667年
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他の紀年法
できごと
- 3月27日(天智天皇6年2月27日) - 斉明天皇と間人皇女を小市岡上陵に合葬、大田皇女を陵前の墓に葬
- 4月17日(天智天皇6年3月19日) - 近江大津宮に遷都
- 伊吉博徳を遣唐使に派遣
- 11月 - 大和高安城、讃岐国屋島城、対馬金田城を築く。
- 白村江の戦い後に、唐や新羅が、日本を攻めて来るのを恐れて天智天皇は都を難波から内陸の近江京へ移して、防衛網を充実させた。
- 『日本書紀』には、唐の百済鎮将劉仁願が、熊津都督府(唐が百済を占領後に置いた5都督府のひとつ)の役人に命じて、白村江の戦いにおける日本側の捕虜を筑紫都督府に送ってきたという記載がある(「十一月丁巳朔乙丑 百濟鎭將劉仁願遣熊津都督府熊山縣令上柱國司馬法聰等 送大山下境部連石積等於筑紫都督府」)。