M1ガーランド

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:Infobox M1ガーランドテンプレート:Lang-en)は、アメリカ合衆国スプリングフィールド造兵廠が開発した半自動小銃。歩兵用の主力小銃として全面的に採用された初めての半自動小銃とされる。アメリカ軍での制式名称は当初United States Rifle, Caliber .30, M1(合衆国30口径小銃M1)とされていたが、後にRifle, Caliber .30, M1と改められ、 US Rifle, Cal. .30, M1という略記も用いられた。

1936年ボルトアクションスプリングフィールドM1903小銃に替わり採用され、1957年M14小銃が採用されるまで、米軍の主力小銃であった。

同じ.30口径で同じM1という形式名を持つ「M1カービン」が存在するが、使用弾薬、設計者、運用方法などは異なった別種の銃である。

当時のスプリングフィールド造兵廠と、現在、M1ガーランド、M1Aなどを製造するスプリングフィールド・アーモリーは法人的に全く無関係である。

概要

19世紀末から第二次世界大戦終戦まで、枢軸国軍、米国を除く連合国軍を問わず、歩兵用主力小銃は、九九式短小銃モーゼルKar98kにみられるような装弾数5-10発のボルトアクションライフルであった。このボルトアクションライフルは、装弾から排莢までを手動で行うため速射性に乏しく、各国軍部では、火力を増大することのできる歩兵用の自動小銃の開発を進めていた。しかし、歩兵用の自動小銃を作る際、どうしてもネックとなるのが「コスト」と「技術」、「弾薬の供給」であった。

比較的高威力の小銃弾を使用する自動装てん式小銃の製造には高い製造技術が要求され、1挺当たりの製造コストはボルトアクションライフルに比べ増大する。当時、ソ連を除くほとんどの国では、試作品や少数の量産品が配備された例以外では、主力小銃を自動化した例はなかった。また、ソ連における半自動歩兵銃(シモノフAVSトカレフSVT)は生産数こそかなりまとまった量が作られはしたものの設計に未熟な面があり、実用性は概して低くボルトアクションライフルを更新するに至らなかった。

また、小銃を自動化した際には弾薬を大量に消費することになるが、前線に展開する部隊へ補給するには、米軍のようにジープ小型トラックといった輸送手段が必要となる。馬匹や人力に頼る原始的な兵站能力では、自動小銃を装備してもすぐに弾薬不足に陥ることは明白である。第二次大戦中にM1ガーランドで使用された.30-06スプリングフィールド弾は標準のM2ボール弾で1発約27g(416gr)であり、通常200発で1カートン、これだけで5kgを超えた。これを2kgを超える金属製の弾薬箱(Ammunition box)で輸送していた。

即ち、このM1ガーランドは、「持てる国」「資本主義の合理性」「大量生産大国」「モータリゼーション」「銃器大国」というアメリカ合衆国ならではの自動小銃であったといえる。

開発

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陸軍の将官にM1ガーランドの解説を行うジョン.C.ガーランド(左)

米陸軍第一次世界大戦の経験から、歩兵全員に全自動射撃の可能な自動小銃の配備を理想とし、他国のように従来のボルトアクション式手動連発小銃軽機関銃を組み合わせるという考えを持たなかった。

しかし、第一次大戦終結後に大幅に縮小された予算のもと、全自動射撃の可能なBARを全軍に配備することは価格面で不可能であり、また、BAR自体も一般用途の歩兵銃とするには重く大き過ぎた。結果、米陸軍次期主力小銃は、予算と技術の双方の壁から、半自動のみの小銃として開発されることとなった。1924年から外国製を含む数種の銃を試験した結果、既存主用弾薬である.30-06(7.62mm)と並行して、開発を容易に進めるため、この時点では現用弾薬よりも小口径低威力の.276(7.01mm)という新規格弾薬を本命として開発が行われていた。

1929年にはスプリングフィールド造兵廠ジョン・ガーランド技師の設計(T3E2)とピダーセン(ペダーセン)の設計(T1)とが残って最後まで優劣を争っていたが、ダグラス・マッカーサー(当時陸軍総参謀長)が行った1932年の裁定によって.276弾の使用が禁じられ、小銃は.30-06弾を使用しなければならないと決定したことにより、.276弾でも弾薬に潤滑油を塗らなければ良好に作動せず、.30-06弾仕様では作動させられなかったピダーセンは脱落し、スプリングフィールドの.30口径バージョンであるT1E1の強度を増したT1E2が1933年8月3日に.30口径半自動小銃M1(Semi-Automatic Rifle, Caliber 30, M1)として仮採用された。

