RADIO-izm
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テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 ラジオ番組 RADIO-izm(レディオ・イズム)は、山梨県をメインエリアとする関東圏のラジオ局・FM-FUJIで1996年4月から2009年3月まで13年にわたり平日の夕方に放送されていたワイド番組。
目次
概要・歴史
1990年秋から5年半にわたって放送された夕方の電話リクエスト番組「SUNSET CALLING」の流れを引き継ぐ電リク参加型番組として1996年4月1日にスタートした。
この番組では、洋楽・邦楽問わずリクエストやメッセージを電話、FAX、Eメールで受け付けていた。
3時間(電リク番組)時代
丸の内時代
- 1996年4月の放送開始より、甲府市丸の内のFM富士旧本社第2スタジオから生放送されていた。
- RADIO-izmでは1996年の番組開始当初から、16:00~18:30(一時期15:30より受け付けていたこともある)の時間帯で電話によるリクエストの受付を行っていた。
- ただリクエスト曲をかけたり電話やFAXで寄せられたメッセージを紹介したりするだけにとどまらず、個性的な企画に当初から力を入れてきた。初期は、リスナーから寄せられた喜怒哀楽を紹介する「FEELING NOW~今日の喜怒哀楽」や、DJそれぞれの感性を生かした「HEAT UP」といったコーナーが人気であった。なお「HEAT UP」はのちに「IZM DJ's 5」へと継承されることになる。
- DJは毎日1名ずつが担当し、番組開始当初から2001年12月までは月・火曜、水・木曜、金曜と、週3人制のシフトを置いていた(ただし1999年10月~2000年3月までは月・火曜(宮沢光邦)、水曜(奥居俊二)、木・金曜(みんしる)の変則シフトを取っていた)。その後、2002年1月より月~金曜まで毎日、週5人制の日替わりシフトとなる。
川田町へ移転、電リク時代の終了
- 2006年7月にエフエム富士本社が川田町アリアへ移転したのに伴い、7月3日の放送よりアリア内の本社スタジオAからの生放送を開始。アリアから最初に放送したDJは月曜日担当のHappy だんばらである。
- この頃から新聞ラ・テ欄などで「○○イズム」(○○はDJの愛称が入る)の表記が増えてくる。(例:「"セ"イズム」=服部整治[1]「さっちゃんイズム」=大出佐智子、など)
- 2000年代まで乱立していた電リク番組も、FAX、パソコンやメール機能付き携帯電話等の普及によって次々と消え、関東近郊の他FM局ではRADIO-izm以外では、裏番組であったbayfmの「BAY LINE 7300」とJ-WAVEの「GROOVE LINE」を残すのみとなった。RADIO-izmも時代の流れには逆らえず、2008年春に番組がリニューアルされることになり、「SUNSET CALLING」時代から足かけ18年続いた電話受付を3月31日をもって終了した。なお「GROOVE LINE」も同日で電話受付を終了、また「BAY LINE 7300」も2009年3月31日[2]をもって番組を終了[3]、これで関東地区のFM局からレギュラー放送の電リク番組が姿を消したことになる[4]。
4時間時代
- 2008年4月1日より、放送時間が19:54まで延長、3時間54分に拡大される。電話による受付が廃止され、それまであったコーナーの減少のほか、最新の夕刊各紙の記事からピックアップして紹介する「夕刊イズコラム」の登場などで、番組内容も大きく様変わりすることになる。2009年3月31日をもって、13年間にわたる番組の歴史に幕を下ろし、翌4月1日よりRADIO-izm末期のスタイルを踏襲した新番組『PUMP UP RADIO』として新たなスタートを切った。
放送時間
放送曜日はすべて月~金曜。
- 1996年4月~2001年ごろ 16:00-18:55
- 2001年~2007年1月 16:00-18:50(テレマートラジオショッピングのため5分繰り上げ終了[5])
- 2007年2月~2008年3月 16:00-18:54[5]
- 2008年4月~2009年3月 16:00-19:54
歴代担当DJ
女性
- 島田奈央子(1996.4-1997.3 月・火)
- 高岡あや(1997.4-1998.3 月・火)
