で可決されて裁判所から認可を受け[19]、日本政策投資銀行や不動産会社で青森店などの大家である武田(青森市)など15の地元企業・団体が11億7800万円を出資して事業再生に乗り出した[20]。
それに伴って「さくら野百貨店」へ屋号を変更してマイカルグループから独立した独立資本の百貨店として営業することになった[21]。
北海道
- マイカル小樽(現ウイングベイ小樽)1番街に、ダックビブレ(現さくら野百貨店)が出店。しかし、業績不振でマイカル本体に営業譲渡された。北海道唯一のマイカル本体が運営する店舗であったが、マイカルの経営再建の一環で閉鎖された。現在はSE-B(シーヴ)として営業中。
青森県
岩手県
- 北上ビブレ(2000年(平成12年)3月開店[70]、現・さくら野北上店)
山形県
- 山形ビブレ(1973年(昭和48年)3月3日開店[71]、1994年(平成6年)3月1日業態転換[8]、2000年1月10日閉店[72]、2000年(平成12年)9月中旬から建物の解体工事を行った[73]。)
- 百貨店連合(ダックシティ)を前身とする百貨店からビブレに転換した店舗が多いダックビブレの店舗の中で、ニチイからダックビブレに営業譲渡された[7]珍しいケース。
宮城県
- ダックシティ丸光石巻店の後継店舗として1996年(平成8年)3月にJR石巻駅前に開店[75]。
- 店舗跡の土地・建物と共に現金2億円を石巻市に寄付し[79]、閉店から約2ヵ月後の2008年(平成20年)6月28日に1階部分がスーパーを含む複合商業施設エスタとして開業し[77]、2010年(平成22年)3月から石巻市役所が移転した。
- 気仙沼ビブレ(旧・丸光、気仙沼市南町[80]、1965年(昭和40年)6月10日開店[74]→1995年ダックシティ丸光気仙沼店から気仙沼ビブレに転換→2002年(平成14年)1月10日閉店[81])
福島県
- 福島ビブレ(福島市曾根田町(現:曽根田町)[83]、1998年(平成10年)3月開店[83]、後のさくら野福島店→閉店、現曽根田ショッピングセンター(MAXふくしま))
- ダックシティ山田百貨店の後継店舗として開店[83]。2002年(平成14年)10月にさくら野百貨店福島店となったものの[83]、赤字が続いたため[83]2005年(平成17年)3月21日に福島店を閉店となった[84]。
- 店舗跡には2010年(平成22年)11月25日に曽根田ショッピングセンターMAXふくしまが開業している[85]。
神奈川県
- 百貨店連合初の新店舗として開店。
- Kawaramachi VIVRE.JPG
河原町ビブレ
- Nara VIVRE.JPG
奈良ビブレ
- VIVRE.jpg
布施ビブレ
- Utazu VIVRE.JPG
宇多津ビブレ
- Takasaki VIVRE 001.JPG
高崎ビブレ
- Okayama VIVRE.jpg
岡山ビブレ
脚注・出典
関連項目
外部リンク
テンプレート:イオングループ- ↑ 後のマイカル→現:イオンリテール
- ↑ 三宮・河原町の2店舗は黒字であったが、業績が伸び悩んでいた。横浜・岡山・天神の3店舗は当時赤字であり、地域の運営部門の重荷になっていた。
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 4.0 4.1 4.2 山崎聖文 『ニチイ MYCAL グループの挑戦 進化・成長する生活提案企業の全貌』 ダイヤモンド社、1988年11月。ISBN 978-4478310496
- ↑ 5.00 5.01 5.02 5.03 5.04 5.05 5.06 5.07 5.08 5.09 5.10 5.11 5.12 5.13 5.14 5.15 近藤公彦 『業態開発におけるイノベーションと競争 ビブレのケース』 流通研究 第5巻第1号 (日本商学学会) (2002年)
- ↑ 6.0 6.1 高井眞・橋本徹 『大阪経済のダイナミズム 企業環境の変遷と展望』 清文社、1990年3月。ISBN 978-4792018009
- ↑ 7.0 7.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 『平成6年 日本百貨店協会統計年報』 日本百貨店協会、1995年3月。
- ↑ 9.0 9.1 “小樽ビブレ8月末で撤退が決まる 北海道小樽市” タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年4月25日)
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 10.4 “宇多津ビブレなど6店舗、サティに”. 四国新聞(四国新聞社).(2001年5月27日) 引用エラー: 無効な
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タグ; name "shikoku-np-2001-5-27"が異なる内容で複数回定義されています - ↑ “マイカル、「マイカル明石店」開店 ビブレとサティ食品展開は初”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年11月3日)