1934年5月には初期生産型が歩兵学校と騎兵学校で実地試験に入り、問題点を改修の上、1935年11月には実用に適すると認められ、1936年1月9日付で制式採用となった。最初の量産型は1937年7月21日に工廠を出たものの平時における予算不足のため生産インフラの整備は遅々として進まず、生産が軌道に乗ったのは9月に入ってからのことだった。その後は1日100挺のペースで量産が続いたものの、1940年銃身とガスパイプの接合部に問題が見つかり、生産はいったん中止され工廠は既生産分の改修に追われた。この遅延が尾を引き、1941年後半頃にようやく米本土の部隊に有効戦力として配備された。

特徴

長所

ファイル:M1clip.jpg
クリップを装填する様子

本銃の長所は発射時のガス圧を利用した自動装填機構にある。ロータリーボルトロッキングというボルトアクションライフルの手動発射過程を自動化したような機構を使用している。この機構により本銃は、ボルトアクションライフルに匹敵する高い薬室の閉鎖性と、自動銃としては比較的高い命中率を完成させている。

また、エンブロック・クリップ装弾方式という装弾方式をとっているのも特徴である。これは弾丸8発の束を挿弾子(クリップ)に填めておき、銃のボルトを引いて上部からクリップごと差し込み装弾する方法である。発射し終わると、最終弾の排莢と同時にクリップも排出され(特徴的な金属音がする:下項参照)、ホールドオープン状態となる。着脱式弾倉では空になった弾倉を外す操作を要するのに対してこのシステムはその必要が無く、即座に装填操作に移行できることになる。銃自体の装弾数は8発と少ないものの、再装填に掛かる時間そのものは着脱式弾倉よりシンプルで素早いシステムでもあった。

これ以前の挿弾クリップは、5発なりのカートリッジのリム部分を挟んで一列に並べたものが代表的で、これを開放した機関部に仮に挟み、上から手で押し込むことによって二列弾倉に押し込むという仕掛けだった。通常、装填後は挿弾クリップ自体は再使用せず、使い捨てにする。この装弾方式はM1ガーランド以降は採用されず、着脱箱型マガジンに移行するまでの過渡的なものであった。

本銃では、同じ銃の間での部品交換が確実に可能であったことも長所としてあげることができる。同製品間での「規格」の概念、が確立したのは第二次世界大戦中の米国である。米国資本主義の「合理性」の概念と「大量生産体制」の確立、そして「製品保証」の考え方が、このような銃器にも反映されている。

日本軍三八式歩兵銃などではよく聞かれる話であるが、複数の職人が同時に同じ銃を完成させた場合、当時の日本工業製品には「規格」の概念が未熟だったため銃職人がその場で部品のサイズなどを個別に微調整せざるを得ず、同機種の銃器の部品の互換性がないという現象が起きていた。これは日本に限らず、当時の諸外国でも同様で、兵器・武器の部品の互換性は大きな問題点として各国も認めていた。それを世界で最初に解消したのは米国であり、小銃ではこのM1ガーランドが最初といわれている。

短所

上記で記述した長所でもある装弾クリップのシステムは短所ともなっている。

M1ガーランドではボルトを後方へ固定するための独立した機構はないため、射撃途中に弾薬を追加装弾することが事実上不可能となっている。ボルトを手で後方へ保持しながら弾薬を追加装弾することは不可能ではないが、これを行うには両手操作が必要であり、射撃再開までに時間を要したり、機関部の異物障害の原因となるため、追加装弾は実際にはほとんど行われなかった。このような機構により、戦場では新しいクリップを装填するために、弾倉内の残弾を適当に撃ち尽くす「ムダ弾撃ち」が発生したともいわれる。

エンブロック・クリップ式のもうひとつの欠点として、弾倉に装填し薬室を空けておくことができない点が挙げられる。弾倉底のバネを押しながら8発クリップを装填すると、後退停止していた遊底は解除されて前進する。クリップには8発が隙間なく入っているので、最上部のカートリッジを指で押さえて遊底だけを前進させることはできず、初弾は薬室に装填されてしまう。着脱式弾倉であれば、遊底を先に閉鎖してから弾倉を取り付けることで薬室を空けておくことは可能である。直ちに射撃する攻撃的な用途であれば問題とならないが、守備的用途では問題となる(8発装填後に一回遊底を引いて初弾を排出し、次弾を指で押さえながら遊底を前進させて7発装填、薬室は空という操法は不可能ではないが、軍のマニュアルではそのような操作方法は存在しない)。