- みんしる(1998.4-2005.3 月・火→木・金→月・火→月→木)- 女性DJでは7年と最長。
- 実由(2002.1-2008.3 水→火)
- 江藤麻由(2002.1-2003.9 木)
- 斉藤りさ(2005.4-2007.3 木)
- 大出佐智子(2007.4-2009.3 木)
- 野村富美江(2008.4-2009.3 火)
男性
- 近田和生(1996.4-1998.3 水・木)
- 宅麻仁(1996.4-1999.3 金)
- 奥居俊二(現・オクイシュージ)(1998.4-2000.3 水・木→水)
- 宮沢光邦(現・光邦)(1999.4-2001.12 金→月・火→水・木)
- 佐藤ドミンゴ(2000.4-2009.3 金) - 番組歴代DJでは9年という最長記録。
- 服部整治(2002.1-2009.3 火→水)
- JIRO(2003.10-2005.3 月)
- Happy だんばら(2005.4-2009.3 月)
歴代DJの変遷
基本タイムテーブル
(2008年度)
- 16:00 オープニング
- 16:45 RADIO SHOPPER'S NAVI
- 16:55 ザ・やまなしトピックス(山梨日日新聞)
- 17:00
- 月曜日のみ17:00 FUTURE HITS(新星堂レコード店と協力)
- 17:30 NEWS HEADLINE
- 17:40 夕刊イズコラム
- 18:00
- 18:05 V.I.P SEAT
- 18:30 NEWS HEADLINE
- スキーシーズンのみ18:40 SKI INFORMATION(ゲレンデ情報)
- 19:00
- 19:20 IZM DJ's 5
- 19:50 エンディング
- (随時、交通情報・天気予報を挿入)
主なコーナー
- FEELING NOW~今日の喜怒哀楽
- TAKE THE READ - 話題の最新商品を紹介するコーナー。1996.4-1997.3。
- WONDER AROUND
- HEAT UP(Part1、Part2)
- ミニ・マニアック(月曜日)
- NAOKO'S THINKING(火曜日→月曜日)
- WOMAN'S CHECK!(火曜日 1996.10-1997.3)
- CLUB WASEI(水曜日・木曜日→水曜日→木曜日)
- SELF RECOLLECTION(水曜日 1996.4-6)
- 和生の愛(水曜日 1996.10-1997.1)
- DO OR DIE?(木曜日)
- LOOKIN'BACK HEROES(水曜日 1997.2-3)
- READYENT'80s(金曜日)
- ざ・かっぷりんぐ(1996.7-9)
- DOKKIRI izm - 毎日異なるテーマとともにメッセージを募集し、放送中にDJとリスナーが電話で会話するというサプライズ的な企画だった。1997.4-12。
- REPORT izm - リスナーがリポーターとなり、DJが用意したテーマに沿ってリポートする企画。リポーターは各曜日月替わり制。1997.4-1998.3。
- COOKING izm - 夕食のおかずの簡単レシピを紹介するコーナー。1998.1-3。
- Izm-GLORY HISTORY
- V.I.P SEAT - 毎日18:05-18:15ごろ放送されていたコーナーで、毎日DJがリスナー1名からの大切な人へのメッセージを添えてリクエストを紹介していた。なお、VIPは「ビップ」ではなく「ブイアイピー」と読むのが正解である。
- IZM-DJ's 5
- シネマホリック
- ご当地バンザイ(水曜日)
- ミュー竹取物語
- ミュージカイングリッシュ(木曜日)
- カロカロカロリー
- めん道
- ふぉりな侍(木曜日)
- おそとde Happy(月曜日)
- トレンドセッター(火曜日)[6]
- 漫画道(水曜日)
- HEALTHY MAGIC(木曜日)
- ディースポ(金曜日)
など
エピソード
- リクエスト曲の音飛び
- 1996年6月17日の放送中、吉川晃司の「サヨナラは八月のララバイ」をプレイしていたが、音飛びが続いてしまい、プレイを途中で打ち切って次の曲へ切り替えた。その曲の後DJの島田奈央子がリスナーに「わざわざリクエストをくれたのにごめんなさい…」と謝っていた。
- 宅麻仁の遅刻
