ANNニュースファイナル
『ANNニュースファイナル』は、1975年10月13日から1987年9月27日までテレビ朝日(旧・NETテレビ、ANN)で放送されたANN深夜のニュース番組である。
概要
開始当初は10分間のストレートニュース番組であったが、1980年9月から1982年3月までは、『ANNニュースレーダー』から小松錬平が異動し、『ANNスポーツニュース』を統合した25分間の報道番組となった。スポーツコーナーは宮嶋泰子(当時は増山泰子)が担当。宮嶋は現在に至るまでテレビ朝日を代表するスポーツアナウンサーとして活躍している。
しかし、1982年4月に『スポーツニュース』を再分離して再びストレートニュース番組に戻り、下記のように様々なメインキャスターが登場した。
1985年10月7日、ニュースとスポーツを内包した『ニュースステーション』の開始に伴い、平日版は同年10月4日放送分をもって終了し、週末のみ残るも、『ナイトライン』の開始に伴い、1987年9月27日に終了した。
開始から1980年代初期までは、NET→テレビ朝日放送分のみローカルテロップで「協力 朝日」がタイトル登場後に添えられていた。テレビ朝日の報道部門がNET朝日制作→テレビ朝日映像発注によって無くなっていた時代を示すロゴだった。
提供クレジットはネット各局ごとに表示していた(ネットスポンサーとローカルスポンサー含めての局やネットスポンサーのみの局とまちまち)。
歴代のキャスター
平日
- 1975年10月 - 1980年3月:テレビ朝日アナウンサーによるシフト制。
- 1980年9月 - 1982年3月:小松錬平(月 - 木曜日)、増山泰子(同スポーツ担当)、不明(金曜日)
- 1982年4月 - 1985年9月:テレビ朝日アナウンサー・記者によるシフト制
週末
- テレビ朝日アナウンサーによるシフト制。
出演キャスター
放送時間
期間 | 月 - 木曜日 | 金曜日 | 土・日曜日 | |
---|---|---|---|---|
1975.10.13 | 1979.3 | 23:00 - 23:10(10分) | 23:50 - 24:00(10分) | |
1979.4 | 1980.9 | 23:00 - 23:10(10分) | ||
1980.10 | 1982.3 | 23:00 - 23:25(25分) | 23:00 - 23:15(15分) | |
1982.4 | 1983.9 | 23:00 - 23:15(15分) | 23:50 - 24:00(10分) | 23:00 - 23:10(10分) |
1983.10 | 1985.10.6 | 23:50 - 24:05(15分) | ||
1985.10.7 | 1987.9.27 | (放送なし) |
オープニング
25分番組だった時、まずオープニングテーマソング(薄暗いスタジオで小松と増山<宮嶋>が談笑する)が終わった後、小松と増山(宮嶋)がその日の注目ニュースを数項目述べてから、「それではお知らせの後、今日のニュースのまとめとスポーツコーナーをお送りします」と話し、画面右下に四角囲みで「ANN」のロゴ、そしてスタジオの側面にある「ニュースファイナル」のタイトルパネルを映していた。
ネットしてた局
- テレビ朝日(旧・NETテレビ、1977年3月31日まで旧称)
- 北海道テレビ
- 東日本放送
- 福島放送(1981年10月1日開局から)
- 新潟総合テレビ(1981年4月1日から1983年9月30日まで)(FNN・NNN・ANNのトリプルネットからFNN・ANNのクロスネットになったため、『NNNきょうの出来事』から変更) → 新潟テレビ21(1983年10月1日開局から)
- 静岡県民放送(けんみんテレビ、現・静岡朝日テレビ。1979年7月1日から)(ANN・NNNのクロスネットからANNの単独ネットになったため、『NNNきょうの出来事』から変更)
- 名古屋テレビ
- 朝日放送 - ANNに加盟した1975年3月31日 - 9月(即ちこの番組が発足する前)の最終版ニュースはNETからのネット受けではなく、自社制作の『ニュースファイル23』として23:00から23:15に放送されていた。当時のANN最終版ニュース(NET発)は『23時ショー』明けの23:50から24:00に行われていた。
- 瀬戸内海放送(当初は香川県のみ、1979年4月からは岡山県にも相互乗り入れ開始)
- 広島ホームテレビ
- 九州朝日放送
- 鹿児島放送(1982年10月1日開局から)
関連項目
- ANN 夜のワイドニュース - 1967年から1971年まで放送された、日本初の深夜のニュースワイド番組。