本銃では最終弾発射後には排莢と同時にクリップも排出されるが、その排出の際にクリップにより「ピーン」という甲高い金属音が発生する(上記動画参照)。これにより、敵には最終弾発射が判別できるということで、兵士の間では不評であったといわれる。

装填操作

銃に弾が無い時にボルト(オペロッド)をいっぱいに引くと常にオペロッドキャッチが動作し、ボルトはホールドされたオペロッドを介してオープン状態となる。弾を込めずにボルトを閉じる場合は、マガジンフォロワを押し込みかつオペロッドをわずかに引くと、オペロッドキャッチが外れてボルトが前進する。クリップが無い場合は弾を一発だけ薬室に差込んだうえで、上記操作を行えば、単発銃としての運用は可能ではある。

マガジンフォロワを底まで目いっぱい押し込むと、オペロッドキャッチに内蔵されたアクセラレータという部品により、オペロッドキャッチが強制的に解除される、と同時にクリップキャッチがクリップを機内に保持する。ボルトストップ解除と同時にクリップキャッチが動作するとも言える。8連クリップを装填する時、はじめのうちはオペロッドを常に抑えている必要はなく、ホールドオープン状態を維持する。アクセラレータによるクリップキャッチ及びオペロッドキャッチ動作直前までは特にオペロッドを押えておく必要はない。新品またはテンションのしっかり効いた8連クリップを使用する限りにおいては、クリップを押し込むと同時にオペロッドキャッチは強制解除されるが、ボルトの前進はクリップ上部の一発目に引っかかって止まる。ボルトのストッパーが、クリップ上部の一発目の弾が肩代わりするとも言える。その後オペロッドを手で前進させて、クリップ上部の一発目をクリップから押しぬきながら装填するという感じになる。

米軍で初期に作られた操作マニュアルでは、8連クリップを押し込む時、小指の付け根ではオペロッドを押えておらず、手はグーのままであった。しかしながら、クリップのテンションを頼りにしたこの方法では、再使用などでテンションの緩んだクリップを使った場合はボルトは即時に前進し、親指が入っていれば当然のことながらはさまれることとなる。逆に言えばクリップテンションが効いた8連クリップを使用する限りにおいては、親指をはさむ可能性は低いと言える。

多くの文献では、あらかじめオペロッドをチョイ引きした状態でクリップを押し込むとも取れる操作方法が紹介されている。一応可能ではあるが、その間、問答無用に前進したがっているボルトを何が何でも開放状態で保持し続ける必要がある。

M1の装填要領を整理すると次のとおりとなる。

(1)最初はオペロッドは引かずクリップを押し込む。
(2)アクセラレータが動作する直前(ここで抵抗が大きくなる)で初めて小指付け根でオペロッドをチョイ引きするが、同時にクリップキャッチがクリップをホールドするまで押し込む(ここがポイント)
(3)ボルト前進が一発目で止まったら、オペロッドを前方に押し込む。

小指付け根でオペロッドをチョイ引きすると、アクセラレータ動作に要する力が不要となる分、クリップキャッチがかかるまでの抵抗が軽くなる。また、アクセラレータでオペロッドキャッチが強制解除された場合は急激にボルトが前進するが、小指付け根でオペロッドを抑えていればボルトの急激な閉鎖をある程度防止でき、クリップテンションによるボルトの即時閉鎖が防げる。すなわち親指をはさむ恐れがなくなる。

また、射撃、狩猟用として作られている2連クリップまたは5連クリップは、マガジンフォロワが下がりきらないので、目いっぱい押し込んでもアクセラレータが動作しない。アクセラレータが動作しないと言う事は、クリップキャッチも掛からずオペロッドキャッチも解除しない。また、クリップテンション自体も8連用と比べるとはるかに弱いので、一発目がホールドオープン肩代わりという8連クリップの要領は期待できない。クリップをいっぱいに押し込んでボルトをチョイ引きしたら、ボルト前進を阻むものは何も無いと考えるべきで、2連及び5連クリップを使用する場合は、十分なる注意が必要である。