- 1997年1月17日、金曜担当(当時)の宅麻仁のスタジオ入りが遅れ、到着までの間、前番組の『SOUND SPEC.』金曜担当(当時)の西本淑子がつなぎで担当。西本が代わっている間に宅麻が電車で遅れていると伝えたが、当の宅麻本人は、放送前に買い物に行っていて45分も遅れてしまったそうだ。
- 近田和生の緊急登板
- 番組初期のRADIO-izmはDJ担当が週3人制シフトだったため、同じDJが他の曜日まで続けて担当する事もあった。
- 1996年9月20日:金曜担当(当時)の宅麻仁が急病のため、水・木曜担当(当時)の近田和生がピンチヒッターとして緊急登板。正規の担当日と含めて3日連続で出演する事態となった。
- さらに12月30日・31日の2日間も、年内最後の担当予定だった島田奈央子(月・火、当時)が盲腸で入院したため、またも近田が急遽登板。30日のオープニングで近田が、風邪を引いてしまった島田のふりをして登場したため、番組に「いきなり男性の声がした」などのFAXが届いた。しかし急なこととはいえ、近田は自ら、リスナーと電話をつなぐ緊急企画を即興で行うなど、1年の最後を熱く締めくくった。
- なお、近田は1997年7月11日放送の『SUNSHINE BREEZE』(土曜日11:00~15:55、当時宅麻が担当していた番組)でも夏休みの宅麻のピンチヒッターを担当。また、降板前の1998年冬にも1回金曜日に宅麻の代わりに登場したことがある(放送日不明)。近田はこれで月曜日から金曜日そして土曜日の番組まで、全曜日に出演した。
- その他の代役起用例
- 1997年7月10日の放送は、金曜担当(当時)の宅麻仁が夏休みのため、月・火担当(当時)の高岡あやがピンチヒッターで出演。
- 1997年8月20日・21日の2日間は、夏休みの近田和生(水・木、当時)に代って、近田と同じ事務所に所属するバカボン鬼塚がピンチヒッター。当時、先輩であるバカボンが担当していた「SUPER FREAK SUNDAY」にも、近田が少しゲストで登場したことがある。
- 2007年3月21日は、水曜担当の服部整治が病欠のため、火曜担当(当時)の実由が代役を担当した。また2009年2月13日は、金曜担当の佐藤ドミンゴが全国民放ラジオキャンペーンのラジオ収録のため、木曜担当の大出佐智子が代役を担当した。
- サプライズオペレーター
- 電リク番組時代、リクエストの電話を取り次ぐオペレーターは、普段はアルバイトの女性などが業務していた。が、サプライズゲストとして、こんな人が登場したこともある。1997年5月2日の放送に、当時「SUNSHINE BREEZE」で宅麻仁とコンビを組んでいた江崎エツコが隠しオペレーターとして電話業務に参加していた。翌日「SUNSHINE BREEZE」が富士急ハイランドから出張生放送のため、そのPRの一環によるものだった。江崎は番組エンディングにもゲストで登場。
- ジェラゾー
- 宅麻仁が金曜日を担当していた当時、1996年5月ごろから1997年春にかけて、番組にリクエストを出したリスナーに毎週1個限定で「ジェラゾー」なるものをプレゼントしていた。しかし、ジェラゾーの正体が何であるかは、最後まで番組内でも露にすることはなかった。
- その他
関連項目
- エフエム富士
- SUNSET CALLING(前番組)
- SOUND SPEC.
- SUNSHINE BREEZE
- SUPER FREAK SUNDAY
- RADICAL LEAGUE
- POWER STUDIO FROM FUJI:JIROが月・火曜日担当していた。
- PUMP UP RADIO(後番組)
外部リンク
脚注
テンプレート:前後番組- ↑ 服部の愛称が「せいちゃん」であることから、「せい」と「イズム」をひっかけた。
- ↑ RADIO-izmの最終回放送日。番組最後の放送は火曜日DJの野村富美江(当時)が担当した。
- ↑ 翌4月1日から「BAY LINE GO!GO!」へリニューアルして放送中。
- ↑ 聴取率調査期間など特別企画として行われることがある。FM-FUJIでは2010年12月31日の年越し特番(DJ:佐藤ドミンゴ・針谷衣織里)の一夜限定で電リクが復活した。
- ↑ 5.0 5.1 テレマートの不祥事により番組後のラジオショッピングを中止、18:54終了に復帰。
- ↑ RADIO-izm終了の2009年4月以降は、GOOD DAY金曜日(野村富美江が担当)GLITTERING TIMEのコーナー内で放送されている。