FTVテレポート
テンプレート:出典の明記 テンプレート:基礎情報 テレビ番組
『FTVテレポート』 (エフ・ティー・ブイ テレポート) は、福島テレビで夕方に放送されていた福島県向けのローカルワイドニュース番組(1973年10月1日から1976年3月26日まではローカルワイド情報番組)である。
目次
概要
「テレポート」の由来
1973年10月1日放送開始。番組名の由来について、もともと福島テレビはJNNとFNS2つの系列によるクロスネットだったが、ニュース協定の関係上ニュースネットはJNNのみに参加していたので、TBS夕方のローカルニュースのタイトル(テレポート)をそのまま使用したと思われがちだが、実際は『FTVテレポート』のほうが2年早く開始している。『福島テレビ20年史』によると、『テレポート』というタイトルは、全国のテレビ局の番組表をまとめた冊子を見ていたFTVの社員が、当時千葉テレビ放送で放送されていた『午後のテレポート』から拝借してきて、『テレポートふくしま』という仮タイトルをつけ、それが『FTVテレポート』になったという記述がある。また『福島テレビ30年史』には、テレビレポートニュースの略語(造語)であり、取材班(=漁船)が帰ってくるポート(=港)でもあるという理由付けされたとの記述もある。
開始当初は18時から18時半まで情報番組という形で放送し『JNNニュースコープ』と『FTVニュース』を内包した形だったが、1976年3月29日からローカルニュース番組になった。
FNN一本化後
ネットチェンジ(ニュースネットがFNNに変更された)直後の1983年4月2日に土曜版が開始される(開始当初は30分、後に平日同様全国ニュースを内包して55分となる)。1984年10月1日の『FNNスーパータイム』立ち上げ後全国部分(FNNスーパータイム)とローカルの2部構成となる。『FNNスーパータイム』のタイトルは使用せずこのタイトルを継続して使用[1][2]。また、1993年3月28日までは日曜日に『FNNスーパータイム』内で福島県内ローカルニュースを放送し、1993年4月4日から1997年3月30日までは同番組を『FTVテレポート』にタイトルを差し替えて放送した。
ニュース番組では全国に先駆けてステレオ放送を開始した。その後、『FNN FTVニュース555 テレポート ザ・ヒューマン』→『FNN FTVスーパーニュース テレポート』と変更し、平日17:00枠の『Lばんテレポート』で引き続き『テレポート』の名称を使用したが、2003年3月31日より『FNNスーパーニュース』と合併して名称が削除され、次番組の『Lばんスーパーニュース』に統合する。
その他
JNN加盟時代にはJNN東北・北海道交換ニュース(当放送局と北海道放送・青森テレビ・岩手放送・東北放送)も放送していた。
フジテレビやほとんどの系列局が「スーパータイム」のタイトルを使用していたなかで、一部のFNN系列局と同じく『FNNスーパータイム』などに統一しなかったが、『スーパータイム』が大幅にタイトルCGを簡略化した際に放送時間を17:59.45からに変更し、20秒間は福島テレビ側でニュース項目を伝え、18:00.05秒からフジテレビ送出の映像に切り替えた。
なお、「テレポート」のタイトルロゴは、多くの番組内容・名称変更などもあったが、1973年10月の番組開始から2000年3月の名称削除まで一切変更が無かった。兄弟番組で情報番組の『テレポート525』や『テレポート』でのロゴもここから流用していた。ただし、『Lばんテレポート』においてのロゴは、独自仕様のロゴを使っていた。
歴代出演者
放送開始時 - 1976.3.26
- 石崎二郎(1973.10 - 1974.3、当時劇団四季所属の俳優)
- 中村要輔(1974.4 - 1974.9、1975.1、当時TBSアナウンサー)
- 稲川英雄(1974.10 - 1976.3、当時TBSアナウンサー)
- 原國雄(1975.4 - 1976.3)
- 高橋雄一(1974.10 - 1976.3)
- 鈴木幾代(1973.10 - 1973.12、視聴者代表)
- 安田美穂子(1973.10 - 1974.3、1975.10 - 1976.3)
- 高橋とみ子(1974.1 - 1974.8、視聴者代表)