派生型

M1ガーランドはその優秀性が故に、第二次世界大戦後も使用され続け、初期の自衛隊の主力小銃として、また、現在でも発展途上国などでは現役で活躍している。米軍や自衛隊など制式銃として使わなくなった軍でも、木製部が多いクラシカルなデザインから、式典などの儀仗銃としても利用されているため、スプリングフィールド社では製造が続けられている。また、改良派生品も多く登場している。

M1E5、T26

共にM1ガーランドを短縮した試作型カービンモデルで、戦車兵用を意味するタンカー(Tanker)の通称で知られる。どちらも18インチ銃身を備え、M1E1は折畳銃床、T26は固定銃床を備えていた。制式採用はされなかったものの、T26は少数がテンプレート:仮リンクによりフィリピン戦線で使用された。

T20E2

セミ/フルオート射撃の切り替えを行えるセレクティブ・ファイア機能を備え、ブローニングM1918自動小銃の20発箱型着脱式弾倉を使用する試作型モデル。1945年5月には少数が調達されたが、まもなくして日本の降伏により第二次世界大戦が終結したことで製造数は100丁程度に留まった。1948年3月には計画も破棄され、制式採用はされなかった。

M1C/Dガーランド・スナイパーライフル

ファイル:M1C.jpg
M1C(M84 スコープ付き)

M1ガーランドにM84スコープを追加した狙撃銃。C型はレシーバーにマウントベースを追加している形で元のM1ガーランドには再生できなかったが、D型はレシーバーとバレルの間にマウントベースを挟む込む形に変更されたため、M1ガーランドへの再生ができるようになっている。一般的な狙撃銃ではレシーバーの真上にスコープが来るが、M1の場合クリップ装填ができなくなってしまうため、左側にオフセットしている。

M14(M1A)・M21

テンプレート:Main M1ガーランドの改良型アサルトライフル。多弾数ボックスマガジンを採用し、フルオート射撃が可能になった。民生用に「M1A」、狙撃型で「M21」などのバリエーションが存在する。ベトナム戦争時の銃であるが、一端退役後、近年再採用された。

四式自動小銃

テンプレート:Main 日本軍によるコピー銃である。「五式」だったとも言われる。

BM59

テンプレート:Main 第二次世界大戦後イタリアにて、M1ガーランドを元に設計された自動小銃。着脱式箱型弾倉を使用する。

オプション

ファイル:M1 Garand rifgren-shooting line.jpg
M1ガーランドに装着された小銃擲弾

M7グレネードランチャーを装着することで、22mmライフルグレネードを発射することができた。ソケット型のアダプターで銃剣固定用の金具に固定していた。 グレネードを発射するときには一発だけ空包を装填する必要があった。

主力装備として採用された主な国、組織

テンプレート:S-start |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
U.S.M1カービン |style="width:40%; text-align:center"|自衛隊制式小銃
1951-現在 |style="width:30%"|次代:
64式7.62mm小銃 テンプレート:S-end

登場するメディア作品

テンプレート:Hidden begin 主に第二次世界大戦を描いたメディア作品に登場する。

映画・テレビドラマ

442連隊兵士が使用。
主人公ウォルト・コワルスキーが朝鮮戦争従軍時のものを退役後も自宅で所持・使用。
第2章でアメリカ陸軍第23歩兵師団のものが箱詰めの状態で初登場。開封した海兵隊員からは「俺達のは使い古しなのに」と愚痴られる。
オーストラリア国防軍が使用。
ローズ大佐が使用、リアサイトの調整シーンがある。
ガダルカナル島の戦闘を描写。連射が可能な米兵のM1ガーランドと、ボルト操作が必要な日本兵の三八式歩兵銃の差がわかるように描かれている。
ジョーカーがパレードのシーンで使用。
革命軍、政府軍両軍の主力火器として登場。
演習時の映像を使用しているらしく、伏射や一斉射撃などの一連の動きが登場する。
米軍兵士全般が使用。
韓国軍兵士全般が使用。

上記他、第二次大戦や朝鮮戦争を扱った作品・陸上自衛隊が登場する1950-60年代の特撮映画全般に登場する。

ゲーム

ディス・マシン(This Machine)、バトルライフル、という名前で登場。
「ライフル」として登場。
モダン・ウォーフェアシリーズ以外の作品に登場。
M1C及び、M21が登場。

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脚注

  1. 「エリートフォーセス 陸上自衛隊編[Part1]」p72

関連項目

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テンプレート:第二次世界大戦のアメリカの小火器