- ↑ その後明石ビブレ側は直営の食品売り場を廃止し、専門店街「ビブレキッチン」となった。
- ↑ 2012年、直営の食品売り場を廃止し、KOHYOの店舗にリニューアルした。
- ↑ 14.0 14.1 “マイカル、旗艦店の原宿表参道ビブレを10月22日で閉店へ 東京都渋谷区”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年6月12日)
- ↑ 15.0 15.1 “三菱商事が「原宿表参道ビブレ」買収 東京都渋谷区”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年11月30日)
- ↑ 16.0 16.1 16.2 16.3 “県民に不安広がる-マイカル再生法申請”. 四国新聞(四国新聞社).(2001年9月15日) 引用エラー: 無効な
<ref>
タグ; name "shikoku-np-2001-9-15-2"が異なる内容で複数回定義されています - ↑ 17.0 17.1 17.2 17.3 17.4 17.5 “マイカル、ビブレから業態変換で「北千里サティ」開業、葉物野菜・惣菜を充実”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年3月7日) 引用エラー: 無効な
<ref>
タグ; name "nissyoku-2003-3-7-12b"が異なる内容で複数回定義されています - ↑ 18.0 18.1 “政策投資銀など基金創設へ/マイカル子会社再建で”. 四国新聞 (四国新聞社). (2002年2月28日)
- ↑ 19.0 19.1 19.2 19.3 テンプレート:Cite report
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- ↑ “福岡東ビブレ 9月23日 ダイヤモンドシティ・ルクル内にオープン 福岡県粕屋町”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年11月9日)
- ↑ 福岡東ビブレは、2013年3月15日のリニューアルオープンに伴い、ビブレジーン福岡へ改称している。
- ↑ 越谷レイクタウンビブレは、2011年11月3日のリニューアルオープンに伴い、ビブレジーンへ改称している。
- ↑ “旧小田原ビブレ跡に「アプリ」4月27日オープン 神奈川県小田原市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年4月27日)
- ↑ 太田泉生 (2012年3月13日). “【商店街探訪】本牧通り(2)”. 朝日新聞 (朝日新聞社)
- ↑ 27.0 27.1 27.2 27.3 27.4 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC (Report). 日本ショッピングセンター協会. (2012年1月)
- ↑ 28.0 28.1 増田勝彦 (2013年9月27日). “イオンモール:高崎駅西口に進出 高崎ビブレ・日本通運跡地、2年半後の開業目指す”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ↑ 29.0 29.1 29.2 29.3 29.4 増田勝彦 (2014年4月1日). “高崎ビブレ:閉店 38年の歴史に幕”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ↑ 30.0 30.1 “高崎駅西口に北関東最大級のイオンモール”. 読売新聞(読売新聞社). (2013年9月27日)
- ↑ 31.0 31.1 31.2 31.3 31.4 31.5 31.6 “「河原町ビブレ」7月閉店 開業40年、商圏変化響く”. 京都新聞(京都新聞社).(2012年2月3日)
- ↑ 32.0 32.1 “京都『河原町ビブレ』跡地にマンション計画、住民ら中止を要求”. 京都新聞(京都新聞社).(2012年8月30日)
- ↑ 33.0 33.1 “マイカル、「河原町ビブレ」改装オープン、「ロフト」を導入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2003年2月7日)
- ↑ “河原町ビブレ「ロフト」導入し 1月29日(水)改装オープン 京都府京都市” タイハン特報 (大量販売新聞社). (2003年2月17日)
- ↑ 35.0 35.1 大型閉鎖店舗再生等対策の総合プロデュース人材育成事業 副読本 (Report). 経済産業省. (2003年).
- ↑ 36.0 36.1 36.2 36.3 後藤静華 (2013年1月27日). “跡地利用難航「奈良ビブレ」 ”. 読売新聞 (読売新聞社)
- ↑ 37.0 37.1 37.2 “奈良ビブレ 22年に幕 女性客『中、高 みんなで集まった場所』”. 読売新聞(読売新聞社). (2013年1月21日)
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