- 小貫恵子(1974.1 - 1974.8、視聴者代表)
- 川口桂(1974.9、視聴者代表)
- 柳原ミエ子(1974.4 - 1974.9)
- 後藤みどり(1974.9 - 1974.12、視聴者代表)
- 吉井真美子(1974.10 - 1975.3)
- 永井智恵子(1975.4 - 1975.9)
- 矢吹美枝子(1975.1 - 1975.6、視聴者代表)
- 大沼ヒサ子(1975.5 - 1975.9、視聴者代表)
- 橋本浩美(1975.8 - 1975.12、視聴者代表)
- 稲垣きみよ(1975.9 - 1975.12、視聴者代表)
- 武藤順子(1976.1 - 1976.3、視聴者代表)
- 菅野恵子(1976.1 - 1976.3、視聴者代表)
ニュースキャスターの移り替わり(ワイドニュース化以後)
FTVテレポート → FNN FTVテレポート
期間 | 平日 | ||||
---|---|---|---|---|---|
1976.3.29 | 1976.9 | 遠藤卓 | 永井智恵子 | ||
1976.10 | 1977.3 | 坪郷佳英子 | |||
1977.4 | 1977.9 | 上田恵子 | |||
1977.10 | 1978.3 | 平松千代子 | |||
1978.4 | 1978.9 | 志知美子 | |||
1978.10 | 1979.3 | 原國雄 | 北川則子 | ||
1979.4 | 1979.9 | 斎藤知加子 | |||
1979.10 | 1980.3 | 大塚礼子 | |||
1980.4 | 1980.9 | 朝岡直美 | |||
1980.10 | 1981.3 | 斎藤理恵 | |||
1981.4 | 1981.9 | 遠藤靖子 | |||
1981.10 | 1982.3 | 吉田江津子 | |||
1982.4 | 1982.9 | 近藤照美 | |||
1982.10 | 1983.3 | 長谷川順子 | |||
期間 | 月 - 木曜日 | 金・土曜日 | |||
1983.4 | 1984.9 | 原國雄[3] | 波江野友子 | 鈴木孝之 | 長谷川順子 |
1984.10 | 1985.3 | 赤間裕子 | |||
1985.4 | 1987.3 | 長谷川順子 | 青木久美子 | ||
1987.4 | 1989.3 | 青木久美子 | 榎本文克 | 久田直子 | |
1989.4 | 1990.3 | 岩田雅人 | 久田直子 | 辻雅子 | |
1990.4 | 1992.3 | 住友真世 | |||
1992.4 | 1992.9 | 今野明美[4] | |||
1992.10 | 黒木美和 | 浜中順子 | |||
1996.9.30 | 北上明子 | ||||
1996.10.1 | 1997.3.29 | 金井淳郎 | 浜中順子 | 原國雄 | 原田幸子 |
スポーツニュース担当
基本的には男性アナウンサーが持ち回りで担当、そのまま夜の『FTVニュース』も続けて担当することが多かった。
コーナー
開始当初のコーナー
- ガンバレ!QSO(放送開始から約10分間の帯コーナー)
- スクーピック200(月)
- ひとすじの道(火)
- エンマちょう(水)
- ピンスポット(木)
- ヤングタウン(金)
ローカルワイドニュース化以降のコーナー
- FTVスポーツ(FTV SPORTS・1990年代中期からオープニングはステレオ放送)
- ふれあいキャラバン(1990年頃)
放送時間
期間 | 放送時間(JST) | 備考 | |||
---|---|---|---|---|---|
月 - 金曜日 | テンプレート:Color | テンプレート:Color | |||
1973.10.1 | 1977.4.1 | 18:00 - 19:00(60分) | (放送無し) | (放送無し) | |
1977.4.4 | 1983.3.31 | 18:00 - 18:30(30分) | 『JNNニュースコープ』が20分→25分に枠拡大したため同番組を分離、18:55からは『あしたのあなた』を放送。 | ||
1983.4.1 | 1984.9.29 | 18:30 - 18:57(27分) | 18:00 - 18:30(30分) | JNNを離脱してFNNに加盟、新たに土曜版を設置した。平日18:57 - 19:00は『うすいお天気ミニミニ劇場』を放送。 | |
1984.10.1 | 1985.3.30 | 18:20 - 19:00(40分) | 平日18時から『FNNスーパータイム』が開始されたが、当初は1985年一杯まで内包せず別枠とされ、冒頭の東京発の司会者挨拶もそのまま流れた。ローカルニュースの差し替えの有無不明 | ||
1985.4.1 | 1985.12.28 | 18:20 - 19:00(40分) | 18:30 - 19:00(30分) | 『FNNスーパータイム』の土曜版が開始されたため土曜は30分繰り下げ。以後同枠のアニメは番組販売扱いの遅れネットで放送。 | |
1986.1.6 | 1993.3.31 | 18:00 - 18:55(55分) | 『FNNスーパータイム』を内包し、お天気コーナーを分離(お天気リポート)。 | ||
1993.4.1 | 1996.9.30 | 18:00 - 18:55(55分) | 17:30 - 18:00(30分) | 新たに日曜版を設置した。 | |
1996.10.1 | 1997.3.30 | 17:59.45 - 18:55(55.25分) | 17:30 - 18:00(30分) |
歴代セット
- ニュース番組に企画変更-1984年2月まで 第1スタジオ キャスターの背後には「FTVテレポート」のロゴが捻っているクロマキーセット。後期にはキャスター席の背後の中央辺りに「FTVテレポート」のロゴが入る、同じくクロマキーセット。なお、キャスターは座って伝えていた(天気予報は除く)。
- 1984年3月 - 1989年4月1日 ここから第2スタジオ(ニューススタジオ)。詳細なセットについては不明。キャスターは立って伝えていた。なお第2スタジオ時代、このセットのすぐ隣に定時ニュースのセットが組まれてあった。
- 1989年4月3日 - 1995年9月30日(原から岩田に交代時) キャスター2人が座って伝えるようになる。曲線(中には照明も)の入った壁のセット。中央辺りに「FTVテレポート」と表示される。一度ほどセットの色がマイナーチェンジされた。
- 1995年10月2日 - 1997年3月29日 新たに完成した情報センター(現:第3スタジオ)のニューススタジオ。テレポート525・FTVテレポートでは報道フロアを背後にした中央の位置、すぐ右側には「FTV SPORTS」[5]のプレートが取り付けられたスポーツコーナーのセット。さらにその右側には定時ニュースのセットがあった。
- このセットは『Lばんスーパーニュース』の開始以降、同番組で使用していたセット右側の位置(元々の定時ニュースのセットの位置辺り)に新たなセットが組まれて使われなくなったものの、結果的に定時ニュースや春高バレーダイジェストなどのスポーツ番組などで2007年3月まで長きにわたって使われることになった。
- テレポート525では、報道フロアと分けるFTVの略称ロゴ入りの茶色い可動壁をつけていたが、『FTVテレポート』内では取り外していた。後に『テレポート ザ・ヒューマン』でも可動壁を取り付けるようになった。『スーパーニュース テレポート』放送中の一時期から定時ニュースのセットと統合して可動壁に替わり、透明のガラス壁が取り付けられた。
- 岩田がメインキャスターを務めていた時には座って伝えていたが、金井に替わってからは立って伝えるようになった(『テレポート525』時にも同様)。
番組タイトルの変遷
- 1973.10.1-1986.3.31:FTVテレポート
- 1986.4.1-1997.3.30:FNN FTVテレポート
- 1996.7.1-1998.3.28:テレポート525(17時台枠)
- 1997.3.31-1998.3.27:FNN FTVニュース555 テレポート ザ・ヒューマン(平日)
- 1997.4.5-1998.3.29:FNN FTVニュース テレポート ザ・ヒューマン(週末)
- 1998.3.30-2000.4.2:FNN FTVスーパーニュース テレポート